emergence

 それからの日々は、ワタシにとって挑戦の日々だった。

 そも、ワタシの性質上、相手の意識を掌握して操作することはあっても、二つの意識を同時に存在させることは殆どなかったから、調整に難儀した。人間的に言えば、本能を理性で抑制する行為に等しかった。それは常に少しの飢えを感じるように自制し続けるようなものだから。

 それに、そのような半端な状態ではいつか精神に異常をきたす。”頭の中の悪魔”に侵されていると認識した瞬間から瓦解は始まるからだ。ワタシはそんなことを望んではいなかった。宿主には長く生き延びてもらわなければいけないし、より精神的に健康でいてもらう必要があるから。

 ヘイルが宿主になる直前、そのことを話せば、彼女は何処か嬉しそうに話した。

 曰く、孤独な人間は同じようにもう一人の自分を道連れに生きているから上手く馴染むだろう、と。それに、一度完全に掌握してもらっていいとも。

 さらに聞けば、魔物狩りの際に危機に陥った場合、意識をスイッチすることが出来れば生き残る確率も高くなると笑った。ワタシが彼女の潜在能力をフルに活用できるからと。

 その感情はあまりに屈託なく、異様なほどにワタシを信頼していた。

 彼女が宿主となってからも、それが長い間引っかかり、多くの問いを投げかけたものだ。同業を含む他人との関係、常に付きまとうリスク、そして死の可能性を。

 魔物であるはずのワタシが人間のように問いかけることの方が遥かに多かった。その命を心配するのも殆どがワタシで、彼女は明るく大丈夫だと答えることが殆どだった。

 多くの問答で特にワタシを強く搔き乱したのは、彼女の言葉や感情に殆ど嘘が無かったことだ。それを、彼女は自身を制御する能力に長けていると解釈することもできただろうが、ワタシには既に壊れてしまっていて、それでも破片を拾い集めて生きているようにしか思えなかった。

 すべてを諦めていながら、すべてを諦めきれずにいる。彼女を形容するにはその言葉が一番だった。表向きはとても明るく、その感情にも殆ど嘘はない。だが、その心の奥底には何処までも深い虚があり、それを満たせるものはない。

 そしてそれが何かをワタシはよく知っていた。端的に言えば絶望だが、それほどシンプルでもない。道を踏み外した人間よりも耐え続けた人間に色濃く刻まれるもの。叶えられぬ願い。取り戻せぬ後悔。終ぞ埋められぬ世界との断絶。そういったものだった。


 初めこそはそれほど気にもならなかった。だが、いつからだろうか。彼女との時間を過ごすほどに、夜を明かし、死線を潜り抜け、共に生きるほどに、その傷を覆い隠してしまいたいと思うようになった。

 幸い、ワタシにはそれが出来る。彼女もきっと気づかないはずだ。そんな驕りから、何も言わずに彼女がそれらに触れないようにした時期があった。

 初めこそは彼女も調子が良さそうで、これ以上壊れてしまわないだろうと満足していた。そう、あろうことかワタシは満足していたのだ。

 でも、すぐに間違いだったと気づいた。彼女は次第に溜息が増え、口数も減り、ワタシを魅了してやまなかった感情が淀んでいった。緩やかに、穏やかに、本当の意味での死に向かっていたから。

 今でも鮮明に思い出せる。

 ヘイルが初めて彼女自身のことで怒りを見せた時のこと。

 それまでも多少言い争いになることはあったが、それは打開手段のことだったり、考え方の違いに関してのことだったり、刹那的に重要なだけの、取るに足らない議論の域を出ることはなかった。

 互いが感情的にならなかったからこそ、それまでのワタシ達は良き隣人でいられたし、だからこそ、あれほどまでに複雑な色に満ちた怒りを向けられたことは当時のワタシにとって衝撃だった。

 今になって思い返せば、あの出来事が無ければ、今のワタシ達はなかっただろう。

 あの日、ワタシは知っていたはずの人間にとっての死という概念を本当の意味で理解し、それ以上に、ヘイルという存在を理解することになった。


 そう、その日の夜は始まりの夜に似ていた。

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Afterlife 星野 驟雨 @Tetsu

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