Afterlife
星野 驟雨
scab
夜に呑まれた黒い森に赤が灯っている。
穏やかにその火を見つめる女は、魔物狩り。
後ろで一つに結わえた銀髪は闇の中にもくすんだ輝きを持ち、そのかんばせは朱に染められている。その傍らには使い込まれた得物があるが、まるで襲われる可能性を考慮していないのか、携帯せず横たえている。
誰が口を開くわけでもない
本来であれば、ワタシはこの女に殺されていたはずなのだ。
だが、この女はそうしなかった。
それどころか、いくつか簡単な確認をしたのち、一夜を共にすることを提案してきたのだった。
──乾かぬ血を介した意思疎通。
それがワタシとこの女の唯一の繋がりだった。
昼間に寄生先の肉体を捨てたワタシにはもう声はなく、手も足もない。幸いにして視覚はあるが、それほど良いものでもない。その不便さに辟易しながらも少しばかりの粘性しかない全身を動かして、女の指先に、そこにつけられた傷に触れる。
女は触れられて初めて気づいたかのようにこちらを見た。
そこに嫌悪はなく、まるでヒトが同族と会話する時のようで。
そのことがどうしてか引っかかった。
この女と出会ってからというもの、そんな消化のできない事ばかりが増えていた。そのことに堪えきれず、とうとう納得のいく答えを求めてその手に触れた。
『先も聞いたが……何故ワタシを殺さなかった』
女は逡巡するが、すぐに怪訝そうな顔をして「変な事聞くね」と言った。
『そも、おかしいのはオマエであろうよ』
魔物狩りが魔物を殺さない道理などない。
生き物は、自らの生存の為に多くのモノを虐げて生きている。それは世界の摂理、数少ない真理である。それをとやかく言う者の方が少ない。
ましてや魔物狩りは魔物への並々ならぬ想いを抱える者たちが多く、復讐に生きて死ぬ者の方が遥かに多い。
そんな中でこの女がとった行動は異常以外の何物でもなかった。
「まあ、殺さなかった理由は色々あるけど……一番は仕事じゃなかったし、あんたに敵意がなかったからかな」
ますます理解が及ばない。
『そうは言うが、ワタシに喰われる可能性は考えなかったのか』
「いや、ちっとも」
さも当たり前だと言わんばかりに即答した。
「そもそも。やろうと思えば私に寄生するぐらい出来たはずなのに、あんたは私から離れようとしたでしょ」
たしかに離れようとした。
あの時のワタシは──仕方ないとはいえ──屑に寄生して汚染されていた。
ワタシの性質上、宿主の思考は一度ワタシにダイレクトに流れてくる。カビがいともたやすく伝播するように、一握の砂が広く水を濁らせるように、次第にワタシがワタシではなくなる感覚を覚えていた。
だから、新たなる宿主を見つける前に離れようとしていた。
いわば、武器を捨てて戦場を歩こうとしていたに等しい。
『そんな武器のない状態で戦おうとするのは愚か者だけだろう』
「ふーん」
女の表情は殆ど動かず、しかし不服そうな声を漏らした。
『……言わずとも伝わることを忘れたわけではあるまいな?』
その真意がダイレクトに伝わることを分かったうえでの行動だけに、弄ばれているような感覚を覚えた。
「もちろん。……でも、多分だけどそれだけじゃないでしょ?」
肩肘を膝について女は話し始める。
「あの時のあんたは、多分苦しんでたんだと思う。そりゃ、人間に寄生してた時だからわかりやすかったのもあるけど……でも、それ以上に葛藤してるように思えたから」
だったら、殺すまでもないと思ったと。
『なら、何故見て見ぬふりをしなかった』
「草臥れた様子の人間が、いきなり自分の首を引っ掻いて苦しみ出したら誰でも気に掛けるから」
『だとしても、オマエならわかるだろう』
それが寄生された人間の最期であるくらい。
「わかるけど、それがおかしいんだ。わざわざ私みたいなのを前にしてそんな事するのがね。相手次第じゃ殺してくれって言ってるようなもんだし」
『だから、無防備に近づいてきたのか』
「こう見えても結構長いことこの仕事やってるからね、色々と知ってるんだ」
遠く、記憶を振り返るような目をして女は言った。
傷口から伝わる女の記憶には、多くの特異な魔物の姿があった。走馬灯のように移ろう記憶は、あるところで止まる。
それは、ワタシの同胞との記憶だった。
ワタシと同じように自壊して戻れなくなったソレを介錯した記憶。記憶の中のソレと目を合わせたまま、女の万感の思いを感じる。
言葉にするのは難しく、しかし酷くあたたかく。
『……初めてではなかったのだな』
ようやっと伝えられた想いはその程度で。
「……うん」
肯定の言葉ただ一つにも拘らず、後悔と色褪せぬ葛藤が伝わってくる。
「……私が仕事を始めた最初の頃だったからよく覚えてる。あの時もっと出来たことがあったんじゃないかって。それから魔物に対しての考えも変わったぐらいにはね」
嘘偽りのない純粋な感情だった。
『……だが、オマエは望みを叶えてやったのだろう』
ならば、誰が恨めるのか。
そう伝えると、女は目を伏せて。
「許せないのは、いつだって自分自身だよ」
小さく吐き捨てるように呟いた。
そして、そのままぽつりぽつりと言葉を重ね始めた。
「……私は、たしかに魔物狩りを生業にしてる。でも、この仕事をしてるからこそ、魔物にも魔物の感性があることを知ってる。それがたとえ理解できないものでも、ちょっとだけ親近感を覚えることもあるんだ」
それが偽らざる本心であると、痛いほどわかる。
「この仕事はね、ずっと孤独で……どっちにも属さないから共感もされにくい。同業には魔物嫌いが多いし、狂ってる奴もいる」
感じるのは、寂しさと──死への羨望だった。
『……終わらせたいのか?』
その理由を知りたくて漠然と訊ねてみる。
「……そうかもね」
その答えは同じく漠然としていたが、感情にはあたたかなものが滲む。それは喜びほど苛烈なものではなく、いうなれば安堵に近しいものだった。
「もしかしたら、私は死にたいのかも」
少しばかり明るいその色は、酷く艶やかだった。
『たしかに死にたがりには向いてはいる、が』
「そう。だからといって本当に死にたいわけじゃない」
多くの人間を経由して生きてきたからこそ知っている。
”苦しい、けれど生きたい”という後ろめたい明るさだ。
「じゃあ、この仕事を辞めるのかといえば、それもできない。この仕事を辞めたとして、魔物狩りの烙印は一生ついてまわる」
少なからず魔物狩りがどう見られているかも知っている。
野蛮な血にまみれた連中。端的に言えばそうなる。
多くの人間が内心では蔑んでいながら、自分達の平穏の為に必要としている存在。そんな因縁を多く持っていそうな存在を受け入れてくれる場所など無いに等しい。
『なら、どうするのだ』
「それなんだけど」
女はワタシを真っすぐに見て微笑む。
緊張と仄かな期待と安堵を伴って。
「──私を宿主にするっていうのはどうかな」
それが我が宿主、親愛なるヘイルとの始まりだった。
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