ムす

青山喜太

ムす

 ──プゥゥゥ……ゥゥゥン


 ハエが、飛んでいる。

 カーテンの隙間から淡い朝日が差し、部屋を青白くしている。


 そんな部屋に、つまりは僕の自室にポツンと僕は立っていた。


 電気のついていないテレビをジッと見つめながら僕はおもむろに周りをゆっくり見渡す。

 亀の歩みの様な速さで頭を動かした僕の視界にはゆっくりと情報が更新されていった。


 テーブルの上の片付け忘れた食器に、脱いだままの学校の制服。

 ラツーダ、バルプロ酸ナトリウム、インチュニブの三種類の錠薬の空の容器、どうやら捨て忘れたらしい。


 最後にベット。掛け布団には不自然な膨らみがある。


 言葉にできない違和感が僕を襲う。なぜ僕は部屋の真ん中で立っているのだろうか。

 ベットには誰が寝ているのか。


 すると体は自然と動き、なぜか掛け布団の端をつまんだ。

 そして初めから決められていた台本に沿うかの様に、僕は布団をめくった。


 僕がいた。


 蛆と蝿にたかられた、僕が。


 口から、肺から、いや全身から力という力がため息として放出する。

 そして思わず僕はポツンと呟いてしまった。


「やっと死ねた……」


 ──────────────


 ──フォォ……ゥゥゥン


 どこかで電気自動車が道を通り過ぎている。

 体が地球に引かれる様に、僕の瞼も眠気に引かれ視界と現実に蓋をしている。


 だがいつまでも寝ているわけにもいかない、僕は目を開ける。


 誰に教わったわけでわけでもなく自然と知った瞼の動かし方、それを忘れかけてしまうほどの眠気に抗いながら。目を覚ますとそこは、僕の部屋だった。


 当たり前だけど。

 そんな当たり前の現実をカーテンの隙間から差す朝日が大仰に誇張している。


 いつのまにか、先ほどの嫌な違和感は消えていた。

 そしてとうの昔に気がついていたこと僕は気がつく。


 先ほどの孤独死していた僕は夢の中の出来事だったのだと。


 ため気をつきそして一瞬、学校の心配をするが今日が休みだったと思い出す。


「嫌な夢だったな」


 僕の声じゃない。

 ベットから状態を起こし、横を向くと畳の上に弟はいた。


「おはようフウト」


「こんにちは、だなどっちかっていうと」


「ああ、ごめんお腹すいたよね、作るよ」


 僕はベットから足を出して畳の上に足をつける。

 重さを感じる。ようやく現実だってわかる様な感覚が体に降りかかる。


 台所に向かうとまだ洗っていない皿が目に入るが無視して、1人分のパックのご飯をレンジに放る。


 2分くらい頭の中で好きなアーティストたちが脳内で曲をかき鳴らしていた。

 その既知の曲をすがる様に聞き入っていると、電子レンジのベルがコンサートの閉幕を告げる。


 僕は火傷しない様に箸とパックご飯を持ち、弟の待つ寝室に戻る。


「またパックご飯? 俺、肉食いたい」


 フウトは文句を言うが。しょうがない朝はそんなに食欲がないから。


「なぁ今日はどうする?」


 フウトの質問に米を喉に通したあと僕は答えた。


「歩きに行こうと思う。と言うかやることがそれしかない」


 それを聞くとフウトはため息をついた。


「なあ、今日は休めよ」


「なんで?」


「あんな夢を見たんだ、今日はやめとけよ。不安定な時期になってんだよお前」


「はは、そんなことないよ」


 僕は立ち上がる、ジーンズを履き灰色のTシャツに寝巻きから着替えてそしてそのまま玄関に向かった。


「なあ……やめとけよ。今日は休んでのんびりしてよう」


「いや、大丈夫だよ」


 僕はフウトの心配を受け流す。


「あんな夢、一度や二度じゃないだろ?」


 僕はガチャリと扉を開けた。


 ─────────────


 小暑なんてなんともにつかわしくない名前だ。

 うだるような暑さを前に僕は悪態をつくみたいに、ため息をつく。


 7月の初め、僕は歩く。それが日課、というよりも思い出した時と調子のいい時にやる。なんだろう、ちょっとしたお出かけだ。



 そう、今日はちょうど歩きに行かなきゃと思い出しただけだ。

 だから別に調子のいい日だと言うわけではなかった。


 それでも僕が外に出かけるのは……。


 出かけるのは……。


 何故だろう。


 ──ブゥゥゥン……。


 僕の横を車が通り過ぎる。

 わからないな、それを知るために歩いているのかも。


「じゃあ、帰ろうぜ。答えを知るのは今日じゃなくていい」


「僕の脳みそにプライベートゾーンはないのかい?」


「蓋をしてなかったのはお前だろ? 直に流れ込んできたぞ」


「はあ……」


 僕は歩く、歩き続ける。


「なあ、もうやめにしようぜ。帰ってゲームでも──」


「帰らない」


 僕は断固として断る。弟の頼みといえど聞くことはできない。

 歩くただ、歩く。


「どこに行くつもりだよ」


 フウトが聞くが、僕は答えない。


「なあ」


 歩く、サンダルで来るんじゃなかった。足が痛い。

 するとフウトはため息をつきながら言った。


「お前は……」


「何だよ……」


「探してるんだよ」


「何をさ……」


 目の前に広がる歩道、止まれ、止まれと世話を焼く標識が仰々しく道の端から主張している。


 そんな視界の中にフウトが入ってくる。

 黒い上下のスーツに金の時計、成人男性、高身長。

 そんな七三分けの僕の弟は心配そうに僕を見つめる。


「俺がこんな成金サラリーマンみてぇなの姿になった時、決まってお前は──」


「わかってる」


「わかってないだろ……! お前は幸せを探してんだよ! 俺がこんな姿になってんのも全部……」


 僕は目の前にいるフウトに向かって進む。

 すると、僕の体はフウトの体にめり込みそのまま、通り抜けてしまった。


 まるで僕の弟なんて最初からいないみたいに。


 そうだ、僕の弟は実際に現実にはいない。

 フウトは僕の脳みそからこぼれ落ちた。心を分けた兄弟なのだ。


「違う僕は、普通になりたいんだ」


 止まれ、止まれと標識がうるさい。


「これが、お前の思う普通なのか? こんなサラリーマンの姿が?」


 フウトの姿は僕の思考に影響される。特に僕の理想の姿と言うものが反映される様で、今の僕の理想はどうやら成金みたいなサラリーマンの姿の様だ。


「なあ、こんなの間違ってる」


 僕の弟は義憤に駆られた革命家みたいに声を荒げた。


「これが普通だったとして、お前が本当に目指すべきものなのか? これがお前の幸せなのかよ」


「幸せの形だとは言ってない,普通だと言って──」


「今のお前は普通じゃないのか?」


 僕は進んだ。

 進み続けた。


「お前は今のままでも──」


「今のままじゃダメなんだ」


 歩いて行く。


「なんでだよ、なんで今のままじゃダメなんだ?」


「普通の男じゃないから」


「普通の男?」


「そうだ!」


「なんだよ、普通の男って」


 僕は歩き、若干早口になりながら呪文を唱えた。


「年収は最低でも400万はあって──」


 足が痛い、苦しい。


「家事も、育児も完璧で──」


 そして最後の言葉を、僕は吐き出す。


「精神が安定してる、頼り甲斐のある。普通の男に……なるんだ」



 いつのまにか僕は立ち止まっていた。歩くことなんてどうでも良くなっていた。


「なんで、そうなりたいんだ」


「だって、そうじゃないと……誰にも愛してもらえないだろう? 誰にも……認めてもらえない」


「……そんなことない」


「ありがとう……でも、それはただの慰めだ」


 僕は道の端でうずくまった、アスファルトから反射される熱は熱い。


「慰めじゃない、多くの人間がそれをお前に求めるわけじゃない」


「そうだね、そして誰からも相手にされなくなる。僕は誰からも求められない」


「そうじゃない……そうじゃ──」


「だってそうだろう!!」


 僕はうずくまったまま、自分の腕に向かって言葉を吐き出した。


「僕に家庭が築けるか!? 精神病に罹った男を誰が愛してくれるんだ! 誰が隣に居たいと思ってくれるんだ! なあ! 答えてくれよ!!」 


「未来なんてわからないだろ……!」


「そんなの詭弁だ! あの夢はきっと正夢だ、君も僕も蛆に塗れて死ぬんだよ」


 視界がぼやける。

 同期が早くなる。

 僕は……なんで生きてるんだ。


 そうやって俯いてばかりいだからだろうか、視界の端の端、アイビーグリーンが映った。


「あ」


 苔だ。

 小暑に、夏が空から顔を覗かせるこの時期に彼か彼女かわからぬがその苔たちは道の端、わずかな屋根の影の下でムしていた。


「生きづらいよな君も」


 灼熱のアスファルトに周りを囲まれて苦しそうなその苔をみてどうも僕は、他人事の様には思えなかった。


 僕は再び立ち上がった。


「おい、どうした」


 心配するフウトをよそに僕はちょうど近くにあった自販機を目指す。


「何して……」


 フウトの心配そうな声をよそに僕は自販機に110円入れた。


 ──ゴトン


 と、自販機から吐き出された天然水を僕は取り出して、再びアスファルトにムした苔に向かう。


 やることは単純だ、ただ苔が地面から抉られない様に優しく水をかける。


 水に浸されるないように、しかししっかりと行き渡る様に。


「なんでそんなことしてんだ?」


 フウトが聞く。僕はただ答えた。


「同情してしまっただけさ」


 弟は笑う。


「やっぱりお前は、変わる必要なんてないよ」



 ─────────────


 ──ブォォォォン……


 車が、走っている。


 カーテンの隙間から淡い朝日が差し、部屋を青白くしている。


 そんな部屋に、つまりは僕の自室にポツンと僕は立っていた。


 電気のついていないテレビをジッと見つめながら僕はおもむろに周りをゆっくり見渡す。

 亀の歩みの様な速さで頭を動かした僕の視界にはゆっくりと情報が更新されていった。


 テーブルの上の片付け忘れた食器に、脱いだままの学校の制服。

 ラツーダ、バルプロ酸ナトリウム、インチュニブの三種類の錠薬の空の容器、どうやら捨て忘れたらしい。


 最後にベット。掛け布団には不自然な膨らみがある。


 言葉にできない違和感が僕を襲う。なぜ僕は部屋の真ん中で立っているのだろうか。

 ベットには誰が寝ているのか。


 前にもこんな光景を見た気がする。


 すると体は自然と動き、なぜか掛け布団の端をつまんだ。

 そして初めから決められていた台本に沿うかの様に、僕は布団をめくった。


 そこには僕がいた。

 苔のムした僕が。

 アイビーグリーンの苔に包まれた僕はどこか安らかな顔をして眠る様に横たわっていた。


「はは」


 そんな不思議な光景だっだが、不気味だとは思わなかった。

 何故だか祝福されている気さえした。


「彩ってくれたのか、僕の最後を」


 それは間違いなく、感謝や友好の印だと僕は受け取った。

 あの苔たちの、ささやかな恩返しなのだと。


 僕の最後はもしかしたら変わらないのかもしれない。

 孤独に死にゆくのかもしれない。


 でももしこんな最後を迎えられたのなら、何かの……誰かのためになれたのだとしれたのなら。


「存外、悪くないのかもしれないな」


 そう呟き僕はアイビーグリーンに寄り添った。

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