終末、救いたいんだと思います

空宮海苔

連れて行かなきゃ。連れて行くよ。

「はぁっ、はぁっ……っはぁ……」


 私は息を切らしながら、崩れ落ちたアスファルトの道を走っていた。

 後ろにアレから逃げるために。追い付かれれば殺される。

 ――むしろ、もう殺されてもいいんじゃないかなんて何度でも考えた。

 でも、もう私には『世界を救う』という大義しか残されていなかったから。ただ走った。


「ヒョウ的発ケケ。ハイゾ」


 壊れた防衛機械はうわ言のようにそのスピーカーから無機質な音声を垂れ流している。

 ガン、ガンとその四つの足でアスファルトを割ってこちらに来る音が聞こえる。


 必死で辺りを見渡す。

 すると、少し奥の方に火花を散らすディスプレイが見えた。

 その頼りない光に照らされ、横手に地下へと繋がる道があるのが見えた。。


「あそこならっ――!」


 発破をかけるように叫び、走りながら後ろを振り向く。


 後ろに居たのは、戦争用の巨大な無人兵器だった。紺色の金属質なボディが、月明かりに照らされあやしく光っている

 金属質な頭部につけられた目やライトは、赤色に点滅しており、すでにまともな動作ができていないことが分かる。頭部は平たく大きい胴部から、カーボン質の接続部一つで支えられており、歩くたびにうねうねと動いている。

 胴部からは左右にそれぞれ二つ、長い足が伸びていた。


 足の先端は鋭く、なにかの影響で突然変異したのであろう巨大な昆虫や、ネズミなどの小動物――あるいは、人だったものがそこに突き刺さっている。


 ――まだ距離はある。大丈夫。


 顔を戻し、薄暗い地下への道に目を向ける。

 それはもうすぐそこまできていたが、ギリギリまで方向転換することを悟られないために、その通路が真横に来た瞬間、地下道へ私は転がり込むように入った。


「うぅあっ!」


 力を入れるために発した掛け声は、ただのうめき声のようなものになった。

 転がった勢いのままに立ち上がり、急いで階段を下る。


 そして、腰から緑色の丸いもの――グレネードを取り出した。金属製のピンを抜き、振り返る。


「これでも――喰らえっ!」


 階段の上に思いっきり投げ、あわよくばこれによって相手が大破することを願う。それから、足を踏み外さないように気をつけながら、階段を駆け下りる。


 数秒後、耳をつんざくような爆音が響いた。キーン、という残響が耳に残り、振動が響く。この街の地下道はこの程度では崩れないだろうし、崩れるとしたら入口部分くらいなものだ。そして、無人兵器の侵入を防げるから、入口なんて崩れてくれた方が嬉しいくらいだ。


 そうして階段を下り切ると、私は階段のすぐ横の壁に背をつけた。


「はぁっ、はぁっ……!」


 荒い息と、うるさいくらいドクドク鳴っている心臓をやかましく思いながら、腰に差したホルスターから拳銃を引き抜く。

 マガジンを挿入すると、安全装置が自動的に解除される。

 次にスライドを引き、だるい体を無理やり動かし、壁越しに銃を構えて警戒する。


「はぁ……っ」


 うるさい息を無理やり制御して、音を聞くことに注力する。


 ――静かだ。機械音も、入口を破壊するような音も聞こえない。


 数秒、待つ。


「ふぅ……」


 ようやく危機が去ったことを実感して、壁に体を預けて地面に座り込む。天を仰ぐと、チカチカと明滅する天井灯が見えた。その頼りない光の周りには、虫がたかっている。

 横に目をやると、誰も居なくなったこの地下道に、ベンチが一つ、ぽつんと置かれてあった。


 また、前方には壊れた電車があった。ところどころ錆びたその車両は、一部が崩壊している上、脱線もしていた。もう動きそうには見えない。


「……駅、なんだ」


 少し見覚えのある場所に出たことに対し、そこはかとないノスタルジーを感じながら、私は一息ついた。

 かつては通学のためだったり、各々好きな場所に出かけるために何百、何千人と利用していたであろうその施設には、もうその面影はない。


 管理している人間も、誰一人として存在しない。

 ……まあ、管理している機械ならたまに居るけどね。


 荒い息を整え、俯く。手にあるのは、暗闇の中に溶け込む黒色の拳銃。


 これにも、だいぶ慣れたなぁ。私は、手の中にある冷たい死神からマガジンを抜いた。


 しばらく眺めていると、段々と変な気持ちになってくる。今、私は多くの生物の命を容易に奪うことのできる、恐ろしい道具を手にしている。

 なぜ私がこんなものを持っているだろう、こんなものを使わなければならないのだろう。


 ――私は腕を上げる。


 黒く冷たい銃身は、私の目線のところまで上がってくる。その銃身を、こめかみに当てる。銃身から、冷たい温度と一緒に、冷え切った死の予感が伝わってくる。


「――ばん」


 人の居なくなった駅の中、私の声が反響して響き渡った。トリガーの音はしない。それから、瞑目する。

 私には、まだやらなきゃいけないことがある。ここでは、まだ死ねない。


「はぁー……」


 どうにもならない感情、誰にも言えない感情。行き場をなくしたそれらの感情が、ため息となって口から漏れる。


 ちらりと横を見ると未だうるさく明滅している電灯があった。私はふと思いついて、そちらに銃身を向けた。ついでに虫を巻き込むような位置に狙いを付けて、発砲。


「ばーん――」


 私の小さな声なんか掻き消えてしまうくらいの銃声が響き渡る。


 鋭い着弾音とともに、パリンという音が鳴り、辺りの光が消えた。

 構えた銃身の先がさらに暗くなって、代わりに硝煙の匂いが立ち込める。


 私は、少しいつもより大きく聞こえる銃声に顔をしかめた。

 銃の機構が工夫されているらしいのか、普段はそこまで大きな銃声はしないのだが、ここが狭い場所なせいでうるさく感じているのかもしれない。


 さて、これで薬室に残った最後の一発を処理できた。念の為に安全装置を付けて、銃をホルスターにしまった。


「あっ! あれは……!」


 私は焦って、肩から下げたバッグの中を漁る。

 そこの中から、オレンジ色に光る十二面体を取り出す。

 ぐりぐりと舐めるように見ながら、傷がないか確認する


「……よかった、傷はついてない」


 私は呟いてから、バッグの中にそれをしまった。

 これは、私が世界を救うための鍵。


 これを、もう少し向こうにある研究所、その中にある装置に嵌め込めば、お母さんとお父さんが作ったAIが動き出す。つまり、いわばこれはAIのコアなわけだ。


 これの演算能力があれば、ここらの無人兵器だって全部停止できるかもしれないらしいし、その後の人類の文明復興だってできる可能性があるとのことだった。詳しくは、私もよく分かっていないけれど。


 でも、実際に何が起きるかなんてことは、私にとってはすごくどうでもいいことだった。重要なのは、これが世界を救う鍵であり、両親からこれを研究所の装置に届けてくれ、と頼まれたということだけだ。


 世界を救ってくれ。そう、頼まれたのだ。


『零香、これを私達の研究所にある、機械本体に届けるんだ。そうしたら、世界を救えるから』


 だから、私は死んでもこの使命を果たさなければいけない。


 これが私の生きる理由であり、人類最後の希望なのだ。だから、私はやるしかない。背中に、世界が乗っているから。


「……疲れたな」


 そんなことを考えていると、どっと疲れが押し寄せてきて、私は呟いた。


 ◇


 恐る恐る外に出てみると、あの兵器は跡形もなく消えていた。あの程度のグレネードで形さえなくなるほど壊れるとは思えないし、単に攻撃を受けて一時的に退避しただけだろう。

 そして、周りの壁や建物はボロボロになっていたけれど、地下道への影響はほとんどなかった。やっぱり、ここの地下は頑丈にできているのだろう。


 それにしても、やっぱり陰気臭い地下よりも、地上の方が落ち着くな。少し、このあたりで休憩しようかな。

 もしかしたら危ないかもしれないけど――死んだら死んだでそのときだ。


 その瞬間に、私の世界を救う夢は終わることとなる。

 そうやって、物語はバッドエンドを迎える。それで、おしまい。


 ということで、私は少し辺りを探索することに決めた。陥没かんぼつしたアスファルトの地面から生える枯れた植物を踏みしめながら、私は歩いていく。


 周囲にこれといった照明はなく、空にたった一つ浮かぶ月の、淡い光だけが私を照らしていた。うるさいくらいに瞬く星に目を細めながら、私は休憩場所を探すことにした。


「……ここなら、いいかな」


 辺りを見渡し、地面に腰を降ろす。

 とりあえずは火を起こそう。それから、バッグの中にある缶詰を煮て食べよう。そのまま食べるよりかは幾分か安全だし、おいしくなる。

 着火剤とライターはあるから、なにか燃焼剤を探さないといけないな。


 しかし、缶詰もなかなか少なくなってしまったな。残りは、この肩掛けバッグに入っている二個しかない。

 というのも、さっきの無人兵器に追われたときに、私の荷物を乗せていた浮遊型貨物輸送機とはぐれてしまったからだ。

 反重力で浮いたカゴを手綱で引っ張って運ぶ、扱いやすい輸送用の機械だったのだが、流石にあれから逃げるのに持っていくことはできなかった。


 とりあえずは、あの物資の回収を目指すことになりそうだ。あれにはたくさんの食料や水、日用品を乗せていた。だから、このまま進むよりはマシなはずだ。


 一度、腰を据えてこの辺りを探索することにしよう。食料や水を探し、雑貨も漁るんだ。

 ある程度安全な寝床も欲しいし、もし水道が繋がっている場所でもあれば万々歳だ。


 それから、バイクなんかの移動手段や輸送手段も、できればあると嬉しい。ないときは、素直に最低限の荷物だけで行くけど。


「よしっ」


 切り替えるように声を上げ、立ち上がる。

 ご飯を食べたら、今日は寝よう。おやすみ、世界。明日も生きてるといいね。


 ◇


 困ったことが起こった。例の浮遊型貨物輸送機が、他の人間に取られていることが分かった。

 周囲の散策中、幸いにも早い段階であの輸送機を見つけることができたのだが、その近くに一人の男性が居るのだ。不思議そうに輸送機を眺めながら、上に乗せた貨物を物色している。


 彼はベージュのコートの上に、ゴテゴテした金属装置や武器防具がついている。違う金属同士をツギハギして作ったのか、遠目からでも色の違いが分かる。


 このまま放置することもできるが――それはしたくなかった。

 あれは私が必死で集めた大切なものだ。それを他人に取られてたまるものか。


 近づいて話し合いを試みるという手段はあるが――それは、私にとってはリスクが高すぎる行動だった。


 この世界では他人を信用してはいけない。多くの人間が生産能力を持たない世界では、誰かから奪うことでしか物資を得ることができないのだ。

 そんな世界で、ノコノコと他人の前に現れて『それ私の荷物なんです』なんて言ったら、どうなることやら。


 ふぅー、と私は深く息を吐いた。

 拳銃の射撃準備が完了しているのを確認してから、銃を構えゆっくりと近づく。


 大丈夫、人は頭を撃てば死ぬ。頭を守る防具の類いは身につけていないようだし、後ろから銃を突きつけ脅せば物資はなんとかなるだろう。


 それに、最悪、引き金を引けば全てが終わる。

 そう、終わるから。大丈夫。


「知らない機械だなぁ……使いたいけど、ロック掛かってるのかな?」


 小さな声で呟いていた独り言が聞こえるくらいの距離まで近づいてなお、私は歩みを進める。足音を鳴らさないように一歩、二歩、三歩と近づき、彼の頭が目と鼻の先の距離まで近づいた。


 震える手を抑えて、覚悟を決める。

 彼の頭にゆっくりと銃口を突きつけると同時に、私は言った。


「動くな。手を上げろ」

「おっと……」


 彼は先程よりも幾分か硬い声を発すると、ゆっくりと両手を上に上げた。


「そのまま立ち上がって。前に歩け」


 私はそう続けるが、彼は横目で私の顔を確認するだけで、特になんの行動も起こさなかった。

 不思議だったのは、こちらを見た彼がずいぶん驚いたような表情をしていたことだが。


「ふぅー、まあまあ……一旦落ち着いて、お嬢さん。そんなカリカリすることじゃないだろう?」


 彼は一度深くため息を吐くと、妙に落ち着いた声色でそう言った。


「そんなこと言うヤツを信用すると思うか? ――それより、早く歩け。あれは、私の荷物だ」


 なるべく相手を威圧するように、強い言葉で短く命令する。


「なるほど、そういうことか。そりゃあすまんね」


 しかし、彼はそれにも動じず、平坦にそう言うだけだった。


「ぐずぐずしてるとっ――撃つぞ。早く」

「分かった分かった。今やるって」


 私がそう言うと、ようやく彼はゆっくりと立ち上がり始めた。


 しかし、次の瞬間彼はこちらの方を向き、私の腕を拳で弾いた。

 衝撃でトリガーにかけていた指に力が入り、明後日の方向に銃弾が射出される。


「っあ――!」


 不用意に鳴った轟音に情けない声を上げながら、私はよろける。

 相手は、表情一つ変えないままさらに踏み込み、拳銃を持っている方の腕を掴んだ。

 そのときにはもう、私の頭は絶望でいっぱいだった。


 殺される。

 そう思うことしかできなかった。


 そして、そんなことが起きてしまったら、世界はどうなるのか。

 人類を救う、最後の希望が潰えるのだ。


 この人にしてみれば、私のような十七歳の女一人を殺すことなんて、そう難しいことじゃないだろう。まるで消えかけた火に息を吹きかけるみたいに、私の命も、世界の希望も全て消し去ってしまえるのだ。


 そんなどうでもいい思考を回している間に、相手は私の背後に回り込んでいた。

 私が何が起きたかまだ理解できないうちに、私は床に伏していた。


「手荒な――すまない――」


 何か発言しているのをうまく聞き取れないまま、私の頭の中は焦りで埋め尽くされていた。


「ごめんなさい、ごめんなさい。殺さないで。やめて」

「いきなりどうしたんだ。俺は別に――」


 何か言いかけていたけれど、私は構わず続けた。とにかく、今は許されなきゃいけない。殺されちゃいけない。この小さな火を絶やしちゃいけない。

 私の命なんて消えようがどうでもいいけど、あのコアだけは守らないと。使命を果たさないと。


「ごめんなさい、許して――」

「あぁもう! 分かった分かった! 一旦落ち着け! ほんと、そんな顔されたらもう開放するしかないだろ……」


 急に私から一歩離れ、そう言い出したのを見て、私はようやく相手の言葉が理解できるくらいの冷静さを取り戻した。

 なぜ彼が距離を取ったのか理解できないまま、私は上体を起こして彼のことを見つめた。


「一旦、ご飯でも食べよう。そこで、ゆっくり話させてくれ。頼むから」


 困ったように彼が言った。

 私はなされるがままそれに首肯し、立ち上がった彼についていくことにした。


 ◇


 パチパチ、と静かに音を立てる焚き火ごしに、私とあのときの男性は会話していた。

 先日私が食べたそれよりも、少しマシな味をしている魚の缶詰をふたりで食べながら、言葉を交わす。


「とりあえず、事情は分かった。俺だってそう荷物に困っているわけでもないから、あれに手を出しはしないよ」


 少し遠く離れた場所にあるあの物資を指差しながら、彼はそう言った。

 名前は『桐谷きりたに 裕介ゆうすけ』というらしい。字も一緒に教えてくれた。


「ありがとうございます――すいません、さっきは取り乱して」


 私は裕介さんから目をそらした。

 私だってあの状態がデフォルトなわけではないし、あの時自分が醜態をさらしたことくらい分かっている。今だって、羞恥心でここから抜け出したいほどだ。

 私の使命、悩み、あるいは狂気――あれは、そういう『今の私の根幹を構成する部分』を見られてしまったような出来事だった。


 もう今すぐ死にたい。いや、そばに銃があるからそれで頭を撃ち抜けば――


「無言で拳銃の方を見るの、ほんとに怖いからやめてくれ」


 彼が苦笑したのを見て、私は少し顔が熱くなった。

 近くの地面に転がしていた拳銃の方へ、無意識に視線が寄ってしまっていたらしい。


「にしても、そんな歳なのによく一人でここまで来たものだね」


 彼は優しい声色で言うと、はっはっはと快活に笑った。


 裕介さんの容姿は、さしずめ壮齢の男性といったところだ。こんな世界だというのに、ヒゲは綺麗さっぱり剃られている。顔には少しのシワが浮かんでいるが、そのシワからは、老化というよりも、多くの経験を積み重ねた貫禄のようなものを感じる。


「ええまあ……やらなきゃいけないことが、あるので」

「なるほどね――あっ、そのバッグ、火に近すぎるかも。ちょっとずらすね」


 裕介さんが、焚き火に近すぎて燃えそうになっていた私のバッグを見て、それに手を伸ばした。

 しかし、私はそれを見て、半ば反射的に声を上げる。


「触らないで!」


 いきなり大きな声を上げた私に彼が驚いているうちに、私はさっとバッグを引いて自分の体に寄せた。

 それから、一瞬の後に私は冷静になって謝った。


「……ごめんなさい、これは大事なものなんです」


 また失礼なことをしてしまったが、もうやってしまったことは仕方ない。


 ああもう、なんで私はいっつも最初に会話の最適解を選べないんだ。


 底なし沼みたいにドロドロとした後悔の感情が、私に『だから、あの時大人しく見逃せばよかったのに』と囁いてくる。


 うるさいなぁ、分かってるよ。


 私だって、生活必需品に余裕があったなら、あんな選択は取っていない。

 人に会うと、いちいちこういう感情が湧き上がってくるから、ここまで一人で来たというのに。なぜ、今更またこんな苦痛を味合わなければならないのだろうか。


「そっか。ならいいんだけどね」


 私の心情とは裏腹に、彼はそう言って静かに笑った。


 その優しさが、私の心をじわじわと蝕んでくる。冷たい隙間風のように、ゆっくり、じわじわと。

 私はここまでの無礼を働いているんだから、いっそのこともっと冷たく接してほしかった。


 ああくそ、早くこの場から逃げ出したい。


「それじゃあ、お世話になりました。お詫びとして、少しの水と食料をお渡ししますので、私はもう行きます」


 私は決意とともにそう言った。

 殺人未遂をして、多大な迷惑まで掛けたのに、食べ物も分けてもらったのだ。私も、何か与えないと気が済まない。落ち着かない。


「そうかい? いいよ。流石に、キミからもらうのは気が引ける。さっきだって、所持者が居ないならちょっと物色しようと思っただけだしね」


 彼は頭の後ろに手を回し、楽しそうに笑った。


「いえ、これは私からの誠意のようなものです。ぜひ、受け取ってください」

「うーん、そこまで言うなら、まあもらうけど」


 彼は渋々と言った様子で、頷いた。


「ありがとうございます――それでは、私はミスト研究所にいかなければいけないので、ここで」


 私は端的に言うと、立ち上がってその場を去ろうとした。


「ミスト研究所?」


 私の言葉に、初めて彼が怪訝そうな反応を示した。

 彼もあの場所を知っているのだろうか。いやでも、知っていたら知っていたらで困るな。


 まったくの他人のフリをしてここを去ることができなくなる。もしこのまま、同行する流れにでもなったら最悪だ。


 自分が要らないことを口走ったことを、深く後悔した。時って巻き戻ったりしてくれないんだろうか。いや、時が巻き戻ってくれるなら、そもそも私は彼と会わないで済んでいるのか。


「ええまあ、私の目的地ですから」


 裕介さんに顔を合わせないまま、私はそう言った。


「奇遇だね。実は俺もそこに向かうんだ。よければ一緒に――」

「嫌です」


 考えうる最悪の回答に対して、私は電光石火のごとく素早い返答をした。


「めっちゃ即答じゃん」


 スン、という効果音がつきそうなほど急速に真顔に戻った彼が、そう言った。


「こほん……食料をくださったことには感謝していますが、それでも完全には信用できません。それに、これは私一人でやるべき使命ですから、一人で行きます」


 軽く咳払いをしてから、理由を説明する。


「頑固だなぁ……むしろ一人のが危険でしょ。それに、子供を一人でいかせて、危険に晒すのは俺自身が耐えられない。せっかくの縁だから、協力させてくれ」


 対して、彼は真剣そうな表情で続けた。


「もう十七歳ですし、子供という年齢じゃありません。それに、ここまで一人でこれたんですから大丈夫です」

「いや、十七歳はまだ子供でしょ。こんな世界でいつ死ぬかわからないまま怯えて暮らすなんて、本当はあってはならないことなんだよ」


 それが自然の摂理かのように、断固として信じて疑わない態度で彼は言った。まるで、彼の時間だけが戦前の平和な時代で止まってしまっているかのようだった。


 今の世界じゃそんな理想を掲げたとしても、何もできっこないというのに。こんな世界で、怯えて暮らす以外の何ができるというのだ。


「だから! ――私に助けは必要ないですから。大丈夫です」


 その辺りの説明をするのも諦めて、私はきっぱり断った。

 それから、きびすを返して出発しようとすると、またも彼が声を掛けてきた。


「じゃあ、ミスト研究所へのショートカットは知っているかな?」

「は――?」


 その言葉に、思わず私は足を止めて振り返った。

 いや、振り返ってしまった、と言った方が正しいのかもしれない。 


「この先出てくる兵器の詳細は? この先のエリアにしかない特徴については?」

「……それらを、知っていると言うんですか」


 淡々と続ける彼に、私は心底嫌そうな表情をしながら質問した。確かに、それらの情報は非常に魅力的だった。

 アテもなく研究所へ向かうよりは、道案内人が居たほうがありがたい。


「もちろん。だから、協力させてくれ」


 怪訝そうに聞く私に、彼はニヤリと笑ってそう言った。


「……あなたになんのメリットがあるんですか」


 なんのメリットもなしに協力してくる人間なんて、うさんくさくてしょうがない。


「目の前の困っている人を助けられるっていうメリットがあるよ――いいかい? 誰かの頼りになれるときっていうのは、自分が一番満たされる瞬間なんだよ?」


 皮肉にも、それは私にとって心当たりのある話だった。

 世界を救うという使命を背負って、それだけのために生きている私は、確かに『誰かの頼りになれること』というメリットを目当てに動いている。


 であれば、目の前のこの人物も、そのために生きているのかもしれない。腹が立つことに、妙に腑に落ちてしまった。


「……分かりました。そこまで言うなら」

「ありがとう、嬉しいよ」


 そうして、彼は楽しそうに笑った。


 ◇


 彼の言う『ショートカット』というのは、下水道のことだったようだ。信頼できるツテから、地下通路の地図を入手したとのことだ。通路以外の周辺地図は、私が通ってきたものとかなり似ていたし、信頼できるというのは確かに間違いなさそうだった。


 ミスト研究所へは、ここからさらに別の地下施設を通ると、たどり着けるそうだ。


 また、ここは下水も流れていない上にあまり汚い感じもしないが、裕介さん曰く、これは下水が流れる前に終末戦争が起きたからだろうとのことだ。


「あ、終末戦争っていうのは――」

「それなら、私も知っています」


 世界中で起きていた戦争で使われていた無人兵器が、あるウィルスによって一斉に暴走したことで、世界がまるで終末のようになった事件。また、その後に起きた人類同士の抗争など一連の事件をひとまとめにした呼び名が『終末戦争』だ。

 この辺りに居る無数の兵器群もすべて、終末戦争が原因で暴走した兵器たちである。


 と、いうことを私の口から伝えた。

 間違っていれば訂正してもらえるだろうし、合っていればそれ以上会話しなくて済む。合理的な会話方法だ。


 思えば、そもそも当時の戦争で無人化した兵器を使用していた事自体が大きな間違いだったのかもしれない。実際、兵器の無人化は世界中で議論の的だったわけだし。


「知ってるんだ。正解だね」


 知っているも何も、私は半分当事者のようなものだから当たり前だ。

 その『ウィルス』の原型となった演算システムは、私の両親が作ったものなのだから。


 当然、そのウィルスの原型は、戦争用に作られたものではない。むしろ、戦争によって影響を受けた地域の復興用に作った、ただの人工知能だったというのに、それが半ば騙されるような形で――いや、このことについて考えるのはよそう。気分が落ちる。


「……顔色悪いけど、大丈夫かい?」

「大丈夫です。心配なさらず」

「そっか。辛い時はいつでも言ってね」


 彼はそう言って微笑んだ。

 私には、そうやって笑う彼の笑顔が気持ち悪くてしょうがなかった。何か企んでいるんじゃないだろうか、私から何かを奪おうとしているんじゃないだろうか。どうしてもそう感じてしまうのだ。


 だって、こんな世界で、ここまで他人に優しくする人間なんて居るはずがない。やっぱり、そんな考えが拭えなかった。


 そうしてしばらく歩いていると、奥の方から機械音が聞こえてきた。

 ――間違いない、これは小型の無人兵器の音だろう。


 私は、静かに拳銃を構えた。


「下がってて。俺がやるから」


 すると、彼はそんな私を手で制し、いかにもハンドメイドといった様相のゴテゴテした銃火器らしきものを取り出した。たぶん戦おうとしても制止されるんだろうな、と諦め、私は一歩下がった。


 それにしても、あんな銃が誤作動もなしに動くのだろうか。


 じっと待っていると、一分もしないうちに機械音がより近づいてきて、通路越しに機械の姿が見えた。自分たちの腰辺りはある胴体に、触覚のような金属部位がいくつもついており、頭らしき部位は周囲をキョロキョロ見回していた。全長は私たちの腹辺りまでくるだろうか。


 私たちが物陰に隠れて、あちらを観察しているのもあり、向こうはまだこちらに気づいていないようだ。


 しかし、何かの異常は感知したらしい。ゆっくり、着実にこちらに向かっていた。しかし、彼は顔を引っ込めるだけで、それ以上は何もしなかった。


 私なら、安全のために遠距離から発砲しているところだ。もしそれで勝てなくても、今度は逃げればいいのだから。


『何もしないんですか!?』


 思わず私は小さな声でそう伝える。


『しっ。近づいてきたら、一撃でやるから』


 しかし、彼がやけに真剣な表情で言うものだから、その気配に気圧され、口をつぐむ。

 そうしている間にも機械音は近づいてくる。


 私の心臓の鼓動が高鳴る中、彼は銃を構えてカチャカチャと何か操作を始めた。

 次の瞬間、彼は飛び出し、銃を発砲した。


 それは散弾銃だったらしく、銃口からは無数の弾丸が飛び散る。

 近距離で発砲したその銃弾は、相手の全身に無数の傷跡をつけ、相手を行動不能な状態にまで貶めた。


 その後彼は敵機に近づくと、懐から取り出したナイフを相手の胴体の中央部分に突き立てた。

 と同時に、うねうねと動いていた触覚のような部位も完全に機能を停止し、完全に動かなくなった。


「よし、終わったよ。進もうか」

「え、ええ。はい」


 どの動きも、相手を確実に仕留めるための動きだった。すぐさま最後の一撃を与えたことだって、その冷静さと冷酷さの現れのように感じた。


 それを見て、直感的に『逃げてばかりの私とは、大違いだな』と思ってしまった。同時に、これからは私が戦わなくてもよさそうだ、なんて打算的な考えが浮かんできた。

 自己嫌悪するね。


 私はそれらの考えを振り切って、私は彼についていった。


 ◇


 裕介さんの言っていた、地下通路から繋がる施設に侵入することができた。

 下水道の中に、崩落した痕跡のある場所があり、そこが入口となっていた。


 崩落した公共施設、といった様相だろうか。


 無機質な白色の床や壁、天井に、割れた蛍光灯。それに、全てのドアに備え付けられた自動扉。案内板がやたら丁寧に全言語で書かれていることからも、公共施設なのではないかと予測できる。

 また、壊れた扉の奥にはパソコンもいくつか見えた。役所か、相談センターのたぐいか、それとも電子型図書館の類いか。

 もとは綺麗に咲いていたのであろう観葉植物や、二度と使われることのないであろうベンチが、どこか悲壮感を漂わせていた。


「とりあえず、進もうか。兵器が出てきたらまた俺がやるよ」

「分かりました……しかし、それにしても、裕介さんはどうやってあんな装備を?」


 それから、私は気になって彼にそう質問した。


「もともと、機械工学系の仕事をしていてね。それから――」


 彼は一瞬言い淀みながらも、言葉を続けた。


「まあ半分犯罪みたいなもんだけど、武器防具の類いも弄った経験が少しだけあってね。それを活かして、試行錯誤した感じだよ」


 半分犯罪、というのが少し気になるが、もともとの職業での経験を活かしたのだろう。ただ、それにしても武器防具を作れるというのはなかなか凄いことではないだろうか。


「なるほど、それは凄いですね」

「うーん、まあ自分で作らないと武器防具がなかっただけだからなぁ」


 彼はそう言って笑った。その余裕が、私にはなんだかむず痒かった。


 それから、奥にある壊れたエレベーターの電子掲示板に『異常発生。施設内のロボットが暴走中。ただちに避難してください』と書かれているのが見えた。

 今はもう意味を為さない、案内表示だ。


「……ミスト研究所に近い以上、この施設は早い段階で『終末戦争』の影響を受けたんだろうね」

「事件の発端はミスト研究所、ですもんね」


 私はほんの少しうつむいて、そう答えた。

 それについてよく知っているのは、他でもない私だからだ。


 父親はミスト研究所の社長であり、同時にあそこは終末戦争において使われたウィルスの原型が作られた場所なのだ。


 ウィルスの原型となる演算システムは、本来なら平和のために作ったものだ。

 なのに、それが戦争に利用されていった。両親はどうにか暴走を食い止めようとして、日に日に顔色が悪くなっていく。私は、何をしたらいいのかもわからないまま、ただ両親のことを心配していた。

 家に知らない人が来たり、両親が電話で大きな声を出すたびに、私は両親に声を掛けた。

 それが、二人のストレスになることも理解できないままに。今思えば、当時の私はずいぶん呑気なものだったな。


 それから、連絡の数が多くなり、近隣での爆発音や戦闘音が絶えなくなってきた頃、間もなくお母さんが他界した。お父さんはそれでも復興システムの開発を急いでいたが、あのときはずいぶん疲弊している様子だった。


 そういえば、最期にお母さんから掛けられた言葉はなんだったか。


 ああそうだ、確か――


「大丈夫?」


 裕介さんの声によって、思考が現実に引き戻される。


「ああ、大丈夫です――早くいきましょう。急がないと」

「うん、まあ俺はどっちでもいいんだけど。じゃあ、いこうか」


 微妙な反応を返す彼をよそに、私は考える。

 この先に、例の機械がある。


 そこにAIコアを届ければ、私の使命は果たされる。ハードウェアとなる、機械本体はミスト研究所で作られた。そして、ソフトウェとなるAIコアは私の実家付近のラボで作られた。

 二つの場所で作られたそれらは、集結するよりも先に両親が死んでしまった。だからこそ、私に白羽の矢が立ち、コアを機械本体へと運ぶ作業を頼み込まれたのだ。

 私のお父さんから、死ぬ直前に頼まれた、大事な仕事だ。だから、これだけは絶対に完遂しなければならない。


「あ、そうだ。ここに乗せている荷物は全部置いていきますので、少々お待ちを」


 それから、私は一つ思い出して、後ろに引き連れていた浮遊型貨物輸送機を指差し、そう言った。


「え? これからのことは大丈夫なのか?」

「目的地が近いので問題ありません」

「辿り着いた後は?」


 その言葉に、私は一瞬考え込んだ。

 私があのAIコアを届けた後のことは、正直何があろうとどうでもいい。私は私に託された目的を果たしたのだから、その後どうなろうと全く関係ないのだ。


「その後のことはどうでもいいんです」

「……そうか。まあキミがそう言うなら、それでも良いと思うよ」


 頷きながらも、彼はどこか納得できていないような様子だった。

 それに対して言及しようかと一瞬考えたが、なんとなく触れないほうが良いような気がして、閉口する。

 私は、歩き始めた彼に黙ってついて行った。


 ◇


「ここからは、ミスト研究所の領域になる。敵も増える――ハズだから、注意して」

「ハズ?」

「俺も来たことがあるわけじゃないからね」

「なるほど、そういうことですか」


 辺りの様子は、これといって大きく変わったことはない。

 少し大きな待合室のような部屋を経由したが、その先も無機質な公共施設といった印象に特に変わりはなかった。


 最終目的地に辿り着いたというのに、案外あっさりしていた。なんというか、人生なんてこんなもんなのかもしれない。


「事前に伝えていたけど、ここからは俺自身も道が分かっていない。俺の方は、アテもなく探し回るつもりだけど……キミは?」

「目的地は決まっていますし、この施設の地理もある程度頭の中にあります。一人でもいけます」


 今となっては見る影もないけれど、私自身何度か訪れたことのある場所だ。

 ここから先の道は、自分でも分かる。


「なるほどね。じゃあ、ついてってもいいかな?」

「いいですけど……分かれた方が無難じゃないですか?」


 まあ、この人の性格からすると『キミが心配だからついていくんだよ!』なんて言いそうでもあるが。


「それがそうとも言えなくてね。そもそも、目的地――というか、目的のものがある兵器のことなんだよ」

「兵器……それはまた以外ですね」

「うん。まあね――それで、下手に動き回るより、誰かに同行して、ついでで探すほうが目立たたなくて済むと思ったから、同行したいんだ」


 私は少し考え込んで、答えを出した。

 ここまでしっかりした理由を口にできるなら、まあそれでもいいのかもしれない。私はそう考えた。


「……分かりました。それならぜひ、同行しましょう」

「お、そりゃ嬉しいね」


 私が言うと、彼は一瞬驚いたような表情を浮かべ、それから笑った。


「何か含みがありますね」


 その一連の動きが気になって、私はそれに軽く言及した。


「ぜひ、なんて言うとは思わなかったから」

「……どっちでもいいじゃないですか」


 こういうときなんと返せばいいのか分からなくて、私はそっけない返事をしてしまった。


「まあそれもそうだね」


 すると、彼はふっと笑うだけだった。


 ◇


 この施設は、中に大量の無人兵器が居るらしく、移動にはずいぶん苦労した。私達は、ダクトなどの施設の隙間をすり抜けながら、こそこそと進んでいた。


 そうして、今私たちが居るのは、一つの広い部屋だった。中には、いくつかのパソコンと、見慣れない施設、それからショーケースのようなものがあった。

 なにかの研究室、といったところだろうか。


「……少し、パソコンの方を起動してみてもいいかな?」


 すると、裕介さんが少し考え込んでから私にそう訊いた。

 何か危険がないのか、と思うが、私に分かることが彼に分からないとは思えなかった。おそらく、大丈夫なんだろう。

 それ以外に断る理由も見当たらなかったし、私は『もちろん、大丈夫ですよ』と許可をした。


 彼がパソコンを起動すると、中には大量のファイルがあった。どこかのサーバーに保存されているのか、それとも本体に保存されているのかは分からないが、まだデータが生きているらしい。

 その中の様々な書類を漁っていく中で、裕介さんが一つのファイルを開いた。


「……『デウス・エクス・マキナ』?」


 彼のつぶやきに、私の肩が反応する。なぜなら、それは両親が作っていた『世界を救う機械』の名前だったからだ。

 正式には、ここにあるハードウェアの名前だが、どちらもそう変わるものではない。


「何か、見つけたんですか?」


 あえて知らないフリをして聞き出そうと試みる。


「いや、ある研究員が『世界を救えるような機械』を作っていたらしくてね――それの名前みたいだ」

「興味でも湧いたんですか?」

「まあね。この言葉の意味は『機械仕掛けの神』なんだけど――この終末世界を救う機械の名前としては、ピッタリかもしれないと思ってね。いいネーミングだ」


 『それに』と彼は続ける。


「これを作った人間の名前が、ここミスト研究所の社長の名前だった」

「……それがどうかしたんですか?」


 続く言葉は『自分が世界を滅ぼしたくせに、世界を救おうとしていたなんて意味がわからない』とかだろうか。

 世間の私の両親に対する認識は最悪なものだろうし、どうせそんな感想だろう。


 少しの諦めとともに、続きを待っていた私に裕介さんが放ったのは、予想外の言葉だった。


「もともと対無人兵器用のウィルスを作った彼が、なんの理由もなしに世界を救おうとするとは思えない。考えうるのはマッチポンプによる人間社会の支配とかだけど――文面から見てその可能性は考えにくい」

「……つまり?」


 緊張で心臓の鼓動が少し早くなるのを感じながら、私は訊いた。


「彼は、もともと世界を崩壊させることを目的としてウィルスを作ったんじゃないんじゃないか?」


 真剣な表情で、彼は言った。

 その瞬間、私はホッとした。


 大抵の人は、私の両親が極悪人だと思っている。その事実は変わらない。

 けれど、それでも目の前のこの人は『そうではないのではないか』と考えてくれている。それだけのことが、私には嬉しかった。


「……そうですね。社長も、悪意があったわけではないのでしょう」

「ん? まあそうだね……まあ、今更調べてもしょうがないんだけどさ」


 私の発言になにか引っ掛かったのか、軽く疑問を抱いたような様子を疲労しながらも、彼はパソコンを閉じた。


「それじゃあ、そろそろ行きましょうか」

「そうだね。長居してると、兵器が寄ってくるかもだし」


 そう会話を交わし、私達は歩みを進めた。


「ですね。早く目的地までたどり着かないと――」

「待って! 足元に――」


 私が一歩踏み出した瞬間、裕介さんの大きな声が聞こえたかと思えば、同時にけたたましいアラーム音が鳴り響いた。


「っ――」


 驚いて足元をよく見てみると、切れた小さな糸が地面に転がっているのが見えた。糸を使ったトラップかなにかだろうか?


『305研究保管室……侵入者、ハッセ。社員ただち対処セヨ』


 どこか不気味な途切れ途切れの警告音声が辺りに鳴り響いた。

 ……それにしても、とりあえずはこの場から逃げた方が良さそうだ。


「トラップだ! 急ぐぞ!」

「はっ、はい!」


 彼の号令とともに、私は急いで彼についていった。

 廊下に出ると、後ろからガシャガシャという無数の無人兵器の音が聞こえる。


 軽く背筋が凍るのを感じながら、私は走り出した。


「かなり原始的なトラップだった。糸に引っかかると、その影響で仕掛けが作動し、施設の警報スイッチを押すというものだな」


 それから、彼は真剣な表情でそう話した。


「すごいですね、あの一瞬で分かるとは」

「糸の先をたどったら、そういう仕掛けがあるのが遠目に見えたからね――それで、あれは多分終末戦争後に、ここで生き延びていた人たちが作ったものだろう」

「……私達は、不幸にもそれに引っ掛かってしまった、と」

「そういうことだ」


 本来なら、かつて生存者が侵入者を排除、あるいは無人兵器に対処するための機械の一つだったのだろう。だが、今は私達がそれに引っかかり、こうして無人兵器に追いかけ回される羽目になったというわけだ。


 そんな思考はとりあえず中断して、私はこの状況をどう打開するかについて考えることにした。

 通路が狭いこともあり、無人兵器たちは大きな音を立てて施設を破壊しながらこちら側へ直進してくる。まだ距離があるため瓦礫がこちらに飛んでくるほどではないが、いつこの建物が崩れるか分からないからかなりひやひやする。

 この施設が、私達が逃げるくらいの時間は形を保ってくれることを祈るしか無い。


「くそっ、このままだと追いつかれるな……」


 後方をちらりと見ながら、裕介さんは呟いた。

 それには私も同感だ。


 何か打開策がなければ――

 そう思った瞬間、横の壁が勢いよく破壊された。大きな音とともに粉塵が舞い、私は軽く咳き込んだ。


 唐突な無人兵器の襲来により、私たちは足を止めることとなり、裕介さんは臨戦体制を取った。


「まさか横から出てくるとは思わなかったな。とりあえず足止めだけして、キミはその隙に――」


 土埃が晴れ、出てきた兵器の姿が見えると同時に、裕介さんは絶句していた。


 その無人兵器は、体自体はそう大きくない。ただ、他の兵器に比べると少し異様な見た目をしていた。

 白色のボディは傷が多くついているが、やけに綺麗に掃除されていた。崩れた天井から差し込む月光が、そのボディの白銀を照らしている。足は六本あり、それらすべてが鋭く尖っていると同時に、刃物のような美しくも危うい輝きを放っている。


「……まさか、強い兵器ですか?」

「いや、そういうわけではない」


 私の言葉にハッとして返答すると、裕介さんは再度構えをとった。

 彼が動揺した意味がわからないまま、彼はハンドメイドのショットガンを敵に向けて構えた。


 トリガーを引いて敵に散弾を浴びせた後、腰のアイテムホルダーからグレネードを取り出し、投げ込んだ。

 それは、その小さな形からは想像もできないほどの、大きな音と爆風を巻き起こした。そのまま間髪を入れずに、裕介さんは叫ぶ。


「逃げるぞ!」

「了解です!」


 号令とともに、私たちは走り出した。

 しかし、もともとの距離が近いこともあり、このままでは数分もしないうちに追いつかれてしまいそうだ。


 それに、このまま走っていても体力が持たない。

 そう思って周囲を見渡してみると、奥にまだ形の崩れきっていない機械式ドアつきの部屋があるのが見えた。


 この位置から考えるに――私の記憶にもある、研究物保管室なはずだ。中には金庫室があったはずだし、それを開けて中に入れば一時的に隠れることができるだろう。


 完全な問題解決にはならないが、少しの休息なら取れるはずだ。


「あの部屋なら――」

「危ないッ!」


 私が一瞬気を抜いて、走るスピードを落としてしまった瞬間。

 裕介さんの声が響いた。


 同時に私の視界に映ったのは、一筋の赤い鮮血。

 一瞬置いて、肩に激痛が走る。


 後ろを振り向くと、いつの間にか接近し、足についた鋭利な刃物を掲げる白銀の兵器の姿があった。

 さっきまで距離があったはずなのに、いつの間にこんなところまで――


 そんなことを考える余裕もないまま、相手は二撃目を用意していた。


「ッ――!」

「このっ!」


 私が痛みに耐えている間に、裕介さんはショットガンを放つ。

 さらに、白銀の兵器に接近し、ショットガンのパーツを一瞬いじったかと思えば、大きな音とともに高速で五発発砲した。


 さすがに相手も堪えたのか、機体のバランスを失ってよろける。足一本にも大ダメージが入ったらしく、元のスピードでは動けそうもない。

 しかし、裕介さんのショットガンからもシューという音とともに煙が立ち上っており、しばらくは使えなさそうだ。


「大丈夫か!」

「だ、大丈夫です……それよりも、あの部屋に逃げ込みましょう。中に隠れる場所があるはずです」

「分かった、少し失礼するぞ」

「え? きゃっ――」


 裕介さんが私を急に担ぎ上げ、私が指差したドアへ走り出した。少し驚きながらも、今自分が怪我をしていることを自覚し、大人しくそれを享受きょうじゅする

 裕介さんはドア横のパネルを体当たりで反応させ、ドアを開けた。


 中に入るとそこはごちゃついた空間で、何があるのかいまいち把握しきれない。さらに荒らされた形跡もあり、ますます何がある場所なのか分からなくなっている。


 周囲を見渡すと、壁に埋め込まれた大きな金属扉があるのが見えた。あれが、お目当ての隠れ場所――もとい金庫があった。


「あ、あれです」


 デジタル式のパスワードが設定されているが、パスワードはしっかり覚えている。


「金庫……? パスワードは分かるのか?」

「四、九、三、二、六だったはずです――自分で開けます。降ろしてください」

「ダメだ。そこに座っててくれ、俺がやる。四九三二六だな」


 私の言葉に聞く耳を持たず、近くにあったボロボロのソファに私を降ろした。


 彼がダイヤルを回すとすぐに金庫は空いた。

 それから、裕介さんに肩を持ってもらって、急いで中に入る。


 中は、ベッド二つくらいなら入りそうな金庫にしては大きい空間だった。

 裕介さんがドアを閉めるのを眺めながら、地面に座り込んだ。


 冷たく無機質な床と壁に体を預ける。


「とりあえず、応急処置程度ならできる。少し見るぞ」


 少し服をずらし、裕介さんは傷口を見る。

 年上の男の人に素肌を見られることに若干の恐怖を感じながらも、私は大人しく動かなかった。


 恐怖感よりも、誰かに心配されていること、また守られていることの安心感の方が強かったからだろうか。


「傷が深いな――これで止血して、包帯を巻けばまだマシか」


 針のない注射器のようなものと包帯を取り戻した裕介さんを私は手で制する。

 さすがに、得体のしれない注射をいきなりされるのには抵抗がある。


「え、なんですか? それ」

「大丈夫、痛くはないはずだ。いわゆる、ナノボットを使った止血薬だな――少し、いいか?」


 あまりに真剣な表情で言われるものだから、私は思わず頷いた。注射器を体に当て、それのスイッチを押した。一瞬チクリと痛みが走るが、本当にそれだけだった。

 注射器を話、今度はカバンからアルコールシートらしきなにかを取り出した。


「消毒もしておくか」


 それで傷口を拭かれると、当然だがしみるため痛みが走る。


「痛っ……」

「ごめん、しみたかな?」


 すると、彼は少し驚いたような表情をした。

 あまり普段通りとは言えない一連の言動に、私は違和感を覚えた。


 とはいえ、私は何もせずとも治療を受けられているわけだし、特に断る理由も見当たらない。別に何も言わなくてもいいかと思い、問題ないと返事をする。


「はい、大丈夫です」


 それから、彼は包帯を取り出し私の肩に巻いた。

 そこで彼は一息ついて、少し落ち着いた様子を取り戻す。


 この部屋の外からは、まだガシャガシャという機械音が聞こえる。たまに破壊音が聞こえることから、さっきの白い兵器が私達を探して辺りのものを破壊し回っているのだろう。

 でも、隠れ場所はバレていないようだし、そのうちどこかに行くだろう。


「ふぅ……とりあえずはこれで大丈夫だ。でも、ナノボットはそのうち動かなくなるだろうし、この後はちゃんとした措置が必要だ」

「それは分かりましたけど……ここから出て助かるのは無謀じゃないですか?」


 私は素朴な疑問を投げかけた。


「いや、このあたりには医療物資もあるだろうし、どうにかなるかもしれない。出たら探そう」

「……そうですか」

「まだ助かる可能性があるなら、やらないと」


 そうやって彼は意気揚々と立ち上がったが、私にとってそれは別に必要のないことだった。


 守ってくれるのは嬉しいのだが、それはそれとして、私は命が助かることに興味がない。デウスエクスマキナは近くにあるわけだし、私はそこにさえ行ければいいのだから。

 ここは気持ちだけ受け取って断ることにしよう。


「お気持ちはありがたいですが、大丈夫です。私にとっては、助かるより目的地に向かうほうが――」

「それはダメだ!」


 急に声を荒げられ、思わず萎縮する。


「すまない、少し落ち着けていないんだ」


 それから、ハッとしたように謝りながら、彼は座った。

 双方、あまり息が整っていないため、呼吸音だけが静かに響く時間が数秒間訪れる。


「……俺にはさ、一人娘が居たんだよ」


 すると、裕介さんが独白のように語りだした。一体、なんの話だろうか。


「そう、ですか」


 何か返事をしようとした結果、なんとも言えない意味のない言葉が口から漏れる。


「母親もすでに病気で他界していたから、俺だけで育てていたんだ」

「それは……かなり大変なのではないですか?」

「ああ。だから、俺は違法な軍需企業で働いていたんだ。金を稼ぐためにね――あ、そこで機械工学系の仕事を担っていたのは本当だよ。兵器製作とかは本分じゃないから」

「……」


 予想外の返答に、私は思わず口をつぐむ。

 彼が、そんな企業で働いているようには思えなかったからだ。もともと半分犯罪まがいのことをしているとは言っていたが――これは半分とは言えないだろう。


「実は、キミの名前も少しアタリがついているんだ――『霧島きりしま 零香れいか』。違うか?」


 見事に名前を言い当てられ、私は少し動揺する。

 なるべくそれを表に出さないようにしながら、私は答える。


「……合っています」

「やっぱりね。ミスト研究所の社長、霧島きりしま 零武れいぶの一人娘の名前だ」


 父親の名前については、表に出ている人間だから、知っていても特におかしくはない。


 けれど、私の名前はそうではない。表に私の名前は出ていないし、ここにある施設の資料から知った、という線もない。あらゆる資料が原型を失っているこの終末戦争後にそのような資料を見つけたことも考えにくいし、終末戦争以前から私を知っていた、と考えるのが自然だろう。

 そして、先程までの話の流れも加味すると――


「違法な軍需企業で働いていたから、私を知っていたんですか?」

「まあ、そういうことだね」


 どうやら、図星のようだった。

 彼は少し居心地悪そうにしながらも、肯定した。


「どうして、今更名前なんかを聞いたんですか?」

「それは……キミがね、俺の娘に似ていたからなんだ」


 自嘲するように、彼は言った。


「顔や仕草が娘そっくりだったんだよ。性格は全然違うのにね」


 彼は自嘲するように笑う。


「ひと目見た時、信じられなかったよ。まさか、あの子が生きていたのかと思った」


 大げさに抑揚をつけて言う彼を見ていると、その言葉の裏にどうしようもない悲しみや寂しさが読み取れるような気がした。

 まるで、悪行をしたうえで狂人を演じることで、自身の罪悪感を誤魔化しているかのような、歪な違和感。


「でも、そんなわけはなかった。現に、キミは『桐谷きりたに 鈴鹿すずか』ではなく『霧島きりしま 零香れいか』なんだから」


 彼の娘の名前は鈴鹿というようだ。

 私と名前が似ているのは、ただの偶然だろう。けれど、その偶然がより彼の心を呪うことになったのだろう、というのは簡単に予測ができた。

 私は何も返す言葉がないまま、彼の話を聞いていた。


「だから、キミと鈴鹿は違う。違うんだ。だからこそ、俺はそのことを心に刻まなきゃいけない……そのために、名前を訊いた」


 噛みしめるように、言った。


「なる、ほど。そういうことですか……」


 今回の件について、私は悪くない。私は普通に生きてきただけだし、裕介さんと会ったのもただの偶然だ。

 けれど、目の前の彼を見ていると、私がなにか悪い事をしてしまったかのような、強い罪悪感に襲われる。


「これは裕介さんを少し不快にさせてしまう質問かもしれませんが、聞いてもいいですか?」

「……うん、いいよ」


 一瞬迷い、彼は答えた。


「最初、私にあれだけ優しくしていたのは、私があなたの娘に似ていたからですか」

「ああ――まあ、そういう面は間違いなくあっただろうね」

「ですよね」

「失望したかい?」


 彼は薄く笑った。


「いいえ、むしろ安心しました。意味も分からず優しくされるより、何か理由がある方が安心できます」

「それは……そうか。ならいいんだけどさ」

「私は、どう思われても構いませんから」


 少し、嘘の混じった感想を述べた。どう思われても構わない、というのは本当だが、これの裏には『しばらくの間、私に桐谷鈴鹿を投影して、私に優しくしていて欲しかったから』というのがある。

 自分でも滑稽だと思うが、私は彼の優しさに半ば依存しているのだろう。


「そう言ってくれるのは嬉しいけどね……でもさ、もうこんなことをするのは限界だと思うんだ」


 ため息とともに、彼は苦笑いを浮かべる。

 それは、まだこの関係を続けたいと思ってしまっている私にとって、嫌な返答だった。


「……何を、ですか?」


 答えが分かっていながら、それを口にするのが怖くて、私はそう訊いた。

 彼にその恐ろしい答えを口にさせるのを、押し付けたのだ。


「キミに俺の娘を投影して、それで自分の罪滅ぼしをした気になるのは」


 この期に及んで、私はまだその言葉の続きを聞くことを怖がっている。

 私が彼の求める『もの』ではなくなったとき――つまり、彼が私に桐谷鈴鹿を投影することをやめたとき、私が捨てられることが怖いのだ。


「……いいじゃないですか。こんな世界なんですから、それぐらい自分の好きにしたって」

「はは、そう言われると少し決意が揺らいじゃうな」


 彼は乾いた笑いを漏らす。


「それに、娘さんはもう居ないんですよね?」


 自分で最低だと思いながら、そう訊いた。私は、まだこの人に娘扱いして欲しかったから。大事な娘として、守ってほしかったから。

 これ以上一人で生きるのは、もう嫌だった。私は、父親のような人間が欲しかったんだ。本当の父親はもうこの世から居なくなってしまったから、その代わりとなるような人間が。


「いいや、居るよ。ちょうど、近くにね」

「え――?」


 ここに居るのなんて、あの兵器くらいしか居ないはずだ。

 いや、もしかすると辺りのシェルターにでも隠れているのだろうか? でも、このあたりにそれらしい建造物はなかったはず。


 なら、一体どうして?


「意味がわからない、という顔をしてるね」

「……はい、まだ分かりません」

「違法な軍需企業で働いていたという話はしていたよね?」

「さっき聞きましたね」

「そこで俺が終末戦争の前に、最後に作ったのは『殺した人間の脳の中身をデータとして抽出し、強くなる兵器』だった」


 震える声を無理やりまっすぐにしているような、違和感のある声色だった。


「それはなんというか――惨いですね」


 なにか感想を言おうとして、誰でも言えるような平易な言葉だけがこぼれ落ちた。

 しかし、ここからどう彼の娘がここに居ることに繋がるのだろうか。


「そうだね。それで、俺の娘はその兵器に殺されたんだ。俺の、目の前でね」

「え――?」


 思わず、私は言葉に詰まる。


「つまり、その、娘さんの脳――いや、データがその兵器の中に?」

「そうさ。だから、あの・・兵器の中には俺の娘が入ってる。そのせいで、きっとあの子は苦しんでると思うんだ。だから、終わらせないといけない」


 そう言い放つ彼の瞳には、薄らとした狂気が滲んでいた。


「それは――」


 違う、と言い切ることはできなかった。


「いや、そんなことないって自分でも分かってるんだよ――でもさ、自分で作った業って言うのは自分で処理しなきゃいっていうのは、間違いないと思うんだ」


 彼は、おもむろに立ち上がった。

 ドアのそばに行って、ドアに触れた。


「……どこへ行く気ですか?」


 思わず、私は訊いた。


「あの兵器を探しにね――白い筐体の、さっき会った機械だよ。あれが俺の娘だ」


 どこか自嘲するような笑みで、彼は言った。

 そういえば、最初彼があの白銀の兵器に会ったとき、少し動揺を見せていた。


 あれも、探していた兵器と会ったことが原因だったのだろうか。


 いや、それでも、でも。

 ――私は、裕介さんと離れることに対してほんのりとした不安を感じつつある。


「今から行くんですか? それはもう少し落ち着いた後でも――」


 まるで、彼を引き留めるような言葉が次々と口から漏れる。

 最低だ、と自覚しながら、やめられない。そこに、私の求めてやまないものがあるからこそ。


「さっきも言ったろ? ナノマシンは長くは持たない。これ以上の処置をしないなら、今のうちに目的地とやら行かなきゃキミはそこに到達できない」


 顔を見せないまま、淡々と彼は言葉を紡ぐ。


「いやでも、到達した後のことはどうするんですか!?」

「到達した後のことはどうでもいい、って言ったのはキミじゃないか」


 前にそう言ったことは自分でもしっかり覚えていたし、支離滅裂なことを言っているのは自覚している。それでも、引き留めたかった。


「それはっ――そうですが」

「そもそも、無人兵器がこの周囲に大量に居ることには変わりない。引き付け役が必要だ。俺が行っている間に、キミがその隙に目的地とやらに向かうんだ」


 必死な私に対して、彼は淡々と論理的な理由を並べる。


「それは――合理的かもしれませんが!」

「……それで、どうしたんだい?」


 続く言葉なんて、思いついていないことくらい分かっているだろうに、彼は私の言葉を待っていた。

 くるりとこちらを向いた彼の顔は、とても優しいものだった。優しいのだ。

 そして、その優しさが、私を蝕んでいるのだ。


 うまく回らない思考で、私は搾りかすみたいな言葉を漏らした。


「……いかないでよ、寂しいよ」


 まるで声にならないような掠れた音が口から漏れる。


 結局のところ、私は久々に会った人間、それも信頼できる人間――それも、父親のような人間に対し、愛着を抱いているだけなのであった。


 裕介さんが、私に彼の娘のことを投影していたように、私は裕介さんに私のお父さんのことを投影していたのだ。

 まるでなにもない大海原の上にで、沈まないよう必死に流木に縋り付くかのように、私は彼に縋り付いていたのだ。彼自身ですら、漂流者の一人であることに気が付かないまま。


「結局さ、俺がキミに変な依存しないためにも、別れなきゃいけないってことは分かってるんだ――それは、キミも同じだろう?」


 このままお互いがお互いに縋り付くような惨めな真似は、もうやめるべきだと、私はもう理解していた。


「……」


 私は答えなかった。

 いや、答えたくなかったのだ。


 今すぐやめるべきだと理解していてなおやめられないほど、今の状況はとても甘美なものだった。彼は、この荒廃した世界で見つけた一つのオアシスだったから。


「それに、これだけは、絶対に譲れないことだから」


 優しく、まるで赤子をあやすような口調で彼はつづけた。


 たぶん、これは彼が彼自身と、そして私が私自身と向き合うために必要なことなのだろう。

 分かっていても、どうしても悲しさが拭えない。処理しきれなかった感情が、目尻から液体となって零れ落ちる。


「キミはもう、大丈夫。後のことは、俺がどうにかしておくから」


 潤んだ私の目をしっかり見て、裕介さんは言った。

 相変わらず、優しい人だと思った。そして、強い人なのだろう。


「……分かりました。他人ですもんね、私達」


 震えそうになる言葉を、どうにか真っすぐに伝えるために拳を握りながらそう言う。


 そう、私達は他人なのだ。だからこそ、ここで別れなければならない。


「ごめんね。一緒に居てあげられなくて」


 それは、今私に届けられる精一杯の優しさなのだろう。それは、ただ私のそばに居ることを肯定するような見かけだけの優しさではなく、厳しさをはらむ、本物の優しさだった。


 涙を拭い、この場で贈るべき言葉を探す。そうして見つかったその言葉を、彼の目をしっかり見て、私は放った。


「いえ、もう大丈夫です――行ってらっしゃい」


 私の言葉に、彼は目を見開いた。


「うん、行ってきます」


 まるで家を出る時、家族に向けるそれのような挨拶だった。穏やかな笑顔を浮かべ、彼は金庫の扉を開ける。この部屋は今無人兵器が居ないようだが、それでも辺りからは無数の足音がする。


 確かに、こんな状況では二人固まって移動することはなかなか難しいだろう。部屋の外へ走っていく彼の姿を見届けながら、私は立ち尽くした。


 おそらく、彼はこのまま戦って、そのままこの地に骨を埋める心持ちなのだろう。


 数秒経って、爆発音や金属音が鳴り始めたのを聞いて、私は走り出した。


 ◇


 爆発音が鳴り響き、建物が崩れ始める中、私はデウス・エクス・マキナのハードウェアがある場所まで走っていた。

 転んで傷つき、時に横から出てきた兵器に攻撃を受けながらも、必死にそれから逃げて目的地に向かった。


 もう、目的地に辿り着いて、コアを嵌めれば全てが終わるのだから、私の命なんてどうでもよかった。

 最後、力をふり絞って、そこにたどり着くことこそが、私の使命であり、私の幸せだった。


 ◇


 ボロボロの体を引きずりながら、私はデウスエクスマキナのもとへと向かった。

 ナノマシンが死に始めているのか、思考が朦朧もうろうとする。それでも、おぼつかない足取りで、私は進む。


 道を進んだ先にあったのは、天井が崩れ、綺麗に空が見える部屋だった。今は無数の白い星々が瞬いている。

 空がよく見えるせいか、辺りには雑草や木が生えていたり、知らない花が生い茂ったりしていた。きっと、昼にはここに眩しい太陽の光が降り注ぐのだろう。


 そして、部屋の中央には、まだ綺麗に形が保たれている大きな機械があった。

 白を基調とした不思議な機械で、エンジンのような部位や、何かが入っているガラス張りのカプセルまである。

 機械の下部に台座と青白いパネルがあり、私の持っているコアが嵌まりそうなくぼみもあった。


 詳しいことは分からないが、ここにコアを嵌めれば、この『デウス・エクス・マキナ』が動き出すはずだ。


 その後のことは、本当に私にとってはどうでもいい。

 例えそれで世界が救えなくとも、私は私に任されたことはしっかり果たしたことになる。それだけで、十分だった。


 そう思って、私は歩き出す。

 コアをそのくぼみに置くと、コアが中に収容され、機械がゆっくりと動き出した。


 パネルの方には『演算装置の取付を感知。動作開始』と書かれていた。


 稼働の直後、青白いパネルに手形が表示され『生体認証を行ってください』と書かれていた。不思議なことに認証は任意だそうだが、もうまともに頭を動かすだけの元気もなかったし、素直にそれに従った。


 しばらくすると、画面が緑色に光り、認証完了と表示された。

 さらに『霧島 零香』という名前も一緒に。


「……私の名前?」


 続いて『あなたにメッセージがあります』という選択ボックスが表示された。

 なされるがままそれを押すと、機械の上部からカメラのようなものが出てきて、そこから光が投影された。

 眩しくて、思わず目を細める。


 その一瞬の後に私が目にしたのは、今はもうこの世に居ないはずのお父さんの姿だった。

 そこには、彼の姿によく似たホログラムが展開されていた。


 もしかして、今もどこかにお父さんが居て、今ここで通信越しに出てきたのではないか。そういう淡い期待が私の中に現れる。


「お父……さん? お父さん!」


 思わず声を上げるが、返事はない。

 数秒経ってから、ようやくこれがただの記録であることを理解する。


 いや、大丈夫だ。この程度のことは慣れている。


 一縷の望みを持って触れたその腕が、父親のホログラムをすり抜ける。至極当たり前のことなはずなのに、その事実が私の胸中をより強い悲しみで染め上げることになった。


『やぁ、零香。これが流れてるってことは、きっとあのコアを届けてくれたんだよね』

「……うん」


 その返答に意味がないことを理解しながら、小さく答えた。


『本当にありがとう。そして、本当にすまない』

「……」

『戦争に転用されるようなAIを作ってしまったこと。それが悪用され、その対処に奔走し、零香を気にかけられなかったこと』

「……私も、ごめんなさい。お母さんと、お父さんに、たくさん迷惑を掛けて」


 それは明確に誰かに対して向けた言葉ではない。だって、一番それを伝えたい二人は、もうこの世には居ないのだから。

 あのとき両親に謝れなかったから、意味のない謝罪の言葉が今更になって溢れ出している。ただ、それだけだ。


『零香に重荷を押し付けてしまったこと――そして、たくさん零香を傷つけてしまったこと』

「……全然、いいよ。もう全部終わったから」


 天を仰ぎ、苦笑する。


『本当なら、平和な世界で学校に行かせて、同年代の友達と笑いさざめき、たまに恋もしたりして、普通に生きてみてほしかった』


 昔から、お父さんはこういうことを言う人だった。

 理想主義で、自分の考えは絶対曲げない人間。


 ――だからこそ、私は裕介さんにこのお父さんの姿を投影したのだ。


『……お母さんのことも、すまなかった。あんな最後になってしまって――いや、あんな最期にしてしまって』

「いいよ、あれは、私が悪いから」


 ひねり出すようにそう言った。

 お母さんは、最後私に『あなたが邪魔をするせいで何百人もの人が死んだ』と言っていた。事実、お母さんの思考を私が邪魔して、様々な問題への対処を送らせたのは事実なのだろう。


 だから、しょうがない。


『今となっては意味のない言葉かもしれないが、伝言だけは記録しておこう――ごめんなさい。もう信じさせてあげることはできないかもしれないけど、愛してるよ、零香』


 記録の中の父は、言いにくそうにしながらも、優しく笑った。


「バカだなぁ。今言っても意味ないって、分かってるくせ――」

『言葉なんてものにもう意味はないかもしれない。だが、彼女は今でも零香を愛していた。そのことを伝えたかったんだ』


 私の言葉に被せるようにして流れたその音声に、どうしようもない疎外感を感じながら、私は傾聴した。


『この先、零香がやらなきゃいけないことはない。装置の起動者だって分からないようにしているからね』


 お父さんは優しく微笑んだ。


『零香にコアを渡したこと。あの判断が正しかったのかは、正直今でもわからない』

「……でも、あのときはそれしかなかった」


 蚊の鳴くような小さな声で私は呟いた。

 それは自分に言い聞かせていることでもあった。私が今ここに居るのは、間違いではない。そう証明するために。


『もう、零香が自由で何もしなくていいと許可することすら、ただのネグレクトなのではないかと思えてしょうがない』


 実際、自由と言われても、正直何をすればいいのか検討もつかない。もし元の生活に戻れたとしても、私はこの先どうやって自分の命を紡いだらいいのか分からないのだ。


「……というか、もう普通に死にそう。疲れた」


 思考がそのまま言葉となって漏れる。


 全身がだるい。力が入らない。

 巻いてもらった包帯からは前より赤い血が滲んでいる。なのに痛みは引いていて、感覚が鈍くなっていく。


 背筋が冷えていくような、地に足がついていないような、不思議な浮遊感が私を包んでいく。


『でも、これだけは言いたい』


 息を吸って、お父さんはそう言った。


『私の頼み事を果たしてくれて、ありがとう。愛してるよ』


 ふっと笑ったお父さんに、私も笑みを返す。

 すると同時に、私のお父さんは、ふっとその姿を消してしまった。


 立ち上がる気力も湧かなくて、両親の作ったこの機械に寄り掛かる。

 一度、周囲の音に耳を澄ましてみると、周囲はずいぶん静かになったように感じた。


 これは単に私の聴覚に異常が発生している、というわけではなく、周囲の無人兵器群が動かなくなったのもあるのだろう。

 デウスエクスマキナの主作用とも言える、暴走した無人兵器からのウィルスを除去は、正しく機能したようだ。


 また、今目の前で植物の苗が植えられていることから、この辺りに自然環境を作る機能も存在しているらしい。


 そういえば、両親――特にお父さんは『デウスエクスマキナ周辺に自給自足できるだけの自然環境を作る機能も入れたい』と言っていたはずだ。これは、それの一環なのだろう。

 昔から、お父さんは理想主義者だった。無人兵器が停止した後のことも考え、人々を最善の環境へと導くために行動していた。


 そのせいで起動が間に合わなかったことを考えると、滑稽と言えるのかもしれないが――私はそうは思えなかった。お父さんは、最後まで自分の信念を貫き通したのだ。それは、とても立派なことのはずだ。


 それで、私もお父さんの理想の実現を手伝うことができた。


 それだけで、十分だった。

 ああ、最後に言わなきゃいけないことが一つあったな。


「お父さん……私も、愛してるよ」


 もう、休もうかな。疲れたし、動きたくない。


 ゆっくり瞳を閉じる間に、優しく微笑む私の両親の姿が見えた、ような気がした。


 ◇


「裕介! すまん、こっち頼むぜ!」

「はいよ〜!」


 平和になった世界で、俺はずいぶん忙しくなっていた。

 かつてミスト研究所と呼ばれていた場所の周囲には、豊かな植生が広がり、この周囲に住む人間は少なくとも戦いとは遠い場所で生活できている。


 とはいえ、全く戦闘がないわけではないが。


「かみさんの上の方の掃除がまだでな。昇降リフトをスムーズに動かせんのはあんたくらいだから、頼んだぞ」

「了解ですっ」


 ミスト研究所で使われていた、移動式の昇降リフトに乗って、かみさん――『デウス・エクス・マキナ』の上部の掃除をする。

 まさか『機械仕掛けの神』が、本当に『神』の名前で呼ばれることになるとはな。


 まあ、『神様』だと宗教くさいから、かみさんという軽い呼称にはなっているが。


 一通り掃除を終えてから、下に降りる。

 少し遠い場所からかみさんを眺めて、自分の仕事の満足度に浸る。


「助かった! すまんな、こんな簡単なこと頼んで」

「まあまあ、大事なことですからね」


 愛想笑いで返す。


「それじゃ、ありがとな! 俺は別件があるからそっち行ってくるわ!」


 この集落の村長的な立ち位置の彼を見送り、俺はかみさんの裏手に回った。

 そこには、一つ墓があった。


 ……俺が白銀の兵器と戦った後、俺は負けたはずだった。防具のおかげで深い傷は負わなかったが、もう体力が持たなかったため、戦闘の最中に気を失ったのだ。


 それなのに、なぜか俺は今こうして生きている。

 それはひとえに、このデウス・エクス・マキナの起動の影響で、あの白銀の兵器が停止したからだった。


 ――目覚めた後、あの兵器が、瓦礫から俺を守るように覆いかぶさっていたのは、たぶんただの偶然だ。鈴鹿の意思なんて、あの兵器には存在しないはずだから。


 ともかく、そうして一人生き残った俺は、零香を追うようにあてもなく歩いた。


 しばらく周囲を探し回った結果、見つかったのは彼女の遺体だった。

 美しい太陽の光に照らされる中、ひどく幸せそうな顔をして、この機械に寄りかかっていた。綺麗な顔をしたまま、心臓の鼓動が消えていた。


 そのとき、彼女の眼前に生えていた、ひとつの小さな新芽を見て、妙に寂しさを感じてしまった。


 まるで、彼女を踏み台にして、この先ここで新たな文明が開花することを示唆しているようで。

 そして、俺の予想は見事にあたり、今ここには平和な集落が築かれているわけだが。


 小綺麗に掃除された墓の前に座り、俺は一つ息を吐いた。

 となりにある水のペットボトルを開け、日課の墓掃除を済ませる。


「……最初にキミを見つけたとき、まるで二人目の娘を失ったようだったよ」


 それは、彼女を見つけるその時までは、ただの自身の娘の投影だったのだろう。


「でも、俺は多分、キミと居たらその先もずっと、キミに鈴鹿すずかを投影していたと思うんだ」


 もう会えないことを理解して、自分自身の過去ときっぱり決別したことで、俺は今こんな風に前を向いて生きることができている。

 零香は『俺の娘のような人間』だっただけであり、全くの他人だ。


 そして、一人の他人として、俺にとってとても大事な人間だった。


「できれば、キミには生きていてほしかった。でも、同時にあの時キミと道を違えたのは、間違いなく必要なことだったと思うんだ」


 だからこそ、ここで贈るべきは謝罪の言葉でも、別れの言葉でもない。


「ありがとう、零香。俺は、この先もキミを連れて生きていくよ」


 もちろん、鈴鹿も一緒に、ね。

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終末、救いたいんだと思います 空宮海苔 @SoraNori

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