第2話 尾張国


シナリオ1 都鄙一和(1483年1月)

岩倉城  織田伊勢守家 当主 織田寛広(従属→斯波氏)

津島   一色氏?

清洲城  斯波武衛家  当主 斯波義寛

於田井城 斯波武衛家  城主 織田敏定(織田大和守家)

緒川城  水野氏    当主 水野貞守

〇独立勢力 尾張一色氏 当主 


年表

1478年、一色氏が三河を放棄。

1483年、斯波氏が朝倉氏景と和睦。越前の回復を事実上断念する。


コメント

 斯波義敏が出家したのは1485年ですが、在地して実務を担っていたのは義寛のようですので、義寛を当主としました。

 織田伊勢守家は、1481年に斯波義寛に帰順を示しているようですが、一応独立した勢力であり、従属状態としました。

 一方で、織田大和守家は斯波氏の家臣扱いです。於田井城の城主となっているのはゲーム上の都合です。

 応仁の乱以前は海東郡・知多郡は一色氏の勢力だったみたいですが、この時代の状況は良く分かんないデス><

 水野氏は、かつて知多郡に領した小河氏の末裔。1360年、当主の小河正房が土岐直氏に敗れ、戦死して没落しました。しかし、知多半島の一色氏の勢力が衰退すると緒川城と刈谷城の2カ所に拠点を置きます。

 尾張一色氏は一色氏の庶流で、大野城を拠点としていたようです。この時代の当主は分かりません。一色氏勝っていつ頃の人でしょうか?


シナリオ2 早雲の国盗り(1495年1月)


岩倉城  織田伊勢守家 当主 織田寛広(従属→斯波氏)

津島   一色氏?

清洲城  斯波武衛家  当主 斯波義寛

於田井城 斯波武衛家  城主 織田敏定(織田大和守家)

緒川城  水野氏    当主 水野賢正

〇独立勢力 尾張一色氏 当主 


年表

1487年、将軍義尚による六角征伐(長享の乱)

1487年、水野貞守が没する

1491年、将軍義材による六角征伐(延徳の乱)

1493年、明応の政変

1494年、細川政元と連携関係にあった駿河守護・今川氏親が遠江に侵攻を開始。


コメント

斯波氏は、六角征伐の総大将を務め、幕府に貢献することで越前の回復を目指して、いい所まではいったようですが、最後は明応の政変で、将軍義材が失脚。目的は叶いませんでした。しかも今川氏の遠江侵攻が開始され、もはや越前にかまっている余裕もありません。

1495年は、美濃で船田合戦が勃発。

石丸利光と姻戚関係にあった織田大和守家の織田敏定・寛定父子は、石丸方で参戦、織田伊勢守家・織田寛広は斎藤方で参戦することになります。

石丸方には、近江の六角氏、伊勢の梅戸氏。

斎藤氏には、伊勢の長野氏、越前の朝倉氏、近江の京極氏。


シナリオ3 永正の錯乱(1507年7月)


岩倉城 織田伊勢守家 当主 織田敏信(従属→斯波氏)

津島  一色氏?

清洲城 斯波武衛家  当主 斯波義寛

於田井城 斯波武衛家  城主 織田達定(織田大和守家)

緒川城 水野氏    当主 水野清忠

〇独立勢力 佐治氏   当主 佐治宗貞


1495年3月、美濃で船田合戦が勃発。

織田敏定が7月、布陣中に死去。9月にはその子・寛定が討ち死。

12月には美濃守護代・斎藤妙純とその嫡男・利親が死亡。

1500年頃、斯波義寛、信濃守護・小笠原貞朝、関東管領・上杉顕定と結び、今川挟撃を目論む。

1503年頃、織田大和守家・織田達定が家督を継ぐ。

1504年頃、織田寛広没す。


コメント

 織田伊勢守家の当主は、大和守家の一族・織田敏信に移る。

 強力な同盟者であった美濃守護代・斎藤妙純を失い、衰退。

 1537年に出てくる織田広高が寛広の子とも言われるけれど良く分からない。

斯波氏の当主は相変わらずの義寛。

 しかし、織田大和守家では、応仁の乱で活躍した織田敏定が死去、さらに嫡男の寛定が討ち死。弟の寛村も1503年頃には隠居または死亡している。

 時期は不明だが、水野家の当主も水野清忠が継いでいる。

 同じく知多郡の独立勢力は佐治氏、元々一色氏の家臣で、没落した主人に代わって知多半島西部を支配する。3万石ほどを領したらしいです。


シナリオ4 一文字三星(1523年7月)


岩倉城  織田伊勢守家 当主 織田信安(従属→斯波氏)

勝幡城  織田弾正忠家 当主 織田信定(従属→斯波氏)

清洲城  斯波武衛家  当主 斯波義統(傀儡)

     織田大和守家 当主 織田達勝(支配→斯波氏)

那古野城 今川氏    城主 今川氏豊

緒川城  水野氏    当主 水野忠政

〇独立勢力 佐治氏   当主 佐治宗貞


年表

1511年、斯波義寛が亡くなり、子の義達が家督を継ぐ

1513年、織田達定が斯波義達に殺害される。

1515年、斯波義達が今川氏に大敗。子の義統が家督を継ぐ。

永正年間(1504年から1521年)に織田信定が勝幡城を築城。

1517年、織田敏信が亡くなり、信安が家督を継ぐ。


コメント

 織田伊勢守家は信安に代替り。

 斯波氏は、今川氏に大敗。遠江を完全に失う。傀儡化とさせていただきました。

 実権を握ったのは、織田大和守家ですが、遠江侵攻に反対した織田達定が斯波義達に殺害されており、幼い達勝は、三奉行の補佐を受けています。

 三奉行の一である織田信定が勝幡城を築城(本城の変更:津島→勝幡城)

 また、今川氏が那古野城を築城(本城の変更:於田井→那古野城)。

  今川氏豊が城主として入ります。今川氏豊は、かつては氏輝の弟とされていましたが、そうではなく庶流の出とも言われています。今川氏の庶流であり、尾張を拠点としていた那古野氏の養子となり、那古野城主となりました。

 水野氏は中興の祖、忠政に代替わりしています。



シナリオ5 美濃の蝮(1534年1月)


岩倉城  織田伊勢守家 当主 織田信安(従属→斯波氏)

勝幡城  織田弾正忠家 当主 織田信秀(従属→斯波氏)

清洲城  斯波武衛家  当主 斯波義統(傀儡)

     織田大和守家 当主 織田達勝(支配→斯波氏)

那古野城 今川氏    城主 今川氏豊

緒川城  水野氏     当主 水野忠政

〇独立勢力 佐治氏   当主 佐治為景


年表

1526年から1527年頃、織田信秀が父・信定から家督を受け継ぐ。

1529年、松平清康が尾張に侵攻し、春日井郡・品野城や、愛知郡・岩崎城を攻略。

1532年、織田達勝と小田井城の織田寛故が織田信秀と争う。後に和睦。



コメント

 織田弾正忠家の当主は織田信秀に代替わり。織田弾正忠家の飛躍を楽しむならこのシナリオから!

 佐治氏は佐治為景に代替わり。

 

 

シナリオ6 信長元服(1546年1月)


岩倉城  織田伊勢守家 当主 織田信安(従属→斯波氏)

勝幡城  織田弾正忠家 城主 武藤雄政

清洲城  斯波武衛家  当主 斯波義統(傀儡)

     織田大和守家 当主 織田達勝(支配→斯波氏)

古渡城  織田弾正忠家 当主 織田信秀(従属→斯波氏)

緒川城  水野氏     当主 水野信元

〇独立勢力 佐治氏   当主 佐治為景


年表

1535年、森山崩れ。

1538年、信秀、今川氏豊の居城の那古野城を謀略で奪い取る。

1539年、信秀、古渡城を築き、居城とする。

1540年、第一次安城合戦。

1542年、美濃守護・土岐頼芸と子・頼次が、斎藤道三によって尾張へ追放される。信秀は頼芸を支援し、大垣城を奪う。

1542年 第一次小豆坂の戦い。信秀、今川義元に勝利。

1544年 加納口の戦い。信秀、斎藤道三に大敗。


コメント

 信秀の破竹の勢いも衰え、国内外の敵を相手にどう立ち回るかが問われるシナリオ。開始数年後には信長へと代替わりし、尾張統一を目指します。

 


シナリオ7 桶狭間の戦い(1560年7月)


犬山城   織田家     城主 池田恒興

〇独立勢力 犬山織田家   当主 織田信清(従属→織田家)

勝幡城   織田家 

〇独立勢力 服部党     当主 服部友貞

清洲城   織田家     当主 織田信長

鳴海城   織田家     城主 佐久間信盛

緒川城   水野氏     当主 水野信元(従属→織田家)

〇独立勢力 佐治氏     当主 佐治為景(従属→織田家)


年表

1547年9月、信秀、岡崎城を攻略。

1548年、犬山城主・織田信清と楽田城主・織田寛貞が謀反を起こす。

同年、織田信友が古渡城を攻撃。

同年、信秀、道三と和睦。信長と帰蝶(濃姫)との婚姻が決まる。

同年、信秀、末森城を築く。古渡城が廃城(本城の変更:古渡城→末森城)

1549年、第三次安城合戦。

1550年、知多郡の水野信元が降伏。

1551年12月、愛知郡鳴海城の山口教継が今川方につく。

1552年3月、織田信秀、死去。(本城の変更:末森城→那古野城)

1552年、織田信友が信長に敵対(萱津の戦い)

1553年、平手政秀が自害している。

同年4月、正徳寺会見

1554年、村木城の戦い

同年7月、尾張守護・斯波義統が、坂井大膳らに殺害される。

同年同月、安食の戦い。

同年、信長が清州城を奪取。織田大和守家の滅亡。(本城の変更:那古野城→鳴海城)

同年11月、清州城主・織田信光が暗殺される。

1556年4月、斎藤道三が子の斎藤義龍との戦いで敗死(長良川の戦い)

同年、織田信勝が反旗を翻し挙兵(稲生の戦い)。

1558年、信勝が再び謀反を企てたため、信長は、信勝を殺害。

同年7月、信長と犬山城主・織田信清が織田信賢を撃破(浮野の戦い)。

1559年、岩倉城陥落。織田伊勢守家の滅亡。

1560年5月、今川義元が尾張国へ侵攻。(桶狭間の戦い)


コメント

他の織田一族を滅ぼし、桶狭間の戦いで勝利し、信長が尾張をほぼ統一。


シナリオ8 信長包囲網(1570年7月)

 


シナリオ9 本能寺の変(1582年7月)

 


シナリオ10 文禄の役(1592年1月)

 

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自作ボードゲーム:戦国ジェネレーション・シナリオ編 影咲シオリ @shiwori_world_end

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