破壊と創造

第15話

 徒歩での長い旅というのは、苦労が絶えない。

 雄大な草原が地平線の彼方まで広がる。セントラル平原北部の平地は山に挟まれ、その山は長々と連なり、どこまで繋がっているかも見えない。そんな景色に感嘆の息を漏らしていた。

 しかし、そんな景色も最初の1時間ほどで飽きてしまい、今度はアヤと話をしながら歩いていた。


「本当にごめんね、私に付き合わせちゃって。アヤだけならすぐ着きそうなのに」

「そんな一人旅より、こうやって旅する方が楽しいからさ!」

「そう言ってもらえると、少し助かるわ。でも少しだけ休憩いいかしら。もう1時間くらい歩きっぱなしで疲れちゃって」

「それならほら、あそこの倒木で休も?」


 彼女は50mほど歩いたところにある、木のようなものを指差す。あそこまでなら、と思った俺もだらだらとそこを目指して歩みを進める。

 倒木かと思っていたそれは、木の根だった。大きくも逞ましいその木の根は、都合よく座るのには適した形をしていて休憩するのにぴったりだ。

 ずっしりとした荷物を持って歩くのは苦痛だった。テレワークになったのもあってか、体力はかなり落ちていた。この世界に来てからも適度に運動していたつもりではあったのだが、そうでもなかったようだ。

 会社への毎日の通勤というのは、案外いい運動になっていたのだろう。楽なことばかり考えて自分の身体が疎かになっていたことを反省した。


「アヤってさ、すごい体力あるわよね。何か秘訣でもあるの?」

「んー……あんまり考えた事ないかも。ホープタウンにいた時は少し訓練してたよ? でもそれくらいかな」

「2週間の訓練だけで……? でも私も帰ったら、参加して体力つけなきゃね」


 休憩を終え、再びホープタウンへと歩み始めた。

 長時間話していたせいか、話題も尽き、喉も渇く。終始無言で歩いていた。


「もう日が暮れそう……麓までヒカリは頑張れそう?」

「う、うん。が、頑張るわ……」


 アヤは俺を見捨てる事もなく、優しく付き添ってくれていた。

 麓の、木の生い茂る林が見えてきたところで、彼女は野営の準備をすると言い残し、先に駆けていく。俺はヘトヘトになりながら、彼女の後を追う。


「今から山入るのは流石に危険だからね、今日はここで一夜明かそ」


 そう言うアヤは、少し大きな、葉のついた木の枝を手に持ち、落ち葉を軽く掃いて寛ぐスペースの準備を済ませてくれていた。


「あ、ありがとう。私はじゃあ木の枝集めてくるわね」


 一度座ってしまえば、立ち上がる気力などなくなる。そう思った俺はパンパンになった太腿に鞭を打ち、焚き火になりそうな木の枝をかき集めて火を起こす。魔法で火を付けるのは"慣れ"ている。パチパチと軽い音を立てて燃える焚き火は、見ていて本当に心が落ち着く。

 アニメやゲームなどで、都合よく開けたところで野営をすると言うのはよくある場面だ。しかし、それが実際では彼女のように整えたものだとするのなら、本当に都合の良い場面しか映してくれていなかったのだな、と思い嘲笑った。

 アヤの対面に座る。暖かい焚き火と正面に見える背の小さな彼女を眺めていると、心が安らいだ。街からここまで半日以上、ただ歩いただけで1日が終わる。以前の俺だったなら、このような日を、"何もしていない日"と思って進展のない今日を、嘆いただろうか。


(働いて、寝て、起きたらまた働いて……心が擦り減ってたのかもな。今は、この生活が心地よい)


 ウトウトしていた。しかし、そんな俺をアヤは叩き起こし武器を構える。


「しっ、ヒカリ戦闘準備を。何か来る」

「て、敵襲?!」

「まだわからないけど……気をつけて」


 林の方から木の枝を踏み潰す音が響く。夜は、あらゆる音がよく聞こえる。しかし、それが近くの物音なのか、遠くにあるものが響いているのか判断出来なかった。

 身構えていたが、その足音は段々と早くなる。早くなった足音は俺の不安と恐怖心を掻き立て、気が気じゃなくなっていた。怖くて、思わずアヤの腕を掴んでいた。


「ヒカリ、離して。何かあったら動けないから」


 彼女の合理的な説明に、理解は出来るのだが、納得出来ない。この恐怖心で俺はどうにかなりそうだった。


「ヴィィィィィ!」


 恐怖のあまり、林から飛び出してきた"何か"に問答無用で魔法を唱えていた。


「〈氷槍フリーズランス〉!」

「――ヒカリ、ダメ!」


 止めるアヤの声。しかし、間に合わず放たれた魔法は"何か"に直撃する。


「待って欲しいでうす。敵じゃないでうす!」


 そこに居たのは、奇声を上げていた男だった。しかし、その口調はどこかで聞いた事ある気がする。


「ヒカリ! 無闇に魔法を撃っちゃダメ! あの人は多分、仲間なんだよ」

「ご、ごめんなさい! 本当にごめんなさい! 大丈夫ですか?」

「うん、大丈夫。全然生きてる」


 奇声を上げていた男は、俺の魔法をガードし無傷のようだ。その後、すぐに後ろから仲間であろう人が、林から、次から次へと出てくる。


「デウ大丈夫か?!」

「うっわ、一撃でバリア破れてる」

「ソウキのお陰で無事! 無傷! すごい!」


 合流した仲間は2人。しかし、その3人にはどこか懐かしさを覚えた。

 攻撃してしまった謝罪をすると、デウスと呼ばれる彼は快く許してくれる。あまりの恐怖で、手加減出来ずかなり魔力を注いでしまっていた。

ソウキの防御魔法が張られていなかったら、ただでは済んでいなかっただろう。本当に無事で良かった。


「なんか、ちょっとテンションが上がりすぎっちゃって。怖かったでしょ? 本当にごめんなさいでうす」

「まぁ普通に怖いわな。今回のはデウも悪いわ」


 一方的に容赦無い攻撃魔法をした俺に、彼らは優しく気遣ってくれていた。


「でも、本当にごめんなさいね。私ちょっと怖いものに耐性無くて」


 そんな話をしていると、後ろからぞろぞろと仲間らしき人たちが林から出てくる。

どうやら、ホープタウンからセントラルに向けて出発した一向らしい。13人の中に1人だけ、見知った顔がいた。黒髪ショートヘアの彼女だ。


「アキネ! どうしてこんなところに?」

「え?! ええっと……?」


 そういえば、俺は薬を使用した後に彼女と会っていない。そんなことも忘れて、はしゃいで声を掛けてしまった。


「ごめんなさい、改めて自己紹介するわね。私はヒカリよ。薬を使った後は初めてになるわね」

「え、え?! ヒカリさんってこんな美人だったんですね!」


 何度目だろうか、このくだりは。しかし、どこかその反応と言葉に心地良さを感じていた。

 久々に会ったアキネはどこか、やつれた様な印象を受けた。


「元気にして……はいなかったようね。それで、みんなでセントラルに何をしに行くの?」

「元気でしたよ! みんなで、あの街に働きに……というよりは、研修? 修行? になるんですかね。ボクは鍛治師を頑張ってみたくて。ヒカリさんとリンドウさんが用意してくれたチャンスだと思って頑張ります!」


 少しカラ元気に語る彼女。

 ――グゥー

 俺の腹の虫と言うのは、いつも空気を読まない。夜に鳴り響いたお腹の音は、そこにいるみんなにしっかりと聞こえてしまっていた。


「安心したらお腹空いたんだね、私たちは夕食買ってあるからいいけど……」


 静かなアヤの声。それは他の人には聞こえないように、小さく俺に囁く。


「そ、そういえば、みんなは夕食どうするのかしら?」


 恥ずかしさを堪え、話を切り出す。

 どうやら、彼らは野営用の食材や道具も支援されており、何人もの荷物の中に分けて収納していた。


「それじゃあ、みんなでここで一緒に野営しましょ? 私たちも街から携行食とか色々買ってるから、その具材も使っちゃって!」


 俺たちは鞄から街で買った食糧を次から次へと取り出す。俺の中では、そんな量を買ったつもりはなかったのだが、目に映る良さそうなものを買っていたので、2人が1日で食べる量を優に超えていた。


「結構多いかも……でもこれでみんなでパーっと食べちゃいましょ。料理は誰がするの?」

「俺がする予定です」


 そういって軽く手を挙げたのはソウキと呼ばれた男だった。彼に食糧を渡し、俺たちは、今度は2人分では無く、15人全員で寛げる野営地へと整える。15人となるとかなり広くなり、焚き火もキャンプファイヤーだと威張れるほどの、大きなものとなった。

 簡易的なテントを建て始めたところで、大量の食糧を必死に調理しているソウキが目に入る。大人数分の調理というのは、見ていて本当に大変そうだ。


「ソウキくん、だったわよね。私たちに何かお手伝い出来る事あるかしら?」

「いや、大丈夫。俺料理は得意なんで、だからゆっくりしてて」


 そういう彼だったが、少し心配だ。男は、こういう自分の得意だと思っている分野となると、なかなか"口では"助けを求めないものだ。俺も、かつてはそうだった。その経験が俺にはある。

しかし、本当はそういう時、助けがあるというのは本当に嬉しいものだ。

 どうにか、彼の手助けをしようと手をこまねいて様子を見ていると、アヤは食材を切っている彼の横にすっと立つ。


「私は、この食材を切ろう。切り方はスライスでいいな?」

「えっ、ああ、そうだけど」

「こう見えて私は野営には慣れていてな。あまり記憶は思い出せないのだが、こうして食材を切っていると、どこか懐かしく感じる」


 人見知りの彼女が、混ざっている姿というのは珍しい。況してや、今日会った人となると殊更だ。

 実は俺はあまり料理は得意では無い。自炊はしていたことはあっても、それはスマホを片手に、レシピ通りに作るだけ。その中でも、頻繁に作っていた料理、カレーやシチューのようなものは、レシピがなくとも出来はするのだが。しかし、ルーがないとなると話は別だ。

 今後の野営をする際に、手伝える事が一つでも増えるに越したことはない。俺も手伝おうと思うのではなく、料理に混ざって、これを機に料理を覚えてみるのも良いかもしれないと、そう思えた。


「私も、料理を覚えたいから教えてもらってもいいかしら」

「じゃあ、今からこれで出汁を取るから。水から入れて沸騰させてくんない?」


 先程彼が、綺麗に刻んだキノコが入ったざるを手渡される。大きな鍋に水を張り、キノコを入れ火をつけた。


「弱火でじっくりね。強火だとあんまり出汁が取れないから」


 彼からそう注意されたものだから、慎重に火加減を調整していた。


「ヒカリ、そういうときは一旦焚き火を崩してしまうのがいいよ」


 アヤからのアドバイスも貰い、しっかりとした弱火に。それを見てソウキもアヤの慣れたアドバイスに感心していた。


「へぇ、俺コンロ以外よく分かってないから、そういうのすごく勉強になる。焚き火でもちゃんと火加減出来るんだ」

「ああ、あとは丸太に切れ込みを入れてから火をつけ、コンロの様に使うことも出来る。ちょっと待っていてくれ」


 アヤは林に入り木を容易く伐り倒す。そして、それを手頃な大きさに切り持って帰ってきた。


「ソウキは武の適性はあるか?」

「いや俺は持ってないけど、デウさんとかケンさんは持ってるかな」

「であれば、その者らにこの様に斬ってもらうといい」


 アヤはゴツい丸太を、まるでチーズを切るかの様に、短刀の刃がスッと入る。中途半端に切れ込みを入れたところを見ると、彼は思い出したかの様に呟いた。


「スウェーデントーチ」

「なにやら名称が出るということは知っておるのだな。でも使った事まではなさそうだな。こうやって火をつけるのだ。ヒカリ、この切れ込みの中心に火を付けて」

「はいどうぞ」


 少しだけ、アヤが自分以外の誰かと話している姿を見ると嬉しく思う。その何処か不思議な感覚は、もしかすると親心のようなものなのだろうか。

 3人で15人分の料理を作るとなると、思いの外役割分担は簡単なものだ。つまるところ、俺は終始鍋をかき混ぜ焦げ付かない様にするだけ。具材や調味はソウキが都度入れ、何もする事はなかった。


「私、ずっと混ぜてるだけだったわね」

「実際それ、本当に助かってるからね。具材は俺とアヤさんで切り終わったから、こっちも後は炒めるだけだったし」


 淡々と話す彼は、嘘やお世辞などを含めた様な言い方ではない。ただそれが事実なのだと思えた。

 夕食はスープに炒め物に、それから少し小さなバゲット。大人数で食べる食事は、一人一人が大きな声で話しているわけではないが、とても騒がしく、そしてどこか温かい。

自然と料理した3人は同じ場所に集まり、食事をしていた。


「このスープ美味しいわ。塩は入れてなかったようだったけど、塩気が効いてて私は好き」

「なかなかいい腕前だ。これなら野営となっても食事を楽しみにできるな」


 アヤと俺は料理人の彼を褒めた。


「ヒカリさんたちが持ってた肉が塩漬けっぽかったからね。だからあんまり調味料入れてないんだよね」

「ソウキくんは、料理得意なのはやっぱ元の世界の仕事柄?」

「仕事にしなかったけど、そういう学校には通ってたね。ホープタウンでも料理作ってた。あそこの人、ほとんど料理は同じメニューばっかしか作れなくて、色々教えさせられたよ」

「でもソウキ殿の料理が広まったとなれば、期待は持てそうではあるな」


 普段はこういう会話に参加しないアヤも、今回は自ら話をしていた。


「私も時間があれば色々と学びたいところなのだが」

「俺らセントラルで働くからね。まぁ俺は多分冒険者として働いて、ブルジマさんに素材を渡すつもりだけど」

「料理人として働きに行くわけじゃないの? これだけ食材に合わせた料理作れるなら、お店開けそうなのに」

「ありがとね、そんな褒めてくれて。でもまぁ俺ら一応A級冒険者な訳じゃん。そっちの仕事で稼いでおかないと、あの人たちがダメだったら困るでしょ」


 みんなの事を考えているのは、なにもギルド長だけではなかった。個々でも、それぞれがみんなを案じているのだ。それがわかると、少し気が楽になった。

 そんな彼らを見ていると、少しだけ違和感に気がついた。あまりにも、見慣れた光景であったために、忘れていた事だ。


「あれ、確かみんな標準体型だったわよね?」

「そうだね、俺も戻った時は少し筋肉質な体してた」


 しかし、今目の前にある光景は、少しばかり太り気味な人や、隣に居るソウキみたいに細身な人。そんな人たちが入り混じっていた。顔もどこか整っていた気がしたのだが、崩れている人も。骨格がまだ変わって行っているのだろうか。


「ブルジマさんも前まで普通だったんだけど、ここ1ヶ月でどんどん、ふと……大きくなったね」


 ソウキは、しみじみと言った。

 体型の変化が起こっている。普通に生活していれば、当たり前な事なのに、まだ骨格から変化する可能性が残されているかもしれないと思えた。

 もしかしたら、俺もまだこれからも体が変わって男に戻る可能性があるのだろうか。


 ――まだそんな淡い期待を、ほんの少しだけしていた。



 騒がしい夕食を終え、各々の寝るテントを振り分ける。テントは5張り。1張りで3人が寝れるほどの大きさ。女性は3人ちょうど居たので、俺とアヤ、そしてアキネで使う事になった。


「女3人、本当にピッタリでよかった」


 アヤはホッとしたように呟いた。何か不安があったような言い方に少し気になる。


「そうね。でもピッタリじゃなかったら何か問題あったのかしら?」

「まぁ……男女で共に使用するとなると、色々と不都合な事があるでしょう?!」

「それが何か、って話を私はしているのよ?」

「本当にわからないんですか……?」


 アヤは、少し呆れたように俺の顔を見た。とてつもなく長い溜め息を吐く。そんな俺とアヤのやり取りを後ろで微笑ましそうに見て、ふふふと笑うアキネがいた。


「ヒカリさん、本当にわかってなさそうですよね。未だにこんな女の人いるんだぁ。ボクですら、その意味わかってるのに」

「私のことは、ヒカリと呼び捨てで良いわよ。私もアキネって呼んでいるんだもの。それにしても、一体どんな問題があるって言うのよ」


 今度は、俺が大きな溜め息を吐く。俺の中にもほんの少しだけ、その何かというのは浮かんではいるのだが、確信はない。

 何故ならそれは、"ありえない"と根本的に思っているものだ。男なら誰でもそんなあわよくば、なんてことは考える。しかし、それは"エロ本の世界"での話だ。

 彼女たちは、そんな幻想の話をしているような雰囲気ではない。

 もし。もしも、本当にそのような事が起こるのであれば、俺がそもそも童貞であるわけがない。俺の人生に於いて、過去に三度ほど異性と二人きりで一夜を過ごした事がある。しかし、その三度とも何事もなく、な朝を迎えている。

 この空想の出来事を、心配しているのかと彼女たちに聞いて、間違っていたら何より恥ずかしい。頭の中ピンクの人、というレッテルを貼られてしまったら二人にどのような顔をすれば良いというのだろうか。


「二人とも結局教えてくれる気はないの?」

「私は心配だよ、ヒカリ。こんな健気な乙女が擦れてしまうのは……」

「アヤさん、もしかしたらヒカリは本当に『アレ』かもしれないですよ。ボクは結構早かったけど、こんな美人な人でも"まだ"なんだね」

「確かに……ヒカリとずっと生活してたけど、そんな素振りなかった。てっきりしっかり隠しているものかと」

「二人してなによ。私そっちのけで盛り上がって。――少し寂しいわ」


 彼女たちは目を細めながら、二人でヒソヒソ話を始めた。その疎外感に少し嫉妬するものの、アヤがあれだけ普通に話せているのだ。少しくらい大目に見てもいいかもしれない。


「うう……寒い。私ちょっとおしっこに――」

「あ、それならボクも行きますよ」

「恥ずかしいから、付いてこられても」

「――ボクが教えてあげますよ」


 アヤには聞こえないように、立ち上がる際の流れるような動作の中で、俺の耳元に向けて囁く。その提案を、俺は断る事なく頷いた。


「じゃあ、ちょっと行ってくるから」


 そう言って離れる際、アキネとアヤは何かアイコンタクトをしていた様に見えたが、もしかしたら、それは俺の気のせいかもしれない。

 アキネの背は俺より低い。アヤほど小さい訳ではないが、恐らく160cm前後といったところだろう。並んで歩くとアキネと俺は、男女ではないがちょうど良い身長差だ。彼女は俺の右腕に抱きついて歩く。


「ヒカリって本当にスタイルいいですよね。すっごい羨ましい」

「そんなこと……あるかもしれないわね」

「あはは、そんな美人に言われちゃったら何も言えなーい。ボクにそんなルックスがあったらなあ」


 アキネの笑顔は、コンビニで会った時のような満面の笑みではない。どこか、ドス黒い感情を覆い隠すような不気味さがあった。


「あ、あそこの茂みとかどうです? ボクここで見張ってますから」

「全然何も聞かされてないし! 一体なんで付いてきたのよ」

「普通の連れションじゃないですか。よくある事ですよ」

「ふぅん。でも、ちゃんと後で教えて貰うわよ」


 少し離れた茂みで座り、用を足す。後ろにアキネがいると思うと少しドキドキして出が悪かった。

 女性になってもう30日以上は経つ。その間ずっと、こうやって用を足すのにも慣れてきた。しかし、まだ女というものには慣れていない。


「お待たせ。それで、二人はどんな問題があるって思っていたのよ」

「ヒカリは、そんななりしてセックスって知らないんですか?」


 先ほどまでの笑顔とは打って変わって、彼女は真剣な表情だ。

 この身体になって美人と褒められるが、それと同時に纏わりついてくる話。正直、俺はこの手の話題が苦手だ。なにせ恋人すらできた事ないのだから。全てが未知数で、あるのは漫画やアニメの知識だけ。


「も、もちろん知ってるわよ。でも、それが一体どんな関係があるというのよ。これだけ人目があるのだから、そんないかがわしい事なんて起きないじゃない」

「そうですか? ほらだってそこの茂み。人目ないじゃないですか」


 その言葉にどきりとした。まさか、外でそんなこと、と言葉にしようとするも、喉元から出てこない。


「みんな、共同生活になってプライベートなんてないから――」


 ぶっきらぼうに彼女は言った。


「ヒカリがなんだか可愛く見えてきちゃった。男ってのは、ケダモノってよく言うでしょ? アレって半分嘘だけど――もう半分は本当」


 先ほどまで丁寧な口調だったアキネは、いきなりタメ口で話しかけてくる。それは、同級生ではなく後輩と話すような口調でもあった。


「ヒカリは男を知らなさすぎだよ。でも、そんな容姿ならこれからどうせすぐに知る事になるよ」


 彼女の言葉に、「俺は元男なんだから、男の事はよく知ってる」

 と反論しようとしたが、グッと堪えて飲み込む。そんなことを言っても無駄だ。なにしろ証明する術がない。


「――男の人はそこそこ知ってるつもりよ。男の友達だっていたのだから」

「でも、その友達はケダモノにならなかったんだね、なんでだろう? ボクが男なら我慢出来そうにないかも」


 そう言って目を細め不敵に笑う。


「ねぇ、ずっと興味持ってたんだけど、ちょっと胸触らせてもらっていい? すごい大きいからどうしても気になっちゃって」

「え、ええ。いいけれど」


 彼女はその返事をもらうと子どもの様に、はしゃいだ。その様子は、男が女性の胸を揉めるという夢のような出来事に対する興奮ではない。ただ本当に興味に突き動かされたような、無邪気さがあった。


「どうやって揉むのかしら? ブラは取ったほうがいい?」

「え?! ええ?! そんなことまでしてくれるの!」

「アキネの好きなようにしていいわよ。――女の子同士なんだし」


 少し言葉に詰まりながらも、あくまでも女性同士のやり取りである事を付け加えた。


「ボク女同士でも触らせたくないんだけど……でも本当にいいなら触るね! そのままでいいよ」

「そうなのね。私は……あんまり気にした事なかったかも」

「本当に、なんか漫画みたいな女の子してるんだね――」


 彼女がぽつりと小さく呟いたのを、俺は聞き逃さなかった。


「おお……重い! ずっしりしてるね。肩凝ったりとかしないの?」


 アキネは俺の胸を下から持ち上げ重みを堪能していた。少し不思議なものだ。彼女から胸を持ち上げられているのに、胸の重みは減った気がしない。


「肩凝りねぇ。思ってたほど肩が凝る、なんてこと全くないのよね。姉が言っていたのだけれど、ブラのサイズがピッタリだと肩凝りしにくいみたいよ」

「え?! ヒカリのお姉さんもやっぱ美人で巨乳?」

「うん、私より背が高くて、美人で、巨乳ね」

「世界って広いんだー……会ってみたいな」


 彼女は今手に持っている胸を、少しだけヒカリの姉の存在に思考を巡らせているようだ。


「はい、もう満足したでしょ。おしまいね」

「あ……」


 少しだけ名残惜しそうにアキネは手の余韻を感じていた。しかし、どこか勝ち誇ったような表情を見せる。


「ヒカリは今のところ、男の人に胸を触らせたりしてないんだよね?」

「それは、もちろ――」


 頭にリンドウとモージが浮かんだが、すぐに掻き消した。あの事は、特に他意があったものではない。そう思い込む事にし、無かった事にした。


「――もちろんよ! そんな関係の人もいないし、いたこともないもの」

「それじゃあ、ボクは男たちに自慢できちゃうなー。あーこんな胸を触ったことがないなんて、男の人たちは可哀想」

「全く……もう」


 これが彼女の素なのだろうか。コンビニで見た時の印象からは、どんどんとかけ離れていっていた。


「アキネは、なんかだいぶ印象変わったかも、ね。もっと可愛らしいイメージだったわ」

「ボクとあのとき以外で会ったっけ? 男の人たちには猫被ってるから、そう言われるのは慣れてるけど……女の人に言われるのは、初めてかも」

「猫、被ってたんだ……」

「うん! 誰だってみんな、異性の前ではそうでしょ? 少なくとも意識している人の前なら、可愛く振る舞うよね」


 あの日、コンビニで出会った彼女は俺に猫を被っていたのだろうか。少しだけ女という生き物を理解したような気がした。

 二人はキャンプファイヤーのもとへと歩き始めた。街灯もライトもない夜道は、月明かりだけが頼りなのに、林の中はあまり照らしてはくれない。あの焚き火だけが、灯台のような道標になっていた。


「そうだ、ソウキさんが夜は白湯を作ってくれているから、寝る前に飲んでおくといいよ」

「白湯……ねぇ。試してみるわ」

「それじゃあボクはちょっと野暮用に。寝る時には帰ってくるから」


 彼女は、そう言って手を振り、俺たちのテントとは全く違う方向へと駆けていく。



 アキネから教えてもらった白湯を飲みに、先程料理をした場所へ向かう。そこには小さな丸太を椅子にし、毛布に包まって座っているソウキがいた。


「白湯が欲しいの? ちょっと待ってて」


 白湯と言われていたが、実際のところ少し違う。ぐつぐつと沸騰させたものを冷ますのだが、こちらのは水を入れ温度を調整したものだった。


「ありがとう。すごく温かい。…………うん、温度もちょうどよいわ」

「そう、ならよかった」


 その場で立って飲んでいると、彼は自分が座っていた木を軽く払い、「どうぞ、座って」と譲った。

「いや、私は大丈夫」と遠慮したが、彼はすぐさま次の椅子にする木を拾って隣に並べて置き座る。


「それじゃあ、お言葉に甘えて……」


 野営地に響く焚き火の音を聴いていた。昔、動画投稿サイトで、焚き火が燃える音が延々と流れるものを見かけたが、なるほど、これは需要があるだろうなと今では納得できる。

 この世界に来て、知った事が着々と増えていく。夜の空はこんなにも綺麗で、見ていて溜め息が出るほど美しい。

 しかし、それは元の世界でも変わらなかったはずだ。いつから夜空をじっくりと見る余裕が無くなったのだろうか。そんな事を考えていた。


「――あのさ、覚えてないかもしれないんだけど」


 隣の彼は、いきなり保険を掛けた言い方で尋ねた。


「多分だけど、ヒカリさんってさ、前会ったことあるよね」

「そうだったかしら……?」

「俺らが薬使ってたところを見てて、ブルジマさんが声かけた人。あの時、ヒカリって名乗ってたから。薬の期限が過ぎた後、街で俺探してみたんだけど見つからなくてさ」


 彼の話を聞いて、俺は漸くその記憶を引っ張り出す事が出来た。こっちの世界に来て、初めて街で知り合った人たち。どこか、あの特徴的な喋り方に覚えがあったのは、その時に知り合っていたからだった。


「――思い出したわ。どこかで聞いた事ある口調だったのはそういうことなのね」

「そうだね。デウさんがあの喋り方じゃなくなったら、俺でもわかんないかも」


 そんな他愛のない話をしていた。ダラダラと話してもちゃんと話を聞いてくれる彼と、ついつい話し込んでしまっていた。


「――それじゃあ、私はそろそろアキネを呼んで寝るわね」

「……アキネさんを? え、ちょっと待って!」


 彼は慌てて俺の裾を掴み引き止める。少し立ち上がりそうな勢いではあった気が、座ったままだった。


「え? どうして? そろそろ寝ないと――」

「あ、いや……アキネさんはあんまり責めないで、もし行くなら俺もついていくから」


 イマイチ話の核心が掴めないまま、彼女が向かったであろうテントの方へと近づく。

 ――その時だった。

 テントの中、声を押し殺してはいたが微かに聞こえた。小さな物音に混じる彼女の喘ぎ声が。

 その声はソウキにも聞こえたのだろう。それ以上近づかないように俺の服を強く掴む。そして、俺を少し離れた木陰の暗闇に誘導し、草むらに入り屈んで話を始めた。


「あのね、アキネさんからなんだ……その――」


 すごく言いにくそうに彼は口籠る。


「出発してから、俺にも声掛けられた。その……夜の野営のときに……溜まってるもの発散させないかって」

「――え?」

「俺たち今共同で生活してるから、その――1人でする事も出来ないから、それを発散させるって話で……」


 理解が追いつかなかった。彼の話を鵜呑みにしてしまったら危ないとは思いつつ、彼がそこに混ざっていない事や、それを知っている事。裏で口裏合わせていた可能性もあるが、急遽合流した俺たちのことは想定出来なかったはずだ。

 それにソウキはずっと一緒にいたし、アキネも野暮用と、用事があるような事も仄めかしていた。


「明日、俺の名前出してアキネさんに聞いてくれていいよ。そしたら、嘘じゃないってわかるだろうし」

「――本当に……?」


 彼の目をじっと見る。その目は嘘を言っているようではなさそうだ。が、時折たまに目線を下に動かし、何かを隠しているような気がした。


「なにか、言いたい事があるのかしら?」

「いや――」

「隠し事してるような、目の泳がせ方よ。白状しなさい。今ならなんでも疑わずに聞くから」

「その――ヒカリさん。その屈み方だと、がっつり見えちゃってるから……」


 その言葉を聞き、すぐに股を閉じる。彼はまだ隠し事があったわけでは無かった事に、少し安堵したが、それと同時に羞恥心が俺を襲った。

 たかだかパンツ。見られて何も恥ずかしいものはない。同じ形の水着は見せてるんだから。

男の俺の思考はそんな単純なものだった。しかし、実際に自分が女になって"見られる側"になると得体の知れない感情が頭に溢れ出す。その感情を無理矢理、男の俺の体験に置き換えるのなら『シャツに乳首が浮き出てる』という感覚に等しい。


「も、もう!」


 声を荒げた俺を彼はすぐに手で口を塞ぐ。


「ま、待って。ここだとまだ聞こえるかもしれないから」


 直情的に感情を露わにした俺を彼は、低く耳に響く、小さな声で嗜めた。彼も本当に咄嗟だったのだろう。慌てていた彼が、隠していたものが俺の足に当たる。それは彼がアキネのところに行く際も、そして今も頑なに立ち上がる事がしなかった理由でもある。


「あ、あ、ご、ごめんなさい……そ、そのね……あた、当たってる……」


 頭の中にある情報が散らかり、理路整然とは縁の遠くなった脳から引き出した言葉だった。彼はその言葉を聞き、少し身体を離す。


「いや、これは、まぁその」


 どうやら彼も同じらしい。しかし、彼は少しずつ開き直り始める。


「目の前に、こんな美人がいて、その人のエロいところまで見たら男はこうなるもん」


 彼のそのぐうの音も出ない真理に、俺すらも納得してしまう。

 しかし、この時の俺はもう頭がおかしくなっていたのだろう。アキネから言われた"男を知らない"という言葉や、テント内で行われている"ファンタジーAVや薄い本"のような展開。そんな出来事に脳を毒されおかしな事を口走ってしまっていた。


「――じゃあ……その私で発散する……?」


 その提案を彼は黙ってゆっくりと1回、頷く。

 自分でもどういう意図で言ったつもりかわからない。パンツなどを見せ興奮させて、自分でしてもらうつもりだったのか……いや、違う。私は今間違いなく、彼と致す事になるかもしれないという思いが、どこかにはあった。

 私は、屈んだまま上着を肌蹴させブラジャーの紐を解き放つ。自重よりずっしりと下に胸が沈む。そのまま首元からブラジャーを取り出し、彼に今着けていないことを証明して見せる。


「嫌だったら、無理しないでね。すぐ止めるから」


 その言葉を言い切る前に、彼の手が私の胸を服の上から掴む。絶妙な力加減で、ほんの少しだけ痛い程度に揉む彼の手は、その後人差し指で何かを探すようにまさぐる。しかし、その指は意地悪にも目的地にすぐに行かず、ゆっくりと何かをわざと避けるように弧を描く。

 初めはくすぐったかった。しかし、そのイジメに身体は徐々におかしな感覚を呼び覚ます。かつて経験したあの感覚。ゾワゾワとした心地の良い感覚。


「――ねぇ、舐めてみてもいい?」


 彼のその言葉は催眠術だった。操られるように、私の頭は縦に2回動く。その動きに呼応するようにローブはずれ落ち、乳首が辛うじて布を下にズレ落ちるのを妨げる。その最後の取っ掛かりを彼が優しく外した。

 裸の上半身を、男に見せるのは初めてだった。

 イケナイことをしている気になった私の耳元で、彼は再び催眠術をかけ直す。


「すっごい綺麗だよ」


 そんなクサい台詞なのに、より深く催眠術に掛かった。そして彼は漸く露わにした乳頭を両手の人差し指と親指で摘み、そしてその指で軽くコリコリと私を弄ぶ。不思議と、そこには気持ち良い快楽はなかった。ただただ、私の体の芯からじわじわと温めるような、準備運動だった。


「それじゃあ、本当に舐めるよ?」


 尋ねる彼は、その答えをわかっているかのように私の言葉を待つ事なく顔を寄せていた。


「……もしかしたら、汗臭いかも」

「それはそれで興奮するかも」


 彼の口が乳房に吸い付いた。そして、まるで私を恥ずかしめるように、鼻で大きく息を吸う。大きな乳房は彼の口には全然入らない。しかし、彼に吸われた乳房は彼の口の中で、彼の舌によって味わわれていた。次第に吸う範囲を狭めて待ちに待った……待っていたのかもしれない乳嘴を一点に吸う。その感覚を待ち望んでいたような気がした。

 予想と反して、快感はそこまでなかった。ただ、一心不乱に舐める彼はどこか愛おしさを感じ彼の頭を優しく撫でる。その余裕そうな私の姿に対抗心を燃やしたのか、彼は乳頭を転がしていた手を――下に回した。


「ん……ぁ」


 その声は、勝手に口から出た。


「うわ、すごい濡れてるじゃん」


 無邪気に言うその口調に、余計に恥ずかしくなる。


「う、うそ?! 待って――」


 止めようとする私の腕を掴み、愛液で塗れたショーツの上からクリトリスを撫で回す。

 その刺激は正しく快感そのものだった。次第にその快感は脳を汚染する。

 それはまるで、脳内に真っ白なインクがポタポタと落ちるような、不思議な感覚。それは少しずつ視界を滲ませ、段々と体の感覚を狂わせていく。


「おっと、危ない。もう立てなさそうだからすぐ後ろの木に寄りかかって」


 彼は紳士のように私をエスコートする。木に寄りかかるようにすると、少しだけ踏ん張りが効くようになった。しかし、立ったまま彼は続けて私に命令する。


「じゃあ、パンツ脱いで。もう相当濡れてるからさ。ちょっと自分で見てみてよ」


 私は黙って彼の言う通りにした。ショーツの上から触って見ると粘ついた液が手につく。しかし、それはおしっこを漏らしたような濡れ具合だった。


(全然、感覚ないのね……濡れてるかさえ気が付かないなんて、ね)


 ショーツを脱ぐと不快な粘り気がショーツと私の局部を繋いでいた。少しするとその糸は切り離される。それはもうそこを鈍らせていたものがなくなったことを示していた。

 ぐっしょりと濡れたショーツをローブのポケットにしまう。普段からいい気はしない。しかし、その後の待つ快楽が、頭を支配してどうでもよくなっていた。

 そんな期待通りに彼の指は、私のクリトリスをいじめ抜く。直接触られる感覚は、ほんの少しだけ刺激が強い。脳内により大きな白いインクが落とされる。ぽたり、ぽたりと。それに呼応するように、口から喘ぐ声が漏れる。

 まさに快楽に溺れかけていた。脳内を汚している白いインクが埋め尽くそうとしたとき、異変が起きた。

 ――中に何かが入ってきたのだ。

 それは、間違いなく、細いがしっかりとした節を持つ彼の指だった。温かい悪寒のような不思議な感覚。明らかに体内に異物が入り込んでいく、体験したことのない感覚。怖さと、気持ち悪さの中、ほんの一握りだけ快感があった。

 呼吸がし難い。大きく息を吸い込んでも、脳へと酸素が回らない。その感覚をなんとか慣れようと必死だった。しかし、そんな私に追い討ちが掛けられる。

 二本目の指。それは容赦なくその狭い穴へ入り込もうとする。引き裂かれるような痛みが私を襲う。


「――痛い痛い痛い!」


 激痛に耐えられなくなった私は彼の腕を力尽くで止めた。顔を歪めて汚い顔になった私の顔を見て、きっと彼は幻滅しただろう。しかしなりふり構うほどの余裕は私にはなかった。


「もしかして、ヒカリさんって――処女」


 昔ネットで見た事がある。男性に相手が処女であれば嬉しいか、という質問。答えを見ることはなかったが、彼の表情からして実際は多くはないのだろう。そんな気がする。


「黙ってて、ごめんなさい」

「いや、こっちこそごめん。何でそんな簡単に処女捧げようとしてたの?」

「ご、ごめんなさい。だってソウキくんも溜まってた訳だし……発散させるの手伝ってあげたくて」


 息を吐くように嘘を吐く。


「いや、嬉しいけど無理しないで」


 そう言う彼の顔には、どこにも嬉しさが見られない。きっと彼は内心、発散する事が出来なくてがっかりしているのだろう。社交辞令を並べて相手を傷つけないようにしてくれているのだ。


「で、でも手でやる……から。このままじゃ私だけやってもらっただけじゃない」


 どうにか挽回しようと必死に彼の肩を掴む。手でするのは、まだ得意なはずだ。俺もこれまで、処理してきたのだから、出来ないわけがない。

 彼を押し切る形で得た、挽回するチャンス。緊張で手が震える。もしこれで満足させられなかったら、そんな不安が身体を硬直させた。


「た、多分大丈夫だから……」


 不安で自分の心臓の鼓動の音が、聞こえるほどに大きく脈打つ。辛うじてまだ勃起をしている彼の肉棒。服の上から感触を確認する。チャックはなく、ゆっくりと彼の衣服を下ろした。

 彼の陰茎は、まだ本調子ではない。先程の動揺が元気をなくさせたのだろう。俺は、これまで他人のちんこを触った事がない。よく男子同士でじゃれ合いのようにふざけて触ると言った、遊びもやったこともない。正真正銘の体験がそこにあった。


「――い、行きます!」


 思わず出た言葉。握った瞬間、温かい熱が掌に伝わる。しかし、少し元気だった海綿体はみるみる力強さを失っていく。


「あぁ……! が、頑張って!」


 彼は、手で顔を覆い笑っていた。次第に萎んでいく彼の局部に、オロオロとしてしまっていた俺に、優しい声色で話しかけてくれる。


「本当に、そんなこと言う人いるんだ。なんか本当に可愛すぎて、見る目変わっちゃったかも」

「ど、どうしよう。どうしたら勃つ?」


 元男の俺が聞く質問ではない。そもそも、俺自身も、ある程度"オカズ"で勃たせた上で始めるのだ。萎んだ状態から勃たせるなど、想像がつかない。

 とある"教材"でこの状態から元気にさせている動画があったのを思い出した。

 ――その動画では、舐めていた。

 ひたすらに舐めて、元気にさせる方法。30日振りに握る男の象徴。俺は果たしてこれを舐める事が出来るのか。――無理だ、俺には出来ない。脳の何処かでそれを拒絶してしまう。


「うーん、じゃあさ。また胸を舐めさせて? 多分それで何とかなるから」


 と彼は提案する。彼の顔を見つめ、小刻みに二回、頭を縦に振る。地面に座っている彼の足に跨り、顔の前に胸を持っていく。そのとき、彼のペニスは大きく脈打つ。まだ胸を舐める前だというのに、海綿体が元気を取り戻す。

 掌に、彼の脈が伝わってくる。そして、次第に膨らみ包んだ手から芽が飛び出した。


「あ、あ! 大きくなった!」

「わざわざ言わないでよ」


 安堵で笑顔を取り戻した俺に、彼は少し恥ずかしそうに顔を胸に埋める。

 再び挽回のチャンスを得た俺は、大きく反る彼の男根をゆっくりと上下に動かす。少し肌寒いこの夜に、とてつもなく熱を帯びた"それ"はとても温かい。両手で包みこみ、その熱を堪能していた。


「唾とか垂らして貰ってもいい?」


 胸に吸い付いていた彼は、息継ぎのように口を開き言い、また乳嘴を舐めるのに戻る。


「つ、唾? 汚くない?」

「大丈夫。気にしないから」


 唾液を垂らすため、口の中の水分を集めようとしたが、こういう時に限って出なかった。本当に俺はいざという時に、台無しにしてしまう天才なのかもしれない。

 彼はすぐに、それを察してくれていたのかすぐに次の助け舟を出すように、クリトリスを触り始めた。


「んぁ……ちょっ、ぅ……」


 唐突に顔を出した快感に、思わず声が出る。流れるようにそのまま彼は、クリトリスを触りながらも、穴に指を入れ小刻みに動かす。


「ここから出るやつを付けて。今出させるから」


 彼の指は、膣内で暴れ回る。掻き回す度にお腹に伝わる存在感。彼の言葉に返事をすることなく頷く。――そのとき、彼の指が最奥をつつく。

 それは、脳の中にある快感神経を直で触るような激しい刺激。それでいて、心地よい。一生感じていたい刺激が脳を支配する。


「そ、そこ……もっと……」

「奥気持ちいい?」


 返事をしないと、彼は奥を触るのを止める。意地悪な人だ。


「ツンツンされるの好き、だからもう少し……」


 彼はその言葉に満足したのか、再び節の太い指は最奥をつつき始めた。それと同時に彼のペニスは、最大の肥大に到達した。それはかつての自分のものより遥かに太い。しかし、表面の水分は既に蒸発し、液を必要としていた。


「ねぇ、私の唾じゃなくても、"ココ"の液でも……いい?」


 彼のペニスはピクリと一回、跳ねた。つまりそういう事なのだ。彼のに覆い被さるように、穴をその先端に口付けする。膣からダラダラと流れる液の感覚がする。止めどなく流れているのが、自分でもわかる。

 彼の先端が触れた時、私はこのまま入れれるような気になっていた。あれだけ掻き回され、拡げられた感覚があるのだ。受け入れられるはず。

 ゆっくりと腰を沈め、彼の先端が中に入る。が先端だけだった。次第にそこからどんどんと痛みが走る。それはまるで、口を無理矢理横に広げていくあの裂けるような痛み。せめて亀頭が入れば、と痛みを堪えながら沈めていく腰を、彼は優しい声で止めた。


「まだ、半分も入ってないから止めようか。大丈夫、今度は時間かけてやろう」


 彼の"今度"という言葉に、また今度があるのだ、という安心感で諦める事に踏ん切りがついた。


「ごめんなさい……」


 そういう私の頭を、彼は軽く撫でてくれた。

 腰をどかし再び彼のペニスを握ると、ヌメヌメとした愛液が表面を纏っていた。その潤滑油は彼のをしごくのに適していて、滑らかに手が上下に動く。右手で彼の竿を擦り、左手の掌で彼の亀頭を包み摩るように刺激を与える。


「やばい、それ気持ちいいかも」


 息を少し荒げた彼の反応は、どこか可愛く思えた。咄嗟の機転で使った左手が功を奏したのだろう。自分でやったことはなかったが、なんとなくそうやった。


「ーーっイキそうかも…」


 彼の射精が近いことを告げられたが、受け止めるティッシュが存在しない。慌てて探すと、先程ポケットにしまった、ぐっしょりと濡れたショーツを手に取る。それをティッシュのように被せてやれば、少なくとも飛び散ることはないはずだ。

 被せたショーツに彼は少し興奮したようだ。彼のペニスは正直に鼓動を速めていた。彼は、最後の悪足掻きのように再び、私の局部を乱暴に触り始める。私が漏らす声は、興奮剤のように彼の海綿体を極限のように硬くし――遂に彼は絶頂を迎えた。

 彼の精子は私のショーツの中にキッチリと受け止め、飛び散ることはなかった。ピクピクと激しく痙攣する彼の一物。

 沈黙が二人を包む。その空気に耐えられなかった私は、少しだけ馬鹿な話を振って沈黙を無くそうとしていた。


「このショーツ履いたら――妊娠しちゃうかな?」


 ピクリと、彼の"息子"が応えた。


「汚して本当ごめん! そこまでしなくてよかったのに」

「飛び散っちゃったら、バレちゃうから……だから気にしないで」


 手にべっとりとついた精液に、少し嫌悪感があったものの、顔に出さないように心がけていた。


「スッキリ出来た?」

「ああ、うん。出来た。ちょっと手を洗うお湯用意するから、戻ろうか」


 彼に言われるがまま、立ち上がり膝についた土を右手で払った。彼の精液をたっぷりと含んだショーツを左手で軽く握り、後を追う。

 料理場で、お湯を吸わせた布で汚れたところを拭き取る。ショーツもそこで水洗いした。


「それじゃあ、私もう寝るわね、おやすみなさい」


 私は彼にそう言い残し、少しだけ逃げるように自分のテントへ戻った。アヤは静かに寝息を立てている。その横を静かに通り、自分の鞄から替えの下着と、ガリルに貰った石鹸を取り出す。


(臭いがひどくなる前に洗濯しとかなきゃいけないわね。ちょうどよく石鹸貰っていて助かったわ)


 E級依頼で受けた洗濯の手伝い。そこで覚えたやり方で、洗濯を済ませた。

 テントでローブに包まり、眠りに就こうとした時、私の双眸から止めどなく涙が溢れた。それは、止まることを知らず。また何故自分が泣いていることさえわからず。

 ――ただただ涙は川のように流れ続けた。





 目が覚めた時には、昨日の野営地は綺麗になくなっていた。残っているのは、盛大なキャンプファイヤーのように燃え上がっていた焚き火の跡だけだ。

 しかしそれもちょうど今、アヤがしっかりと始末しているところだった。


「アヤ、おはよ。みんなは?」


 彼女は俺が起きたのだとわかると、笑顔で朝の挨拶を返してくれた。


「おはよう。みんなは朝にはここを出発したよ。珍しくお寝坊してたから、起こさないでおいたの」

「朝って……今何時なの?」


 質問したのと同時に空を見上げる。日は高く昇ってはいたが、まだ真上に来るまでは少し時間があった。


「正確な時刻はわからないけど、多分十時くらい」


 彼女は優しい声で答える。寝坊したのにも関わらず、怒ることなく彼女は続けた。


「昨日は随分と歩いたから、疲れてたんじゃない? はいこれ、朝食のパン。食べ終わったら出発しよ」


 切れ込みの入ったバゲットを手渡される。中を覗くと、薄らとオレンジのジャムが塗られていた。出発の際に、街で買ったものだ。


「あ、ありがとう。ジャムまで塗ってくれて」

「どういたしまして。それにしてもヒカリは、食材を全部渡そうとしちゃうんだもん。私たちの朝ご飯と昼ご飯分くらいは残しておかないと」


 アヤは笑顔ながらも、眉は八の字をして言った。


「ご、ごめんなさい。でも、みんなで美味しく食べれたんだからいいでしょう?」

「もー。そんな顔をして言われたら私も怒れないよ。でも、お昼ご飯は二人分はないよ? どうする?」

「私は今から食べるから、お昼ご飯はアヤが全部食べていいわ。移動となったらアヤの方が頼りになるし」

「じゃあ、お言葉に甘えて」


 相談も終わり、いざ立ちあがろうとする。その時まで何故忘れていたかわからない、常識的な現象。

 ――筋肉痛。

 なんとまあ、本当にポンコツだ。辛抱しながら、筋肉痛の脚に鞭を打ち立ち上がる。その様子だけで、アヤはすぐに俺の筋肉痛を見抜いていた。


「もー、ヒカリはだらしないなあ。あんまり無理しないで、キツくなったすぐに言って。私が運ぶから」

「本当にありがとう。やっぱり持つべきものは友よね」


 そう言って自分の運動不足が原因なことを隠し、持ち上げる。その言葉は、これまでの処世術から咄嗟に出てきたものだった。しかし、彼女はその何気ない言葉を、反芻させるように口ずさむ。


「とも……友か……なるほど。なんともいい響きだ」

「むしろ今まで何だと思っていたのよ」

「共に旅をする仲間と、普通は思っているものでしょ」

「それもあるけど。仲間である前に、私たちって友だちになったものかと思っていたのよ?」


 俺は首を傾げ笑顔を向ける。彼女はその笑顔に応えるように笑顔を返した。



 麓の山道は緩やかな傾斜で脚への負担が少ない。そのため、アヤの手を煩わせる事なく登り続けた。

 途中、これまで登ってきた道を確かめるように景色を眺める。まだ麓から全然登れていないのか、見える風景はあまり変わらない。しかし、確実に見える景色は高くなっていく。

 確実に一歩一歩、街へと帰っているという実感が湧いてくる。


「ア、アヤ……少し休憩しないかしら」


 山道を2時間ほど歩いたところで、俺は休憩を求めた。


「それなら、あそこまで辛抱だよ。ほら頑張って」

「ほんとごめんね……頑張る」


 いつものユルズのような振る舞いをする余裕はなくなりつつあった。4コーナーを曲がるサラブレッドのように残った体力を振り絞り、彼女の指し示した場所へと向かう。

 ここまで2時間。平坦に近い傾斜を歩き続けた。しかし、今到着したここから先の道は、様子が打って変わっている。


「アヤ、ここから先は道がないけどどうするの?」

「ここの絶壁登るよ」


 彼女はそう言い、傾斜60度ほどあるであろう壁を指差す。何かの冗談だろうか。


「みんな、各々で街を出ないのは、この山を下れないからだよ。ここから出る体力をつけるために、基礎訓練からしてたってわけ」

「嘘よね? こんなの登れるわけないじゃない!」

「私もここから降りて来たし、多分あの人たちもそう。それにここって、山って言ってるけど結局大樹。木登りなんだよね」


 彼女は鞄を下ろし、中からバゲットを取り出す。少し千切って一口俺に差し出してくれた。


「私の分はいいのに……それじゃあ一口だけ」

「はい、あーん」


 彼女の差し出した手は、そのまま口元へと運ばれる。バゲットの切り口からはみ出したジャムが彼女の指へと垂れていた。

 ――俺は彼女の指ごと口に入れる。アヤは嫌がる様子はない。何事もなかったように、彼女はそのまま残りの自分のブレッドを食べ始める。本当にそれはなんて事のない。自分の行動を受け入れたようで、彼女へ想いがより一層強くなった――気がした。


「実際、ヒカリはここからはどうする? 頑張って登ってみる?」


 食事を終えたアヤが水筒を飲みながら言う。


「まずは自力で頑張ってみたいわね。何事もとりあえずやってみてダメそうだったら……お願いしようかしら」

「うん、わかった。でも無理はしないで、こういうのは適材適所だから」

「私には不向きって言いたいのかしら?」

「そうじゃないよ。ただ、不得手なものがあるからこそ、人って助け合いするものってだけ」


 小さな身体の彼女は、大きな身体の俺の腰辺りを叩いて鼓舞した。

 休憩を終え、ホープタウンを目指す。傾斜の一番急なところはロッククライミングのよう。高所恐怖症ではなかったはずだが、登っている最中に下を見ると臆してしまう。

 始めの30分。自力で30mほど登ったところで俺は早々にリタイアした。

 筋肉痛と、そしてその万全でない中の恐怖心が俺を押し潰す。


「まぁ、だいぶ頑張ったんじゃない?」


 アヤはそう言って、小さな身体で俺を背負う。

 見事な身のこなしで登攀とうはんする。

 途中、その上を歩けるほどの巨大な蔦が大樹に巻き付いていた。そこではアヤから下ろしてもらい、歩いて登る。最初こそ、彼女は息を乱す事なく登っていたのだが、次第に疲労が窺えるほどになっていた。

 休憩を何度も繰り返しながら、登った景色を見る。――もうセントラルは遥か下。ホープタウンはもうすぐなのだと、そう感じさせる。

 4度目の長い蔦を歩く。アヤが少し先を先行していた。振り返り、俺に聞こえるように叫んだ大きな声がこだました。


「夕暮れ前に帰り着けてよかった! 早くおいでよ!」


 ――久方ぶりのホープタウン。そこはゲームの時のような活気を取り戻していた。そこかしこに建設中の建物が見られ、まだ発展していくつもりなのだと知らしめているようだ。

 蔦から街の地面へと飛び移る。しかし、そこには街の門もない。まるで裏口だ。


「うお、まだこっち使ってる人いるわ。えっとどちら様?」


 少し驚いたように声をかけてくる人がいた。ここは訓練場だろうか、彼の片手にはロングソードが握られている。そして他にも同様に、何かしらの武器を持った人たちが打ち合いをしていた。


「私はヒカリ、そして彼女がアヤよ。二人ともギルド〈アーク〉の一員よ」

「おお、そうだったのか、なら俺も仲間だな。それにしてもここをよく登ってこれたな?」

「ここ以外にも道があったのかしら?」

「そうだな、表の入り口を下まで開通させたんだ。こんな急勾配を移動できないしな」

「そうだったのね、なら今後はそっちを使う事にするわ。それで、ギルド長の――ヴォーデンはどちらに?」

「……ああ、ギルド長なら――この時間はまだ会議しているかも。だから多分、ギルドハウスの応接間かな」

「ありがとう。邪魔しちゃったわね」


 彼は恐らく同じ〈アース〉出身の人なのだろう。なんとなくだが、〈キューリオス〉の人ではない気がする。

 ギルドハウスへ着くと、自分の部屋に戻る。

 会議の中なのだから、終わるのを待ってからでも遅くはない。自室に戻るのはいつぶりだろうか。出発する直前に支度する際に立ち寄った時以来。

 しかし、扉を開けて中を見ると自分の部屋は完全に侵食されていた。――おそらくヴォーデンとガリルに。


「まあ……私が使っていないのだもの。仕方ないわよね、少しでも休める人が多いのに越したことはないし」


 自分に言い聞かせるように呟く。使ってない部屋を自分のものだと主張し、他の人に使わせないというのは合理的ではない。言ってしまえばこれは災害中と変わらないのだ。みんなが住む家もない状況なのだから――と頭では理解しているのだが、どうしてか怒りが込み上げる。


「ヒカリ? 大丈夫? とりあえず一旦ここに荷物を置いて置くね」


 彼女は今の俺の心情を推し量ることはない。いつもであれば、察してくれていた――そんな気がしていた。彼女も人を気遣えないほどに疲れているのだろう。そう思い何事もないように頷く。

 分かってはいるのだが――どうしても、一言言ってやりたくなってしまった。借りているのだから、掃除くらいはして欲しい。


「アヤは、あれが私のベッドだから腰掛けて休んでいて。私はちょっと報告に行ってくるから」

「あ、ありがとう。でもこの部屋……男臭い」


 聞きたくなかった言葉を彼女は吐いた。それを聞かなかった事にしなければ、この怒りはアヤに向いてしまいそうだ。

 怒りを露わにしてしまわないように、ゆっくりと丁寧に部屋から出た。木をトンカチで叩くような、工事の音がそこかしこでする。普段の俺なら、この物音を発展してる証拠の音だとポジティブに捉えただろう。しかし、何故だか今の俺は、自分でも不思議なくらいに虫の居どころが悪かった。

 応接間の前の廊下はどんどん質素になっていく。出発する時には、ここに花が活けられ飾られていたはずだ。それに廊下を綺麗に見せていたマットも取り払われ、床には土汚れが付着していた。――恐らく誰も掃除していないのだ。

 応接間の扉を力強くノックする。

 ドンドン。その音で中で話していた声はピタリと止み、中から扉を開けられる。

 ヴォーデンだった。

 その風貌で、彼がどれだけ過酷な生活をして来たのか推し量れる。身体は痩せこけ、髪は白髪混じり。出発する時は無精髭程度だったのだが、今では伸び放題となっている。


「ヒカリか。おかえり、よくやってくれたね」


 彼のその様子を見て、俺の怒りは一瞬にして消え失せた。それどころか、同情をしてしまうほどの変わりように目頭が熱くなる。


「ただいま。会議の邪魔かもしれないって思ったけど――挨拶に」


 誤魔化した。彼のその様子を見て、何か言うというのはさすがに思い遣りの欠片もない。


「ちょうどよかったよ、中に入ってくれ。ついでにみんなを紹介しよう」


 彼は先ほどまでと一変して、今まで通りの、おちゃらけたような声を出した。


「ガリルとムクゲが今いないのだが、空いてる席に座ってくれ」


 俺は席に着いている人たちに会釈をしながら、ヴォーデンの隣の席へと座る。ピンクゴールド色に赤いメッシュの入った長髪を束ねて結んだ女性と目が合う。彼女の薄紫色をした瞳が俺を捉える。決して逃さないぞというように、じっと見つめていた。


「それでね、今帰って来たところ悪いんだけどさ。ヒカリはこれからこの街とセントラルを繋ぐ交通機関を作って欲しいんだよね」

「――はい?」

「ということで、ヒカリからイキのいい返事が聞けたという事で――」

「意義あり! ギルド長それは……じゃなく、いきなり過ぎです!」

「いやぁ、これはあのゲニウス様からのご用命なので断れないよ?」


 いくらなんでも話が急すぎる。帰って来て早々にそんな話をされてはついていけないのだが。況してや、俺に交通機関を作れと持ち掛けられたところで出来る事と言えば製図することくらいだ。

 製図するにしても、その構造を知らなければ書くことは不可能。そんなものを押し付けられても頓挫するに決まっている。


「ならば、その工事の人員に私たちを使うと良いでしょう。みんな力自慢ばかりなので役に立ちますよ」


 身体から木の根のようなものを生やした男が、俺に目を合わせて言う。その視線には、とてつもない熱意を感じる。


「えっと、あなたは?」

「失礼、お久しぶりです。この体になってからは初めてでしたね。私はモクレン。覚えていらっしゃいますか?」

「モ、モクレン様? 一体どうしたんですか?!」

「"元の姿"に戻っただけですよ。詳しくはヴォーデンに聞いてください。それと、ムクゲもあなたに会いたがっていましたよ」

「ムクゲさんには私も会いたいです! 今どちらに?」


 その質問をするとモクレンは少し困った顔をした。何やら答えにくそうにしていたため、話を元に戻し、自分の首を絞める事にした。


「それで、具体的に何を作れば良いんですか? それがわからなければ余計に……困ります」

「とりあえず、今早急に欲しいのはホープタウンと地上への行き来だね。道は開通したとは言え、かなり長い山道だ。商人たちも大量の商品を抱えてくるだけで一苦労で、鮮度が高い商品を輸送出来ないらしい」

「なるほど……それは割と深刻そうですね――でも」

「ヒカリがやってくれなかったら、だーれがやってくれるんだろうなぁ。ガリルもいないしどうしたもんかな。ギルドマスターからもヒカリ指名だから……」


 ヴォーデンはわざとらしく言う。少し芝居がかっていたが、彼の負担を少しでも減らすためだ、仕方ない。俺は少し呆れたように言い返した。


「はぁ……。わかりましたよ、やれるだけやってみます。どの道誰かが解決しなきゃいけない事ですし」

「いやあ、本当に悪いねぇ。助かるよ、ヒカリ」


 モクレンは、話の腰を折らないうちに人員の手配の話をした。


「それでは、話がまとまったところで明日からになりますが、〈キューリオス〉のメンバーをつけましょう」

「あ、ありがとうございます。みんなが協力してくれるなら本当になんとかなりそうです」


 そうして会議は終わり、応接間を出たところでヴォーデンと話をする。


「本当は部屋の使用状況について文句を言いに来たんですけどね」

「すまないね、ちょっと忙しくて汚く使っていたよ。君に返す時には綺麗にしておくからさ」

「ちょっと部屋まで一緒に来てください」

「おお、怖い怖い」


 俺は呆れて首を振りながら大きな溜め息を吐く。

 ヴォーデンを連れて部屋へ帰ったところで、アヤの元気な声が聞こえた。


「あ、おかえりヒカリ! ちょっと見える範囲だけど掃除しておいたよ……ってギルド長」

「ああ、えっとどうも。全員の顔と名前は覚えてなくてね、ごめんね」


 ヴォーデンは少しバツの悪そうに言う。そんな彼に、俺は軽くアヤを紹介して本題を切り出した。


「はい、これ。私が街で稼いできた分のお金です」


 鞄から手持ちの金貨を全てヴォーデンに渡す。その様子を見ていたアヤは驚いた声を上げた。しかし、それはヴォーデンも同様だったようだ。


「いいのかい? こんな大金を」

「はい、私の分は大銀貨以下のものがありますから。それに今は個人の資産なんかより大事な仲間のためのに使った方がいいですからね」

「恩にきるよ。本当に助かる」


 彼はその少ない金貨を大事に握りしめた。その一部始終を見ていたアヤも決意したのか、折半した自分の分の金貨を差し出す。


「アヤは私に合わせなくていいのに……」

「ヒカリがそう決めたなら私もそうするよ」


 そうして俺たちは金貨を全てギルドに入れた。

 ヴォーデンはまだこれからも仕事が山積みとのことで部屋から出ていく。やはり忙しいのだろう。異世界にまで来て過労死は到底笑えそうにない。

 自室に来たついでに服の補充をした。アヤの私服や下着も、俺のコスチュームで良さそうなものを見繕い3着ずつ取り出した。この世界に来て着たわけではないが、新品ではない。

 しかし、アヤはそんなコスチュームを眺めうっとりとしていた。お気に召した、と考えていいのだろう。

 部屋にある自分の物が減ると、段々とこの部屋への愛着は薄れていく。このギルドに入ってからずっと使っていたはずなのに、自分がどこか――薄情な人間のように思えた。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

ロード・オブ・レジェンド 桜梨子 @Sakurariko

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

フォローしてこの作品の続きを読もう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ

参加中のコンテスト・自主企画