「スペアだった少年」と「魔女あるいは原始の女神たち」

青川志帆

「スペアだった少年」と「魔女あるいは原始の女神たち」



 シャベルを持つ手が、汗で滑る。


 必死になって、土を掘って。


 誰か通りかかりませんようにと願いながら、涙をこらえる。


 森のなかなので、そうそうひとは通らない。だが、可能性はゼロではない。


 剣の稽古はしても野良仕事などしたことがないから、シャベルを振るう手が不器用だと自分でもわかる。


 ようやくある程度掘れたところで、振り返る。


 力なく横たわる男の目は白濁し、口や頭から血が伝っていた。


「ごめん……ごめんなさい、父上……」


 謝っても父は生き返らない。


 もっとも、生き返ったらきっと、激昂した父はダニエルを殺すのだろうが――。




 どうにか土を掘り終えたときには汗みずくになっていた。


 地面に落ちたのが涙なのか汗なのかも、わからない。


 ダニエルは、父の固まりはじめた腕を引いて、ようよう穴のなかに落とした。


 十五歳の、まだ未完成なダニエルの力では、百九十センチを超す男の体を動かすのは一仕事だ。


 落としても、休めない。


 シャベルで、今度は遺体に土をかぶせていく。


 何度、それを繰り返しただろう。


 ようやく隠れた――と思って、膝をついて息を整える。


 しかし、遺体を隠したそこは不自然に土の色が変わって、盛り上がっている。


 できそこないの墓、という言葉が浮かぶ。


 自分は、死体を隠すことすらできないのか。


 それまでの人生が脳裏を駆け巡る。


 できそこないだと呼ばれ、自分でも認めて萎縮する日々だった。


 ダニエルは疲労のあまり半分眠りながら、過去を思い返した。




 ダニエルの故国――欧州の小国リベラもイギリスで始まった産業革命の恩恵にあずかり、文明は著しく発展した。


 それと共に個々の役割も先鋭化され、それまでよりいっそう強化されたのが「家族」という単位だった。


 貴族の家における父というのは、王に等しい。


 父の発言が、決断が、家を揺さぶった。


 役割が曖昧であることは許されなかった。


 ダニエルの兄――長男エドガーは跡継ぎという役割を負い、長じてからは父が不在のときは家を取り仕切った。


 姉と妹は、いい結婚をするために教育を授けられた。彼女たちは、どこかの家に嫁ぎ、実家に利益をもたらす「花嫁」の役割を持つ。


 母は、父親を補佐したり、娘の結婚のために準備をしたりする「妻」と「母親」の役割。


 そして――ダニエルの役割は「スペア」だった。


 兄になにかあったときのために、パブリックスクールに通わされ、大学に行くことも確定していた。


 問題があったとすれば――ダニエルは、スペアを務めるには優秀でなかったということだろう。


 兄が優秀すぎたのも問題だ。パブリックスクールでずっと学年主席を取る生徒など、そうそういない。


 帰省したときにパブリックスクールの成績表を見せるたび、父は怒鳴った。


「なんだこの成績は! お前は本当にエドガーの弟か!?」


 萎縮し、「ごめんなさい」と謝るしかなかった。


 特にダニエルは運動が苦手だった。


 生まれつき骨が細いせいか、力がなく、疲れやすい。足も速くなかった。


「お前は一体、なにができるんだ! それで軍に入れるとでも!?」


 父になじられても、ダニエルはうつむくしかない。


 次男以降の男は、跡継ぎの順番が回ってこなければ軍に入るのが最近の規定路線だ。


 ダニエルの体質では、もし軍に入れても活躍できまい。最悪、怪我でもして除隊するのが関の山だろう。


「……ごめんなさい……父上……」


 思い出のなかの自分は、いつも謝っていた。




 ハッと気がついて、あたりを見渡す。


 もう日が暮れはじめていた。


 ダニエルは父を埋めた土を踏んでならしたが、やはり不自然なことに変わりはない。


 もう少しなんとかしようとしたが――誰かの声が響いた気がして、怯えたダニエルはシャベルを持ったまま走り出した。


 


 森を、あてどなく走った。


 シャベルは重くて、途中で捨てた。


 一体、どこに行けばいいのだろう。


 わざとではなかったとはいえ、父を殺してしまった。


 遠くないうちに捕まる。


(それに、本当にわざとじゃなかったって言えるのか……?)


 森が闇に満たされ、視界が効かなくなる。


 ダニエルは転び、そのまますすり泣いた。


 そのとき、遠吠えの音がして獣が近づいてきた。


(狼……)


 もうどうにでもなれ、と思ったとき、誰かが松明を持って近づいてきた。


「あっちにお行き!」


 松明を振り回して狼を威嚇し、彼女はダニエルのそばに膝をつく。


 五十は過ぎているだろうか。髪は真っ白だったが顔の皺は少なく、かくしゃくとしていた。


「こんな森の深くに、なにをしにきたんだい、お坊ちゃん」


「……え……と、あの……」


 答えられないでいると、彼女はダニエルの手をつかんだ。


「立って。ここにいると狼に食われちまうよ」


「……はい」


 別にそれでもいい、とは言えなかった。


「おっと……ちょっと待って。これ、持ってて」


 松明を持たされ、女が懐からハンカチを取り出す。


「悪いけど、目隠しするよ」


 宣言ののち、本当にハンカチで目隠しをされる。


 戸惑うダニエルの手から、女は松明を取る。


「行くよ。手を引いてやるから、ちゃんと歩くんだよ」


「……はい」


 唯々諾々と従って、ダニエルはひたすら歩いた。




 どのぐらい歩いたのだろう。


 視界が遮られているからか、時間の感覚もつかめない。


「あんた、名前は?」


 問われて、ダニエルはかすれた声で答える。


「ダニエルです」


「ふうん、ダニエルね。あたしはヴィヴィアンだよ」


「……そうですか」


 会話が弾むはずもなく、すぐに絶えた。


 それ以降は沈黙が続く。


「はい、着いたよ」


 目隠しが取られて、ダニエルは扉の前に立っていた。


 首を巡らせる。


 暗くて、ここがどこかよくわからない。


「入って」


 女が扉を開き、ダニエルを招き入れた。


「おかえりヴィヴィアン。……おや、あんた。誰を拾ってきたんだい」


 恰幅のいい女が出迎え、眉をひそめる。


 明らかに歓迎されていない空気に、ダニエルは小さくなる。


「森で、狼に襲われかけていたんだよ。放っておくわけにもいかないだろ。ちょっとだけ置いてあげようよ」


「はあ。別にいいけど、あんたが責任を持ちなよ」


「わかってるよ、ターシャ」


 ダニエルが呆然としているうちに会話が終わり、ターシャと呼ばれた女が行ってしまう。


「実はねえ、ここは女しかいない家なんだ」


「……女しかいない? そんなところがあるんですか?」


「ここにあるだろ。事情がある女が集まるところでね。あんたはまだ子供だから一晩だけ泊めてあげるけど、明日は家に帰りなさいな。しかし、どうして、あんな森の深いところにいたんだい?」


 ヴィヴィアンがとうとうと話していると、ダニエルの目から涙がこぼれた。


「えっ……。そんなに泣くような事情かい」


「――僕は……」


 涙の合間に、ようよう言葉を口にする。


「父上を、殺してしまったんです」




 慌てたヴィヴィアンはダニエルを居間に導いた。


 ダニエルが来た途端、そこにいた女たちが蜘蛛の子を散らすように去っていく。


 少なからず傷ついたが、ヴィヴィアンはダニエルの背中を叩いてくれた。


「事情ありの女たちだって言ったろ。男にトラウマがある子も多いんだ。あんたが悪いわけじゃない。ほら、そこの揺り椅子に座って」


 促され、揺り椅子に座る。


 ヴィヴィアンはダニエルを置いてどこかに行ってしまったが、すぐにカップをふたつ持って帰ってきた。


「カモミールティーだよ」


 説明されて渡されたカップに、口をつける。


 カモミール特有の甘い香りが安堵を誘う。


 ヴィヴィアンは隣にある揺り椅子に座り、こちらをうかがってきた。


「そいで、どうしたんだい? 本当に殺したの?」


「……はい……。事故だと思いたいけど……殺意がなかったとは……言えなくて」


 ダニエルはゆっくりと、語りはじめた。







 いつものことだった。


 パブリックスクールから帰省し、成績表を見せて怒鳴られる。


 一連の流れなのに、いつも傷ついた。


「お前はスペアとしてもできそこないだ! エドガーになにかあって、お前が跡継ぎになったら、この家は潰れるぞ!」


 そんなこと、いくらでも言われていたから。


 うつむいて、やりすごしていた。


 しかし、父はダニエルの態度が気に入らなかったのだろう。虫の居所が悪かったのかもしれない。


 珍しく、手を出した。


 父はダニエルの頬を平手で打った。


 打たれた勢いで転んで、身を起こしたところに拳が飛んでくる。


 恐怖に支配され、ダニエルは拳をかわした。


 空振りになった拳のせいで、父は前のめりになる。


 ダニエルは這いつくばって移動し、デスクの向こうに逃げようとした。


 しかし間に合わず、デスクを背に――座ったまま、父と対峙することになる。


 激昂した父が突っ込んできた。


 また、ダニエルはよけた。


 があん、と音がしてデスクに父の拳が当たり――デスクの上から落ちたガラス製の灰皿が、父の後頭部を直撃した。


 どくどくと流れる血を眺めて、ダニエルは悲鳴をこらえた。


 しばらく呆然としていたが、ようやく動けるようになって――這って父に近づく。


 首に指を当てて息を呑んだ。


 父は――事切れていた。




 いくら事故だと訴えても、受け入れられる気がしなかった。


 父になじられ、我慢の限界が来たので灰皿で殴り殺した――というシナリオのほうが筋が通ってしまう。


 だからダニエルは大急ぎで、動いた。




 カーテンを剥ぎ取り、父の遺体にかぶせる。遺体を転がしてカーテンを巻き付ける。


 ダニエルは、書斎に鍵をかけて納屋に走った。


 納屋にあった農業用の荷車を転がしていると、廊下ですれ違った際に母に呼び止められた。


「ちょっと、なにに使うの? それ」


「あ……ちょっと、ネズミの死体があったから、外に出したいと思って」


「まあ、汚らわしい。あなたがしなくたって、いいでしょう。下男かメイドに言いつけなさいよ」


「うん……」


 煮え切らない返事をすると、母は呆れたように「お屋敷を汚さないでよ」と注意して行ってしまった。




 そうして、ダニエルは書斎に戻って、苦労して父の遺体を荷車に乗せた。


 扉を破るようにして荷車で押し開き、また書斎の鍵を閉める。


 それからは、怪しまれないように平静を装い、荷車を押しつつ廊下を歩いた。


 すれ違うメイドや下男は不審そうにしていたが、なにか理由があると見当をつけてくれたのか、幸い挨拶以外に声をかけられることはなかった。


 家族とすれ違わなかったのは、幸運としか言いようがないだろう。







「それで、僕は森まで来て……父の遺体を埋めたんです」


 語り終えると、ヴィヴィアンは目を丸くしていた。


「そりゃあ、事故じゃないか。なにも死体を処理することなかったろ」


 ヴィヴィアンの言い分はもっともだった。


「――でも、絶対に有罪になると思い込んでしまって。それに、僕はいつも思っていた。死ねばいいのに、って……。殺意はいつも、あった」


「ううん……難しい話だねえ。……あんたはどうしたいんだい?」


 問われ、ダニエルはきょとんとする。


「どうするって?」


「明日、家に戻ることもできるよ。動揺して埋めたと説明すれば信じてくれるかもしれない。確実じゃないけどね……。それか、もう家に戻るのは諦めるか」


 ダニエルはしばらく沈黙し、答えを探した。


「家には……戻りたくない、です」


 たとえ事故だと判断され、ダニエルが有罪にならなくても。


 家族がダニエルを見る目は変わるだろう。


「わかった。ただ、あんたをいつまでもここには置いておけないんだ。ここは女たちの避難所で、女性にのみ滞在を許すっていうルールがあるからね」


「……なんだか、アマゾネスみたいですね」


「アマゾネス? ああ、女たちだけで暮らしていた戦士集団だっけ。まあ、あそこまで極端じゃないけどさ。ちょいと、みんなと話し合ってあんたの処遇を決めるよ。もうすぐ夕飯だから、取ってきてあげる。ここで待っておいて」


「はい。ありがとうございます」


 一礼すると、ヴィヴィアンはふっと微笑んで立ち上がった。




 しばらくして、ヴィヴィアンがパンとスープを持ってきてくれたので、それを一心不乱に食べて、飲んだ。


 そのあとしばらくヴィヴィアンが席を外したので、椅子に座ったまま少し眠った。


 夢うつつで、女たちの低い話し声を聞いた気がした。




「ダニエル」


 声をかけられ、ハッとして目を覚ます。


 ヴィヴィアンが隣の椅子に座ったところだった。


「みんなと話してきた。少しの間だけなら、滞在してもらってもいい……って結論になった」


「少しの間ってことは……」


「うん。悪いけど、ここを発ってもらう。……なあに、心配しなさんな。あんたがひとりで暮らせるように知恵や技術を授けてあげる。それに、この家以外にも小屋があるんだ。ここから、だいぶ離れているけど……そこは、あんたが自由に使っていい」


「その小屋や、ここの所有権って誰にあるんですか?」


 ダニエルの質問に、ヴィヴィアンは肩をすくめた。


「近くの領主が保有しているけど、ここには入らない。昔は女神の森と言われて禁足地で――中世には魔女の森と言われて、誰も入りたがらなかったみたいだね。今もそれが引き継がれている。とりあえずは、そんなに心配しなくていい」


「そう、ですか……」


 百パーセント安全とはいかないようだが、どこにも行く場所がないよりはマシだろう。


「それで――いいかい? 本当に家には戻らないんだね?」


 再度問われて、ダニエルは深くうなずいた。




 それから、ダニエルは色々なことを教わった。


 料理、裁縫、洗濯、掃除……等々。


 ダニエルは貴族だったので、もちろんそんなことをするのは初めてだった。


 そうして、森の獣を狩るために弓を習った。


 銃は大きな音がするから使わないらしい。


 女たちは軽やかに弓を引いて、確実に鳥を射落とす。


 ダニエルも弓を習ったことはあるが、彼女たちの腕前には全く敵わなかった。


 それはそうだろう。ダニエルはあくまでスポーツとして弓を習っただけで。彼女たちは糧を得るために弓を操る。


 女たちはみんな優しかったが、ダニエルに近づこうとしない女も一定数いた。


「最初に言ったように、男にトラウマのある子もいるからね」


 ヴィヴィアンが、外で煙管をふかしながら教えてくれた。


 ダニエルはその横で薪を割る。


「あたしも、実はそうでさ。暴力を振るう亭主から逃げてきたんだよね」


 ヴィヴィアンの発言に、ダニエルは手を止め振り返る。


「どうやって、ここを知ったんですか?」


「魔女の森に行けば魔女がいる、ってうわさがあったんだよね。だから、魔女になんとかしてもらおうと思って。ここまで来て……迷子になって死ぬ覚悟を決めたとき、仲間に助けてもらったのさ」


「魔女の存在を信じていたんですね」


「どうだろ。もう、あのときは自暴自棄になってたから。ただ、死に場所を探していたのかも」


 ヴィヴィアンはからりと笑ったが、笑顔に哀しみが潜んでいるように見えた。


「中世に、魔女狩りから魔女が逃げてきたのがこの――共同体の始まりだっていう話もあるよ」


 ヴィヴィアンの話に、ダニエルは瞠目する。


「魔女狩りって、ひどいもんだったらしいからね。薬使いの女に堕胎薬を煎じさせて、その秘密を守るために魔女として突き出すとかね……。ほとんど言いがかりだったらしいよ」


「……どうして人間って、そんなひどいことをするんですかね……」


 思わず、つぶやきが漏れてしまう。


「さあね。ただ、弱いものをいたぶるのが娯楽……ってやつもいるからね。魔女裁判や処刑なんかは、民衆のショーだったとか。人間ってのは、嫌になるほど残酷だね、本当に」


 ヴィヴィアンの話に、ダニエルは父を思い出した。


 父はダニエルを罵倒しながら、くらい喜びを覚えていたのではないだろうか……。




 そこでの生活はダニエルにとっては不思議そのものだった。


 食べ物は自給自足。


 狩りと小さな菜園で成り立っている。


 身分に上下がない。


 自分のことは自分でやる。だが、助け合う。


 役割は、いらない。


 パブリックスクールでさえ先輩後輩などの上下があり、同学年の生徒にも身分やステータスによる序列がついていた。


 ここのほうが居心地がいいと思える時点で、ダニエルは元の世界にはもう戻れないのだろうと――強く実感した。




 ダニエルがひととおりのことをできるようになってから、離れた小屋に引っ越すことになった。


 またダニエルは目隠しをされる。


 ダニエルが荷物を担ぎ、ヴィヴィアンと三人の女たちが付き添ってくれた。


 ヴィヴィアンが、ダニエルの手を引いてくれる。


「あんたのことは信用しているけど……ごめんね。念のためなんだ。あんただけじゃなく、外に出ていくひとにはみんな目隠ししているから」


「うん、いいよ。気にしないで」


 いつしかダニエルの言葉から敬語が取れていたが、誰も気にしなかった。


「あの……ヴィヴィアンさん」


「うん?」


「僕、あそこですごくお世話になったけど……恩返し、できないままだね……」


 見えないのに、ヴィヴィアンが苦笑したのが、なぜかわかった。


「いいんだよ、それで。その代わりに、ね。お願いがある」


「なに?」


「もし、あんたが――あんたやあたしみたいに居場所をなくした困った子を見つけたら、助けてやりなさい。どんな形でもね」


「……わかった」


 ダニエルはうなずいた。深く。


「たまに、様子を見に来るよ」


 その約束に、少し救われた思いがした。








 ダニエルを送り届け、掃除を手伝ってくれたあと――ヴィヴィアンと女たちは去っていった。


 ここから、ダニエルひとりの暮らしが始まった。


 途方もない孤独を感じることもあれば、家に属していない開放感に浸ることもあった。


 幸いダニエルの狩りの腕はよかった。庭に植えた野菜の苗も、順調に育っている。


 なにより近くに小川が流れているので、飢えや渇きに困ることはなかった。




 ダニエルのひとり暮らしが始まって、四回、季節が巡った。


 時折、ヴィヴィアンたちが訪ねては食べ物や衣類を差し入れてくれた。


 孤独と共に、しかし満足した暮らしを送っている。


 しばしば思い返す。父の遺体を埋めたときの場面を。


 トラウマになっていてもおかしくないのに、それには不思議と安堵感を伴う。


(ああ……そうか)


 ある夜、焚き火をしていて――ふと思い至った。


 ダニエルは社会システムに捕らわれていた。


 父の死で逃亡し、ダニエルは社会的に「死んだ」。


 父の遺骸と共にダニエルは「次男」――「長男のスペア」という役割を葬ったのだ。


 だからこそこんなに、清々しい。


 ふいに、悲鳴を聞いた気がした。


(こんな森の深くに……? いや……気のせいなら、それでいい)


 ダニエルはかたわらに置いていた松明に焚き火から火を移す。


 そうして、腰元に大ぶりのナイフを帯びていることを確認して――走り出した。




(了)

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

「スペアだった少年」と「魔女あるいは原始の女神たち」 青川志帆 @ao-samidare

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ