だがここにきてそれも限界に近づいてきていた。携帯を取り出して時間を確かめるといつの間にか日付を越えていたことに気づいた。あとどれくらいかかるかを想像して、伊岳は途方に暮れてしまった。


「おい携帯をいじっている暇があったら……おっ」


 佐生の叱責の声が止まった。そして彼は震える指で携帯の画面上部を指さした。そこには電波塔のマークが表示してあった。


「やりました署長」


 伊岳はそのマークを目にした瞬間、思わず跳び上がった。


「喜んでいる暇があったら、電話したまえ」

「はい」


 伊岳はすぐに電話を掛けた。通話先は署長室だった。


「私だけどね、いま署長と一緒にいるんだ」


 すぐに電話が取られ、秘書か誰かだろうと思い伊岳は名乗らずに話し始めた。

 青原巡査の動転した報告と、安否確認の無線に出なかった佐生によって、一日警察署には署長誘拐事件の捜査本部が立てられていた。

 署長室の電話を取った捜査官は、誘拐犯からの連絡という意味でゆっくりと頷いた。実体の掴み切れない事件に煮詰まりかけていた捜査官たちが色めき立った。逆探知を担当する刑事が通話を続けろとジェスチャーで伝える。


「目的は何ですか?」

「目的? 目的は車だよ。車で迎えに来てほしいんだ」

「本当にそれだけですか?」


 逆探知はまだ終わらず、金銭の要求もない。逃走用の車両だけの要求とは思えず、捜査官は尋ねた。


「何度言わせるんだ」


 伊岳は電話口に怒鳴りつけた。長々と電話を続けるのに腹が立っていた。変に気を遣っているのかもしれないが、上司からの指令には、はいといいえのどちらかの返事をすればいい。そのどちらも言わずこちらに質問を繰り返す電話の向こうの職員に激高して彼はさらに怒鳴った。


「さっき言っただろ、さっさと早く迎えをよこせ。署長がどうなってもいいのか? 署長はいま足をくじ……」

「わかりました、車で迎えに行きます」


 逆探知が終わったという合図があった。これ以上誘拐犯を激高させてはいけないと、捜査官は電話口の怒鳴り声を遮ってそう言うと、すぐに電話を切った。


「SATを出動させろ。何が何でも署長を救出するんだ」


 指揮を執っていた県警本部長が号令をかける。はい、とその場にいた捜査官たちが一斉に返事をする。誘拐犯の居場所を突き止めた捜査本部は騒がしくなり始めた。


「おい、場所をまだ言ってないだろ」


 唐突に通話を切られて、伊岳が再び怒鳴る。が携帯のスピーカーは普通を示すビープ音を返すだけだった。

 ほとんど同時に、ヘリコプターの音が山道に響き始めた。下向きの突風が伊岳と佐生の2人に吹き付ける。ライトが2人を照らした。


「お、やっと迎えが来たんじゃないのか」


 地べたに座り込んだ佐生はヘリコプターに嬉しそうに手を振った。伊岳も彼と一緒に能天気に手を振った。

 発煙弾が放たれ、2人は突如煙に包まれた。ヘリコプターからシュルシュルと何かが降りてくる音に気づいた頃には、伊岳は署長誘拐犯として捕縛されていた。


「俺を誰だと思ってるんだ」「確保っ」


 煙に包まれた夜の山中に、伊岳とSAT隊員の叫び声が同時にこだました。

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署長誘拐!? 厠谷化月 @Kawayatani

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