エピローグ

 一日ついたち警察署の署長である佐生賢三は副署長の伊岳孝雄に背負われて、暗い山道を歩いていた。前方にはにわかに街の明かりが見えるものの、一向に辿りつかなかった。どれくらい伊岳副署長の背中に乗っているかはもうわからない。時計ももう見たくない。


「きっと罰が当たったんですよ。署長専用とはいえパトカーでゴルフに向かったから」


 伊岳が弱々しく言った。


「うるさいなあ、泣き言を言っている暇があったら早く進みなさい」

「もう勘弁してくださいよ。いっそ私一人で電波の届くところまで向かって、車を呼んできますよ」

「私を置いていくつもりか」


 時折道の脇をカサカサと何かが動くのが聞こえる。暗くてよく見えない分、佐生は余計に怖かった。ここに独りで残されることを想像するだけで足がすくむ。佐生は置いて行かれまいと、伊岳にしがみつく力を強めた。


「痛い、痛いですよ」


 伊岳は叫びながらよろける。どうにか体勢を立て直そうとしたが、汗で濡れて背中の上の佐生が滑ってしまう。そのままバランスを崩して2人は道路に倒れ込んだ。

 転んだ時にひねった右足首を打ち付けてしまい、佐生が悶える。


「すみません、署長。大丈夫ですか」


 伊岳がうずくまる佐生に駆け寄るが、佐生はふてくされて手で払う。


「怪我人1人守れないなんて、伊岳くん、警察官失格だよ」


 ゴルフを終えてパトカーで帰路についていると、山道で突然パトカーから煙が上がり始めた。ラジオからは午後6時の時報が流れていた。

慌ててパトカーを降りた2人だったが、そこは何もない山の中だった。携帯の電波すらもない。


「無線で助けを呼べないものかね」


 もうもうと煙を上げるパトカーを伊岳の背中越しに眺めながら佐生が提案する。提案の最中佐生はそっと伊岳の背中を押していた。ガソリンに引火したらひとたまりもない。だから伊岳に行ってほしかった。


「署長、ここで警察無線を使ったらパトカーでゴルフに通っていたことがバレてしまいますよ」


 押し付けられようとしていることを察した伊岳が慌ててそう言った。提案を断られた佐生がムッとした顔になった。


「じゃあどうするというのだね」

「ひとまず携帯の電波が届くところまで歩いて、そこで救助を呼びましょう」


 佐生は進行方向に目を向けた。街がずっと小さい所にある。ゴルフ場も遠い。だがゴルフ場からここまで他の車は1台も見かけていない。待っていても誰か来ることは期待できなかった。

 仕方なく佐生は頷いて、2人は歩き始めた。

 一日いちにち警察署長の木根鱒太を送迎していた青原巡査からの必死の報告を受けた警察署は無線で佐生署長の安否を確かめようとしていた。パトカーの無線機が署からの連絡を流している時、すでに佐生たちはパトカーから離れたところを歩いていた。

 歩き始めて1時間ほどで佐生が足を挫いた。ぐずり始めた佐生をどうすることもできず、伊岳は彼を背負って山を下りることにしたのだった。

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