ドリーム・ツー・ベック

@qwegat

本文

「夢日記をつけるんだよ」

 確かに以前、ケイタがそんなことを言っていたような記憶はある。

「ボイスメモでね」

 と、付け加えたのも覚えている。

 病室のカーテンが開いていたかは覚えていないが、あまりあたたかな陽日というような記憶はないから、少なくとも日光が差し込んできたわけではなかったはずだ。俺たちは真っ白な四角い部屋の中で――ただ天井の冷たい蛍光灯によってだけ、くっきりとした影を描いていて。病衣を纏ったケイタのほうは、清潔そうなベッドの中で上半身だけを起こして。上着をそろそろ脱ぐべきか迷っていた俺のほうは、銀色の脚の曲面に鈍い色をした鋭い傷を残す、備品のパイプ椅子に尻を載せていた。

 まあ朧げな記憶だから、おそらく実際は少し違った。蛍光灯ではなくLED電灯だったかもしれないし、上半身だけを起こしているのではなく寝転がったままだったかもしれない。同じくぼんやり想起される当時中学生の俺の口は、こんな感じの問いを返した。

「ボイスメモってアプリのやつか?」

 ケイタが答える。

「そう。朝起きたらまずスマホを開いて、アプリを立ち上げ、即座に『録音』ボタンを押す。『文字起こし』のオプションにもチェックを入れておいてね。それで――話すんだ。直前まで見ていた夢の内容を」

 俺は少し考えた。

「しょうじき夢ってやつをあまり見ないからわからないんだが……どうなんだそれ? そもそも寝起きの脳で夢の内容をまともに話せる気がしないぞ」

 しかも夢ってのはすぐ忘れてしまうものだ、と付け足す。

 するとケイタは――確かいったん、やけに明るい笑みを浮かべて、

「逆だよ。そこが面白いんだ」

 言いながらシーツの擦れ音を立て、薄緑色の袖に包まれた左腕を伸ばすと、彼のベッドの横に置かれた、キャスター付きのキャビネットまで手を伸ばした。引き出しの上に置かれていたスマホに手をかけ、差し込まれた充電ケーブルを器用にも左手だけで抜く。

「例えば、今朝の夢はこんな感じ」

 手繰り寄せたスマホを何度かタップしたあと、ケイタは改めてその画面を俺に見せた。どうやらそれは、件のボイスメモアプリの履歴閲覧画面らしかった。

 それをのぞき込んだ俺の目に飛び込んできたのが、次のような文章である。

『あのーまず教会があっていや境界っていうかなんだろう礼拝堂的ながあってでその外見が明らかにあのファイナルファンタジーのあれっぽい感じでホントに感動しちゃっ探だけどしたらえっ十何空からいやそうだナマズ看護師さんが運動会のはちまきをこう振り回して振り回したんだな赤かったねあかかったのが下忍で』以下省略。

「話にならないじゃねえか」

 十数秒の沈黙の後、ケイタの顔にさっと視線を戻し、指摘する。

「だから、それでこそだよ」

 ケイタは飄々と返した。

「タクミは夢をあまり見ないっていうけど、それ見てる夢が語るまでもなさすぎて忘れちゃってるだけなんじゃないの? 僕の夢はこう……もうちょっとヘンテコだからさ。汗だくで起き上がった瞬間は「うわあ面白かったあ」なんて思うんだよ。でもいざそれをメモに起こそうとすると、頭も呂律も全然回らないし、その上記憶は薄れていく。その喪失感っていうか……儚さかな? その感じが面白いんだ」

 俺は少し驚いた。一拍遅れて口をはさむ。

「まあ本人がそう言うならそれでもいいよ。でもこう……大丈夫なのか? 夢ってのは脳が記憶整理としてみるもので、内容をいちいち記憶したらまずいみたいなことを聞いた覚えが」

「たぶんそれは俗説だけど、そもそも……言ったでしょ、僕は儚さが好きなだけなんだ。日記はつけるだけつけてるだけで、今みたいにボイスメモを他人に見せでもしない限り、見返すことはまずないよ」

 ケイタは付け足した。

「所詮記憶のゴミ箱だからね」

「……そうか」

 釈然としないまま強引に納得しかけた俺の顔に、病弱な幼馴染は微笑みを投げかけて、何でもないような口調で言うのだ。

「そうだ。……なんだか気になってるみたいだし、僕が死んだら、つけた夢日記は、全部タクミにやることにするよ」

「自分で出したゴミは自分で片付けろよ」

 記憶の中の俺はそう即答した。


 しかし、本当によこしてくるとは思わなかった。

 六年後、ケイタが病院で息を引き取ってから三日が経った日曜日。俺は彼の遺族のアドレスから遺言だからと送られてきた、大量のファイルを一望していた。

「律儀なやつ……」

 と呟くだけ呟くのだが、同時に心中に「本当に律儀という表現でいいのか」という悩みが生まれもする。重要な約束のみならずどうでもいい約束まで守るということなら確かに律儀なのだが、ケイタは生前に俺とした約束をいろいろすっぽかしている。夢日記の共有なんてのは中学生の時に口で結んだだけのもっともどうでもいい種類のもので、それを優先して他の約束をおろそかにするというのは、律儀というより……いや、替えの言葉を探すまでもない。

「愚かなやつ……」

 訂正版を呟きなおしながら、ノートPCのストレージに展開した圧縮ファイルの中身を確認する。日付を表す八桁のアラビア数字が並んだうしろに「.txt」の拡張子、その命名パターンでざっと二千数百ファイル。六年以上毎日夢日記をつけていれば確かにそれくらいの数にはなるはずだが、よくやるな、という呆れに近い思いを抱かざるを得ない。

 ちょっと黙る。

 しかし何もなかった。

 俺は息をついてひとりごちた。

「……それで、これをどうしろってんだ?」

 ひとまず……ずらりと並ぶ文字列のうち一つをダブルクリックして、その内容を確認してみる。日付を見るに、今から四年ほど前につけた夢日記のようだ。

『えっとボイスチャットが――』ゲーム配信者になって人気のFPSゲームを遊び始めるも急に略。もう一つ確認してみる。

『都会が五倍に』なぜか紙幣の表面おもてめんに肖像画の代わりにキャプスロックキーが略。もう一つ。

『瞬間移』略。

「……まあなんというか」

 夢日記をつけていた期間のうちほとんどをあの狭い病室で過ごしていたはずなのに、よくここまで多種多様な内容を記録できるものだ、という感じだろうか。いやむしろ――狭い病室、低い天井の下だからこそ、想像力が奮い立つというものなのか。

 でもそれだけだ、俺にこの大量のテキストを活用するようなアイデアはない。最近学んでいる情報工学の知識が何かに役立つかもと思ったが、使ったとて――と考えながら、俺は半分おまけのようなつもりで、最後に一つ、ファイル名をクリックした。視界に飛び込んできた文字列は、こう始まる。

『タクミが死んでしまう夢』

「なんだと?」


 夢日記を数値化することにした。

 どうやらケイタは、自分の夢の中で俺に随分失礼な扱いをすることがあったらしい。その実例をもっと確認したいものの、表記ゆれなども多いから、手動でチェックするのは骨が折れる。だから機械の力に頼るわけだ。

 まず下処理として、アプリ側の性能的な限界から生まれる誤認識を排除する。最近の音声認識技術はほぼ間違えるということをしないが、六年前のメモについては結構なノイズがある。専用のモデルを使うことも考えたが、大規模言語モデルだけである程度の精度が認められたので、少し調整してそのまま使うことにした。その後登場人物や長さのような付加情報を加味しつつ、各テキストをニューラルネットワークで数値ベクトルに変換した。

 数値化が終わればそれを元に、特定の文章と類似度の高い文章を検索、なんてこともできる。

 さっきの『タクミが死んでしまう夢』で始まるエントリをそのままインターフェースに流し込めば、まあ――随分いろいろ出てくるものだ。例えば『死んでしまう』を軸にして、俺以外の知り合いや家族が死ぬ夢。あるいは『タクミ』を軸にして、俺に関するさまざまな――そして大方失礼な夢。俺が本棚を舐め、ギャンブルにはまり、留学する夢。

 デスクトップPCに作業環境を移した俺は、そうしてゴミ山を眺めているうち、だんだん、一つの実感を抱き始めた。

 ケイタは死んでしまったのだ。


 その晩俺はすごく久しぶりに、語るまでもなくもない夢というやつを見た。


 跳ね起きる。ベッドから。

 あまりにぼやけた視界の前で急いで片手を横に伸ばす。サイドテーブルがあるべき場所、硬い木製の何かの感触。少し探って、スマホの液晶画面に伴うひんやりとした感触をみつける。コードが刺さっていたとしても引きちぎるくらいの勢いで、とにかく素早くそれを取り上げる。

 電源を入れ、指紋認証を突破する。徐々に解像度を取り戻し始めた両目で、ホーム画面からボイスメモのアプリのアイコンを探し出す。

 あった。

 俺は殴るくらいの気持ちで親指をそれにぶち当てながら、口を開いた。

「ケイタが会いにくる夢を見たんだ! なんか白い部屋――そうだあの病室みたいな、ああ、そう、四角い空間で会って! まず俺がその、なんだ生きていたのか的なことを言って……そしたらケイタが頷いて、なぜか……その……チョコレートを……」

 そこでリミットが来た。

 言語野は眠りについたままだというのに、夢の記憶のほうは俺の覚醒を確信していて、あっという間にけてほどけた。沈黙を記録するボイスメモの手前、明度の低い画面に半透明の像を結ぶ俺自身の顔面にようやく気付いた。

 ケイタの存在そのものが消えゆく夢の一環なのだと諭されているようですごく不愉快だった。

 ベッドから這って出る。ボイスメモが吐き出した文字起こしをクラウドストレージにアップロードしながら、もう片方の手でデスクトップを起動する。そして今から俺の捨てたゴミで、そのままケイタのゴミを類似検索してやる。二千個もゴミを出していれば、白い部屋で俺と会う夢だって、一つくらいは混じってるはずだ。それに触れて、偽物の再会を享受してやる。

 そこで急にまた眠気が襲って、俺はのんきにも欠伸をした。そしたら目の前の光景は、今一度、解像度を大きく失った。

 もうしばらくそうあってほしかった。

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