単発

@tyoukandassyutsu

意味のない宝物

 墨を垂らしたような夜空に、点々と光る宝石のような星々が大好きだった。父と流れ星を見つけに行こうと言ったのを今でも覚えている。けれど、本当に大好きだったのはーーー


 色とりどりの街灯が飾る街々をベランダから眺めながら酒をあおる。聞こえる車の駆動音や、絶え間なく聞こえる救急車の音を聞くと、静謐などないかのように錯覚する。

「意味ない、かぁ」

 もう鳴ることのない携帯を見ながら、私は手すりにもたれかかる。対して大きくもない胸が圧迫され酒臭い息を吐いてしまう。

 ついさっき、別れ話を終えてきた。曰く、私といる意味がないらしい。

 意味がないってなんだ。と、怒りの感情を募らせていくが、よく考えてみると、彼はいつも私に合わせてくれていた気がする。仕事やタイミングを言い訳にして、話を有耶無耶にしてきたのは私だ。結婚の話だって、少しくらいはしたはずだ。その時、私はなんて言ったっけ……。

 ギューっと、空を仰いで酒を飲み干す。8%の苦味が思案を曇らせ、爽やかなレモンの風味が鼻を突き抜けた。

「さいっこう……」

 けれど、口から出た言葉は何故か虚ろで、アルコールがその言葉に飲み込まれるように冷めていく。

 残ったのは酷い吐き気と頭痛のみ。

 私には何もない。

 田舎が嫌で都会に出てきた。大学ではなんとかいい企業に勤められるように勉学に努め、友達ができるように人間関係の構築にも力を入れた。おしゃれを我慢して堅苦しいリクルートスーツで身を包み、悪印象を与えないようなメイクをし、思ってもいない立派な言葉を口にして面接官と形式上の対話をした。

 入社して、私は私が崩れていくのをただ黙って見ていた。重なるミス。大学時代とは比べ物にならないほどの複雑な人間関係。理解できないルールに、溜まり続ける仕事。電話では、組織内の先輩や上司であっても呼び捨てにするらしい。飲み会は好きだけど、みんなはお酒しか飲まない。口を開けば仕事の話しかしない。まだ仕事のやり方すら覚えてないから会話に入れない。自分で考えればわかるとか、自然とそうなるとか、そんなわけないでしょ?私とあなたは違う人間じゃないの?

 思えば、私はなんて愚かな人間なんだと打ちのめされる。そもそもが田舎から出たい。だったし、そこに日本を支えたいとか、人々の生活を豊かにしたいとかいう立派な考えはなかった。虚ろで、空っぽだ。空気が皮を着て歩いている。周囲の“風”に流され、飛ぶ方向を変える風船だ。

 田舎にいるのは惨めだから、煌びやかな都会に行きたい。関係の変化が怖いから、当たり障りのないことを言って、有耶無耶にして逃げる。そうしないと、私の皮が破けて、空気が抜けていってしまう気がしたから。

 鼻の奥がジンジンと熱くなってくる。だんだんと視界がぼやけて、何かが沁みて目を開けられなくなってきた。自分の腕に顔を埋め、声を押し殺して泣く。


 ドーーン!!


 大きな音がした。びっくりして顔を上げると、さっきまでの味気なかった空の一部が、極彩色に染まっていた。一瞬だったけど、あれは多分、花火だ。

 一筋の光が空に上がっていく。少し遅れて、ヒュルルルという音がかすかに聞こえた。そして、鮮やかな紅が空を彩った。

 ボーッと、私はその様子を眺めていた。そういえば、今日は年に一回の花火大会の日だった。ふと下を見てみると、浴衣姿の男女がちらほらと見える。

 私は、その儚くも美しい一瞬の煌めきたちに、心を奪われていた。

 すると、携帯がいきなりけたたましい音を鳴らして震え始めた。急いで部屋の中に戻り、画面を見てみると、「母」の一文字が見えた。

 ベランダに戻りながら、通話ボタンを押す。

「もしもし」

『もしもしー?ねえ、花火みてる?』

 久しぶりに聞く母の声がなんだかとても嬉しくて、また涙が出てきてしまいそうになった。

「うん。見てるよ」

『やっぱり!今ね、テレビで生放送されてんの。綺麗ねぇ』

 ベランダの柵に頬杖をつきながら、少し笑ってしまった。

「ふふ、それだけで電話してきたの?」

『え?うん。だって、アンタ昔から花火とか好きだったでしょ?』

「好きだけどさあ」

 それからしばらく、無言の時間が訪れた。私も、母も、何故か一言も言葉を発さなかった。だけど、不思議と不安な気持ちなどはなく、どこか懐かしさを覚える。

『どうなの?そっちは。何か困ってることない?』

 声が聞こえたと思ったら、電話の向こうからバリバリと音が聞こえる。せんべいでも食べているのだろうか。

「ん……」

 別に、と言いそうになったが、言葉を飲み込んだ。

「お母さん。私って、なんか……空っぽだよね」

 喉からこんな声が出てきた。25にもなって、この物言いは恥ずかしいのではなかろうか。

『どういう意味?』

「だからさ、えっと……情熱がない、っていうか……無気力っていうか」

『……うーん。でも、アンタ昔から不思議な子だったからねえ。好きなものはたくさんあったんだよ?』

「え?そうだっけ」

『うん。お父さんの影響かなぁ』

 その言葉を聞いて、思い出す。死んでしまった父との思い出を。

 実家の裏にある山に父と共に入り、満点の星空の中で、星座を作る遊びをしていた。

 父は無邪気に喜ぶ私の顔を見て、微笑んでいた。私はその顔を見てなんだかさらに嬉しくなってしまって、しばらく父と一緒に山に入る生活をしていたと思う。

『私たちが楽しいのって聞いたら、アンタ必ず楽しいっていうんだよ。それがもう可愛くて可愛くて』

 庭に生えた雑草に名前をつけたこともある。引き抜いて植木鉢に植えたら花が咲いて、名前を変えたこともあったっけ。

 川から好きな形の石を拾ってきて、図工の時間で作った宝箱に綿と一緒に入れてたりもしてた気がする。

『多分アンタは、意味がないものが好きだったんじゃないかなぁ。上手く言えないけどね』

「……」

 そうか。私は……意味のないものが好きだったのか。

 何故か忘れていた感情が胸を満たし、陽の光のように体を温めた。

『ま、がんばんなさい。応援してるから』

「うん。ありがと、ママ」

『アンタ、たまには帰ってきなさいよ?』

「わかってるよ。今度時間ができたらね」

『待ってるからね』

 プツン、と電話が切れた。通話時間は10分にも満たないが、でも、なんだか楽しかった。

 意味のないもの、それはきっと、名前のつけられないものだ。私はそれが好きだったんだ。

 他の人にとっては意味がないものでも、私にとっては宝石のように輝いて見えた。花火を見るのが好きなんじゃなくて、家族と共に見る名前のない時間が好きだったんだ。

 なんだか笑ってしまう。じゃあ、きっと、私は私のこと……。

 もう少し、頑張ろう。意味のない宝物を、見つけられるように。

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