第7話 変な兄妹
「はみゆちゃーん。出ておいでよー」
僕が今いる場所は、妹の部屋の前。本日何度目になるか分からないその台詞をいいながら扉をノックしてみたけど、室内からは何の応えも返ってこない。
負のオーラは扉越しにでも伝わってくるのだけどね。
妹の誤解を解いた後(更に五ラリーくらいやりとりをして、やっと)、彼女は顔から爆炎を吹き出すと、恥ずかしさに駆られるみたいにして僕を部屋から追い出して、滅多に使わない鍵なんかかけて部屋に閉じこもってしまった。
もうお昼過ぎだから、かれこれ四時間くらいはこうしていることになる。
まあ、確かにこんな面白い勘違いをやらかしたのだから、部屋があったら籠りたいような心境なのだろうけど……。
「お父さんとお母さんも心配し始めちゃってるよー。僕がはみゆちゃんになんか変なことしたんじゃないかって、ちょっと臨時の夫婦会議みたいになっちゃってるから、出て来て誤解を解いてよー」
その時、ポケットに入れていたスマホがバイブレーションで受信を告げた。見てみると、妹からLINEが来ていた。
『パパとママには大丈夫だってメールしてあるから大丈夫』
ああ、ありがとう。仕事が早いね。
じゃなくって、
「なんでLINEはできてお話はできないのさ。早く出ておいでってば」
またスマホが震える。妹からだった。
『お兄ちゃんに合わせる顔がない』
「何その複雑な境界線? 文字で喋るのも顔見て喋るのも一緒でしょ」
『気持ちの問題。女子ってそういうものなの』
いるけども。その台詞を乱用する女子っているけど、使いどころに無理があるよ。
だけどやっとレスポンスらしいレスポンスがあったものだから、僕は部屋の前に座り込んで長期戦の構えを取った。
「お兄ちゃんも悪かったよ。紛らわしい態度をとってごめん。変に誤解されても仕方なかったって思うよ」
……あれ、僕って今、妹と話をしているんだよね?
無意識に思わせぶりな態度を取ってしまった、部活の後輩とかじゃないよね?
なんて思ったものの、僕の色々が妹に変な誤解を与えるきっかけになったのも本当だ。
……まあ、妹相手にそんな誤解を与えるだなんて普通は思わないけどさ。
相手はこの普通じゃない妹なのだ。
不審な行動を取っている時点で、きちんと話し合いの場を設けるべきだった。
それに、寝起きで繰り広げられた恥ずかしい舌戦。あれは良くなかった。どう考えたっておかしなテンションだったのだから、あそこでもっと早く指摘しておくべきだったのだ。
そうすれば妹も、あんな恥ずかしい大絶叫を上げずに済んだって思う。
妹をおバカだおバカだなんていったけれど、僕だって充分抜けているのだ。
『お兄ちゃんは何も悪くない。悪いのは勘違いしたわたし』
あれ? このLINEって妹からだよね?
彼女がいるのに、やたらご飯とか映画とかに誘ってくる後輩を好きになっちゃった、三十路手前のOLじゃないよね?
「悪いっていうか……まあ、確かにその勘違いにはびっくりしたけどさ、さっきも言ったみたいに、はみゆちゃんひとりのせいってわけでもないんだから、気にすることないよ」
『気にするよ! お兄ちゃんのことを男子として意識しちゃってるみたいなこと言っちゃったんだよ! 気持ち悪すぎるでしょ、そんな妹!』
字面で表すことによって、それがどれだけあれなことかを再確認したのだろう。室内からバタバタと足を振る音が聞こえた。お父さんとお母さんが心配するってば。
「それははみゆちゃんがそう思ってるだけでしょ? お兄ちゃんはなんとも思ってないよ」
『嘘!』
「本当」
『嘘!!』
「本当だってば」
『嘘!!!』
本当に本当だ。
何度も言うようだけど、僕はこの妹がちょっとおバカだって知っているからね。
確かに今回の件は結構びっくりしたし、最後のほうはちょっと引いたりもしたけど、それだけだ。妹のことを気持ち悪いだなんて思わないし、見方が変わったりなんかもしない。
だって、たまに頭一個分くらい変なことをする子が、頭一個分変なことをしただけなのだから。
妹は死んじゃうくらいの勢いでへこんでいるみたいだけど、僕の──迷惑をかけたって思っている当人の捉え方なんて、そんなものなのだ。
それは他の人にだって言えることだと思う。
友達だって。
恋人だって。
家族だって。
ある程度の関係性が確立している人の評価なんて、そうそう簡単には変わらない。
だってそういう人だって納得したうえで付き合っているわけだからね。
本当に無理だって思ったら、とっくに関係を絶つか距離を開けるかしている。
つまりなにが言いたいかっていうと、自分では世界の終わりだって思うくらいのことをやらかしちゃったって、周りの人の受け止め方なんて、意外とフラットだっていうこと。
いい意味でも悪い意味でも、自分の存在なんてちっぽけなものなのだ。
よっぽど変なことでもしない限り、その枠組みから外れることなんてない。
……まあ、妹の今回のやらかしは、他の人から見たら『よっぽど変なこと』に該当するのかも知れないけど、幸いなことにこれを知っているのは妹と僕だけで、その僕も何とも思っていないのだ。
一件落着、ってわけにもいかないだろうけど、ここまで頑なになる必要なんてないって思う。
「本当だよ。はみゆちゃんが僕を大好きっていってくれたみたいに、僕もはみゆちゃんのことが大好きなんだから。これくらいのことで、それが変わったりなんてしないよ」
っていうのを全部説明している時間もないので、色々をギュってしたその一言を放ってみる。すると妹からのレスポンスが止まって、代わりに足をバタバタ振る音が聞こえた。
なんなんだよ。
『なんでそんな恥ずかしいこと、普通に言えるの!?』
「いや、はみゆちゃんも言ってたよね。つい数時間前にさ」
『あの時は、変なテンションだったから……』
「え、じゃあ本当は、そんなふうに思ってなかったってこと?」
『そんなことない!』
「じゃあどう思ってるの?」
『だから、その時に言ったみたいに思ってる』
「え、ちゃんと言ってくれないと分からないんだけど」
湯だったみたいに顔を真っ赤っかにする妹を幻視する。
対する僕はニコニコ顔でレスポンスを待った。
まあ、今回の件ではそれなりに頑張ったのだから、僕だってこれくらいのご褒美を貰ったっていいだろう。
秒針が半周するくらいの時間が経過してから、僕のスマホが震えた。
『わたしもお兄ちゃんのこと、好きだよ』
いただきました。
「だったら早く出ておいでよ。虎○穴に行くとき、オトメロードっていうにも連れてってあげるからさ」
満足感に浸るのと一緒に、イニシアチブの掌握を感じた僕は、そんなふうに畳みかけてみた。ここまでくればもう、物で釣るのでもなんでもありだろう。
更に秒針が半周するくらいの時間が経って、妹からこんなLINEが来た。
『本当?』
それと一緒に、ベッドから起き上がる音が聞こえた。
「本当だよ」
フローリングの床に足を下ろす音。
『本当に気にしてない?』
ぺたぺたと扉の前まで歩いてくる音。
「気にしてないよ」
緊張で震える小さな息遣い。
『本当に気持ち悪いって思ってない?』
鍵に手をかける音。
僕は自然と微笑みながら、言った。
「思ってないよ」
ガチャ。
ほんの少しだけ開いた扉から、お説教に怯える子どもみたいになった妹の顔が、半分だけ見えた。
ちょっとおバカで。
だけどたまに凄くて。
鬼のようにかわいい、僕の妹の顔が。
「……ごめんなさい」
開口一番で放たれた言葉に苦笑してしまう。だから謝る必要なんてないんだってば。
「なにが?」
なんて思ったのだけど、どんなリアクションが来るか楽しみだったものだから、そんなふうに返してしまった。
少しの逡巡を置いて、妹は消え入りそうな声で言った。
「……バカで」
すっかりぐしゃぐしゃになった妹の頭に手を置きながら、僕は言った。
「バカでも好きだよ」
それからふたりで順番にお風呂に入って、出かける準備をした。
ふたりでスタジオに入ってセッションをするためだ。
それで手応えを感じられたら、バンド勧誘の話を受けてもいいっていう話になった。
昨日のライブを見る限り、そうする必要もないと思うのだけど、やっぱりいきなりみんなで音を合わせるのは心配みたい。とはいえ、バンドをやってくれるっていう話そのものには前向きみたいだから、ありがたい限りなんだけどね。
ふたり揃って玄関で靴を履く。
慣れないブーツの靴紐に戸惑っていたみたいだから、手伝ってあげたら、また顔を赤くしていた。
かわいかったものだから、上がり框から立ち上がらせるついでに手を繋いでみた。そうしたらもっと顔を赤くして、涙目で僕を睨んできた。
そうです、今日ははみゆちゃんが強めに抵抗できないのを知っていて、お兄ちゃん調子に乗っているのです。
今日は定期的にこういうことをするので、覚悟しておいてください。
ニコニコしながら玄関を開けて、最高の半日を滑り出そうとした、そのとき、
居間から出てきたお父さんに首根っこを掴まれて、信じられない力で家の中に引きずり込まれた。
そのままお母さんを交えた強制の家族会議に突入。
議題は、さっき妹が両親に送ったメールについてで、その内容は以下のようなもの。
『お兄ちゃんがわたしを弄んだんじゃないの。わたしがお兄ちゃんを惑わせてしまったの。だからこれはふたりの問題。心配しないで』
僕の妹はかわいいし、ちょっと変だ。
sister beat punk ~この妹、変なんです~ 呑田良太郎 @tamabura
★で称える
この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。
カクヨムを、もっと楽しもう
カクヨムにユーザー登録すると、この小説を他の読者へ★やレビューでおすすめできます。気になる小説や作者の更新チェックに便利なフォロー機能もお試しください。
新規ユーザー登録(無料)簡単に登録できます
この小説のタグ
関連小説
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます