第6話  お兄ちゃんのマイク

 じゃなくてえええぇぇぇぇっ!


「だから! そういう人たちはそれなりの覚悟とか考えがあってそうしてるわけでしょ!? わたしたちが同じことするなんて無理だよ」

「か、覚悟? っていうのはよく分からないけど、僕たちだって頑張れば同じことができるよ。絶対気持ちよくできると思うんだ」

「だからさっきからプレゼンする所が偏りすぎだってば!」


 顔を真っ赤っかにして反論すると、お兄ちゃんも少し興奮気味に中腰になって、


「なんでそんな怒るのさ!? せっかくやるんだったら気持ちよくできたほうがいいじゃない!」

「そ、それは、そうなのかもしれないけど! 始まる前からそこを前面に押し出すのは間違ってるよ!」


 それともやりらふぃーっていうのはそこの相性から入るものなの? それにしたって性欲強すぎだよ、お兄ちゃん!


「……それもそうだね。ごめん、確かに、やったことない人には、そういうの分かりづらいよね。そこを前面に押し出しても、入ってこないか……」


 状況そのものが入ってこないんだけどね。


「そうだ」


 お兄ちゃんはおもむろにわたしの手を取って、ニコニコしながら言う。


「ちょっと今からやってみようよ。マイクを握れば、きっと気も変わると思うんだ」


 お兄ちゃんのマイクっ!


「いやあっ!!」

「そんなに!?」


 思い切り手を振り払うわたしに、お兄ちゃんはびっくりしているみたいだった。

 びっくりしてるのはこっちのほうだよ! いきなり妹に何を握らそうとしてるの!


「そんな拒否るかなあ……もちろん、最初からがっつり入れるって訳じゃないよ?」


 ママ! ママーっ!!


「なんで段階踏めばいけるみたいになってるの! そ、そういうことそのものがダメなんだよ!」

「かなあ。空いた時間にちょっとやる、みたいな感じでもいいんだけど」

「ソシャゲの勧誘みたいにいうのやめてよ! っていうかどんだけしたいの!?」

「そりゃあしたいよ。かわいい妹とできるなんて、素敵なことじゃない。分かりにくいかもしれないけど、お兄ちゃん今、結構興奮してるんだよ? ほらもう、」


 と、中腰になったままの自分の下半身を指差して、


「半分くらい立っちゃってるんだから!」


 ぎゃああああああああああああっ!!


「それに、お兄ちゃんがやりたいやつばっかりを押し付ける気はないんだ。ちゃんとはみゆちゃんがやりたいやつも尊重するつもりだよ?」

「そこに選択の自由のいらないよ! 何度も言うけど、することそのものがダメなの!」

「いや、やってるうちに絶対気が変わるって。確かはみゆちゃん、結構激しい系のやつが好きなんだよね? そういうのは特に、やってると癖になるから」

「癖になったら困るんだってば!」


 っていうかなぜわたしの性癖を決めつけているんだ、この兄は。


「うーん、そっか。そんなに嫌か。どうしようかな……あ、そうだ。はみゆちゃん、よく分からないけど、ボカロの曲とか歌ってYoutubeで流したりとかしてるんだよね?」

「う、うん。してるけど」

「やっぱりそういうのって、再生回数増えたほうが嬉しいんでしょ?」

「それは、まあ……」

「だったら、将来的には僕らがやってるところも流そうよ。きっと再生回数伸びるよ」

「ド変態か! っていうか大炎上するよ! アカウント削除されて通報騒ぎだよ!」


 そういう問題でもないけどね!


「へ、変態? っていうのはよく分からないけど、そんな大騒ぎになるわけないでしょ。やってるところを流してる人たちいっぱいいるもん」

「XVIDEOとかではね! Amateurで検索すればね! って、そうじゃなくって!」


 ベッドのコーナーサイドに追いつめられたわたしは、涙目になりながらそういった。


「さっきからどうしちゃったの、お兄ちゃん! こんなの絶対おかしいよ!」


 いきなり妹に愛の告白をしてきたばかりか、肉体的な関係を強く迫る兄。

 昨日までの英姿がとても遠いものに思えてきた。

 薄皮一枚を剥げば男はみんなこんなもの、なんて思いたくない。

 わたしのお兄ちゃんはかっこいいのだ。

 こんなの絶対に、なにかがおかしい。


「おかしいことなんてないよ。お兄ちゃんははみゆちゃんとやりたいだけなんだから!」

「それが大問題だっつってんでしょうが!」


 ……絶対に、なにかがおかしい。

 もしかしたら……。

 もしかしたらお兄ちゃんは、ある種の錯乱状態にあるのかも知れない。

 ずっと思いを寄せてきた相手(自分でいうとあれだけど)に対して、満を持しての告白。一世一代のイベントだ。わたしだったら相当テンパる自信がある。

 そんな大舞台に立ったお兄ちゃんは、きっと緊張しておかしなことを口走ってしまっているに違いない。

 なんとか落ち着いて貰わないと……。

 そうだ。


「お兄ちゃん、これ見てよ!」


 そういうと、わたしはすがるみたいにしてクローゼットに向かった。






視点・兄。

「ほら、これ!」


 妹がドヤ顔でクローゼットから取り出したのは、家族で撮った写真なんかがいっぱい入ったアルバムだった。 


「これ、ほら、わたしの七五三の時の写真! お父さんが変に張り切っちゃって、明治神宮まで参拝しに行ったよね!」

「……う、うん」


 え、なにこれ? 僕って今、妹をバンドに勧誘しているんだよね? なんで涙目の妹に家族写真を見せられてるの?


「こっちは大洗の海に行った時のやつ。帰りに行ったアウトレット楽しかったよね。これはお父さんの社員旅行にくっついて草津にいったやつ。わたしが温泉で溺れそうになったの、お兄ちゃん助けてくれたよね」

「うん……」


 怖い、怖いよ妹。

 今度はどんな変なことをするつもりなのさ。


「わたしたち、ずっと仲良しの兄妹だったよね?」

「……うん」


 ……ああ、そうか。

 なんとなくだけど、妹の言いたいことが分かってきた。


「わたしはさ、お兄ちゃんのことが大好きなの。お兄ちゃんとしてお兄ちゃんのことが大好きなの。だから、ずっとこのままの関係がいい。仲良しの兄妹のままでいたいの」


 ……そうだよなあ。確かにバンドを組んだら、今まで通りの関係ってわけにはいかない。時には厳しいことを言わなくちゃいけないことだってある。損得の話をしなくちゃいけないことだってある。

 その過程で、お互いのことを悪く思うことだってあるかも知れない。

 きっと妹は、そうなることが怖いのだ。

 えらく遠回しな説得だったけど、効果はてきめんだ。

 僕だって妹に嫌われたくない。もちろんそうならないように調節はするつもりだったけど、それがうまくいくとも限らない。


「……そっか。そうだよね」


 妹の頭をぽんぽんと撫でてから(なぜ警戒するように身じろぎする)、僕は微苦笑をした。

 妹がこんなに激しく抵抗するだなんて思わなかったから、ついついゴリ押ししてしまったけれど、先述の通り強要する気はないのだ。

 そういうことなら、この辺で身を引いておいたほうがいいのかも知れない。

 それに妹がそんなに僕のことを思ってくれていたなんて、ちょっと嬉しいしね。

 えへへ。お兄ちゃんのことが大好きだって。

 かわいいなあ、妹。


「ただね、はみゆちゃん、食わず嫌いはよくないって、お兄ちゃんは思うんだ」


 最後にこの妥協点を提示してダメなようであれば、妹のことは諦めよう。


「一回だけ、おにいちゃんとやってみない? お兄ちゃんの(ギター)プレイで思いっきり(歌)声出してみなよ。ひとりで(歌ってみたとかを)するより、絶対に気持ちよくなれると思うからさ」

「いい加減にしてっ!!」

「そんなにっ!?」


 びっくりしながら妹のほうを見ると、

 僕を睨みつけながら、ぽろぽろと泣いていた。

 ……なんだ、これ。やっぱり何かおかしいぞ。妹の気持ちは分からなくはないけど、さすがに感情失禁するほどじゃない。

 双方の認識で、何か重大な食い違いでもあるみたいだ。


「もう……もう! 惑わせないでよ!!」


 それについて思料する間もなく、妹はすごい剣幕でまくし立ててくる。


「なんで……ぐしゅ……なんでお兄ちゃんみたいなイケメンが、わたしなんかのこと好きになるの!? 女の子として見てくれるの!? ぐす、妹じゃ、今まで通りじゃダメなの!?」


 ……ん?


「わたしは! わたしはお兄ちゃんとしてお兄ちゃんが好きなの! 男の人としてじゃない! お兄ちゃんとして大好きなの!!」


 …………………………ん?


「だけど! そんなふうにいわれたら……うぐ……告白なんてされたら! 意識しちゃうじゃない! そういう大好きに変わっちゃうじゃない!」

「…………っ」


 昨日からいままでの、僕と妹のやり取りが、ばっと頭の中に広がった。

 それらが無理やりかちゃかちゃと繋がって、段々とこのパンキッシュな事態の指向性を示していく。 

 …………ああ。


 …………そうか、

 …………なんとなくだけど、妹の言いたいことが分かってきた。

 ……でも…………そんなことってあるか?


「正直、そんなふうに思ってくれて嬉しいよ! 死ぬほど嬉しいよ! わたしの人生で、もうこんな嬉しいことないって思うよ! わたしだって……ひっく、わたしだってお兄ちゃんのこと、男の子として素敵だって思ってるからっ!!」


 ……あるんだろうなあ。

 だってガチなトーンで泣いているもの。凄くモテる女の人が、大恋愛の末に男の人を振る時のテンションだもの。


 ……まあ確かに、紛らわしいっちゃ紛らわしい切り出し方だったのかも知れない。だけど実の妹に向ける台詞にそんなことは留意しない。

 普通の人なら、そんなふうに捉えるわけがないって思うからだ。


「だけど、ひっく……冷静になってよ、お兄ちゃん。わたしたち、兄妹なんだよ? 血が繋がってるんだよ? そういうことするのはおかしいって、分かるでしょ?」


 ただし、この妹は普通ではない。

 何をどんなふうに間違えて、どんな脳内麻薬がキマったかは知らないけど……。

 妹は、僕に愛の告白をされたって勘違いしているらしい。


 普通のお兄ちゃんだったら理解が及ばない事態だったに違いない。分かったとしても、こいつバカ怖えってドン引きするに違いない。

 だけど僕はそんなことをしない。


「だから! わたしはお兄ちゃんと付き合えないの! いくらお兄ちゃんがわたしを好きでも、わたしがお兄ちゃんを好きでも、そういうことにはなれないの! ごめんなさい!!」


 だってこの妹が、ちょっと変だって知っているからね。


「……あのね、はみゆちゃん、落ち着いて聞いて欲しいんだけど」


 全てを出し切ったみたいに割座する妹を刺激しないよう、僕はゆっくりはっきりそういった。

自殺志願者に近づくネゴシエーターのように。


「だから! もう……えぅ……もう、やめて。やめてよぅ……」


 やめて欲しいのはこっちなのだけど……なんてことはもちろんおくびにも出さず、


「お兄ちゃんはね、はみゆちゃんのことを、バンドに入れたいって思ってるだけなんだよ?」

「……!」


 妹ははっとして顔を上げて、呻吟するみたいに視線を右往左往させてから、また赤い顔をして自分の身体を抱き、


「スタジオに連れ込んで、何するつもり!?」


 バカ怖えなコイツ。

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