第7話

第七話 「………………」

 

 靏音が服を着替えに部屋を出ていったニ分後にインターホンがなり、濱田がドアを開けると全身真っ白な老人が立っていた。

 白い髪、白い顎髭。白い袴に草履の組み合わせ。今どき珍しい格好だ。


「初めまして。穂積ほせきこのむと申します。君が水野光一くんですか?」

 

 部屋の奥にいる俺を目ざとく見つけて挨拶を飛ばしてくる。

 確かに優しそうだ。物腰も柔らかで人相もいい。


「初めまして穂積隊長。水野光一と申します。よろしくお願いします」


 背筋をピンと伸ばし、滑舌良くはっきり答える。

 穂積の口調に影響されてこちらも丁寧な言葉遣いになった。

 穂積は俺を上から下、舐め回すように見た後、ドアを開けた濱田を見て


「なるほど……」


 とニヤリと笑って何もかも把握しているように頷き、ついてきてください、と一言残して身を翻した。



 ドイツに本社を置く会社……えっと、BWMだったっけ?の白い車がマンションの前に停められている。

 穂積は颯爽とその車に乗り込む。この人白が好きなのかな?

 穂積は車に乗り込むとエンジンをかけ、窓を開けた。


「後部座席へどうぞ」


 と言われたので俺は後部座席へと乗り込んだ。

 濱田と楢木は傘をさしてお見送りに出てきてくれている。

 穂積はエンジンをつけて窓を開け、濱田に声をかけた。


「あれ?靏音くんと齋藤くんはどこに行きました?」

「齋藤は色々あって……靏音は制服が濡れたものですから着替えに……」

「なるほど。確かに急な雨でしたからね」

「ええ……まあ」

「風邪ひかないように伝えてください」

「……わかりました」


 濱田は曖昧に頷いた。まあコーラ被ってとは言えないだろうしな。


「齋藤くんは……そうですね。色々あるとは思いますが、濱田くん」

「はい」

「あなたの班です。みんないろいろなものを抱えているとは思いますが、しっかりとフォローしてあげてください」

「わかりました」

「楢木くん」

「はい」

「あなたも、副班長として濱田班長が困っていたら助けになってあげてください」


 楢木は黙って頷いた。

 穂積はそれを見てにっこり笑うと振り向いて、


「私、運転が苦手なので、シートベルトはしましたか?」

「はい」

「わかりました。それでは出発しますね」

「え?草履履きながら運転するんですか?法律違反じゃ……」

「私たちはアウトローなので。問題ありません」


 うわなんだその最強の手札。

 

「お二人さん、少し離れていただけますか?引いちゃいますよ?」

「あ、すいません」

「それじゃあ気を取り直して」


 穂積がシフトレバーをガタガタ言わせると、車はゆっくりと走り出し、濱田と楢木が手を振る姿がどんどん遠ざかっていく。


 ――――


 車に取り付けられたアナログ時計が6時30分をさした。

 路上は走る車のライトで濡れ輝き、街灯には灯りが灯される。

 カバンを傘がわりにしつつ居酒屋の暖簾をくぐる仕事終わりのサラリーマンがいれば、バス停で肩を寄せ合いながら雨宿りしているカップルも散見される。カップルめ!イチャイチャしやがって!

 街は色とりどりの絢爛なネオン看板に包まれているが、車内にその光は差し込まない。

 カーオーディオではオーケストラが華やかなコンサートをとり行っていた。バイオリンの煌びやかな高音がオーケストラ全体を彩りつつ、コントラバスの低音がそれを支え、花形であるフルートがそれらをきれいに取りまとめている。

 俺は大してすることもなかったので座席に深く腰掛けて流れてくる音色にそっと身を委ねた。

 車に乗ってしばらくして気づいたが、微かだが線香の匂いが車内に充満していた。

 その匂いのおかげか、久しぶりに車に乗るということで緊張して早くなっていた鼓動が徐々に遅くなっていくのがわかった。

 

「水野くん起きてますか?」

「あ、はい起きてます」


 俺は慌てて背もたれから体を離し、背筋を伸ばす。俺が目を瞑っていたのをミラー越しで見て寝ていると思ったらしい。


「今から八咫烏について説明しますが、濱田班長から聞いてたりします?」

「いえ、話は穂積隊長より伺うように言われました」

「そうですか、わかりました。」


 車が赤信号で止まった。ツマミが回され、オーケストラが演奏を止める。


「今から話すことは他言無用、オフレコでお願いします。

 まず八咫烏とは、異世界と戦う事を目的に設立された、内閣防衛大臣直属の秘密組織のことです。八咫烏は北海道、東京、愛知の全国三か所に基地を持っていて、そのすべての基地の下に異世界と繋がる『扉』があるんです。その『扉』から侵攻してくる敵を迎え撃ち、あわよくば侵攻し返す、と言うのが八咫烏の基本の仕事です。

 ですがこのほかにも仕事はあります。

 まず警察が対処困難、または対処不可能と判断した危険組織を、警察の代わりに処理すること。

 次に八咫烏に入隊可能な人を全国歩き回って探すこと。ですがこの『人』についてはいくつか条件があるんです。

 まず魔法が使えるかどうか。

 人間は魔法において三種類に分けることができるんです。

 魔法が使えない、無能力者。魔法に適性を持つ、魔法適合者。そして魔法が実際に使用できる、能力者。

 八咫烏はこのうちの魔法適合者を探し出して八咫烏に入隊させ、魔法教育を施して能力者にします」

「その魔法が使えるかどうかってどうやったらわかるんですか?」

「魔素です。魔法適合者と能力者は歩くと体から魔素と呼ばれる魔法のもととなるものが漏れ出るんです。

 漏れ出た魔素は無能力者は感知することができませんが、能力者だけは感知することができます。まあその漏れ出た魔素自体、凄く微量なので近くに近づかないと分からないんですがね」

「なるほど……」

 

 やっとわかった。学校で齋藤は俺から漏れ出た魔素を感知したんだ。濱田もそう。確かにあの時歩き出してから濱田が掴んできたもんな。


「閑話休題、話を戻しますよ?この魔法適合者にも条件があるんです。それは身寄りがいないこと。水野くんが今まで生きてて、魔法の存在自体知らなかったですよね?」

「はい」

「魔法そのものが極秘情報扱いなんです。そして八咫烏も極秘組織である以上、身寄りがいないと言うのは情報漏洩を防ぐ点で絶対条件なんです」

「でも俺には父が……」

「特例です。過去にあなたと類似したケースがありまして、その時も入隊を認めたのでそれに則っただけです」

「もし親や家族がいて、俺みたいに特例に当てはまらなかったら、殺すんですか」

 

 そう、濱田が俺にやったみたいに。


「それは……」


 穂積が息を呑み、言葉を詰まらせる。ハンドルを強く握り締め、ハンドルがキュと悲鳴を上げた。

 雨は出発した時よりも激しさを増し、雨たちはボンネットで楽しそうにスタッカートを刻んでいる。

 雑音でしかない。


「いつどのタイミングで能力者へと変貌を遂げるかわかりません。魔法は未だよくわかってないことが多いんです。ですので……その……警察が殺人としてではなく、事故として処理するよう殺害します」

「子供でも?」

「年齢は……関係ありません」


 そうか、殺すのか。情報漏洩を防ぐためだけに殺されるのか……

 そして俺はそんな鬼畜組織に入ろうとしているのか。

 つまり俺も罪なき人達を殺さなきゃいけなくなるんだよな……

 人を殺す……人を殺す……人を殺す……


 頭の中で嫌な言葉がぐるぐる回り、心臓が早鐘となって胸を打ち続け、手足が小刻みに震え出し、身体中の血という血が沸騰したように熱くなる。

 暗かった車内がいきなりホワイトアウトを起こして真っ白になる。

 雨音がどんどん遠ざかり、周囲はやがて無音に変わった。


 ――――


 気がついたら俺は知らない街にいた。ビルや道路、空まで真っ白な無色の街。車は通らず、風も凪ぎ、カラスは飛んでいた格好のまま停止している。

 

 知らない街だ。そう、知らない街。

 

 子供がいた。歩道に座り込んで、自分の右手を呼吸荒く見ている。

 

 俺はその子供を、道路を挟んで向かい側の歩道から見ている。

 子供の後ろにはその子が乗ってきたであろう青色の自転車が無造作に捨てられている。その自転車の車輪はクルクル回ってはいるものの、音はない。ただそこで回ってるだけ。


 青色の自転車。


 色はない。

 

 でも青色だとわかる。

 そう脳が言っている。


 俺はその子供を、道路を挟んで向かい側の歩道から見ていた。

 見ていたはずだった。

 俺の前には手があった。

 気がついたら、あの子供の手が目の前にあった。

 

 生暖かく、ヌメヌメしている。

 

 感覚はない。

 

 生暖かく、ヌメヌメしている。

 そう脳が言っている。


 赤色だった。

 そこに色はあった。

 無地の画用紙に、赤いインクを垂らしたような、目が染まるほど鮮やかな真紅。

 俺は傷ついていない。でも、俺の足元には真っ赤な池が出来上がっていた。

 

 池の水は低い方へ、より低い方へと移動していく。幾分か粘り気を持ちながら、タイルの隙間に多くを残しながら。


 街は無音だった。死の街。

 ただ一つ、グレーチングから側溝に落ち、地面で跳ね返ったあの池の水の音だけが貫くように、呪うように俺の耳をつんざいた。


「………………」


 思いっきり叫んだ。

 声は響かなかった。目の前の空気が全てを吸収してしまったように、誰の耳にも届かない。

 

 足元のタイルが突然音を立てて崩れ始め、俺は奈落の底へと落とされた。

 真っ暗だった。光は差し込まず、誰の目にも触れない。


 ここは確かに俺の街だった。

 俺が生まれ育ったはずの街。

 この無色が、俺の街だった。

 この暗闇が、俺の街だった。

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最弱で最強の天才魔剣士 @KOTETUKOTETU

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