弔辞

葵鳥

*

 人の死に立ち会ったことがないどころか、周りの友人も、親戚も、誰も死んでいないこの私に、どうして殺人小説を書く資格があるだなんて思い上がっていたのでありましょうか。人の命を軽んじてはいませんか。


 人は生まれて、いずれ死にます。その間の期間を格好付けて「人生」と呼んでいるに過ぎぬのです。何も無いのにそこに無意味に意味を見出そうとする意味はなんですか。


 そんなニヒリズムを言い訳にして、私は人の命の価値を強引に下げてはいませんでしたか。小説の上で人を殺すという行為は、考えてみれば馬鹿馬鹿しく浅はかです。


 確かに、あなたの仰った通りです先生。


 正月に地元へ帰郷した折に、ついでに私は先生の邸宅を訪ねました。あなたは私の訪問を迷惑そうにしていましたが、渋々受け入れて下さいました。


 出された茶菓子とほろ苦い抹茶を啜りながら、私はあなたにたくさんのことを話しました。その中で稚拙なことも申しました。


「私はもう死のうと思うのです」

「何故だ」

「小説を書けなくなったからです」

「そうだな、ならば死ねば良いのだ。生きている所為で小説を書けないなら、死んで書きなさい。お前にその覚悟があるなら、死んでも書くという覚悟があるなら死になさい。それがないならお前は唯の卑怯者だ」


 ええ、あなたの仰るとおりでした先生。

 私は卑怯者なのです。

 死を仄めかし、自虐することで、周囲からの悪罵の芽を摘み取ろうとする卑怯者の姿が、鏡に映っていることに気が附きました。醜い顔をして滑稽に踊る道化の姿が。


 しかし先生。私がその己の哀しき正体に思い至ったのはあなたが自殺してからのことなのです。こうなっては先生、あなたに感謝することすら叶わない。


 遺書にはこう書かれておりましたね。


「生きるには、小説の上で人を殺し過ぎた。しかし人々は私を裁くどころか称賛する。殺せば殺すほど、死ねば死ぬほど。私は絶望した。この世の綺麗事に悉く」


 先生教えて下さい。あなたは何を考えておられたのですか。私に殺人小説を書く資格はあるのですか。浅はかでしょうか、人を小説で殺すのは。私はもう本当に殺人小説を書けなくなってしまったのです。誰かが死ぬ度にあなたの声と顔と匂いとが脳裏を過ぎって、その度にそれらが結露のように薄れていくのです。教えて下さい教えて下さい——。


「ねえ先生」


 こんなちっぽけな石碑に花を供えて酒を貢いで手を合わせて声を掛けた所で、本当にこの駄文はあなたに届くのですか。

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弔辞 葵鳥 @AoiAoi_Tori

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