意識が覚醒する。


 慣れ親しんだ天井を見上げ、寝起きでだるいはずの体を動かして時計を確認すると、まだ午前五時。いつもの俺なら、絶対に二度寝を決め込む時間だ。しかし、アイツにもらった炎のおかげで、俺は気力に満ち溢れていた。とにかく、行動を起こそう。


「あの夢は、七年後の俺は、夢だけど夢じゃないんだな……」


 目を閉じると、鮮明に思い出せる。俺はあいつのしてしまった失敗を、後悔をしないよう、すぐにでも動き出そう。

 

「俺が、椿さんを幸せにする。お前の分まで……必ず……!」


 この瞬間から、俺の新しい日常が始まった。







 まずは、家族からだ。


「おはよう、母さん」


「あら、おはよう、樹。この時間に起きてるなんて珍しいわね、どうしたの?」


「今日からは弁当、俺が作るよ。まだ下手くそだから。いっぱい教えてもらうと思うけど、そう遠くないうちにもっとゆっくりできるようにするから」 


 いつも働きながら、早起きして家事をしてくれている母の負担を少しでも減らす。


「今回は三日坊主にならなそうね? なってもいいから、気楽に一緒に頑張りましょうか」


「頑張るよ」


 慣れない料理に悪戦苦闘しながらも、母さんの助けでなんとか形になった弁当を持って、朝練に向かう準備をする。いままでは髪のセットなんてしたこともなかったが、動画サイトを漁ってよさそうなのセットを真似し、朝練に行かなかった今までと比べて一時間ほど早く学校に向かった。




 更衣室で練習着に着替え、体育館に向かうと、そこにはまだ、誰もいなかった。うちの学校の朝の体育館は、女子バスケ部と男子バスケ部が半分ずつ使用できるようになっているのだが、強制で来なければならない女バスと違い、自由参加の男バスはほとんど誰も来ない。


 バッシュを履き、体育倉庫からボール籠を出して、しばらくおろそかにしていた基礎練習を始めようとすると、重たい体育館の扉が開いた。


「あれ、樹じゃん。おはよ。朝練来るなんて珍しいね。どしたの? バスケアニメでも見たの?」


「梨花、おはよ。まあ、そんなとこかな。今日からは色々、本気で頑張ってみようと思ってな」


「へー、そーなんだ。っていうか髪型変えたんだ。良い感じじゃん」


「おい、触るなって。俺まだあんまり慣れてないから、直すのにめっちゃ時間かかるんだよ」


 不慣れながら二十分くらいかけてセットした髪に興味津々で、わしゃわしゃと触りながら変な顔をしている梨花から距離を取る。


「今回は絶対に三日坊主にならない。見張ってたっていいぞ」

 

 俺に話しかけてきたのは杵築梨花。俺とは小学校から一緒の学校だった、ボブカットの同級生。今年も同じクラスだ。小さいころから仲がよく、男友達みたいに騒げる悪友だ。運動しやすいように短めの髪にしているが、親しみやすさとスタイルのよさ、整った容姿で、かなり男子に人気がある。


 椿さんとも仲が良く、一緒に過ごしている時間もかなり多い印象がある。


「ほーん、そうなんだ。頑張れよー」


「ああ……頑張るよ」


 軽く話してから梨花と別れ、俺は自主練に集中する。周りに比べてバスケ経験が浅いため、左手のドリブルやシュートフォームなど、チームでの動きの前に直さなければならない部分は多い。試合に出れるようになるために、一つ一つ本気でやっていこう。たとえすぐに結果に結びつかなくても、アイツみたいに後悔をしないように。


 ひたすら集中して練習をしていると、時間はすぐに過ぎていった。


 結局、男バスの仲間が誰一人こないまま、予鈴の四十分前になった。男バスは俺一人に対し、女バスは20人くらい来ている。体育館の半分を独り占めしていることになってしまっており、かなり居心地が悪い。


「まあ、毎日やってれば慣れるようになるか……」

 

 うちの学校では予鈴までには教室にいないといけないので、たいてい十分前には切り上げて着替えて学校の準備にしないといけない、と入部直後のみんながやる気があった時代に先輩から聞いた。


 俺は、他の目的のために、それより早めに切り上げ、道具を体育倉庫に片づけて、更衣室へ戻った。


 


 


 汗拭きシートで体がスースーするのを感じながら、教室へ足を進める。もう予鈴の三十分前になるので、朝練のために来た一時間前とは違って、登校している生徒もチラホラと見かけるようになった。

 

 しばらく味わっていなかった朝っぱらからの疲労感に、階段を進むスピードがかなりゆっくりになっていた。


「しんど……」


 思わず一人ごとがこぼれてしまった。


「でも、絶対に後悔はしたくないからな」


「何を?」


 すると、いつの間にか隣には椿さんがいた。


「うわぁ!? びっくりした!」


「おはよう、御堂くん。いつもは遅刻ギリギリなのに、今日は早いね~。何かあったの?」


 視界に入っただけのこちらまで嬉しい気持ちになるような笑顔で、椿さんが突然話しかけてきた。丁度考えていた相手のことだったので、余計体がびっくりしたのか、かなりオーバーに驚いてしまった。


「椿さん、おはよう。あのさ……色々思うところもあったんだけど……俺、決めたんだ」


「何を?」


 可愛らしく首を傾げる彼女の目を見つめ、深呼吸してから告げる。


「俺、椿さんに好きになってもらえるような人間になるよ。だから、できるだけ俺のことを見てほしい」


「ぴょぇっ⁉」


 人間の口から聞いたことのないような音が彼女からした後、耳まで真っ赤になっている椿さんがそこにはいた。


 自分の中の一大決心を、勢いで言ってしまったが、これってほとんど告白じゃ……?


 それでも、大事なことだけは伝えておかないと。


「い、いきなりごめん! でも……本気だから。特に、知らない人と婚約とかさせられそうになったら、絶対断って欲しい」


「ふぇ……う、うん……婚約? なんのことかわからないけど、わかった……よ?」


 お互いが真っ赤な顔で見つめ合ったまま時間が止まった、同時に限界を迎え、同時に目を逸らす。次の言葉を探しているが、どうしても見つからず、気が付くともう教室の前まで来ていた。


 教室の中を見ると、まだかなり時間があるからか誰もおらず、そのまま無言のまま隣り合ったそれぞれの席に向かった。


「そ、そういえば! 今日はなんでこの時間に? いつも私以外、誰もいないからびっくりしちゃった」


 それを聞かれた途端、沸騰していた頭が冷静になる。


「怠惰な自分とお別れするためだよ。色々と、頑張れることを頑張ってなかった事を自覚したんだ。今しか出来ないことがあるって、身をもって自覚する機会をたまたまもらってさ。だから、人生に本気になろうって思ったんだ。中二病だって思われるかも知れないけど……」


 興味深そうに耳を傾けている椿さんを真っ直ぐ見つめる。


「そうなんだ……」


「ああ。その第一歩として、朝練に毎日行って、早めに教室に行って勉強するために今日は来たんだ。椿さんは毎日この時間に来てるのか?」


「そうだよ。私、成績はいいけど、あんまり地頭とかよくないからさ……。早めに来て毎日予習復習しないとすぐ置いて行かれちゃうし、頑張っていい成績を維持していこうと思って、入学してからずっとこの時間には来てるんだ」


「すごいな、もう三か月くらい経ってるのに……そんなに継続できるなんて、尊敬だ。俺は今まで三日坊主ばっかりだったからなあ」


「えへへー、最初の方は結構しんどかったけど、慣れてきたらそうするのが普通になるからそんなにしんどくないんだよ? 今までは授業が始まるまで一人でちょっと寂しかったけど、御堂くんが来てくれるんだったら、嬉しいな。毎日ここで待ってるね?」


 窓から差し込む光に照らされた椿さんが、そう言って俺に笑いかけてくれる。今までの俺のままだったら、毎日好きな子と二人で話せる、こんな楽しみがあることに気づけなかっただろう。


「ああ。今回は絶対、途中で投げ出したりしないよ」


 朗らかに笑う彼女を見て、さらに決心が強まる。そんな俺を見て、椿さんは目を細めながら優しい声をかけてくれる。


「無理しない範囲でね? 応援してる」


「ありがとう」


 そうして俺たちは隣りの席で各々の勉強を始めた。


 




 そんな生活をしていると、時間は信じられないほど早く過ぎていった。


 初日。昼休みの時間に、俺は質問攻めにあっていた。


「どうしたんだよ、樹! 自分で弁当作るなんて!? 前の調理実習で一緒にMAKO'sキッチンごっこして先生に怒られてたお前はどこに言ったんだ!?」


「そうだそうだ、いつも遅刻ギリギリなのに、今日は俺が来たときにはもう来てるし。しかもお前が真面目に勉強してるなんて……占いか? 洗脳か? それとも明日は世界が終わるのか……!? ほんとに何があったんだ……!?」


「しかも、女バスの子から聞いた話じゃ、朝練も行ってたって聞いたぞ。賢治。残念だが俺たちの友人は、勤勉なクローンに乗っ取られたのかもしれない……」


「あぁ、恐らくそうだろう。それしか考えられない。残念だ……」


「悲しい事件だった……」


「おい! 武人も賢治も言い過ぎだろ! 俺だって真面目になるときくらいあるわ!」


 昼ご飯を食べながら話しているとき、俺の弁当の話から会話がふくらみ、俺の行動が変わったことに話題が切り替わったとき。芝居がかったおおげさな動きで俺をからかう二人に、大声でツッコんでしまう。


「いやー、あの樹がこんな全力少年になるとは、考えられなかったからな……。まあ、明日には元に戻ってるかもだけど。何かきっかけでもあるのか?」


「それは俺も気になるな。『次は頑張る』とかは言ってたことあるけど、今回はやる気のレベルが違う気がする。そこんところ、どうなんだ?」


 ふざけた雰囲気から一旦落ち着き、二人が神妙な面持ちで問いかけてくる。その空気に流されたのか、つい遠くの席で何人かの女子と一緒にお昼を食べている椿さんの方に目がいってしまう。


 この友人二人がそれを見逃すわけもなく、俺の目線の先に一瞬で振り返った。


 隙をさらしたことを自覚したときには、武人と賢治は二人でにやにやと気持ち悪く笑いあっていた。


「そういうことですかー! 樹君! 急に髪型もちゃんとしだしたと思ってたんですよ! ニヤニヤ。ニヤニヤ」


「はーー! ついに決心されましたか、樹殿! 拙者感動でござ! ござござ!」


「うっざ! お前らマジで、覚えてろよ! あと口でニヤニヤとかござござ言うな! マジで!」


「顔真っ赤で草。にやにや~」


「草草の草でござるよ、樹殿。デュフフ」


「キモ過ぎ!」






 そんなこんなで死ぬ気で人生を過ごしている内に、気が付けば一か月の月日が経っていた。急に行動をガラッと変えたことで、しんどいことだらけだった。体は重いし、勉強は難しいし、早起きはしんどいし、自分一人で作った料理は美味しくなかったりするし。


 それでも、俺に点いた、アイツの残した火は消えなかった。


 たった一か月。されど一か月。


 椿さんには、毎朝一緒に勉強しているときに、時たま婚約の話が出ていないか聞いているがそんな気配は全くない。毎朝二人で過ごしているので、話す機会が以前より増えて、以前よりも明らかに距離が近づいたように思う。


 毎日を全力で取り組んで、模試では校内でかなり上位に入り、部活でも確実に上達を実感できており、成果が見えている。また、美容院で髪を切ってもらい、美容師さんからセットの仕方を学んだり、肌や眉などに気を使うようにしてからは、自分で言うのもあれだが、かなり変わった気がする。


 だから、今日こそ覚悟を決めようと思う。




 いつも通り朝練を終えて、教室へ向かう。


 最近は緊張することもなくなってきたのに、今日は扉を開ける手が震えている。


 一度目を閉じ、息を吐く。

 

「よし」


 扉の先には、見慣れた相手の見慣れぬ姿があった。


「おはよう、椿さん」


「あ! おはよう、御堂くん! 今日も朝練お疲れ様~」


「髪型変えたんだ。なんていうか……語彙力が足りなくて申し訳ないんだけど……とにかく! 凄い可愛いと思う!」


 平常心を取り繕いながら、いつもは下ろしていた髪をツインテールにしている。なんだ、この破壊力は……。


 いつもは大人しくて可愛らしい印象なのに、今日は子供っぽさまで加わって、新たな破壊力を生んでいる。


「ありがとー! 嬉しいよ! 御堂くんがこの間好きって言ってたキャラの真似してみたんだけど、似てるかな?」


 髪型を変える理由が可愛すぎる椿さんに衝撃的なダメージを食らいながら、なんとか平常心を心がけて返答をする。


「覚えててくれたんだ。似てる似てる、マジで可愛いと思う、マジで。いつもの髪型も好きだけど、こっちもめっちゃ好きです!」


「えへへ、そんな好き好き言われたら照れちゃうよ~?」


 照れて少しふにゃふにゃな椿さんのかわいらしさに溺れそうになりながらも、何とか本題を思いだす。


「あ、あのさ! 椿さん!」


「どうしたの?」


 唾を飲み込む。体が震える。鼓動が早くなる。


「放課後、時間あるかな? 中庭で……話したいことがあるんだけど……。大事な話だから、二人だけで話したいんだけど、いいかな……?」


 わかりやすく震えている声を聞いた椿さんは、俺が話したい内容を察したのか、少し動揺しながら、すこし時間をかけて返事を探している。


 返答が帰ってくるまでの数秒が、あまりにも長く感じる。


「あ……うん……。わかった」


 先月、あんなことを言ってしまったので、どんな内容を話すのかはあまりにも明らかで、返答してくれた椿さんと目が合うと、思わず目をそらしてしまう。


「ありがとう」


「……うん」


 それからの勉強は全く集中できず、全く手が動かなかった。






 その日の昼休み。いつも通り賢治と武人と教室で昼ご飯を食べていた。


「お、今日はハンバーグ作ったのか。美味しそうだな、一口くれよ」


「いいぞ、じゃあ武人のもなんかくれよ」


「じゃあブロッコリーで」


「ふざけんなお前の頭にブロッコリー植毛するぞ」


「二人ともやめて! 武人くん、樹くん! お願い! 私のために争わないで! 黙ってハンバーグとお肉を私に捧げるのよ!」


「なにコイツ、キモ」


「それな。こいつが医者になって大丈夫なのか? やらかしてニュースになってそう」


「言いすぎだろ!」


 いつものようにふざけ合いながらおかずを交換する。自分で弁当を作るのにも慣れてきて、最近は味もいいと母さんに褒められた。最近は俺が家族の昼ご飯を作るようになっている。こいつらにも定期的に成長具合をチェックされているが、最初の評価はかなり酷いものだった。


「おー、やっぱ美味しいな」


「な。勉強も部活も料理もできる完璧マンになろうとしてやがる、こいつ。この間後輩の女の子にも声かけられてたよな?」


「なに!? お前、同時に複数ヒロインを攻略するのは違法だぞ! 共通ルートで全員の問題を解決できないからって、そんなことは許されないんだ!」


「そういうのじゃないって、ちょっと勉強教えてって言われただけだし」


「っはー、モテ期ってやつですか、これが。賢治さん。こいつ、椿さん以外にも手を出す悪いやつになるかもしれませんよ?」


「いやいや、大丈夫ですって武人さん。俺実は今日早めに来てたんだけど、二人でラブコメ空間作ってなんか大事そうな約束してたから、多分そろそろ勝負時だ」


 いつものノリからの切り替えに風邪を引きそうになりながら、賢治の話に食べていたものを噴き出しそうになる

 

「お前、見てたのかよ!?」


「放課後、願いが叶うクスノキのある中庭に呼び出してたぞ」


「マジか、樹。お前もそういうの信じるんだな。でもまあ、頑張れよ。ここ最近のお前はマジで凄いわ。一か月と思えないほど垢抜けたし、前よりも輝いてるように見える。今のお前なら、大丈夫だよ」


「そうだな。外面も内面もかっこよくなったよ、お前は。大丈夫だ、自信もって行ってこい」


「……ありがとな。ちょっとトイレいってくるわ」


 入学から一緒に過ごしてきた悪友たちからの、あまりの褒められ具合に恥ずかしくなり、逃げ出してしまう。こいつら、人のことほとんど褒めないくせに、こういうときに褒められると、どうしていいかわからなくなるだろ。

 

 そうして、俺は教室から出ていった。






「最近、御堂くんほんとに変わったよね。結構気になってる子多いらしいし」


「そーだねー、女バスでも結構話題になるよ。毎日一人でも真面目に頑張っててかっこいいよね~って」


「部活仲間が誰もいない中、一番早くに来てたった一人で練習してるんでしょ? 私ならすぐやめちゃうだろうし、尊敬だわ~」


「言い方悪いけどマジで良物件になったよね。しかも家族のために朝から弁当作ってて、頭も良いんでしょ? モテない要素がないよねー、星奈?」


「そうだね……」


 男三人組から少し離れたところで、梨花やクラスメイトたちと星奈が談笑している。今までの御堂くんは意識していないようなさりげない気遣いや優しさで女子の中での評判は良かったが、最近は全部がかっこよくなってしまったので、本人は知らないだろうがかなり人気が高まっている。


 誇らしい気持ちもあるが、なぜかもやもやしてしまう。


「あら、嫉妬しちゃってる?」


「私も狙っちゃおうかな~」


「かわいいなあ、星奈は。大丈夫だって、傍から見ても明らかに好き好きオーラで溢れてるじゃん、あいつ。こないだ女バスの一年の子にデート誘われてたけどきっぱり断ってたし、ホントに大丈夫そうだよ?」


「そうなんだ……」


 みんなにはかなり前から私の初恋の話は知られている。今までたくさん相談に乗ってもらったり、助けてもらったし、あの話はしておかないと……。


 私は意を決して口を開く。


「あのね、梨花ちゃん、みんな……実は今日、御堂くんから放課後、中庭で大事な話があるって呼び出されたんだ……」 


 小声でその情報を伝えた星奈に、女性陣は歓声を上げる。


「おぉー!? ついに! ついになのね!」


「やっとか! 自分のことじゃないのに、こっちがドキドキするー!」


「わかる、私もキュンキュンしてきた……!」


「しかも、あの伝説の木のある中庭!」


 この学校の中庭には、願いが叶うと噂されている、クスノキの大木が生えている。そのため、中庭は絶好の告白スポットになっており、誰かが告白しているのを目にすることも多い。星奈もこれまでに何度も呼び出されたことがあるが、そのすべてをお断りしている。


「これは確定だよ! 頑張ってね! 星奈!」


「大丈夫だよね? 御堂くんが転校するとか、そういう話じゃないよね?」


「心配しすぎだよ、とにかく放課後、頑張って! みんなで応援してるよ!」


「そうだよ、頑張れ! 星奈! どうなったか後で教えてね!」


「……うん、ありがとう、みんな。また色々相談するね」













 放課後。七時間目という地獄を乗り越えた俺は、中庭のベンチに腰かけている。クスノキの木陰で太陽から隠れながら、このひと月を思い出す。


「変われるもんだなあ、人間」


 決意して様々な行動を変えて、死ぬ気で努力してきたつもりだが、明らかに世界が変わったことを感じる。


 自分の世界の狭さを実感した一か月だった。俺が時間を無駄に浪費している間にも、時計の針は動いている。

 

 誰かは勉強して、誰かは練習して、誰かは運動して、誰かは料理して、誰かは働いている。そして、時計が動くのをただ待っているだけの人もいる。


 


 幸いなことに、椿さんの死の要因を遠ざけることにはすぐに成功した。婚約予定の相手を急いで調べ、素行の悪さやらなんやらをまとめたものを椿さんの家族にも知らせている。なぜ相手のことを知っているのかとか、どうやって調べたのかとか、かなり不自然なところもあっただろうが、ご両親は微笑ましいものを見るような顔で、やけにすんなりと受け入れてくれた。そのため、椿さんとヤツが関わりを持つことはもうないだろう。




 だからあとは、ここだけだ。


 ここで、椿さんに告白する。


 返事はどうなるかわからないが、俺なりに自分を磨いてきたつもりだ。


 だから、どうなっても後悔はない。嘘だ。フラれたらめっちゃ後悔するし、辛い。




「お待たせ……御堂くん」


 先ほど教室で別れた椿さんが、俺の前にやってきた。その笑顔にはあまり見たことのないような硬さが伺える。


「全然待ってないよ。こっちこそ急に呼び出してごめん、来てくれてありがとう」


 彼女の緊張を和らげるために明るく話しかけようと思っているのに、口が渇いて話しづらい。さっきまでは全く出ていなかったのに、いざ呼び出した椿さんと対面すると全身から汗が吹き出てくる。


「全然……大丈夫だよ?」


「とりあえず、座って話そうか」


「うん……あ、ありがとう」


 ポケットからハンカチを一枚取り出し彼女の座る場所に敷くと、椿さんは遠慮がちに腰かける。拳一つ分くらいの距離で、数瞬の間沈黙が訪れる。いざこういう場面になると、どう切り出していいのか分からない。


 永遠に感じられる瞬間を終わらせるため、一度深呼吸をしてから椿さんに向き直る。


「あのさ、椿さん。今日は、伝えたいことがあるんだ」


 震える声で、何とか彼女の目を見つめながら、一言一言大切に言葉を探していく。


「うん」


 自分に自信が持てるように、彼女に見合うような人間になれるように頑張ってきたつもりだが、たった一か月で釣り合うとは思っていない。気持ちを伝えようとするだけでも身体中が震える。


「先月も、告白みたいなことをしちゃったんだけど、改めて伝えさせてほしい。椿さん、あなたが好きです」


 声がかすれながらも、本来の俺が言えなかった言葉を口にする。


「……はい」


 椿さんがどういう反応をしているかを全く気にする余裕のないまま、沸騰する頭と口を必死に動かす。


「死ぬほど頑張って椿さんに好きになってもらえるような人間になろうとしたけど、まだ自信を持てるほどじゃないけど、他の誰にも君を渡したくない」


 周りを気にする余裕なんて全くないまま、気持ちを伝える。


「君の、他人を心から気遣える優しさも、家族を大事にしているところも、だめだめな俺を応援してくれるところも、好きな曲の話で楽しそうにしてるところも、からかう時のいたずらっぽい笑顔も、照れた時の恥ずかしそうな表情も、俺の冗談で笑ってくれるところも、全部全部大好きだ! とにかくずっと一緒にいたい!」


「……はい」


「一生幸せにするから、俺と付き合ってください」


 未来の俺が伝えられなかった気持ちも一緒に、言葉になった。全部を伝えきれたわけではないが——―とにかく、告白することは出来た。


 とんでもないことを言ってしまった気もするが……。


 緊張のあまり見れていなかった彼女の姿を改めて見ると、首から上のすべてが真っ赤になりながら、「えっと……えっと……」とショートしそうになりながらも、告白の返事の準備をしてくれていた。


「御堂君、ありがとう……凄く……凄く、嬉しいです」


「御堂君は覚えていないだろうけど、私、御堂君と初めて会った日から、あなたのことが気になってたんだよ。ほとんど男の子と関わったことがなかった私に気を使って、たくさん配慮してくれたり、どう話していいか分からなかった私を楽しませようと、毎日色んな話題を振ってくれたりしてくれて、本当に嬉しかった」


 椿さんの言葉に衝撃を受けながら、集中を切らさず聞き入る。


「私は最初から、御堂くんの事が好きだったから、急に好きになってもらえるように頑張る、なんて言ってもらえて凄く驚いたんだよ? 日に日にかっこよくなっていって、他の女の子の方に行っちゃわないか心配になったりもしたし……。一緒に話せる時間が増えてからのこの一か月も、毎日楽しくて、あなたがもっともっと、大好きになりました」


 表現できないほどの喜びに、おかしくなりそうなほどの幸せを感じる。


「だから、私からも……よろしくお願いします」


 くしゃっと笑いながらこちらを見上げる椿さんに、様々な気持ちが溢れだす。


「ありがとう! ありがとう!」


「あ、でも……。幸せにしてもらうだけじゃなくて、私も頑張るから。一緒に幸せになろうね?」


 えへへ、と照れている彼女の可愛さに思わず抱きしめてしまう。


 多分、愛おしいとは、こういう感情を言うのだろう。


「これからもよろしくね、樹くん!」


「こちらこそ、星奈」


 慣れない呼び方にドキドキしながら、見つめ合い幸せに浸る。


 気持ちを入れ替えた俺の頑張りが報われたようで、嬉し涙まで出てきた。


 本来ありえなかった幸せを、変えられた今を守り続けるために、これからもずっと、頑張って生きていこう。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

おい七年前の俺、さっさと立ち上がれ。 ツキナミ @Tsukinam1

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ