朧げな意識の中で、どこからか自分のものに似た声が聞こえてくる。


「おい、俺。なあ、七年前の俺。聞こえてるんだろ、こっちを見ろ」


「え?」


「なっさけない顔だ。そんなんでよく椿さんと付き合いたいなんて思えるな。ため息しかでないわ」


 いきなり意味の分からないことを言う人間に貶されて、苛立ちを感じる。


「はぁ!? 別にどう思ったって俺の勝手だろ! ていうか何だよお前。七年前の俺とか、いきなり言われても意味がわからないぞ」


「じゃあ、お前を信じさせるために、俺たちしか知らない話をしよう。スマホの暗証番号は0000、会員登録してるサイトのパスワードは全部Aiueo12345だろ? あとは、そうだな……。何を聞いたら信じられる?」


「はぁ……⁉ 本当なのかよ……じゃあ、俺の好きな食べものは?」


「生姜焼き」


「将来の夢は?」


「とにかく見たドラマとかアニメに影響されてきただろ。警察、医者、弁護士。保育園のころの将来の夢は、ポ〇モンだったと昔家族で爆笑した記憶があるな」


「深く考えないでポ〇モンという概念に憧れていたところまで知っているだと……じゃあ、好きな人は?」


「椿星奈」


「これも知ってるのかよ……。じゃあ、そのきっかけは?」


「明確なきっかけはなかったはずだ。優しくて明るくて、一緒にいるととにかく楽しくて、気づいたら好きになっていた」


「これも合ってる……。分かった、とりあえず話は聞きたい。で、なんで七年後の俺が俺と話してるんだよ。これはただの変な夢か? それとも何か予言でもあるのか?」


「どっちも正解だよ。過去の俺。予言してやる。お前はな、今のように怠惰な日常を過ごして、本気をだしたら、真面目にやったら、なんてやれもしない幻想に溺れていくんだ。何も変わらない、どんなことに対しても真剣に頑張れない負け犬として、一生生きていく。そして、頑張る周囲の人たちからどんどん取り残されていくんだ。想像付くだろ?」


「……は?」


「やる気がでたら、とかやりたいことが見つかったら、とか考えてたんだっけな、このころの俺は。アホらしい。そんなものが見つからないまま16歳になってるのに、どうしてこれからの時間でそんな運命的なきっかけが見つかると思うんだ?」


「……なんだよ、マジで……」


「なあ。お前、椿さんのこと、好きなんだろ?」


「ああ、そうだけど……」


「このままじゃ、お前、椿さんを見殺しにするぞ」


 とにかく俺を否定してくる男にイライラしながらも話を聞いていたが、その言葉を聞いて、一気に血の気が引く。俺が、見殺しにする?


「はあ!? なんでそんなことになるんだよ! 見殺しってなんだよ?」


 男の周りが、朧げになっていく。それに気づいたそいつは不機嫌そうに、舌を鳴らす。


「時間がない。要点だけ伝えるぞ。今ならまだ間に合う。何にも考えないクソみたいな脳みそちゃんと動かして、よく聞けよ」


 いちいち避難してくる自称未来の俺を気にする余裕すらなく、続きの内容に集中する。


「ああ、わかった……」


「椿さんは、今から一か月後くらいに五歳年上のクソ野郎と婚約する。この時代に珍しい、親同士が決めた婚約だ。相手はあの大企業、梅島グループの御曹司、梅島新ってやつ。こいつは本当にクソ野郎だ。そいつの父親で、グループの今の社長が凄く人間としてできた人で、あの野郎も外面はいいから真面目で優秀な跡取りってことになってるから、椿さんの両親もいい相手を見つけたと思って婚約を取り付けてしまう。椿さん両親の会社にも利益のある話だったしな」


「婚約……?」


「ああ。椿さんが大学を卒業したら結婚するって話でな。俺が来たのは今から七年後、椿さんが死んでから七年後。俺は七年間後悔し続けて、ふと母校の前を通った後、気づいたらここにいたんだ。理由なんてよくわからないが、お前が今日学校生活を過ごしている一日も見ていたし、今のお前の状況も手に取るようにわかる」


「で、なんで、椿さんは死ぬんだ?」


「婚約相手の梅島の、クソみたいな女性関係に巻き込まれて、お腹を刺されて亡くなるんだ。梅島は、女癖が悪かった。色んな相手に手を出して、そのうちの一人が嫉妬に狂って暴走する。嫉妬で狂ったその女は、梅島のストーキングを始めるんだ、丁度、椿さんと、梅島が顔合わせをする日に……」


 男はその出来事を思い出して歯噛みしながら、両手の拳を力強く握りしめている。


「そして椿さんは、梅島に会ったところで嫉妬に狂った女に殺されてしまうんだ。状況がよくわからないまま勘違いで襲われて、何もわからないまま命を失う。こんな理不尽、許されるわけがない……!」


「なんだよそれ! 完全にとばっちりじゃないか……!」


「そうだ」


「運が悪かったってなんだよ……なんで椿さんがそんな目に遭うんだよ! 助ける方法はないのか? あるんだろ!? さっさと教えてくれよ!」


 男が俺に、ゆっくりと近づいてくる。その足音が、妙に大きく聞こえる。


「なあ、七年前の俺。俺は、ずっと後悔していたんだ。椿さんに「好きだ」の一言も、「婚約なんてしないでくれ」なんて言葉も言えず、自分以外の男でも、彼女が幸せになれるなら、なんて負け犬根性で、引き止められずに送り出してしまったあの日を……」


 男の魂のこもった声が、俺の全身に響く。


「俺があの時、椿さんを止められていたら、もっと仲良くなっていて、止められるような立場になっていたら! 相手のことを調べていたら! 何より、本気で彼女に好きになってもらえるように頑張っていたら! そんな後悔がずっとずっと無くならないんだ!」


「……」


 顔色の悪い男が、両手を大きく広げている。


「これが、好きだった女の子に好きになってもらえるような努力もせず、将来のために勉強を頑張ることもなく、部活も適当にやって、何にも全力で取り組まなかった、つまらないお前が行き着く先だ。好きな女の子が不安そうに婚約の相談をしてきたときに、なんにも出来なかった男だ」


 改めて男の全身をはっきりと見る。


 こいつは、本当に俺なんだろう。あり得ないことのはずなのに、なぜだか確信できる。これは、俺の未来の姿だ。

 

 だらしない、そう表すのがしっくりくる、小さいころなりたくなかった大人に七年後の俺はなっていた。今よりも少し太ったのか、丸い顔は青白く、肌は汚れていて髪はぼさぼさで、不健康そうで良い印象なんて誰も感じないだろう。ましてや、こんな人間と付き合いたいと思う人間なんていないだろう。しかし、俺を見つめるその目だけは、力強くこちらを射貫いていた。


「あとから、椿さんの友達に言われて初めて知ったんだよ。俺たちは両想いだったんだって。俺は……俺は、いつもは根拠のない自信があるくせに、肝心なところで自分に自信を持てず、椿さんに想いを伝えることができなかった。そのせいで……彼女を死なせてしまった。永遠に伝えられない思いを抱えたまま、後悔だけを背負って生きてきた。お前は……こんな風にになりたくないだろう? 頼むから、お前は頑張ってくれ。お前の未来はまだ決まっちゃいないんだ! だから、どうか俺みたいにならないでくれ……。そして、そして……頼むから、椿さんを救ってくれ!」


 涙が混じった声で、未来の俺が俺にすがりつく。


「今なら、お前が未来の俺だってことが確信できるよ。その感情だって、手に取るように伝わってくる。お前がどれだけ後悔して、自分を呪ったのか、恨んだのかが俺に痛いほど伝わってくる。だからこそ俺は、絶対にそんな風にはなりたくない……!」


「ああ、だからお前は、椿さんとアイツの婚約話をそもそも起こらないようにするんだ」


「そこだよな……」


「俺の世界では両想いだったらしいが、今のお前がどうかはわからない。だから、椿さんに好きになってもらえるような人間になるんだ。そして、真っ直ぐ気持ちを伝えるんだ。まず、この二つだけでも大変だろう。その条件をクリアしてからさらに、椿さんの両親にも認められなければならない。彼女の両親は婚約者探しこそ失敗したが、娘思いの良い人たちだ。娘の相手として相応しいと思ってもらわないといけない」


「あの大企業の社長だし、そうだろうな……」


「お前ももうわかってるだろ? 俺は、俺たちは本気で頑張ることなんて、ろくにできないクソみたいな人間だ。次こそ、明日こそ、って意気込んでも、次の日には忘れて今まで通り。立てた勉強計画も、早起きの決意も、部活でレギュラーになりたいって気持ちも、いつの間にか全部忘れて、それなりの現状に満足するような奴らだ。本気になったらって思ってる今が俺たちの本気だったんだ」


「ああ……」


 自分の言葉の一言一言が、心に突き刺さる。

 

 最初はいい成績を目指して頑張ろうと思い立っていたテストも、気づけば現状維持で満足して、ろくに頑張りもしなかった。


 朝練に行くために早起きして、母さんの負担にならないように自分で弁当を作っていこうと思っていたのも最初だけだった。料理がそもそも下手だし、夜更かししてゲームや動画を見ているせいで、早起きもできなかった。


 高校から始めたバスケでも、いつか絶対にレギュラーになって試合に出たいと思っていたけど、俺より歴の長いやつらに勝てるわけない、なんて免罪符を盾にずっとベンチを温めている。


 こんな現状でもそれなりに楽しく過ごせていたんだ。


 それなりに。


「椿さんのことだってそうだ。椿さんのことが好きだと自覚しても、付き合いたいって思うだけだった。好きになってもらうための努力もせず、そうなったらいいな、の願望を持ってただ生きているだけだ。だが、これでお前は、俺とは違う道を進むだろう。自分の愚かさに気付けるようなきっかけもないまま、ただ生きてきた俺とは違う、な……」


「ああ……好きな子に幸せになってほしいなんて思うなら、他力本願でいいはずがない。だから、彼女に見合うような人間になって、俺が絶対に幸せにするよ。お前の分まで」


 未来の俺の感情が、俺に伝わってくる。


 未来の俺が失ってはじめて気づいた、椿さんへの想いの強さが、俺にはもう自覚できた。


「もうわかったか? お前がやるべきことは」


「ああ、ありがとう。俺、頑張るよ。絶対に……お前の分まで……椿さんを幸せにしてみせる!」


「頼んだぞ……」


 男の姿が、消えていく。

 

 消えていく俺の最後の表情は、読み取れなかった。


 いつかやる気になったら、機会が来たら、本気を出そう。全力で頑張ろう。そんな「いつか」なんて、普通は訪れない。


 そのやる気も、ずっと続くかもしれないし、一過性かもしれない。


 俺と七年後のあいつの違いは、そんな機会がもらえたか、もらえなかったか。本当にそれだけ。あいつがくれた機会、気づきを、無駄にせず全力で生き抜こう。


 やれることすべてをやりきって、椿さんに好きになってもらえるような人間になって、絶対に彼女を幸せにしてみせる。





―――――――


20時に後編を上げます。


よろしくお願いします。

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