戦の音


皇都バハダートの北、ザグールスの山々を超えてさらに北、緩やかな山々の織り成す谷の狭間にその集落はあった。草が生い茂り、木はまばら、山々もさほど高くも険しくもなく、遠くにマーゼトンの群れが点々と見える。谷間を流れ、集落を縦断している川の近くで戦士たちが毛長馬を駆っている。屈強な戦士達に囲まれて乗馬の指導を受けている少年がいる。満8歳を迎えたヤーリクである。


今年もアルワーディに帰ってきた。今年は20日間の帰郷が許されていて、三日前に到着してから武芸の稽古をずっとしている。

毛長馬を御することは本当に難しく、苦戦している。周りの大人は焦らないでいいと言ってはいるが、いざというときの移動手段の確保は大切だ。


「若君、将来は騎乗した状態のまま槍を扱うことになるのです。怖くとも背筋を張って前を見てください。」


「ズラグの言う通りです、腰が引けていると落馬の可能性が高く、もし落馬すれば隊列の馬脚を乱してしまいます。まして若君は我らの先頭に立たれるお方。落馬すれば後続が踏みつぶして命はないでしょう。」


とりあえず「分かっている。」と空返事をする。この話はもはや耳にタコができるほど聞いた。だが怖いものは怖いのだ。いくら今は仔馬に乗っていて周りから支えられていようと、人が牽かずに自分だけで馬を制御するようになったとたん、毛長馬の歩調が変化し上下に大きく揺れる。この振動で落ちそうに思い、怖くて姿勢をまっすぐにしていられない。

更に俺の乗っている仔馬は若くて未だに調教が足りていないせいか、素人騎手の俺を明らかに見下していて振り落とそうとしてくる。乗っているだけでも危険と言うのに降りても顔が蹴りにくるので危ない。

部族の大事な次期族長をこんな毛長馬に乗せてもいいのかと思っていたのだが、質の悪いことにサクロン族の戦士は暴れ馬を御する者こそ勇士であるという独特の感性を持っているらしく、あえてこの仔馬を選んだそうだ。騎馬の鍛錬は前途多難である。




今日の鍛錬が終わり城の厩舎に帰る。幾度と蹴られそうになりながら生意気な仔馬の体を拭いて根菜を食べさせる。


さて、この毛長馬、一応馬の区分ではあるようだが普通の軍馬とは一線を画す、サクロン族の誇りであり数百年にわたるパートナーだ。その名の通り毛の長い馬なのだが、肉付きと防御性、顎の力は軍馬と比べても段違いだ。

重い自身の体毛、鎧をまとった戦士、馬鎧、馬具を載せて突撃を敢行するため、筋肉の頑丈さは必要不可欠で、この体毛と筋肉の発達によって防御性が各段に上がっている。ただ、これらの欠点は持久力がなく、旋回性が悪いことである。短い距離なら全力疾走できるが、伝令や斥候には全く向いていない。

ところで顎の力はどういうことなのかと言うと、サクロン族の誇る毛長馬は出陣に際して、騎馬のように鋭くとがった牙状の武具を装着する。突撃の際に戦うのは馬上の戦士だけではなく、毛長馬はその牙で敵の馬や歩兵の喉に噛みつき引きちぎる。そのため毛長馬の顎の力は格段に強く、普通の馬よりも口が横にでかい。まさに人馬一体となって戦う化け物集団だ。これこそがサクロン族の毛長馬が恐れられる代名詞と言える。

毛長馬の特徴は他にもある。こいつは性欲がほとんどなく、雌も雄も積極的に子孫を残そうとはしないのだ。そこで、二千ほどのサクロン族の中でも数人しか知らない特殊な薬を使い、精子を採取し、これまた違う特殊な薬で排卵させ、人工授精させることでようやく子供を確保できる。調教などもノウハウがないと難しく、今のところサクロン族とその支族以外にサクロンの毛長馬を持続可能に育てられるものはいない。




数日後、俺の姿は広間にあった。これから一年に一度の大集会が開会するのだ。サクロン族とその支族(纏めて大サクロン族)の族長とその次期族長が一堂に会し、各々の近況の報告と今後の一族の方針を決める大事な集会だ。銅鑼の音が響き、集会が開始した。


「アルワティ・アンナビリが司会を務めさせていただきます。よろしくお願いいたします。」


この場にて発言が許される7支族が序列順に近況報告を開始する。


部族社会において序列は絶対である。序列は宗主族>支族、親族>子族といったような大きな族単位の序列と、主家>分家といった家単位のもの、族長>長老>次期族長>族長夫人という族内のもの、家長>正室>嫡子>側室>正室の子>側室の子といった家内のものまで多岐にわたり、それらを組み合わせて自分より目上かどうか判断しなければならず、面倒この上ない。

さて、発言している7支族の内、3支族は有力な孫支族で、他は直系の子支族である。それぞれ序列上位順に子支族は

トゥヴェル・サクロン族

オクタム・サクロン族

アショ・サクロン族

ブランネイ・サクロン族で、

孫支族は

オロ・トゥヴェル・サクロン族

アヴルア・トゥヴェル・サクロン族

マンシュク・オクタム・サクロン族である。


アショ・サクロン族の族長が口を開く。


「やはり今年も北のアブルビ族に動きはありませんな。帝国傘下の我らを心底恐れている様子。あともう数年は北も安泰でしょう。」


「私も同意見です。アブダビは動かんでしょう。」


トゥヴェル・サクロン族族長も同意した。この北に住む二族の言、間違いはないだろう。あと数年は大きな戦がないかもしれん。戦闘大好きサクロン族としては悲しいことのようでアブダビを腰抜けとののしるものが多い。


「さて、報告も出そろいましたかな。それでは次に…」


「待て。」


アルワティの声を遮ってオクタム・サクロン族族長が口を開いた。


「戦の用意をする必要があるやも知りません。」


「というと?」


「はい。風のうわさで聞いたのですが、最近アデノの南、ジャンヌヴ辺りがきな臭い様子。子爵位ファルザ族とその一派が何度も兵を送ってきているようです。儂の予想では二年か一年後というところです。」


その話は俺も聞いていた。大事ではないと判断して報告はしなかったがこの場にいる最長老、オクタム・サクロン族族長は何か感じるところがあるようだ。父上は思案顔、顎のひげを何度もさすっている。


「ふむ。お主が言うならばその通りになるやもしれん。ヤーリク、何か進展あればすぐに伝えよ。」


「はい。」


皆の表情は硬い。それだけオクタムの族長の言は重いのだろう。

広間の木窓に打ち付ける風が勢いを増した。沈黙が広がり、思案にふける皆の頬を木窓の隙間から漏れ入った風が撫でている。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

帝国戦記 ー貴族の物語ー @0ctpus

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

フォローしてこの作品の続きを読もう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ