顔合わせ
皇都バハダートの北、ザグールスの山々を超えてさらに北、大きな盆地の中にその大きな都市はあった。高い街壁が街を囲み、外には畑が広がっていて家屋が点在している。街中は人で賑わっていて商人の客寄せの声が響く。街の中心に大きな城が鎮座し、この都市の主の権威を象徴している。そんな大きな城の前庭に多くの戦士が集まっている。その中に一人、小さな子供がいた。ヤーリクである。
不意の雨に会ったことで結局旅は三日かかった。それにしてもアデノはとんでもない大都市だ。今は城の前庭にいるのだが、ここにも外の露店で商売している者の声が入ってくる。民草の足音、馬車の轍の音、商人の呼び声、馬のいななき、とにかく音で満ちている。
周りのサクロン族の戦士も普段このような音の合唱は聞いていないためか落ち着かないようすでソワソワとしている。父上と長老は正式な臣従をツァーバノン族族長に報告するため、大広間に行っていて今は待機の時間。
実は俺はまだ自分の主、イステラ様についてほとんど聞いていない。現状未来の主についてわかっていることは俺よりも2つ年上であるということと既にヴォーラーヴォン族の従者が就いているということだけである。ツァーバノン族の戦士に話を聞いてもよかったのだが初めての旅に加え、未だ体力が十分についていない子供の体は想像以上につかれていてそんな話をする余裕はなかった。
この城の者もそんな俺の状況を分かってくれたようで今日はゆっくり休んで明日未来の主との対面らしい。父上が大広間から出てくるのを待とうと思っていたがどうも宴が始まるらしく、眠気がもう限界を迎えているので城の者に許可を取り一足先に眠ることにする。
朝が来た。大分深く眠れたようで頭がすっきりしている。父上たちは連絡員の戦士数名と俺を残してここを去ることになるので客室から出て見送りにいく。「励めよ。」というお言葉を残して父上たちは帰って行った。
さあここからだ。ここから俺の戦いが始まるのだ。
客室で待っていると城の若い執事に案内され、荷物を持って別館に行く。話を聞くとどうもここが我が主、イステラ様や族長であるガハヅーン様の妻達が暮らす館らしくその側近もこの別館内の部屋で暮らしているとのこと。
俺に与えられた部屋に案内され、荷物を置く。机と椅子、ベッドと荷物を置く棚、そして木の窓がある。思ったよりも快適そうだ。
しばらく待っているとさっきの若い執事に代わり、壮年の執事がやってきて客室のような所に通される。この見るからにベテランの執事はツァーバノン族のものではないようで、額の飾り角がなく、代わりに両耳に大きな金のリングをつけている。カルブ族の者のようだ。
「さて、今からイステラ様のもとへ行く前に、あなたの業務について説明します。」
「はい。」
丁寧に返事をする。道中の使用人が頭を下げていたことから察するに恐らく彼はこの館の使用人の中では上位の人物。さらに、サクロン族の族長嫡子を“あなた”と呼んだのだ。明らかに俺よりも上位の人物であるという現れ。
殊勝な態度を見せておくに越したことはない。彼は「よろしい。」と言って話を続ける。
「まず、私はムハーディムン・カルブ・カディム。この館の使用人長兼、城の第三家令です。あなたは今後私の下で働くことになります。とはいうものの命令の優先度は当然イステラ様の方が上であり、絶対ですが。あなたの主な業務は勉学、稽古に励み、イステラ様の将来の側近として相応しい力をつけることです。頑張りなさい。自分の勉強、稽古がない時間は常にイステラ様の近くにいるようにしなさい。」
「畏まりました。」
返事を聞いてムハーディムン第三家令は嬉しそうに「結構です。」と言って俺に待機を命じ、部屋を出た。数分後、彼は戻ってきて俺に付いてくるよう促した。とうとうこの時が来たのだ。
階段を上がり、三階へ向かう。家令曰く一階は厨房、使用人の部屋等らしく、本館と城壁でつながっている二階と、三階、四階に皆さまの居室があるとのこと。二階がガハヅーン様と正室、三階が嫡子と側室、四階が側室の子の居室らしい。三階に着いてひと際大きな両開きの扉の前に立つ。部屋の前の衛士が家令を見て扉をノックする。
少し待つと片方の扉が中から開いた。中に入り、すぐに平伏する。イステラ様は背を向けて勉強中であったようだ。
イスを引く音がして気配がこちらを向く。
「それが私の新しい従者?」
なんと、驚いた。女性の声だ。イステラというのは女性的な名前と思ってはいたが、まさか本当に女性であるとは。
家令が返答する。
「左様でございます。ヤーリク、面を上げ、自己紹介しなさい。」
頭を上げ、イステラ様を見る。黒髪黒目、長髪、褐色の肌をしておられる。華奢な体にぱっちりとした目、美しい鼻筋。まだ7歳だが、将来は相当な美人になるだろう。そして何よりも気品がある。生まれつきの王者のそれと言ったら分かるだろうか。油断したら飲み込まれそうな人物。私が言うのもなんだが、本当に子供なのかこの目の前の御仁は。末恐ろしい。
まっすぐ目を見て自己紹介する。ここで嘗められてはいけない。
「サクロン族族長にしてアルワーディ候、アッタジニーブ・サクロン・アンナビリの息子、ヤーリク・サクロン・アンナビリです。お世話になります。よろしくお願いいたします。」
しばしの沈黙、イステラ様がこちらを向いて微笑みかける。
「殊勝な態度と5歳にしてはよくできた挨拶、気に入った。ムハーディムン、下がりなさい。新しい従者と親睦を深めるとします。」
家令は「畏まりました。」と返事をして扉の外に退出する。少し経ってイステラ様が口を開く。
「ヤーリク、楽にしなさい。私の従者長を紹介します。」
先ほど中から扉を開いた黒目黒髪、短髪、薄い褐色の少年がイステラ様の隣に出る。非常に挑戦的な目をしていて気が強そうだ。
「彼女はヴォーラーヴォン族、シャジャートン家家長サーヴン・ヴォーラーヴォン・シャジャートンの嫡子、スィラニ・ヴォーラーヴォン・シャジャートン、仲良くしてあげてね。」
彼女?この少年は少女であるのか。少々面食らったがよく考えれば当然の話。側近は身辺警護も兼ねるのだ。風呂やトイレが発達して、部屋割りがされているのだから同性の側近は必ず必要だ。
「ご紹介にあずかった、スィラニだ。よろしく。」
手を差し伸べてきたので立ちながら手首同士をつかんで握手する。イステラ様がニコニコしながらこっちを見ている。
「スィラニ、城の中をヤーリクに案内なさい。私はもう少し本を読むことにします。」
「ははっ。」とスィラニが答え、俺の手を持ったまま扉の外に退出する。
まず始めは別館の案内からだった。4階とも見て、本館に行く。初めて入った本館は非常に豪奢だった。他の部族の使者などを受け入れてその権威を存分に見せる場なのだろう。廊下や部屋中に数多く美しい調度品や武具が並んでいる。
一階は大広間と厨房、衛士の詰め所があり、二階は広間と城主の執務室、3階は文官たちの仕事場などがあり、4階は図書室、武器庫、大金庫があってその上の尖塔の先には鐘がついている。
最後にもう一個の別館に行った。そこは下級使用人などが住む3階建ての館で、本館とは接続していない。この3つの館以外にも馬屋や衛士用の武器庫等々施設はあるらしいがそこにはいかなかった。
一通り回り終えたようで。スィラニが「イステラ様の居室に帰るぞ。」と言う。この小さなツアーは非常に良かった。また、家中の色々な人物が見られたのが面白かった。
特に今俺の前を歩くこの小さな従者長さんの人となりが知れた。俺よりも一つ上の6歳で、先輩風をふかしたい年頃らしい。しっかりしてはいるがまだまだ子供だなとほほえましく思いつつイステラ様の居室に帰る。すでに日は傾いていて、夕食の時間だ。
イステラ様の居室に戻って三人で今日の報告会をしているとイステラ様の夕食の時間が来た。三人で本館2階の広間に行く。すでに夕食に参加する他のメンバーは揃っていて、イステラ様が食卓に着いてすぐに夕食が始まった。メンバーはガハヅーン様とその正室、側室たち、側室の子たちである。当然ながら私達従者は各々主人の後ろに控えているのみである。
それにしても初めてガハヅーン様を見た。その政策からして文官肌の男なのかと思っていたが全く違う。荒々しい風貌で、為政者にふさわしい凄みがある。我が父上も相当な武勇に優れた化け物の風体であったがこの男はそれ以上だ。俺ぐらいの小さな子供なら簡単にちぎれそうな巨躯である。
それでいて家族と話している内容は領地経営の話で、去年の穀物生産量の話をしている。非常に知的だ。何故今代になって父上が臣従したのかがよく分かった。この化け物と我がサクロン族が戦わなくて本当によかった。
夕食は和やかに進み、最後に新しい従者である俺の話題が出て、よろしくお願いしますと言って夕食は終わった。イステラ様とスィラニはこのまま風呂に入るらしく、暇が出された。
当然ながら使用人用の風呂なんてものはないので俺は風呂に入らず自分の部屋の荷物整理をする。もらったスカーフを壁に飾り、棚に服を入れる。イスに座るのは久しぶりで、なんだか変な感じである。朝案内してくれた若い執事がやってきて数日分の従者用の服一式とベッドのシーツと毛布をくれた。また、朝は主人より早く起きて井戸で行水しろとのことだ。最悪である。この世界の朝は早く、朝三時くらいには皆起き始める。主人たちは5時くらいに起きる。つまり三時から五時の日が昇っていない寒い時間に行水しろということらしい。自殺行為だと思うが仕方ない。郷に入っては郷に従え。文句は言うまい。
そうこうしているうち、スィラニがイステラ様を寝室に送り届けて帰ってきた。二人で使用人の食堂に行き夕食を食べる。時刻は八時を過ぎた程である。スィラニの部屋は俺の部屋の隣なので一緒に帰って就寝する。
ある春の忘れられない長い、長い一日が終わった。
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