すれ違いを解いて

道化美言-dokebigen

すれ違いを解いて

 銃か魔法が使えないと人権がないとさえ言われる国。そこでただ一人の勇者に選ばれたのは、銃も魔法も使えない出来損ないのアタシだった。

 

 ずっと、恨んでるひとがいる。アタシの味方だって言っておきながら、アタシを、アタシと妹を騙し続けて裏切ったひと。多分、アタシに「コゼット」という名をつけたひと。

 十年間ずっと。一日たりとも忘れることなく、あのひとへ復讐し、妹を生き返らせるために今日という日を心待ちにしていた。

 どれだけ虐げられても、どれだけ傷を負っても、どれだけ自分を嫌いになっても! 何もしない癖に口だけはうるさい有象無象を実力で黙らせて、ただあいつを、クソ師匠を殺すことだけを考えて生きてきた。

「勇者様、大丈夫ですか?」

「ああ。早くあの魔王の首を持ち帰ろう。我が国に平和を!」

 馬に乗り、使えもしない銃を天に突き立て。銀の短髪を揺らし、赤い目が興奮に深く染まる。声高らかに宣言すれば雑魚の数を減らした魔族領、その中心。アタシたちは魔王城へと乗り込んで行った。

 

 

「なあ師匠、久しぶりだな。アタシのこと、覚えてるか?」

 子供の頃は毎日目にしていた重厚な扉を蹴り飛ばして破壊する。ずかずかと王座のある広間に侵入し、血と泥で汚れた靴で、汚れが嫌いなあいつのため部屋を汚した。

「コゼ……今さらお前に師匠などと呼ばれたくない。反吐が出る」

 だだっ広い広間にひとつ、重みのある声を発する黒い影がアタシを出迎えた。

 魔族の象徴である二本の漆黒の角も、長い赤毛のぱっつん髪も、切れ長な金の目も、穢れを知らないような白い肌も。何一つ、記憶の中にいるあいつと変わっていなくて、思わず口元が歪に弧を描いた。

 いや、いや。少し変わった。甘ちゃんで、アタシに柔らかい眼差しを向けてきた金の双眸は背筋が凍りそうなほどに鋭く冷たい。

「あっは! そりゃあいい。お綺麗な顔をした魔王様のゲロだ。人間にとっちゃいい薬にでもなるんじゃねえの?」

「相変わらずだな。そんなおつむでここまでこられたのか。ふむ、我が軍も鍛え直したほうが良いらしい」

「あ?」

 ビキリと青筋が立つ。あー、くそっ! こいつと話すと調子が狂う、イライラする!

 強く握りしめた両手。手のひらに爪が食い込み、つぷ、と皮膚が裂ける感覚を覚えた。

「くそっ! ほんっと、うざってえな! 殺す、絶対殺してやる! あんただけは絶対殴り殺す! クソ師匠!」

 腰に下げた銃を投げ捨て、甲冑をあいつに向かって投げ飛ばす。

「随分と野蛮になったものだな。だが、わたしはお前と戦う気などさらさらない」

「は?」

カツリ、コツリと黒いヒールが床を打ち、やがてその音はアタシのすぐ傍まで近づいてくる。何百人と人が収まりそうな部屋で、あいつは攻撃する素振りも見せず、わざわざアタシの傍までやってきた。記憶にこびりついた甘ったるい匂いを漂わせながら、アタシの横を通り過ぎようとしたクソ師匠の肩を引っ掴む。

「おい! 待てよ、何逃げようとしてんだアディラ!」

「っ……。わたしが戦うのは勇者とだけだ」

「あぁ? アタシが今代の勇者だっつってんだろ! アタシは! アタシらを裏切ったお前を殺すためにここに来たんだよ!」

 こいつを。アディラを殺さないと、アタシはアタシを許せない。

 こいつが、アタシの妹を殺したんだ。

 それなのに、まるで自分はやっていない、哀れな人の子を助けてやったと言わんばかりに善人ぶった笑みを貼り付けて子供だったアタシを騙してきた。

 こいつの心臓さえあれば、あの子はまたこの世界に戻ってきて、アタシの前で笑ってくれるんだ!

 肩に置いた手に今までの憎しみと力を込める。アタシより高い身長のクセに細っこい身体は、たったそれだけで容易に皮膚を破ることができた。こいつは特異な体質で、人間の血に触れると火傷する。だから、手のひらに付着した、今でも流れ続けるアタシの血をアディラの傷口を抉るように塗りつける。すると、じゅっ、と耳触りの悪い音が鳴り、アディラの肩が仄かに熱を持つ赤い光を帯びた。

「……お前は勇者なんかじゃない。いい加減、人間の醜さに気づいたほうが良い。わたしは、魔族の世界を人間から守るために戦うだけだ。お前と遊びたい訳じゃない」

 眉一つ動かさずにアディラはアタシを睨んでくる。まるで、説教でもするように。説教。ああ、そうだ。こいつはいつもいつも、上から目線で語ってきて癪に触る!

「おあいにくさま。とっくにアタシはあんたも人間も魔族も大嫌いだ! あんたらに向けてゲロでも吐いてやりたいくらいにな! アンタ諸共、アタシを邪魔する奴は全員ぶん殴ってやるよ!」

 

 

 ただ、大好きな妹と師匠と、穏やかに暮らしたいだけだった。

 アタシと妹は双子で、双子は不吉の象徴だという村の言い伝えから、生まれてすぐに魔族領へ捨てられていたらしい。そこで魔王アディラに拾われ、育てられた。

 あいつはアタシらに勉強を教えて、食事を与えて、体術を学ばせた。妹は幼いながらにどれも完璧にこなしていたが、アタシは体術以外からっきし。

 でも、あの城に住む、アディラも、妹も、アディラを慕う魔族たちも、誰もアタシのことを馬鹿にすることはなかった。それでいいと、受け入れてくれた。

 受け入れてくれた……ように見せていただけか。

 アタシが十二の歳になったある日。妹が姿を消した。あいつらは魔族領中を探した結果、妹の気配はなく、人間の国でそれらしき魔力の残滓を、すでに死んだ気配を確認したとほざいた。

 アタシはそれを信じて、ただ泣くだけだった。

 人間は何度でもアタシらを苦しめてくると恨んだ。

 それなのに、アタシが十五歳になった日。ぶらぶらと領内を歩いていれば、見知らぬ人間に声をかけられた。

『君の妹はあの魔王が生贄にするため殺したんだ』

『あの魔王の心臓を使えば妹さんを生き返らせることができる』

 と、そう言われた。

 こいつらは何を言っているんだと思ったが、数々の証拠を見せられて、アタシは絶望した。

 水晶に映った、アディラが妹を殺す姿。

 怖くて、声が出なくて。泣くことしかできないアタシに奴らは続けた。

『君は今代の勇者に選ばれた。私たちとあの魔王を討伐して、妹さんを取り返そう』

 にっこりと笑う奴らの手をとって。

 気づけばアタシは、人間たちの勇者になっていた。

 

 

 突き放すように肩を押し、思い切り拳を振り上げる。

 揺らぎ、一歩後ろに下がった体。避ける気配のないその腹に一発拳を突き立ててやった。

「んぐっ……」

「ハッ! 肉弾戦が好きな魔族の中で、甘ちゃんで魔法しか使えないアンタには痛かったか、な!」

 間髪を容れず、横腹を蹴る。

 咳き込みながら風魔法か何かで浮遊し、王座の前まで戻り離れたアディラを鼻で笑った。

「フン、アンタが得意なのは遠距離魔法だろ? なら間合いさえ詰めればアタシのもんだ!」

 途端、広間の外からバタバタと複数の足音が聞こえてきた。振り返れば、別行動していた聖女や王国の戦士たちと目が合う。

「そっちは終わったか! なら手を貸して——」

 目線をアディラに戻した途端。鳴り響いた発砲音。ドッ、と衝撃とともに胸に激痛が走った。

「はっ……?」

 ぐらりと体が揺れ、冷たい床に崩れ落ちる。

 次いで短い詠唱が聞こえ、氷が足を裂き、両足の腱がぶちりと音を立てた。

「いっ、づ……⁈ クソっ、なんで……」

 白い質の良い服がなびき、微笑みを湛えた聖女がアタシの前にやってきて、しゃがみこんだ。

「なんで、ですか。当たり前でしょう? あなたは勇者なんかじゃない。魔王の気を引くためのただの囮……使い捨ての人質ですよ。本物の勇者、あなたの妹はとっくに国のための研究材料として死んでいますしねぇ」

 口元に手を当て、優雅に笑う聖女の言葉に思考が止まりそうになった。

 どういうことだ? そんなの、それじゃあ、アタシは何のために師匠と、戦って……。

「っ……騙したのか⁈ 言ったじゃないか、アディラの心臓を使えばあの子は生き返ると。こいつがアタシたちを裏切ったんだと!」

「あっはは! まだそんな嘘を信じていたのですか? 死んだ者を生き返らせる魔法なんてあるわけないでしょう」

 這って、なんとか持ち上げていた顔が床とぶつかる。

 体中が痛くて、寒くて、苦しくて。なんだかもう、何も考えたくなかった。

 視界が掠れ、意識が遠のく。最後に見たのは、どす黒い魔法を細い体に纏わせるアディラの姿だった。

 

 

「起きたか。コゼット」

 意識が覚醒して、まず目に入ったのは鮮やかな赤毛。一瞬、子供の頃に戻ったような気もしたが、すぐに聖女たちに裏切られたことを思い出した。

「……なんだよ。殺しときゃ良かっただろ、なんで生かしてんだよ——」

 瞬きをして、重い瞼をぐっと持ち上げる。すると、目の前の赤毛がふらりと揺れ、言い切る前に甘ったるい匂いが肺を満たした。

「生きてて、よかった……」

 震える声が耳元で落とされ、背に回された腕にようやく抱きしめられていると気づいた。

 人間の国にいて身を案じられたことなど、よく考えてみたら一度もなくて。心から安心したような、アタシを必要としているような。昔みたいな柔らかい声で呟くアディラにカッと顔が熱くなった。

「バッ、カじゃねえの……。アタシはあんたのこと、殺そうとしてたのに」

「いいの。ごめんなさい。わたしも、ずっとコゼットがわたしたちを嫌いになって離れたと勘違いしていたから。もっと、苦しかったでしょう」

 少し低い体温の手が頬の擦り傷を撫でる。

「ねえ、コゼット。これからどうしたい? 人間に復讐したいのなら、わたしは止めない。ここで暮らしたいのなら、また、一緒に暮らそう」

 穏やかな師匠の声がぐちゃぐちゃとした心に沁みて、唇を噛んだ。

「アタ、シは——」

 師匠のローブに手を伸ばす。

「おかえり、コゼット」

 潤んだ目で笑うアディラは、いたずらに拳を突き出してきた。

 こつりと傷だらけの拳を合わせる。

 弱い涙を流したのは、妹を失い、師匠に裏切られたと思ったあの日以来。十年ぶりのことだった。

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