ごめん、夢があるから

紫鳥コウ

ごめん、夢があるから

 ひざまくらをしてくれている陽奈ひなほおをさする。光を背に受けて、陰のなかにある彼女の顔は、風鈴の音色によく似合っていた。

 すると、陽奈は僕に口づけをしてくれて、「してほしそうだったから」と微笑んだ。なにをきっかけにキスをしようかと迷っていたのは事実だった。

「美術部って、夏休みはなにしてんの?」

 キスをしたかったことを見透かされてしまったのが恥ずかしくて、急に部活動の話題を放りなげた。

「秋のはじめにコンクールがあるから」

「ふうん……じゃあ、こうしてていいの?」

「もう完成しているから。帰宅部さんは? 受験勉強でもしてるの?」

 受験勉強なんて、三年生になってからすればいい……だからといって、毎日、なにもしていないわけではない。帰宅部なのは、学校に文芸部がないからだ。

 自分でコンテストを探して、どんどん小説を投稿している。だけど、結果はひとつもでていない。ネットの投稿サイトに掲載した小説には、信じられないくらいひどい「感想」がつけられることもあった。

「分かってるって。翔太しょうたがなにをしてるのかなんて」

 そう言って微笑んで、陽奈は頬を指で突っついてきた。見返してやりたい、という気持ちがわいてきた。他愛たあいない言葉のなかに、なんでとげのようなものを感じてしまうのだろう。


 初めての同人誌ができあがった。美しい表紙だ。商業の本だと思われるかもしれない。すると、中身の稚拙ちせつさが意識されていく。表紙が主役であり、中の物語は脇役……というより蛇足だそくのように思えてきた。挿絵のあるページ以外は、捨てられてしまうかもしれない。そして、画集のようなていになるのかもしれない。

 投稿サイトに掲載している小説は、ほとんど読まれず評価されず、ネットで見つけたコンテストも大手出版社が主催する文学賞も惨敗続きで、こうして同人活動をして、少しでも認知してもらおうと必死になっている。しかし依頼したイラストを前に、自分がみじめに感じられて、イベントへの出店を取り消したくなった。

 陽奈に描いてもらった表紙。

 もう、陽奈の顔は見えない。背中しか見えない。


 何冊作っても、売れることはなかった。ただ、自分のブースに座っているだけだった。もうやめてしまおう――という気持ちになりつつあった。


 新年度になり合唱部の顧問にされたけれど、歌のことはなにも分からないし、指導できることもなにもなかった。部員たちは自分たちでするべきことを決めて練習し、大会に参加するさいの諸々の手配だけを、僕が受け持っていた。

 文芸部なら教えられることもあったかもしれない。どういうものが「良くない」のかは、きっと指摘できただろう。どうすれば「良くなる」のかは、部員に任せることになるだろうけれど。

 顧問の佐伯さえき先生は、部員たちに自由に書いてもらっていて、事務的なことだけを引き受けていた。僕と同じだった。


 夏休み。生徒たちがまばらな学校。

 職員室でふたりきりになったのを見計らって、佐伯先生に告白をした。「そうだと思ってました。いつ好きって言ってくれるのか、楽しみにしていたんですよ」と、言い返された。くすくすと笑う佐伯先生――美雪みゆきは、目尻を指でぬぐっていた。

 僕たちは、生徒には内緒で付き合うことにした。絶対に、そういうそぶりをしてはいけない、というのがルールだった。いつも通りにしたい。そういう気持ちが裏返って、生徒がいなくなった夜、ふたりきりの職員室で、こっそりと口づけをした。

「ばか」

「ごっ、ごめん」

 休日は、美雪の家でまったりとした。彼女は手料理をふるまってくれた。一緒にRPGゲームをした。仕事の愚痴を言い合ったり、将来の希望を語り合ったりした。一緒のベッドで寝ることも、度々たびたびあった。

 結婚――僕の頭には、すでにそのことが浮かんでいた。


 高校の同窓会で、陽奈と再会した。

「もう本は作らないの?」

 あのころと変わっているだろう、と想像していたところだけが、変わっていた。だから、むかしの陽奈といまの陽奈とが、違ったひとだとは感じられなかった。その分、陽奈が元カノだということが、強く意識された。

「もうプロになるという夢は捨てた。守るべきひともできたことだし」

「あっ、結婚したんだ」

「ううん。結婚をするだろうなっていう気がしているひとが、いるってこと」

「そっか」

 自分に彼女がいるということを、元カノへ向けて言う必要があったのだろうか。

「陽奈は、イラストの仕事で忙しそうだね。街中まちなかで絵を見かけることもあるし……あのときの同人誌、ものすごくレアなものになっているだろうね。中身は恥ずかしい出来だけど」

「もういいよ」

 まるで、そんなことは聞きたくないとでも言うような、口ぶりだった。その勢いにぼくは押し黙ってしまい、なにも言葉を発することができなかった。

「ごめん、わたしには夢があるから」

 陽奈は、僕に背を向けて、別のテーブルへと行ってしまった。ひとり取り残されてしまい、所在なくしているところに、当時あまり話さなかったクラスメイトが声をかけてきた。そして、決まり切った答えを言うだけの質問をしてきた。


 やはり、美雪と結婚をすることになった。いさかいも、障壁もなく、順風満帆にことは進んでいった。陽奈に――山城やましろさんに招待状を送ったものの、用事があるとのことだった。お祝いの言葉も、ひとつももらえなかった。


 結婚記念日の一週間前。プレゼントを買いにいく途中、駅前の大型ビジョンに山城さんのイラストが映っていた。なにかのブランドとコラボをしたらしい。順調に活躍の場を広げているみたいだ。

 ぼくもいま、ありあまるほどの幸福に包まれている。二人目の子どもが産まれるのだから。



 〈了〉

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