Fri-End

日野黎明

Fri-End

「別れなんて慣れたくないね」

数時間続いた沈黙は、彼女の一言で破られた。

六畳一間のスクリーンを朝日が照らしエンドロールを流す。

僕が彼女を見ていなかったからか、それともこの部屋に明かりが点いていなかったからかはわからないが、僕は今になって彼女の頬を伝う涙に気がついた。


僕は彼女を理解しているつもりでいた。


彼女とは付き合って別れてを繰り返している、お互い懲りずに二度も。

付き合っては別れそしてまた付き合って、「やっぱり」とか「間違いない」とかいうことを言い合う。

付き合いなおす度に彼女に染まっていく

僕の口癖が彼女に、彼女の口癖が僕に移っている事に気づいたときはとても温かい気持ちになったのを覚えている。


さっき彼女が発した言葉はそんな僕達にとっては特別な意味を持っていた。

だからこそ僕は、彼女の言葉に対して何も言えないでいた。

もしかしたら僕は彼女の青春を慣らしていたのかもしれない。

そんな後悔がまた新しく生まれる。

それでも僕を締め付けるのは見て見ぬフリをし、いつか解決するとどこかに埋めてきた過去の自分の行動だ。


「私あんまり自分の事好きになれなくてさ、愛してるとか大好きとか伝えるのが怖くて」


―わかってる


「自分の気持ち伝える事でわがままだって思われるのが怖いの」


―そんなことない


「だから一緒に居てくれる時間も、話してくれる時間も嬉しいはずなのに、最近は悲しくてさ」


彼女が発する言葉一つ一つが記憶を抉っていき、僕の過去の行動を掘り返していく。

そうやって埋めて隠していたタイムカプセルを掘り起こしてしまった。

心の声を抑えようと強く思うけれど、どうしてもそうはいかない

体を強く打ち痣ができるように、じんわりと情けなさに変わっていく。


「最後までこんな空気になっちゃってごめんね」

「いや、俺もごめん。」


もう何に謝っているのかもわからないほど後悔で埋め尽くされていた。

そんな中で、いつの間にか速くなっていた自分の鼓動に集中する。

これも逃げなのかもしれない、けれども今は感情的になってはいけない。

そんな張り詰めた集中の糸が彼女の一言で音を立てて切れた。


「昨日、死にたいなんて言ってごめん」

そういう彼女の瞳は間違いなく僕の心を見ていた

「俺も、死にたいなんて言わせてごめん」

最後までこの子の味方でありたい、そういった想いがまた蘇る


蘇る。あぁそうか、僕はこの子の味方である事をどこかで諦めていたのかもしれない。


「じゃあ、そろそろ行くね」

「あっ、送るよ」


半ば反射的に発した言葉に驚き、また鼓動が速まる。

なんとも言えない間が空いて彼女は僕を背にして立ち上がり、消え入るような声で発した。


「うん、駅までお願い」


ここから駅までは歩いて十分ある、少ないけどまだ十分話せる。


──ほんと最後まで自分勝手だよね


思い出したくない言葉が不意にフラッシュバックする。

僕は彼女を思って行動していた、その独りよがりな思いが彼女を苦しめていたのかもしれない。

そうやって思い返せば思い返すほど記憶の中にいる彼女の顔は暗くなっていく。


彼女は慣れた手つきでテーブルを片付け、荷物をまとめ始めた。

この光景ももう二度と見ることがないのかも知れない。そう思うと目が離せない。

うつろに見つめる僕を横目に彼女は私物をまとめ終えた。


「忘れ物あったら捨てるか貰っといて」

「あ、うん。りょーかい」


彼女がいつももっていた日記がテーブルの隅に置きっぱなしだ。


そうして家をでて駅に向かう、いつもの数倍も重い扉を開き、朝日を五体に浴びる。


この家から駅までの少しの時間。

普段はあっという間に過ぎていく時間を噛みしめ、いつもの会話をもちかける。


「コンビニよってかない?腹減ってるでしょ」

「うーん、あんまりすいてないけどいいよ」


いつも通りだ。と一瞬安心したがどうしてもこれからのことを考えてしまう。

先の懸念を振り払うように現在の事に集中しようとする。

だいぶ日が上がってきているがまだ肌寒い。

僕はこのなんとも言えない朝の空気感が好きだ。


あぁそういえば、彼女は朝日が上がりきらない時間帯の散歩が好きだったっけ。

朝の透き通った匂いはどこに住んでも変わらず、子供の頃を思い出す。

彼女もきっとそうじゃないかな。


なんてことをぼけーっと考えながら、いつものお茶と明太子おにぎりを買って外にでた。


脳の中はぐちゃぐちゃだけどいつも通りだ。明るく能天気な僕が復活すれば彼女はまた笑ってくれる。

今は、今だけはいつも通りの僕でいさせてくれ。


「おまたせ、ごめんちょっと一息ついていい?」

「ん…え、あぁおっけ!」


彼女はピースとライターを手に持ちコンビニを出てきた。

彼女と東京で再会した時、タバコを吸い始めたと打ち明けられた時はびっくりした。

僕がタバコの臭いと煙が苦手だって知っているのにどうしてだろう、と思ったが結局吸っている姿は見たことがなかった。

別れていた期間でも、きっと怒られるからという理由でずっと吸わなかった彼女が、

タバコを吸おうとしている。


「タバコ…やめたんじゃなかったの?」

「んー、もう我慢しなくていいのかなって思って」


その一言でまた胸が締め付けられた。

僕が彼女を縛っていたという事、ただの僕のエゴで彼女のよりどころを奪ってしまった事。


むせる彼女を気遣いながら気づいた、そういえばタバコを吸う彼女を初めて見る。

タバコの煙が顔の前を過ぎ、朝日を遮り立ち上るオレンジ色の煙。

嫌いだったはずのタバコの匂いが今は好きになれそうな気がした。

そうやって嗅いでいると初めて会った時の事を思い出した。


出会いは高校二年生の修学旅行の二日目、東京観光をしていた日のことだった。

お互い班からはぐれてさまよっていた時に、彼女から声をかけられたのがきっかけだった。

今思い返しても不思議だけど、人見知りの僕が自然と話せた初めての人だった。

それぐらい気が合って、趣味が合って、聞く音楽もアーティストも同じだった。

自分の鏡のような人だと思った。

自分の鏡のような人だったから自分の理想を押し付けてしまっていたのかもしれない。



思い返せば思い返すほど楽しい思い出しか出てこない、

腹立つ思い出がいくつかあれば嫌いになれるのに。

嫌いになってしまえばきっと別れなんて辛くないのに。


色んな事を考えているとタバコの煙がなくなっていたことに気づいた。

そして、彼女がまた涙を流していたことも。


彼女も僕と同じことを考えていたのかな、なんてまた女々しいことを考えている自分に腹が立ってくる。

こうしていられないと思い勢いに任せて駅に向かうことにした。


「よしっ!ほら、駅行くよ」

「うん」


彼女の返事を聞いて泣きそうになるがこぶしを握り締めこらえる。

駅まであと徒歩1分もない、それまでに気持ちを整理させないときっと笑顔で見送れない。

彼女はなんて考えているんだろう、僕の事をどう思っているんだろうなんてことを考えて歩いているとあっという間に駅に着いてしまった。


「これまでほんとにありがとね、いろいろごめんなさい」

「今生の別れみたいな雰囲気だすなよ!またどっかで会えるよ」

「そうだね、また逢えたらいいね」

「ん、またね」


いつも真っ直ぐ僕の事を見てくれる彼女が、この時だけははっきりと目をそらしていたのが分かった。

僕と同じで泣くのを我慢していたのかなと思いながら、彼女を改札で見送った。

彼女が改札を通ってからは視界がピンボケしたように濁ってなにも見えなかった。

しゃっくりに近い感覚を抑えながら駅を出る。


──ちゃんといつも通りやれていただろうか


別れを告げたはずなのに後悔が残る


──ちゃんと笑顔で見送れていただろうか。


きっと酷い顔で見送ってしまっていた。


やっぱり、最後に笑顔をみたい。

諦めが悪くて、情けなくて、女々しくてもいい。

僕もありがとうってちゃんと笑顔で言いたかった。

大好きだよって、ずっと君の味方だって、いつもみたいに彼女の目を見て言いたかった!


そんな後悔は僕を改札口へと走らせた。

すれ違う人や周りの景色、鳴り響く警笛の音と轟音を気にも留めないほどに。


そうして改札口についたあたりで異変に気付いた。

駅のプラットフォームから折り返してくる人やプラットフォームに向かわない人。

この時間の通勤ラッシュならあり得ない光景だ。

この光景とついさっきの警笛と轟音を思い出し意識が現実に引き戻される。


そして左後方のスピーカーから聞こえるアナウンスで頭が真っ白になった。


《申し訳ございません。只今、人身事故が発生しました。繰り返します

只今、当駅にて、人身事故が発生致しました》







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