iPhoneを持たない
細井ゲゲ
iPhoneを持たない
私はiPhoneを持たない。その代わりに全身真っ黒な野良猫を飼っている。近所の公園で母猫から捨てられた子猫がそこにいた。身寄りのないかわいそうな子猫を、私は咄嗟に抱え込み、六畳一間のボロアパートの一室に連れて帰り、そこからもう十年が経った。黒猫にはクロと名付け、長く連れ添ってきたが、十年も経てば、クロの毛並みも悪くなり、老猫と言っていい体になってしまった。
そんな私も、四十代に突入したのはいいが、妻子がいるわけでもなく、真っ黒な猫と私だけで、寂しく、ひっそりと暮らしてきた。しかし、私は、何も悔いることもなく、これまでの人生に対して、何も負の感情を抱くこともない。クロと過ごせた時間は、まさに私にとってかけがえのないものだったのだ。
クロは私に、こう言った。
「この、死体、どうするの」「どんどん、腐ってるよ」
私は、目の前にある腐敗し始め、死臭を漂わせる女性の遺体をじっと眺めた。部分的に蠅が群がり、よく見れば蛆のような虫も確認できる。
「どうしたも、こうしたもないさ。ただこのまま時が過ぎていくのを待つばかりだよ」
「でも、もう、まわりの人に、勘づかれているよ」
「まわりは何も関係ない」
私は立ち上がり、足裏に大小様々なゴキブリが潰れていく感触を感じながら、台所に向かい、水道の蛇口を捻る。途端に赤く染まった液体が流れてきて、私は手のひらですくって口の中に流し込んだ。想像通りの鉄の味が舌全体に広がり、それは喉奥にも染み渡る。
「宅配便です」
扉を開けると、そこにはボーリングの玉ほどの眼球に、一本の足が生えた、恐らく妖怪であろう人外が立っていた。私を見るや否や、目が中央から外に向かって裂け、中から長い舌が出てきては、その上に小包が置いてあった。それを両手で掴み、室内に放り投げると、私は右ポケットから錆びたフォークを取り出して、妖怪の眼球に突き刺した。紫色の血しぶきが舞い、妖怪は何の反応を示さずに「毎度あり」と言って、目にも止まらぬ速さで何処かに去って行った。
ふう、と短いため息をつく。セロテープで封をされた小包を錆びたフォークでこじ開けると、そこには新品のiPhoneが入っていた。機械に疎いので、何のシリーズなのか一切わからなかった。iPhoneの画面を見ると、ちょうど着信がきているようで、私は咄嗟に電話に出た。
「あなたは、幸せですか?」
音声案内で聞いたことがあるような女性の声。
「幸せなら一を、不幸なら二を押してください」
私は迷わずゼロを押した。
「担当の者におつなぎします。そのままお待ちください」
会話しなくてはいけないのか、と少し面倒に思い、切る気もなかったのに、私は、咄嗟に電話を切ってしまった。せっかくの機会を棒に振ってしまった。
「iPhoneが手に入って良かったね」
呆然としていると、いつの間にか、横にいたクロがそう言った。
「そうでもないよ。これから面倒なことが多くなる」
私は、胸ポケットにあるハイライトを一本取り出し、ガスコンロで火をつけた。煙を燻らす。ふう。徐にしゃがみ、台所の戸棚からダイナマイトのまとまりを取り出し、それをシンクに置いて、意味もなくじっと眺め続けた。
「火をつけるの?」とクロが言った。
「もう少ししたらつけるよ。すべて更地にした方が話が早いからね」
クロは何も返してくれなかった。
そのままクロは部屋を抜けて窓から外に出る。
「今までありがとう。楽しかったとも言えるし、退屈だったとも言えるけど、あなたは僕にとって大きな存在だったよ」
そして、私は、ハイライトの先端をダイナマイトの導火線に近づけた。導火線についた火が想像以上も早く進む様に、くすっと笑みをこぼすのだった。
iPhoneを持たない 細井ゲゲ @hosoigege2024
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