星見少女は遠い夜空の夢を見るか

波岡 蓮

瓶詰めの星と収集家

 星を集めてるの、と背の低い彼女は言った。

 二年ほど前の、梅雨も明けていよいよ夏が始まる七月上旬のことであった。

 

     ***

     

「ちょっとちょっと、お姉さん」

「はい?私ですか?」

「そうそう、そこのあなた」

 同じ言葉を二回繰り返す癖のある彼女は、ぬるい風が緩く吹く夏の夕暮れ時、私の住むアパートの前をウロウロと徘徊していた。

 彼女は名前をコガメチヨと名乗った。コガメが名字で、チヨが名前。

「わたし、自分の名前が嫌い。だってチヨなんて名前、すっごく古臭いじゃない」

 いつだったか、彼女はふくれっ面でそう言っていた。だから私はその時から、彼女のことを名字から取ってカメちゃんと呼ぶようにしている。

「探し物をね、探し物をしてるんだけど。ちょっと手伝ってくれない?」

「探し物ぉ?」

「そう。こんくらいの瓶なんだけどね、中にいっぱい星が入ってるの、キラキラ光る星が。今朝この辺に置いといたはずなんだけど、さっき来たら無くなっちゃってて」

「星って、あの星ですか?空にあるアレ?」

「それ以外に何があるの?ああ、「惑星」って書いて「ほし」って読むひともいるんだっけ。でも違う、違う。わたしが探してるのはもっとふつうの、夜空に光ってる方の星が入ってるやつだから」

 そう、ふつうの星。もう一度言うと、カメちゃんはアパートの階段を登ってずんずんと二階の廊下に侵入していった。私は少しの間呆けていたが、すぐに彼女の後を追って上に上がった。私の部屋は二階のいちばん奥にあるため、必然的に追いすがるような形になってしまうのである。

「それ、確かにここに置いたんですか?実は記憶違いで、別の場所に置いてったとかはないんですか?」

「それは無い、絶対無いのよ。だって、この街じゃここがいちばん星に近いんだもの」

 よく分からない事を口走りながら、カメちゃんはなおも奥へと歩を進める。

「とにかく探すの手伝ってよ。あなただって星を見たいでしょ?」

「……とりあえず、一旦部屋に荷物置いてきますね?」

 渋々ながらもカメちゃんの了承を得て、築五十年の扉を開ける。すると、まるでそうするのが当たり前とでも言うように彼女も私に続いて部屋に入ってきた。


「あ、あった」

 カメちゃんが呟く。 

 部屋の中は、眩しく光り輝いていた。

「なーんだ、ここにあったんだ」

 光の原因はリビングのローテーブルにあった。テーブルの上には一升瓶程の大きさの透明な瓶が置いてあり、その中にはチカチカと光るものが沢山詰まっていたのだ。これが星なのだろうか、これがあれば電気いらずだろうな、なんて考えた。

「それが星なんですか?」

「うん、そう。ほんとはね、ほんとはまだまだいっぱい入れなきゃいけないんだ」

 ほら、とカメちゃんは瓶を私の方に見せて来た。星はまだ瓶の半分程度しか入っておらず、彼女が瓶を傾けると砂のように左右に集まっていった。

「じゃ、そういうわけでしばらくここに居候させてもらうね」

「居候って、ここで暮らす気ですか?」

「うん。だって、ここがいちばん星に近いんだもの」

 だから星が集めやすいの、と言った。少しの間互いに黙っていたが、それに耐えかねて私は家族とかは大丈夫なの、と聞いた。

「……それは気にしないで。大丈夫だよ、大丈夫。星が集まればいいから」

 大丈夫らしい。

「とりあえず、お盆。お盆までお願いね」

 そんなわけで、小さな同居者が増えた。

 

     ***

     

 カメちゃんが星を集めるのは、決まって晴れの夜だけだ。雲ひとつ無いよく晴れた夜に、カメちゃんはベランダからアパートの屋根によじ登る。そしてその低い背で精一杯背伸びして、これまた短い華奢な腕で何回か空を掴むように手をぐーぱーさせるのだ。

 それをしばらく繰り返してだいたい三十分もすると、その手には弱い輝きを放つビー玉くらいの大きさの玉がふたつかみっつほど握られている。カメちゃんがいつも着ているワンピースの裾でごしごし擦ると、それはキラキラ光りだす。いちど彼女の真似をして星を取ろうとしたけれど、なぜだかどんなにやっても取れなかった。

「コツがあるのよ、コツが」

 晩ご飯を食べながら、それってどんな、と聞いたけれど、カメちゃんはふふふと悪戯っぽく笑って答えてくれなかった。お味噌汁をすすりながら微笑むのが妙に絵になっていた。

「教えてくれてもいいじゃないですか。星を集めてる理由だって話してくれないし、ちょっとくらいはカメちゃんの事も知りたいんですよ」

「ごめんね、でもだめ、だめなの」

 本当に申し訳なさそうにカメちゃんは言った。

「もうちょっと、もうちょっとしたら見つけられるから。そしたら色々教えてあげる」

 見つけられるって?と聞いたが、それは曖昧に笑って誤魔化された。どうやら、これ以上はカメちゃんにとって触れてほしくない話題になるらしい。

 カメちゃんはときどきこういう反応をする。悲しそうな、どこか儚げな顔で笑いながらはぐらかすのだ。それを見ると、ここから先には入ってくるな、とやんわりと拒絶しているようにも感じてしまう。

 

     ***

     

 カメちゃんがうちに来てからだいたい一ヶ月が経った。瓶の中の星は随分と増えていて、より一層光り輝いていた。

 けれど、ここ最近のカメちゃんはあまり星を集められていない。なぜなら、

「にしても、ここ最近は曇りばっかりですね。この調子じゃあ今日も雨でしょうし、星集められないですね」

 ここのところ、ずっと曇りの夜が続いているのだ。だからかは知らないが、近ごろのカメちゃんはどこか苛立っている━━━━焦っているようにも見える。

「そういえば、もうそろそろお盆ですけど、カメちゃんはどうするんですか?里帰りとかします?」

 何の気なしに聞いたのだけれど、なぜか、カメちゃんはびくりと身を竦ませた。

「……カメちゃん?」

 声をかけるが、それでも振り返らない。今日はナーバスな日なのかな、と思って離れようとすると、

「…………お盆ってさ。死んだ人が帰ってくる日、なんだっけ」

 出し抜けに問われた。そうだよ、と肯定すると、返事の代わりに小さなため息がひとつ返ってきた。

「……ねえ、お姉さん」

 憂鬱そうに窓の外を眺めていたカメちゃんは、唐突に振り返ると言った。

「人ってさ、死んだら何になるんだと思う?」

「えっと……現実的に言えば骨と灰、ですけど」

「ロマンないんだね、あなた」

 急に言われても気の利いた返事なんてできませんよ、と抗議したら、くすりと小さく笑われた。

「もう!からかわないでくださいよ……じゃあ、カメちゃんはどう思うんです?」

「ごめんごめん……これはお母さんの受け売りだけどさ。人は死んだら星になるんだって」

 今度は体ごとこちらを向いて、窓枠に寄りかかって言った。

「それで、星の光としてまた地球に戻ってくるんだって」

 そういう彼女の目は私ではなく、どこか遠くを見つめていて。何か、もう戻らないものをみているようだった。

 星になる。

 それってもしかして、と思った。

 星を集めたい。見つけられる。死んだら星の光になる。

 ━━━━━━家族は気にしないで。


「……わたし、そろそろ帰らなくちゃいけないんだ」

「何ですか急に。月にでも帰るんですか?」

「ううん。月じゃなくてもっと、もっと遠いとこ。そこなら星がよく見えるんだよ」

 

 悲しそうに笑った彼女は、お盆が明けた次の日の朝、空っぽの瓶を残していなくなっていた。どこに行くのかも、お別れの言葉も無かった。

 

 その日は夜空にたくさんの星が見えて、なんとなく、カメちゃんはもう帰ってこないのだと思った。

 彼女が置いていった瓶は、もう光っていなかった。

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