星降る島

「亀に連れて来られた方々ですな?」

 シンたちを半円状に取り囲んだ十人ほどの中で、最も年嵩と見える男性に問われて、他の二人を庇うように前に立ったデニスが頷く。

 この島の里長だと名乗った男性は、相好を崩すと

「ようこそ、星降る島へ」

 と言って、甲を見せるようにした両の手を額に重ねる。

 周りの人々も、それに倣った。

 どうやら、この島での歓迎の挨拶らしい。



 住人たちが暮らす集落へと案内される道すがら、里長が説明したことによると、シンがさっき足を引っかけた物が、来客を知らせる装置だったらしい。島の周囲を縄張りにする大亀は、時折、気に入った人間を島に連れてくるという。

「その桶は、この島でしか取れない木の実から作ってましてな。それを持って来られた方は全て亀が招いた客人です」

 里長の言葉に、シンと目を見かわしたジョセフがそっと微笑む。

 シンが一緒でなければ……夜目の効く二人は桶を持ってこなかったかもしれない。

 

 その夜、里長の家に泊めてもらうことになった三人は、『急な事で、碌なものが……』と申し訳なさそうな家人に恐縮しつつ、夕食のテーブルにつく。

 並べられた料理に、シンの食欲が目を覚ます。

「火の臭いがしない。スープも魚も美味しい!」

 少年の言葉に、里長が目を細める。

「火の臭い?」

「はい。僕、食事が苦手で……」

「ふむ」

 ちびり、ちびりとグラスの果実酒を舐めつつ、シンの生い立ちに耳を傾けた里長は、やがて椅子の背もたれに身を預けた。


「ここでの食事が口に合うのは、君の村とは火が違うからでしょうな」

 人が生み出す火は鮮度が落ちやすく、保存した火種は特に臭くなるらしい、と里長が語る。

「我々は、先祖と共に空から落ちてきた星の残火を煮炊きに使っておりましてな。その違いが分かるあなたは、確かに我々の血を引いているのでしょう」

「星の……残火」

 茫然としたシンの隣でジョセフが身を乗り出す。

「では、あなた方は、本当に“星落ち人”なんですか?」

「そのような者も、世の中にはおりましょう。お二人も、この世の者ではないとお見受けしましたが?」

 里長の言葉を曖昧な笑みで受け流し、ジョセフはパンを口に運んだ。



 翌日、里長の案内で三人は、五つの塔と対面した。さらにもう一つ、作りかけの物もデニスの背丈ほどまで壁が組み上がっていた。

「この前の新月に、湖の向こう岸からこの塔を見ました」

 何か祭りでも? と、デニスが尋ねると

「夜空の彼方、先祖の故郷へ祈りを届けるのです。塔の足元で火を灯し、我々はここに居る。迎えにきて……と」

「……届く日は来るのでしょうか」

「我々は旅する一族ですからな。いつかは、この近くを訪ねて来る者も現れるでしょうて」

 それまで飽くことなく、代を重ね、塔を作り続けると言う。


 作りかけの塔は半透明で、上空からは見えにくかったらしい。

 そして壁の中は、いくつもの球で満たされているように見えた。

「蜂の巣構造の仲間かな?」

 ざらつく表面を指で撫でつつ、ジョセフが内部の球を覗き込む。

「蜂の巣構造?」

 シンも真似をして、覗き込む。

「そう。軽くて強いんだ」

「へぇ」

「ここの前の前に旅をした大陸では、よく使われてた壁の造りだったよ」

 ジョセフはそう言って、何かを思い出すような遠い目をした。


 集落に滞在した、数日間。

 大きなお椀を伏せたような家々や、青白い衣服を身に纏う住人たちの様子をデニスはスケッチし、ジョセフは集落に伝わる物語を書き留める。

「いつも、そうやってるの?」

 手持ち無沙汰なシンが尋ねると、

「俺の母さんは物語が好きでさ。こんなお土産を一番喜んでくれるんだ」

 と、ジョセフが答える。一方のデニスは、自分の趣味らしい。



「あれは何を?」

 集落の外れにある広場で、木枠にせっせと木の実を並べている人々を見て、ジョセフが里長に尋ねる。

「塔の壁を作っとります」

 木枠の大きさは、膝を抱えて大人が横になれば、すっぽり入るほど。

 そこにカリンほどの大きさの実を詰め込む。そしていっぱいになった上から、さらに二つ、三つ。レモンほどのも加えて。

 上から板で蓋をして、万力のような金具で数カ所を止めた。

「潰れてませんか?」

「いくつかは潰れますな。しかし、潰れた汁は実を繋ぐ接着剤となり、祈りを届けるのに必要な壁の透明性も生み出すので」

 材料になっているのは、あの桶を作っているのと同じ木の実だという。

 完全に乾くと非常に固くなる木の実で、数年かけて大きく育った物は住居にもなるらしい。

 『家が足りなくなることは、ないのか?』と尋ねたデニスに、里長は笑って首を振る。

「我々は旅に出る時に、新しい家にするための苗木を植えるのです。そして、適度に育った実から順番に、帰ってきた者や亀に連れてこられた者へ割り当てていくのですが、まあ出て行く人数の方が多いので……」

 現に今も、空き家が数軒あると聞いてシンが『ここに住みたい』と、声を上げた。


「ここでなら、僕も普通にご飯が食べられます」

「火の問題など、些細なこと。旅する一族として、それを理由にしてはなりません」

 そう言って里長は、シンが島に残ることを許さなかった。


 その代わりに、彼はシンにも苗木を植えさせた。

 帰れる場所があるということは、旅に生きる者の心を支える柱となる。

「次に来る時は亀の客ではなく、この島の住人として、帰ってらっしゃい」

 そして餞別として、迎えを呼ぶための呼子と火打ち石をシンへと手渡した。



 島からの帰りは、舟で送ってもらった。

 星落ち人たちは総出で、両手を上げて全身を左右に揺らす踊りと共に三人を賑やかに見送る。

 亀の背中より快適な舟の上で、ジョセフから

「村に帰るまでに、シンは火打ち石の練習をした方がいいかな?」

 と言われたシンが、小さく身を竦める。

「難しいの?」

「村の大人たちが使い方を知らないかもしれないからさ。俺たちが居る間に使えるようになった方が良いと思うよ」

「うん……」

 自分の手で火を起こせるようになれば、食べることが楽になるはず。けれども……。

 向こう岸で舟を降り、送ってくれた星落ち人と別れを惜しむ間も、シンの心は揺らいで。


「ねぇ。僕をこのまま旅に連れて行って。デニスたちみたいに旅人になりたい」

 決心を込めた少年の言葉に、デニスは難しい顔をした。

 その代わりに、シンと目をあわせるように屈んだジョセフが静かに語りかける。

「シン。誰かに連れて行ってもらうのは、“旅人”ではないんだよ」

 

「自分の翼で飛ぼうとすること。それが旅人の心構えで一番大切なことだからね」

「でも……自分の翼で飛んだのは、デニスだけじゃない?」

 比喩的な言葉だと承知の上で、シンが食い下がると、ジョセフは軽く息を吐いて。

 身軽に立ち上がった。


 数日間のデニスと同じように、ジョセフの姿が変わって。

 シンの目の前で、一羽のツルが優美な羽打ちを見せた。

「ジョセフは、鳥なんだ」

 デニスの大きな掌がシンの両肩に乗せられる。

 そして、星落ち人の里長が見抜いたように、二人は違う世界からの旅人だと語った。



 約束の日にシンを村まで送り届けた二人の旅人は、翌朝早く村を発った。

 火打ち石のおかげでシンの食事状況は改善され、次の麦秋を迎える頃には、同い年の子たちより少し小柄な程度まで背も伸びて。

 すっかり村の働き手として数えられるようになった。



 それでも時々、シンは思い出す。

 

 例えば、食事の支度に新しい火を起こす時。

 シンが起こした初めての焚き火に照らされて、『同じ火で料した食事をとれば兄弟、と考えるのが旅人なんだ』と語ったデニスの顔とか。


 例えば、薪を拾う森への道で、友人に名前を呼ばれた時。

 『“シン”の名前に、色んな意味を与える土地もあるんだよ。【本当を知る者】に【信じる者】や【伸びゆく者】。それから【進んでいく者】』

 と、地面に見たことのない文字を書いて見せてくれたジョセフの長い指とか。



 そして、この先。

 辛いことがあった時には、きっと。

 彼は甘い海を眺めては、思い出すことだろう。

 自分には、星降る島に“帰る場所”があることを。


END.

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甘い海 園田樹乃 @OrionCage

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