両岸の自動球遊機

加賀倉 創作

両岸の自動球遊機

〈ギャラクシーチャンス!〉


 玉をころがすような女聲じょせい。 

 それはひろ空閒くうかんに、響かないまでも、ある程度目立つ音量で鳴る。

 目の前の液晶畫面がめんから放たれる下品な彩色の光。

 天井に埋め込まれたやけに多い照明から放たれる白光。

 四方八方からの光が目にわるい。

 夥しく立ちなら筐體きょうたいに埋め込まれた擴聲器スピーカーからの騷音そうおん

 ガラスの向こう側で、鋼鐵こうてつの玉が照明の光を鈍く反射しながらはじける音。

 最近、聽力ちょうりょくが落ちたように思う。

 眼前で大暴れする玉が全て、黑蝶眞珠くろちょうしんじゅだったら、と妄想することにも飽きた。

 僕は、半球型の取手を握る己が右手を凝視ぎょうしする。

 各指の第三關節かんせつから生える毛には、所々銀髮ぎんぱつが目立つ。

 小振りな椅子に腰掛けて初めてこの角度から見た指の毛は黑々くろぐろとしていた。

 あるばんの些細な別れ以來いらい、僕はこの離れ小島に引き篭り、姦しい箱のとりこになったのだ。

 酒の量も煙草の量もえた。

 鹽味しおあじと油脂にまみれる榮養えいようの均衡をいた外食の中毒となった。

 細い四肢をのこして腹ばかり肉付き、餓鬼の如き醜形に成り果てた。

 日々何のわり映えもしない肉體勞働にくたいろうどうの後は、汚れた汗臭いからだのまま、決まってこの席に着く。

 最早慣れのあまり、悲しくもみじめにも思わない。


〈右打ちをしないでください!〉


 腹立つほどに麗しいこえに警吿される。

 僕はづかぬに、取手を最大まで捻り、鋼鐵こうてつの玉を右側に打ってしまっていた。 

 慌てて液晶畫面がめん視線しせんもどす。


 左から順に數字が下りる。

 『7』、『7』とつづく。

 さらに三つ目の『7』が下りたのを僕の目は確かに捉えた。

 

超新星爆發ちょうしんせいばくはつ!〉


 この上無い高揚感溢れる女聲じょせい

 それが大たりの合圖あいずだと僕は知っている。

 が、直後……


 僕の目の前の箱は、沈默ちんもくしてしまった。

 液晶畫面がめんの右側約三分の一には、何も映っていない。

 私が待ち侘びていた『7』が、深い闇に吸い込まれてしまった。

 右側の闇と對峙たいじしている左側の『7』と『7』の文字は、一定閒隔かんかくで明滅している。

 兩鄰りょうどなりからは、僕に降り注いだ慘事さんじを嘲笑うかのように、相わらず光と音の波狀攻擊はじょうこうげきが飛んでくる。

 本來ほんらいならば壽司すしと美酒でも買って襤褸ぼろい集合住宅に凱旋のはずが、例え店員に掛け合ったとしても泣き入りに終わる未來みらいが見える。


「チッ……ついてないなぁ」

 

 思わず言葉が溢れる。

 わるい流れは、可能な限り早くち切らなければならない。

 氣分轉換きぶんてんかんに、一服してくるか。

 僕は煙草を求めて、上着の|衣嚢〈ポケット〉をまさぐる。

 が、無い。

 何處どこかで落としてしまったのだろうか。

 不運は立てつづけに起こるから、どうせ落としたのだ。

 無いとは知りながら、ズボンの上から股關節こかんせつと尻のあたりにれる。

 やはり、無い。


〈聞こえますか?〉


 聞きおぼえのあるこえ

 おぼえがあると言っても、每日聞いている憎にくたらしい女聲じょせいではない。

 

 なんとなつかしい。

 これがしんに美しいこえというものだ。

 彼女のこえだ。

 僕は確信した。

 幾萬幾億いくまんいくおく光年の遠い記憶を遡り、頭の中に彼女の姿を思い浮かべる。


 液晶畫面がめんから二つの『7』は消え、その代わりに、乳白色の漢服かんぷくを纏う、長い黑髮くろかみの美女。

 頭の中に描いた通りの、なつかしい女性が映し出された。



  ⭐︎

⭐︎

    ⭐︎



 七時の目覚め。

 七時と言っても、午後七時。

 私の夜は昼で、昼は夜である。

 寝台を転げ降りる。

 顔も洗わずに、化粧台の前に座る。

 鏡はこれでもかという程に汚れている。

 指紋、化粧下地の薄橙うすだいだい、くしゃみか咳かによると思しき飛沫。

 これから夜職の私にそんな生半可な汚れは通用しない。

 鼻がむず痒い。

 部屋の掃除や片付けを怠っているせいだろうか。

 鼻の頭を擦る。

 痒みは治らない。

 やや眉間に皺が寄り、自然と目が閉じゆく。

 河豚ふぐのそれと見紛うような上下の唇を縦に開き、醜悪な顔を鏡に晒す。 

 むず痒さは最高潮に達する。


「へっくしょん!」


 私は鏡に、一塊の新鮮で麗しい汚れを追加する。

 それに一瞬遅れて、勢い余り、鏡に向かって頭突きをかます。

 稲妻のような亀裂。

 これで何もまともに映らなくなったかと思った矢先。

 表面のガラスは、ほんの一欠片も残らず崩れ落ち、銀の鍍金めっきの層が露わになる。

 そして、空色の漢服を纏う、精悍な男性が映し出された。


「どうしてあなたが?」

 私は思わず言葉を溢す。


 なぜ、今更。

 もう会わない、いや、もう会えないと思っていたのに。

 些細な喧嘩による大きな別れの後、向きになった私は、彼に繋がり得る全てからこの身を遠ざけ、国交を断絶した。

 当時、私の生活圏と彼の生活圏は絶妙の距離感で、会いに行こうとしない限りは会わないような位置関係だった。

 私は何度か引越したし、彼もそうかもしれないわけで、今では当時以上に離れてしまったかもしれないし、そうでは無いかもしれない。

 私の目糞塗れの目に映るのは、生身では無いかもしれないが、確かに彼の姿だ。

 彼は一言も喋らない。

 ただ、こちらを見つめている。

 いや、向こうから私が見えているかどうかさえ怪しいので、実際には見つめられてなどいないのかもしれない。

 彼は、夏の夜の河辺の草のように、ほんの少し、ゆらりと揺れるだけ。

 彼の表情は、微笑んでいるようにも見えるが、それは私の思い込みかもしれない。

 実際に微笑んでいるのか、ただの私の思い込みなのか、その真偽は知りたくもない。

 ひょっとすると彼は、地に堕ちた生活をしている私に向かって、私の反撃の手の届かない安全圏から、ほくそ笑んでいるだけなのかもしれない。

 いや、そんなふうに悪く考えるのはやめておこう。

 私が大好きだった彼の姿を、有り難く拝ませてもらえばいい。

 私と彼は、時の流れを忘れて、見つめ合う。



︎  ⭐︎

⭐︎

    ⭐︎



 僕は、彼女とただひたすら見つめ合った後、店の外に出た。


 暗い。

 何だか一本吸いたい氣分きぶんになった。

 再び、何も入っていないはずの、全身の衣嚢ポケットを確認する。

 すると、意外なことに僕の手は、左胸の衣嚢ポケットで、一粒の何かを探してた。

 何の變哲へんてつもない鋼鐵こうてつの玉。

 いや、今この瞬閒しゅんかんの僕にとっては、黑蝶眞珠くろちょうしんじゅか、それ以上に價値かちあるものかもしれない。

 何千もの鋼鐵こうてつの玉が出た日は過去に何度もあった。

 しかしそのいずれよりも、今日という日は貴重な體驗たいけんをした。


 天を仰ぐ。

 人生を賭してもかぞえ切れぬであろう星たち。

 僕は鋼鐵こうてつの玉を空高くかかげ、それを星々の中に加える。

 星々が束ねられ光の河となり、果てしなく流れていく。

 この河は、彼女の元までつづいているのだ。

 彼女も今、この景色を見ているだろうか。

 何處どこか、同じ空の下で。

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