よるしおな【カクヨム甲子園参加作品】

桜舞春音

よるしおな

 気づいたら、うっすらもやもやした意識の中で電車に揺られていた。


 五月頭の水曜日。帰り、荷物を持って帰路についたはずなのに、何も持たずにシートに寝ていた。時計を見ようにも、リュックと一緒に携帯も消えている。


 やかましく走る電車は一般的なロングシート車で、花櫛柄のシートと蛍光灯はありきたりで普通のものだった。だけど乗っているのは少年一人で、すぐそこの運転室もスモークガラスで見えなくなっている。

 ここが何処で次が何駅かわかるものさえない。それも故ありげだった。


 車窓からは近未来的な形状の建物とネオンが幻想的に見下ろせる。しかしやはり人の気配や車などはない。というより前に、この高さの線路を柵もないのにこの速度で走れる電車なんてそうそうないだろう。


 悠然と、少年はあたりを見回しながらボーッとしていた。そんな自分を受け入れられた。不安や恐怖は感じない。ぜんぶ気にならない。


 五分もすると、景色は海になった。暗くてよく見えないが、川にしては広すぎる。船もないし灯台も見当たらないが、たぶん海。

 そしてやっぱり、電車は速い。


 そのまま電車が減速した。減速したときに体にかかる慣性力がなく不気味。


 完全に停車した場所は、駅だった。 明るく、現代的な駅の看板には「土取」の下に「ひきど」と書かれている。

 前と次の駅や時刻表らしきものは見当たらない。

 それ以前に、「土」は「ひき」とは読まない。


 降りようかとも思ったが、やめた。少年はオカルト好きだった。この世界には「異界駅」なるものがあり、降りたが最後、存在ごと消えてしまう。

 扉が開いている時間は長かったが、こちらに降りる気がないとわかったのかフニューと情けない音を立てて閉まった。


 海の上にある誰得かわからない駅から出て、再び走り出した電車は、山をひとつ越えると小さな集落に入った。


 少年は、月灯を反射する水田のようなものを眺める。

 するとまた駅に着いて扉が開いて、車両真ん中の扉から若い男が乗ってきた。青白い髪、赤い瞳、センター分け。

 彼は少年を見て目を丸くしたが、少年はその表情で彼がヒトであることを確信して降りた。

 ここでヒトが乗ってくるなら、ここは元の世界。そう思って降りると、そこは「龍皮たつかわ」という駅。聞いたこともないが、駅員でもとっ捕まえてやればすぐ分かる。


「何してんだ?」

「ひゅ」

 不意に声をかけられて、変な声を出した少年は振り返った。

 そこにいたのは、さっき乗ってきた男。深紅の目が、少年を舐め回すようにじとっと見る。


「おまえなんでここに来たかわかるか?」

 男が不思議な抑揚をつけて訊く。

 少年は首を振ったが、それ以上は答えなかった。

「おまえここにいたらダメだ。来な」

 男は少年の手を引いて、また電車に戻る。


「おまえ名前は」

ひいらぎです」

「俺は一季伊作いちきいさくだ」

 伊作は柊の顔をのぞき込む。


 鞄から冷えた水を取り出した。

「新品だ」

 柊が戸惑っていると

「急にこんなとこ来て気持ち悪いだろ。水飲みな」

 とつけ足してくる。


 これほどまでに美味い水はあまりない。


「ここはどこ?」

 柊は恐る恐る尋ねた。

 伊作は顔を緩めて柊の頭に手を置き、

「お前は知らなくていい」

 と微笑んだ。


 眠たい。

 伊作の手は大きくて温かかった。

 この手で触られたら……なんて考えてしまう。


 目が覚めると、伊作の胸に抱かれていた。

 彼の心音と体温は少しだけ奇妙な匂いがした。なんというか、男の匂いも女の匂いもしない。生き物であり人間であることは確実なのだろうが、どうもそこに欠落したものを感じていた。

「お目覚めかね王子様」

 伊作は柊のことをいたずらに王子様と呼ぶ。


「ここは?」

 電車からは降りているみたいで、嗅いだこともない香りのする丸太の小屋にいる。棚にはランプが置いてあり、その隣には懐かしい車のカタログやミニカーがある。

 プリウスα、ゼスト、都営バス……。

 柊は立ち上がろうとした。が足が思うように動かせない。伊作にいうと、取ってきてくれた。


 間違いなかった。

 ここにあるガラクタたちはどれも、捨てても家から持ち出してもないのになぜか柊がなくしてしまったものたちだ。

 それが全部ここにある。


「思い出した?」

 柊の心はむんずと掴まれている。


 苦しい。

 気持ち悪い。

 

 柊はその場に崩れながら戻してしまった。


 何度目覚めても、ここが朝になることはないみたいだ。夜は好きだから問題ないけど。

 伊作の作ってくれたお粥を平らげた柊は少し回復してきて、伊作に色々訊いた。


 ここは天音ておんという場所らしい。

 十数年前に突然指導者が消えた世界で、元の世界から見るとパラレルワールド。

 磁場やポータルの繋がり方によってはたまにつながるらしいのだが、柊は非常に強い力で誘われてきたようだ。


 この納屋は伊作の家でありポータルの出口。宇宙から運ばれてきた物たちがじゃんじゃん積み上がる場所。 

「そのなかでこの車関連のやつはすごいがあるからな。とっといたんだが、今日電車で同じ気を持ったのを見つけたから……」

「それが、僕」

 どういうことなんだろうと思った。


 数日すれば慣れてきて、こっちの飯も口に馴染んできた。


「そういえば、他に誰かいるの」

 柊は伊作の方を見て何気なく訊いた。電車のなかで見た、なにもない街を思い出したのだ。

 すると伊作は悲しい顔をして

「いたよ。けど、消えた」

 と言った。


 そういえば、伊作と会った駅の壁には"BAD END"と落書きされていた。

 

 "心の力は変えられるよ"


 その時、柊の頭に何かが響いた。


 視界は暗くなる。


 頭が、ここから離れてしまうと理解しようとする。

 嫌だ、嫌だよ、ここにいたいんだよ。

 ずっとここにいたい。


 伊作が、伊作と一緒じゃなきゃやだ―


 誰かが呼んでいる。


 伊作の体温が額に乗った。


 顔を上げると、見慣れない場所に。

 目の前には二人の警官。

「柊くん?」

「……はい」

 

 どうやら柊は五時間もの間行方を晦ませていたらしい。

 どこにいたのかもまともにわからないまま。その事実は、"天音"に迷い込んだときと同じくすっと受け入れられた。


 それからはすぐ日常に戻った。

 変わらない世界だったし、今日まで伊作には会っていない。


 それどころか目覚めてから意識がはっきりするまでの間に忘れていたのだ、伊作との時間を。思い出したのはついこの間。


 探そうとは思わない。

 伊作に会ってしまったらきっと二度と戻れなくなる。そしたら、柊は天音の月になってしまうから―。

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