第3話 10月12日(火曜日)/後編

「内容、内容とはいったい何を作ればいいのですか……」


困惑する小雨、「早速描いてくる!」と早々に部室を後にした笹花、そして。

またふたりきりの文芸部の部室になったわけだが、その雰囲気は暗い。


いつもと変わらない、ひとつ下の後輩・由井小雨ゆいこさめと過ごす放課後。

今日もそうなるはずだった。ところが、生徒会の副会長・佐川さんがやって来たり、留年している美術バカ・佐々木笹花ささきささかが部誌の制作を提案したり。

なんだかんだでせわしなく、いつもとは違う日常が訪れていた。


そんなわけで。

いよいよ来月の初旬に迫る文化祭、我が文芸部は夏目漱石のパネル展示に加え、生徒会に秘密裏で部誌を作って出すことになったのである。


肝心の表紙はイラストレーターでもある笹花が名乗りを上げてくれ、それに引きずられる形で不本意ながら内容を担当することになった小雨。絶賛、悩み中。


「学年1位を取る方法……学食の裏メニュー、あとは校内のキンモクセイ生育図」


なにやら斬新なアイデアが聞こえた。

部室に保管されていた歴代の部誌を見るに、当初こそ小説を掲載していたものの、徐々になんでもアリのジャンルごちゃ混ぜ、二次創作も含めた同人誌と化している。


「他には……他には……うぅ、思いつかないです……」


なんでもいいと言われると自由に思えるものの、悩める小雨には参考資料にならなかったらしい。さらに頭を抱えてうなっている。


「もう、こうなればササ先輩を亡き者にするしかないのです……」


虚空を見つめ、よからぬことをつぶやき始めた。

そこに学年トップの面影はない。


「無理にする必要はない、ですか。わかっているのです。ですが……」


部誌の制作が(笹花によってやや一方的に)決まってからというもの、小雨の言葉にキレがない。

部室内でのパワーバランス的にいえば、確実に小雨がトップで次いで笹花、佐川さんなのだが、美術バカの実力を発揮した笹花は強い。


相手が誰であろうと、楽しいことに巻き込む力が強いのだ。それは去年、美術部が主催の文化部(全員強制参加)マラソン大会の実績からして、笹花のパワーは広く知られることとなった。

その力を少しでも勉強に充ててくれれば、と思わなくはないのだが……結局、本人のやる気次第である。


「ですが、どうせなら。いえ、先輩と何か作ってみるのは、楽しそうなので」


ぺしり、と小さな両手で頬を叩く。小雨は決意を固めた表情で、


「やるのです。由井小雨、頑張ります」


と、宣言。「まず、先輩は……」その次に続く言葉に従って、段取りを組んでいく。


部誌の制作工程は、簡単に分けると3つだ。


まずは内容作り。今回は表紙を笹花が、そして内容を小雨が担当する。

次に印刷。小雨の作品をコピー機で印刷し、半分に折る。

最後は製本作業。半分に折った紙を重ね、ホッチキスで留める。


部室にある先輩方の歴代作と比べると、いささかチープである印象は否めない。

恐らく、先輩方はきちんと製本所に頼んで印刷しているし、表紙だってカラーイラストだ。

が、文化祭まで残り1か月、かつ製本の素人がやるにしては本の形になるだけで上出来だろう。顧問にもその旨は伝え、文化祭の2日間でおおむね30冊を配る予定と相成った。


笹花にも連絡アプリでそのことを伝える。

すぐに「おっけー!」と威勢のいい返事が来て、「こんな感じでどう?」と、表紙のラフと思われる白黒のイラストが送られてきた。仕事が早い。


と、小雨が「むぅ」と、頬を膨らませてにらんできた。

今日の小雨は笑ったり怒ったり困ったり、表情豊かだ。

もちろん、そこまで劇的な表情の変化ではないのだが、それでも。


「先輩、手伝ってください」


不機嫌さを隠せない声音で、脅迫めいたヘルプを受ける。

スマホの画面を消し、小雨に向き合う。


「やはり、私に書けるのはエッセイだと思うのです」


落ち着いたのか、また淡々とした調子に戻って小雨は言う。


「でも、書いたとして面白がってもらえそうにないのです」


学年トップが過ごす日々、たしかに悪くはないが面白みにはどこか欠ける。

歴代の部誌には、ぶっ飛んだ発想の小説や授業を効率的にサボる指南があった。

もはや何を意味しているのか、何を伝えたいのか読み取れないものも多かったが……そういうものも、学生が作る部誌ならではなのだろう。


「面白い……面白いものを、書かなければ」


小雨の声に、切実なものが混じる。

たかが学生の作る部誌だし、そんなに悩まなくてもいいのだが。

あくまでも真剣に向き合うあたり、小雨が学年トップである理由の一部が垣間見える。


「なにか、なにか。……あ」


思いついたのか、小雨は目を輝かせ楽しげに自分の案を語る。


「生徒会の陰謀を暴く!とか、いいのではないでしょうか」


う、うん……?


「生徒会の副会長がウラで文芸部にイジワルをしているとか」


お、おう……?


「生徒会の副会長が実は二股をしているとか」


小雨の勢いは止まらない。


「生徒会の副会長が小さいころ、先輩に振られたとか」


どこからそんな話を聞いたのか、小雨は次々と「生徒会の副会長が」シリーズを紡いでいく。さすが犬猿の仲だ。


「ふふ、これでいけますね。完璧です」


小雨は自慢げな「ふふん」という鼻息と共に、ドヤ顔を披露する。副会長を追い詰めるためなら手段を選ばない、まさしくプロの手腕。


とはいえ、このままでは反撃のしようがない佐川さんが少しかわいそうに思える。

まさかそんな気持ちが伝わったわけでもあるまいに、本日3度目となるドアのノック。


ギギギと、壊れたロボットのような動作でドアを凝視する小雨。

ノックしたのは佐川さんでも笹花でもなく。


「おーい、入るぞー」


純然たる文芸部の顧問、尼川あまかわ先生だった。

現国の教師にして、年齢不詳と名高い正体不明、経歴詐称の名手。

その実は、由井小雨の親戚である。


「……あまねぇ」


途端、パッと小雨の顔が華やぐ。

学年トップで(運動能力のなさから運動部を除く)さまざまな部活からの引く手あまたな小雨が、こうして文芸部に籍を置いているのも尼川先生の功績だ。


いったいどういう理屈でもって説き伏せたのか知る由もないが、小雨は廃部になるはずだった文芸部に入部してくれ、こうして今に至る。


もっとも、尼川先生は屈指のラノベ好き。

いわゆるラノベ的な展開の「読者」になりたかったらしく、教師を志したとも風の噂で聞く。


真相は定かではないが。


「なんか部誌を作るんだって?」


「……その話、さっき決まったのにもう知ってるのです?」


「通りがかりの佐々木から聞いてな」


……まさかとは思うが、笹花は生徒会にも言いふらしてやしないだろうか。

同じ懸念に至ったのだろう、小雨は小さな声で、


「ササ先輩を亡き者に……」


と、こぼしていた。実のところ、笹花に部室の歴代部誌を与えていれば大概の条件は呑みそうだ。


尼川先生はそんな小雨の様子を見て、やれやれと言わんばかりにため息をついた。


「お前ら、もっと楽しそうにやれよ」


「あまねぇ、私は楽しいですよ?」


「それはわかるが、こう、夜中に学校に忍び込んだりとかをな、締切が間に合わないゆえに……」


以下、うんぬんかんぬん。

尼川先生は「ラノベ的な展開における文化祭前日に起こりうるトラブルとその対処法」についてひたすら熱弁し、小雨からの「もういいのです」を「まだ途中!」と振り切り、話し続けた。


こんな様子、生徒会副会長の佐川さんが見たらきっと幻滅するだろう。尼川先生は一応、生徒会にも顔を出しているらしいし。


「で、だ」


思う存分ラノベ講義を語った尼川先生は、小雨の顔をじっと見た。


「作るなら、ちゃんと作れよ」


「わかっているです」


尼川先生の真剣な視線を受け止め、小雨は言う。


「どうせやるなら、ちゃんと、ですから」


「それなら、いいんだ」


ふっと目尻を下げ、尼川先生は笑う。

小雨の家系は、教師が多いと以前聞いた。

それは親戚である尼川先生を見ても明らかで、小雨も幼い頃から教師を目指して勉強に励んでいるらしい。


その結果、友達と遊ぶ時間が作れず、学校でも本を読んでばかりでまともにクラスメイトと話す機会がない。……これは尼川先生からの話だが、部室での常に無表情かつクールな様子の小雨を見る限り、間違ってはいないのだろう。


「小雨には青春を楽しんで欲しいからな」


いつか、尼川先生に言われた言葉を思い出す。

小雨の青春、そのための文芸部だ。


「じゃ、ほれ」


尼川先生が適当に投げて寄越した紙くずは、広げてみると千円札だった。ぐしゃぐしゃである。


「あまねぇ……」


小雨の侮蔑の視線が尼川先生に突き刺さる。

そのことに尼川先生は気づかない。

いや、現実から逃避する大人の姿がそこにはあった。


「お?なんだ、感動して言葉も出ないか」


「……最近、あまねぇの家にお邪魔してないですが」


「それでなんか食えよ。部費じゃないからな」


「……片付け、してますよね。あまねぇ」


「おっと準備室にタバコ忘れたわ」


「……あまねぇ」


「ほいじゃ、頑張ってな!」


華麗な去り際だった。

尼川先生が風のごとく去ると、小雨はため息ひとつ。


「あの人はああ見えて、かなり……かなりだらしないのです」


学校での姿では想像もつかないが、ポケットから出てくる千円札の汚れ具合を見るに、本当なのだろう。あんまりラノベ好きということも表沙汰にしていないらしいし。


「さて、先輩」


小雨が空気を変えるように手を叩く。

窓の外はもう夕暮れ、10月の空はどこまでも高く澄んで見える。


「続きは明日、にしましょう」


まもなく下校時間。

長かった今日が終わる。


「今日は本当に、長かったですね」


つぶやく小雨の声には、どこか昔を懐かしむような寂しさが混じっているように思えた。

それはきっと間違っていないはずで、黄昏の雰囲気は人をどこか寂しく感じさせる。


「のんびり過ごすはずが……先輩方のおかげで、にぎやかになりました」


小雨はスクールバッグに机の上の本をしまいながら、ひとりごちて。


「あ、嫌味ではないのですよ。嬉しかったです」


こういうのが青春だと思いますから。

よく聞こえなかったけど、小雨はきっとそんなことをつぶやいていたと思う。


「文芸部……頑張りましょう、です」


その言葉の意味は、聞かずともわかった。

部誌の制作。それで何かが変わると期待できるほど、もう子どもじゃないけれど。


それでも笹花の言うように。

あるいは、尼川先生の言うように。


頑張ろうと、小雨に声をかけた。


小雨は弾む声で言う。


「はい、先輩」


続きはまた明日。

どうやら、そういうことらしい。

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どうやら、そういうことらしい。〜放課後の部室で後輩と穏やかに過ごす1日〜 空間なぎ @nagi_139

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