第2話 10月12日(火曜日)/中編
「では、今日の活動を始めましょう」
いつもの椅子に座り、活動の開始を告げる小雨。
「今日は好きな動画の共有……です」
頷く。「では」と、小雨がスマホを取り出す。
そのまま何度か画面をタップして、スワイプ、スワイプ……。
そんな静寂を破るように、ドアが控えめにノックされる。
どうやら、本日2人目の来客らしい。我が文芸部にとって、そう多くない訪問者。
どうやら今日で、記録を更新しそうだ。
「む、次はどなたですか」
と、またしても活動を邪魔された小雨が口をとがらせ言う。
「失礼しまーす」
けだるさを澄んだ水で溶いたような声で、入室の挨拶が唱えられる。
声の主は彼女だと、すぐにわかった。けど、この部屋の主は小雨だ。
小雨は「む」と小さくうなり、視線を険しいものにするとドアを直視した。
スマホを机に置くと、ドアに向かってツカツカと歩く。
(が、小柄な体躯のせいか、あまり威厳があるようには思えない。)
「1806年、ナポレオン1世がイギリスに打撃を与えるため発した命令は」
小雨の出題に、ドアの向こうの彼女は黙った。
全教科満点、学年1位の小雨に及ぶべくもない。
「……えーと」
困惑を隠しきれない笹花のつぶやきは、ドアを隔てても聞こえた。
考えているのかいないのか、しばらく沈黙が続く。
遠くでカラスが3度、鳴いた。極めて平和な夕暮れ時である。
「やけに長いです」
小雨には同意見だった。いよいよ笹花が不憫に思えて、和解を提案する。
「もういいだろうって……断るです。勉強しないササ先輩が悪いですから」
それはそうである。
佐々木笹花は、去年まで先輩だった。が、今は同級生である。
その理屈は単純で、ただ単に赤点を取りまくり追試も受けず、留年したのだ。
「まったく、本当に。来年は、私と同学年になってしまうのに」
小雨はしぶしぶといったていで立ち上がると、ドアに近づく。
そのままドアノブをひねると、予想通りというか何というか、佐々木笹花がいた。
笹花は絵が描かれた数枚のボードを手に、小雨をにらみつける。
「ちょっとちょっとー、ひどいじゃんか小雨。先輩をこんな無下に扱うなんてさぁ」
小雨はすぐに言い返す。
「答えられない先輩の記憶力のほうがひどいです」
辛辣だが、間違いのない事実であった。
笹花はボードを適当に床に放り投げると、「まったくさぁ」と愚痴る。
「君たちの依頼で描いてやったのに、お礼どころか罵倒されるなんて……」
お礼なら、ここにある。
そう言わんばかりに、小雨は黙ってスクールバッグから何かを取り出した。
それは数冊の、薄い本。表紙には「いかにも」なイケメンと美少女が並んでいる。
つまりは、同人誌であった。無論、全年齢向けの至って健全な冊子である。
「いやー小雨ちゃん、さすが!わかってんねぇ」
笹花は目を輝かせ、態度を一変させる。
この小雨が持つ同人誌は、ただの同人誌ではない。
これまで文芸部の先輩たちが作り上げてきた、文化祭でのみ頒布される部誌なのだ。
「いやはや、まさかこれにお目にかかれるとは……」
「そんなに貴重なのですか」
表紙をしげしげと眺めまわし、なかなか開こうとしない笹花。
ここには、保管用として発行当時から今に至るまでのすべての部誌がある。
読もうと思えばいつでも読めるシロモノであるがゆえに、読んだことはない。
「貴重も貴重、だって文化祭の一般公開の日しか手に入らないだろ?」
「そうなのですか」
「そうだよ。生徒なら校内公開の日にもゲットできるけどさ」
「ササ先輩がずっと留年すれば、毎年必ず手に入るですね」
「このひとでなし、なんてことを言いやがる」
「ジョークですよ。でも、あんまりその本のありがたみがわからないです」
「やれやれ、小雨ちゃんはわかってないねぇ。っていうか、今年も部誌はナシ?」
小雨は「はい」と頷いてから、ちらりとカレンダーを見た。
文化祭は11月初旬。今から部誌を作るには、あまりにも遅すぎる時期だ。
「今年は人数が少なすぎるので。部誌ではなく、パネルの展示をするです」
顧問と話し合った結果、そういうことになったのだ。
去年も人数が少なく、文化祭は図書委員と合同で海外文学のパネル展示をした。
うちの学校の部活動は加入している生徒がひとりでもいる以上、廃部にはならない。
「……来年、誰か入ってくれるといいですが」
逆にいえば、来年の新入生が誰かひとりでも入部しないと、文芸部は廃部になる。
2年後、小雨の卒業でもって。
「まっ、人数関係なく、作っていいと思うけど。部費、ないんだっけ」
「そうなのです。ひとり500円ですから、先輩と私で千円ですね」
「千円かぁ。それで部誌を作れる……もんなの?」
「厳しいと思うです」
試算はしたことないですが、と蚊の鳴くような声で付け足される。
それを聞きつけた笹花は、「じゃあさ」と提案。
「作ってみたら?いちど。パネルもいいけどさ、やっぱ部誌やろうぜ部誌」
部誌を作るということは、何かしらの作品を自分で制作するということだ。
それは普段、読書や勉強ばかりで創作の経験がない小雨には難しく思えたのだろう。
「む、無理です無理です。先輩が全部書いてくれるなら、いいですが」
ぷるぷると首を横に振り、あろうことか全部人に丸投げである。
笹花から部誌を借り、パラパラと中を確認してみる。
漫画あり、短歌あり、小説あり、エッセイありとだいぶ自由なラインナップだった。
「この際、表紙なら描いてやるよ。夏目漱石描くより、だいぶ楽しそうだし」
腕をまくり上げるふりをして、笹花が言う。
何を隠そう、この人はこう見えても凄腕のイラストレーターなのである。
「てか、最初から部誌作る話になってれば、わざわざ夏目漱石描かなくてよくね?」
床に転がった夏目漱石(の似顔絵)を空虚な眼差しで見つめながら、気づく笹花。
「待ってください、なぜ作る流れになってるですか。もう10月ですよ」
最後の抵抗とばかりに、小雨が慌てた声で笹花を止める。
いつの間にか、決定権は表紙を描くイラストレーター様に移っていた。
「まだ1か月くらいあるんでしょ?なら、いけるって」
「ですが……」
「大丈夫だって、小雨ちゃん」
任せなさいといわんばかりに胸を張り、笹花は目を輝かせる。
「最低、3冊でいいから。部室に置く用と先生に渡す用、そしてアタシ用」
「どこが大丈夫なのですか……」
「んで、文化祭当日は部室用のを置いときゃいいのよ。立ち読み専用ですーって」
「そもそも、生徒会には夏目漱石のパネル展示で許可をもらってますし……」
「だいじょーぶ、パネルも展示しつつ部誌もやろうぜ。二刀流!」
「頭がおかしくなりそうです……」
ついに小雨が根負けして、頭を抱えた。
気持ちは痛いほどわかる。笹花の語る話には夢と希望とロマンだけが詰まっている。
だが、それも悪くないと思えてしまうのが不思議なところで。
「やるだけやってさ、ダメならそれでいい経験できたねーって笑えば、よくない?」
その言葉に心を動かされたわけでもあるまい、小雨はしぶしぶといった表情で。
「……仕方ないですね」
ついに、小雨が折れる。
そんなわけで。
我が文芸部は今年、夏目漱石のパネル展示と部誌の頒布という内容で、文化祭に参加する運びとなった。これが吉と出るか凶と出るか、はたまた完成するのか……。
すべては神のみぞ知るのだが、どうやら、そういうことらしい。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます