どうやら、そういうことらしい。〜放課後の部室で後輩と穏やかに過ごす1日〜

空間なぎ

第1話 10月12日(火曜日)/前編

部室のドアを開けると、いつも通り由井小雨ゆいこさめがひとり静かに本を読んでいた。


「……あ、来たんですね。先輩」


パタリ。本が閉じる音。


「今日の活動はいつも通り、読書でいいですか」


無表情で淡々と、そう問いかける小雨。


「たまには他の活動も? そう言われましても」


首をかしげるが、言葉とは裏腹に表情は変わらない。


「好きな動画を共有……ですか、いいですね」


ぽん、と手を打ち賛同してくれた。


「あ、テスト。また私が勝ってしまったかもしれません」


ちょこちょこと、小動物めいた動きで近づいてくる小雨。


目的を察して、スクールバッグでガードする。ぽこぽこ、軽く叩かれる。


「見せてください。…………ケチ」


少しの溜めの後、突然の鋭い罵倒が来た。仕方なく成績表を見せる。


「これで私の3連勝です。ふふ、かわいそうな先輩」


珍しく声に感情が乗っていた。弾むリズムで言う小雨は、どこか楽しげだ。


「なんて、煽ってみました。こういうのが流行りと聞きましたので」


再び、いつもの起伏に乏しいトーンで言う小雨。


「全然イライラしない? むしろかわいい? どういう意味ですかそれは」


「不愉快です。学年主席に向かって、なぜ頭を撫でるのですか」


照れるでも怒るでもなく、小雨は単調に不満をぶつけた。

こう見えても、入学してからずっと学年トップの成績と聞く。


「そういえば先輩、生徒会からお茶セットをお借りしてきました」


机の上には、お盆に急須やら湯呑みがある。和だ。


「わかりました。用意しますね」


手際よく急須に茶葉を入れ、蓋をしようと小雨は動きを止めた。


「……そういえば、お湯がありません」


当然だが、部室にお湯はない。


「生徒会に行ってきます。少し待っていてください」


片手に急須を持って、小雨は部室を出る。

丁寧にドアが閉められ、部室には静けさが満ちた。


窓の外には、10月の快晴が広がっている。

運動会の練習だろうか、風に乗って聞こえてくる軽快なポップソング。

野球部の掛け声に耳を傾け、来たる文化祭に思いを馳せていると。


コンコン、ドアがノックされる。


「生徒会の佐川さがわです。小雨ちゃん、いますか?」


そう言い、副会長の佐川さんが姿を現した。その手には、お湯ポット。


「あら、いないの? お湯、忘れて行ったでしょ」


「えっ、じゃあ、ちょうど入れ違いになったのね。なぁんだ」


どん、と重そうな音と共にお湯ポットを机に置く。

勝手に椅子を引き、さっきまで小雨がいた席に座る佐川さん。


「文化祭、そろそろだけど。文芸部は何を展示するの?」


今年は夏目漱石についてまとめた展示パネルを数枚、図書室に置く話になっている。


「へぇ、夏目漱石の展示ね。真面目なのはいいけど、面白みが欲しいかな」


残念そうな調子で、佐川さんは言った。

今年はどうやら、1年生に面白い企画が多いらしい。

心底楽しみにしているのだろう、やや早口で説明してくれる。


「今年の1年、企画が結構面白いの。目隠しして、かき氷の味を当てるゲームとか、アフレコカフェとか。メイドカフェなら聞いたことあるけど、アフレコカフェって何をやるんだろうね?」


「3年生になると受験あるし、実質今年がラストだよね」


やや憂いを帯びた声音で言う、佐川さん。


「クラスのほうは何やるの? 飲食系?」


文化祭のクラス展示は、飲食系か、ゲームやお化け屋敷などの企画系、そして体育館と中庭で発表するステージ系の3択から選ばれる。


「ワッフルかぁ。去年、うちのクラスはワッフルとタピオカだったなぁ」


やはり、いちばん人気があるのは準備が簡単な飲食系だ。


「並べて売るだけだから、結構楽だよ~。お昼時とか、混んじゃうと大変だけど」


去年の文化祭を思い出してか、佐川さんは「ふふっ」と、少し笑った。


「去年ね、太田先生がメイド服を着て宣伝してて……思い出しちゃった」


そのまま自然な動作で、佐川さんは机の上の湯呑みを手にした。

お湯ポットの下にセットし、お湯をそそぐ。


「ん、白湯が好きなの。もともと、これは生徒会の持ち物だし」


渋い色の湯呑みは、大人びている佐川さんによく似合って見えた。


「そろそろ、小雨ちゃん戻ってくるかな」


瞬間、狙ったかのようにドアがゆっくりと開かれた。

ギリギリまで急須にお湯を入れたのか、緩慢かんまんな動作で歩いてくる小雨。


「あわ……こぼれ、る……」


両手で大切そうに急須の持ち手を握り、おそるおそる机の上に置く。

コトリ、と急須の着地を告げる偉大な音がした。


「ふぅ、ひと段落、です」


そこでようやく、座っている生徒会の副会長さまに気づいたのか、


「……誰かと思えば、犯人さんのお出ましですね」


と、小雨にしては大きめの声で、恨めしげに言う。


何を隠そう、ふたりは犬猿の仲だ。

……佐川さんは小雨のことを好いているようだが、小雨のほうが佐川さんに謎の対抗意識を持っている。

副会長の見立てによれば、「派閥の違いだよ~」との、ことらしい。


「ポッド、渡すの忘れちゃってごめんね。でもほら、こうして持ってきたから」


「……ありがとうございます」


不承不承、納得のいかない顔でお礼を言う小雨。

小雨はいつも、佐川さんといるときだけは珍しく感情表現が豊かになる。


「小雨ちゃんはかわいいねぇ」


佐川さんを完全に無視して、小雨は黙々と湯呑みを用意し、お茶をそそぐ。


「先輩、どうぞ」


ありがたく受け取り、ひとくちいただく。少しぬるいけど、おいしい緑茶だ。


「小雨ちゃん、私の分は?」


「ないです。テストで私に勝ってから頼んでください」


小雨はそう言い放つと、自分の席でくつろぐ佐川さんを一瞥した。

この部室にある椅子は、2つだけ。


そして、何を思ったか、急に「ちょっと失礼します」と膝の上に。


「えっ、小雨ちゃん……私も空いてるよ?」


驚く佐川さんをよそに、もぞもぞと膝の上で座り心地を確かめる小雨。

いかに小柄でミニマムな小雨といえど、少し重い。


「今日はここで活動しますので。異論は受け付けません」


「むぅ……策士だね」


小雨の声が、背中を包むブレザー越しに響く。

髪の隙間からちらりと見える、すぐ折れてしまいそうな細い首が妙になまめかしい。


「いいもん、次のテストで全教科満点取ってやるもん!」


拗ねたのだろう、佐川さんは子どもっぽい捨て台詞と共に席を立った。


いつの間にか決まっていたルール。

テストで点が高かった人が、この部室において「トップオブトップ」だそうで。

いちばん偉くて、いちばん権限があるのだとか、ないのだとか。


「応援してます。応援だけですが」


語尾に「嘲笑」という言葉が似合いそうな軽さで、小雨が形ばかりの言葉を送る。


「小雨ちゃんのバーカ!」


佐川さんがまた捨て台詞を吐き部室を出て行くと、ドアが乱暴に閉められた。

負けず嫌いは中学生のときから今まで、変わる気配を見せない。


「ふふ、ざまぁです。全教科満点の報告、楽しみですね」


そう言う小雨は、入学してからこれまでの3度の試験で全教科満点を記録している。

膝の上に座られているせいで表情こそ見えないものの、きっといい笑顔だろう。


佐川さんがいなくなったからか、小雨はようやく膝から下りてくれた。

ほのかに残るあたたかさが変にくすぐったい。


「……やっぱり、椅子のほうが座り心地がいいです」


どうやら、そういうことらしい。

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