第二章

第1話 夫の腕に抱かれて復讐の夢を見る

 3ヶ月後。


「妊娠ですね。おめでとうございます。4週目に入った所です」

 診察室でベッドに横たわり、お腹のエコーを確認しながら担当医師である東が事務的にそう告げた。

「これが、赤ちゃんの袋で、頭、お尻……」

 淡々と主要カ所にマークを付ける。

 その言葉に、山口楓やまぐち かえでは大きな吐息と共に涙を浮かべた。


「山口さん、おめでとうございます。よかったですね」

 瞳子は、まだぺたんこのお腹のジェルをふき取りながらそう声をかけた。


 彼女は、3ヶ月前、死産した患者だ。

 あの日、瞳子もまた、子供を失くした。


「きっと、あの時の赤ちゃんが戻って来たんです。今度こそ元気に産んであげたいです」

 今にも泣きそうな、幸せそうな笑顔を湛えた。


 きっと大丈夫。医療従事者にとって、そんな風に安易に期待を持たせるような言葉をかけるのは禁物。

 子供は生まれて来るまで何があるか分からないのだ。


「お洋服を整えられたら、待合でおまちください」

 業務的な笑顔と言葉だけかけ、診察室の外に促した。


「美月さん。まだゆっくり休養していてよかったのに」

 東は次の患者のカルテを確認しながらそう言った。


「仕事していた方が気が紛れますから」


「母は強しですね」


「もう、母じゃありません。ママじゃなくなっちゃいました」


 どれだけ時が経とうと、どれだけ寝込もうと、悲しみが癒える事などない。

 心に空いた深く大きな穴は永遠に闇を落とすのだ。


「あなたは立派なママです。例えお子さんが亡くなっても、産み、育て、愛した。今も変わらず愛している。山口さんだって、同じです」


「ありがとうございます。次の患者さん呼びますね」


「あー、ちょっと待って」


「なんですか?」


「今夜、ちょっと付き合ってもらえません?」


「え? 今夜……ですか?」


「何も聞かずに、僕に付き合ってもらえませんか?」


 瞬の四十九日が過ぎた辺りから、いろんな人が瞳子を訪ねてきた。

 皆一様に、瞳子を励まし、また腫れ物を触るように接していた。

 気持ちは非常に有難かったが、その延長線上には必ず瞬がいて、どうしようもない悲しみを誘発した。


「すいません。今夜は予定があるので」


「そうですか。なら仕方ありませんね。もし気が変わったら連絡ください」


「わかりました。次の患者さん呼びますね」


 仕事となると割り切れたが、プライベートで人に会うのは恐ろしく億劫だった。

 子育てしていた時の習慣は簡単に抜けなくて、普段、瞬が家にいた時間帯は、どうしても外出する事ができずにいる。


 瞬に寂しい思いをさせないように。お腹を空かせたらすぐにご飯を出せるように。

 それは瞳子にとって、ある種義務のようになっていて、そうする事が何よりの幸せだったのだ。

 今はもう、誰も食べなくなった米粉のカップケーキを毎日仏壇に供える。

 小麦粉を使わない夕飯メニューもやめられなくて、作っては仏壇に供えて、瞬と一緒に食事をする毎日である。


 朔也は、辛うじて毎日家に帰っては来るが、その時間はまちまちだった。

 以前、きっちり定時で帰って来ていたイクメンパパはなりを潜め、お酒を飲んで帰る事も度々あった。


 大学時代の後輩がこども食堂を運営したいと窓口を訪ねて来たらしい。

 その運営に、朔也も参加する事になったらしく、帰りが遅くなるのも、休日に家を空けるのも、その関係だと、聞きもしないのにそう語っている。


 しかし、あの女との関係も健在のようで『今は俺が必要なんだ』と、言っていた。

 仕事帰り、度々、あの女の家に行き、食事をして帰って来るようだ。


 彼女と体の関係は一切ないという。

 その言葉はあながち嘘ではないような気はしていた。


 何しろ、朔也は瞬がいなくなってからと言う物、毎晩のように瞳子の体を求めて来るのだから。


 事故とは言え、元はと言えば朔也の不注意で、瞬は死んだのだ。

 アレルギーに対して、もっと危機感を持ってくれていれば、最悪の事態は免れたかもしれない。


 そんな想いが、瞳子を密かに復讐へと駆り立てていた。

 夫と、あの女……。

 絶対に許さない。


 朔也の荒々しい愛撫を受けながら、イク瞬間まできれいに整った顔が、苦痛に歪む瞬間を思い描きほくそ笑む。


 あの女が、苦しみ、もがき、泣き叫び、ボロボロに壊れて行く姿を夢に見る。

 朔也の胸に抱かれながら誓う。


 必ずこの手で、地獄へと――。

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息子が一番の私と、夫が一番の彼女 神楽耶 夏輝 @mashironatsume

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