忌み鬼は生まれて後悔したけど幸せです

スタミナ0

忌み子・上



 森の奥には、魔術大国の切り札と称される一族の館がある。

 三重の郭に関われた敷地は、それだけで住む者の格を知らしめている広さがあり、訪ねる者を威圧する大きな門はそれに一役買っていた。

 きつい勾配の坂に設えた石段を登った先にあるその門の前には、加齢によって広くなった額に乗る脂と同じような艶を帯びた黒い総髪を揺らす壮年の男が立っている。

 自分からは動かず、示し合わせたように後ろに率いていた三人の黒装束が先に出て扉を押し開けた。

 すると、男を迎えたのは左右に道を開けて並ぶ女中たちと、臆面もなく自分の正面に立つ眉目秀麗な青年だった。


「おかえりなさい。ソウマ様」

「いつものように父上、でいいぞ。カグヤ」


 迎えた息子を男ソウマは優しく抱きしめる。

 父の抱擁に、眦を下げてカグヤは微笑んだ。


「留守の間、変わりなかったか」

「何人か結界内に侵入者がありましたが、いずれも駆逐しましたよ。我々に手出しするくせに歯応えが無くて拍子抜けします」

「はは。流石は我らが期待の星、贔屓目なしで優秀としか言いようがない」

「この魔術の大家カガミハラを継ぐものとして当然ですよ」


 カグヤの受け答えに、心底誇らしげにソウマが鼻を鳴らす。


「そういえば父上。最近、再生術を習得したのですよ」

「真か! 再生術を使える術者は、そう多くない。やはり素晴らしいな、おまえの才能は」

「まだかすり傷程度しか治癒できませんが、いずれ実用化できるようにしますとも」


 胸を張るカグヤにソウマは満足げに一度頷くと、使用人と共に母屋へと足早で向かっていく。


「父上、どちらに?」

「ああ。地下の獣から『肉』を取ってくる」

「父上……まだあの縁起の悪い獣を飼っているのですか」


 カグヤの言葉にソウマは苦笑した。


「奴は鬼人です。生まれただけで問題だと言うのに、それをいつまでも生かしていたら我々の醜聞にしかなりません」

「まあ、落ち着け。案ずるな、直に葬るさ」


 ソウマはそれだけ言って、カグヤに背を向けてその場を後にする。

 見送る視線を背中に受け、よくやく息子から顔を隠せたソウマは初めて表情を険しくさせた。


「私だって、殺せる物なら殺してやりたいさ……」


 ソウマの悔しげな声を耳に拾った黒装束たちは、気まずそうに視線を逸らしたのだった。

 そのまま母屋を北へ移動し、地下へと続く鉄扉を開けて石の階段を降りていく。

 ソウマは黙々と歩を進め、冷たい石の床と壁、天井以外は頑丈な鉄格子だけしかない地下の牢屋が並ぶ中、その一つの前で足を止める。

 そこには少年が小さく丸まっていた。

 細い手足と薄い胴体は、血の滲んだ包帯が幾重にも巻かれている。


「おい。時間だ、立て」


 ソウマが鉄格子の前から呼びかける。

 数人の男を引き連れた彼は、不機嫌そうに牢屋の中の少年を睨む。

 投げかけられた威圧的な声に、石の床の上で丸まっていた小さな体が広がり、ゆっくりと起き上がった。

 そのまま自分を見る少年の姿にソウマは顔を顰めた。

 右は人の顔をしていながら、左の顔は剥き出しになった骨が大きく張り出して仮面のようになっている。本当なら母由来の美しい白い髪も汚れて灰を被ったような色合いであり、手入れがされていない毛先は自由に暴れていた。


「いつ見ても貴様は醜いな、カグラ」

「おまえこそ……毎日飽きもせず、よく来る」

「父に対してその口の利き方は何だ!」


 カグラと呼ばれた少年は、地下の空気を震わせるソウマの怒声にも顔色一つ変えず耳を搔く。

 態度もまた不真面目であり、ソウマに右半身だけ向けた状態で対応していた。


「今日も、貴様の肉を獲りに来ただけだ。卑しく穢らわしい異形の『鬼人』の身でありながら我が家に役立てる栄誉を有り難く思え」

「生まれながら異形である鬼人が生まれた魔術師の家は、その代以降魔術の素養を持った後継ぎに恵まれない……よくそんな生き物をまだ有効活用しようと考えるな」

「黙れ!」


 ソウマが胸の前に持ち上げた手の形を変えて印を結ぶと、カグヤの全身に伸びる黒い線の紋様が熱を帯びた。

 大人が絶叫し、自死を選ぶような激痛が走るそれは、生まれた時から施された呪いであり、実の父から初めて授かった贈り物である。


「っ、くそ」

「ふん。分を弁えないからそうなる。鬼人の肉が魔術の良い触媒にならなければとうの昔に殺していたというのによく喋る口だ」


 初めて表情を崩したカグヤをソウマは鼻で笑う。


「貴様ごときと言葉を交わす時間も惜しい。早速今日の分を徴収しよう」


 ソウマが顎をくいと持ち上げる仕草に、鉄格子の端に設けられた扉が独りでに開く。

 黒装束が中へと入るや否や、カグラを床に踏み押さえて腰に佩いた剣を抜く。

 ぎらり、と地下を照らす灯からの光を反射した刃先にカグラはため息をこぼす。


「態度を改めれば一度で終わらせてやるぞ?」

「何度手間をかけても同じだから。好きにすればいい」

「ふんっ、無礼者め。私の許可が無ければ出れもしない。食事も何もかもすら私の許しを求める立場にありながら。――やれ!」


 ソウマの合図に従い、黒装束が剣を振り下ろす。

 両肩の肉が削がれ、傷口から血を噴く。

 しかし、カグラは痛みに叫ぶ事もせず、歯を食いしばって耐えながら、体の上に乗った足がいつ退くのかと黒装束たちに目を向ける。


「終わりました」

「ふん。……気色が悪い、忌み子め。三日後にあるカグヤの誕生祝いの準備で忙しい。このくらいにしておいてやる」

「カグヤ?」

「おまえの兄の名だ! ……と、そもそも畜生同然のおまえと兄弟と言うのもおかしい話か」


 足を退けた黒装束は、最後にカグラの痩躯を一つ蹴ってから切断された肉片を拾って牢を出た。


「カグヤは直にこの家を継ぐ。そうなれば次のご主人様はカグヤだ、覚悟して……」


 回収されたカグラの肉を眺めつつくつくつと喉を鳴らしてソウマは笑う。


「……後で再生術を使える者を寄越す。気長に待て」

「……」

「ふん。こうして回復させれば、何度でも肉を使えるというだけだ……生かして貰っている事に感謝しろ」


 ソウマはそれだけ言うと、黒装束と共に地下から地上へと戻った。

 閉じられる鉄扉の大きな音に、カグラはしばらくそちらを見ていたが、やがて少しだけ笑うと体を抱く。


「丁度、あと三日か」




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