親しい人との別れ

先日は、失礼なレビューを書いてしまいました。
申し訳ありません。
私の場合、父の死に目に会えました。
奇跡かも知れません。父は「2度目の危篤」でした。
父は、交通事故に遭ってから介護生活に入りました。
詳細は省きますが、私の親族は、電車で移動中だったにも拘わらず、私を待たずに警察や病院の対応をし、妹が介護の中心になりました。
キーパーソンという言葉を知ったのは、後のこと。私は「任せられない長男」として疎外され、精算時だけ呼びだされていました。
親族の、寝たきりの父の見舞いは足が遠のき、週に1度来る私は父に母の事を託されました。
緊急時の連絡先の先頭に私の名前や電話番号があるのにも関わらず、義兄に唆された姉は勝手に書き換え、病院からの危篤電話がかかってきているにも関わらず病院には行きませんでした。
父は奇跡的に息を吹き返しました。
看病疲れからか、高血圧で入院した母の見舞いと父の見舞いに行く日々が続き、母の病院の外出許可を経て、母を父の病院に連れて行った3日後、父は永眠しました。
父は、母を待っていたのです。2回目の危篤には間に合いました。看護師が、気をきかせて私に連絡をしました。
私は、父の遺言を守って、母の介護をしています。途中まで、妹や義兄の邪魔が入りましたが、私は、言いなりになりませんでした。
母の2回目の危篤の後、現在の療養型病院に入院して1年7ヶ月。親族は、姉が月に1度電話をかけてくるだけになりました。私の介護生活は、まだ終っていません。
父が交通事故に遭って以来のことは、ドキュメンタリーとして、記録し続けております。いつか、公表したいと思っています。
長くなりました。ごめんなさい。
フィクションのレビューだけど、実話を書きました。
これからも、よろしくお願いいたします。