母なる夢

サトウ・レン

報告書『母なる夢』

〈発見の経緯、怪異の分類とその確定方法に関する報告書を添付しました。確認のほど、よろしくお願いいたします〉

〈確認した。きみは、報告書が情緒的になりやすいし、相手の感情を類推もしがちだ。それは悪い癖だ。翻訳ツールも完璧ではない。物語作家ならばそれでもよいが、きみは観測員だ。私個人の感情としては嫌いではないレポートだが、観測所内における私ときみの関係は、友達でもなければ家族でもない。自覚するように〉

〈気を付けます〉




【『母なる夢』に関する報告書】



『二〇三五年八月三日、


 蝉時雨の降り注ぐ夏、私は母なる夢と出会った。

 海沿いに面したH市のちいさな町には子どもたちがよく集まって遊ぶ緑地部がある。


 過疎地帯にしては比較的に子どもの多い土地柄、その児童たちの噂を観察していると、思いもよらぬ怪異が観測されることもあり、このところ、特に注目していたのがH市だ。時代に取り残されつつも、子どもたちの姿が未来を感じさせる。昭和と呼ばれた頃から、日本は観測の対象に入れているが、今まで見てきた中でも異色の土地だ。


 緑地部に、その日、少女はひとりでベンチ座っている。少女は滂沱の涙を流していた。木立ちの隙間を縫う陽光で、涙は光の粒めいていた。


 少女は母親の死に悲しんでいる。

 少女の母親は突然の交通事故が原因で、鬼籍に入った。横断歩道を歩いている際に、居眠り運転のトラックに轢かれて。利き手だった右腕は、轢いた後も動き続けようとした車輪に引きずられて、ちぎれていたそうだ。


 家の中の重苦しい雰囲気に耐えられず、外に出たのだろう。少女は周りに誰の姿もないことにほっとしながら、泣き続けていた。


 通夜も葬式も終わり、それから数日経っても、少女は母を喪った悲しみが頭から離れなかった。当然のことだ。少女はやがて夢を見るようになった。繰り返し繰り返し。母の夢だ。優しかった母の慈愛に満ちたまなざしが、夢の中で、少女の心を救っていた。


 ふたたび緑地部に座る少女の姿を見て、

 調査対象にはどうも見逃せない不思議な幼さがあるように思った。


 少女は元気を取り戻したかのように、同じクラスの男の子や女の子たちと遊んでいた。外に出て駆け回る子どもたちの姿というのは、時間の流れとともにすくなくなってきてはいるが、H市ではまだ、根強く残っている。普段はそういう様子を見ると安心感を覚えるのだが、その時は違和感しか抱けなかった。


 幼さの正体を見つけるために、私はよりつぶさに少女の観察を続けることにした。人間には視認できないように、忘れることなく、自らの身体に透明化するスプレーも掛けた(なので、その辺は心配しないでください。以前みたいな失敗はしません)


 学校での過ごし方、学校の先生や周囲のおとなが求める理想のような反応、父親との会話にはどこかテンポの良さもある。人間を長く観察してきて感じたことのひとつに、人間のおとなは、自らも子どもだった頃があるはずなのに、おとなになると、おとなが求める子ども、という不自然さを求める。自然を嫌う生き物だ。だからおとなの描く理想の子ども、というのは、本来よりも幼くなりがちだ。


 そして一番気になったのは左手で食べにくそうに、ご飯を食べていたことだ。周りが聞いても、はぐらかすだけだ。


 観察を続けて、確信を持った私は、

 少女に会いに行くことにした。明らかに人間とは違うのに、どこか人間に似ている私の容貌を見て、少女は驚いたような顔をした。


「お母様。娘さんの肉体を娘さんに返してはどうでしょうか」

 私はそう伝えると、根拠はあるの、と〈彼女〉が聞いてきた。その受け答えこそが根拠のようにも感じたが、それには何も答えなかった。ただ私は、〈彼女〉の利き手である右腕を強く掴んで、「失われた右腕は娘さんの身体に宿らなかったんですね。ここだけ借り物のような印象を受けますが。だから左腕ばかり使う」と言う。〈彼女〉は轢かれた時に右腕を失っている。


「気のせいでしょ」

「では、ちぎってみてもいいですか」と脅してみる。


 すると〈彼女〉は青ざめた。「やめて、……それは娘のものだから」と答えた。もちろん認めてさえくれれば何もしない、と〈彼女〉に優しく伝える。


「ごめんなさい。最初は本当に娘を見ているだけのつもりだったの。でもあんまりにも暗い表情続きだから、どうにか慰められないかな、って娘の身体に触れたら、私たちの身体が一緒になってしまって。乗っ取るみたいな形になってしまった。たぶん私が願えばすぐにここから出て行ける気はする。試したことはないから、分からないけど。でも、ちょっとだけ、ちょっとだけ、あと一日、ってもうすこし動ける自分でいたい、ってずるずるきちゃって……」


 申し訳なさそうに、〈彼女〉が言う。

 そして少女は母から解き放たれた。母なる夢とでもいうかのような仮初の時間から。


 数日後、私がもう一度、少女の姿を確認しに行くと、以前のような幼さの違和感はなくなり、ひたむきな子どもの姿があった。



 発見の経緯〈H市内を観測中。緑地部にて〉

 怪異の分類〈生命体〉

 怪異の確定方法〈利き腕が動かなかったため〉』




〈なんでこんなお節介を焼いた?〉

〈このままだと、母親も娘も、どちらも救われないような気がして〉

〈人間に肩入れをしすぎだ。あと直接、人間とコンタクトを取るのはNGだと、きみには何度も言っている。危険な目に遭ったらどうする。遺される家族について考えたことはあるか〉

〈すみません〉

〈内容も稚拙だ。点数化するならば、残念ながら、良く言っても、三十点というところだろう。これではただの物語だ。私たちが必要としているのは、詳細な事実が記された記録だ〉

〈すみません〉

〈まぁでも……。観測所内での私たちの関係を抜きにして語るとすれば、八十点をあげてもいいのかもしれない。我が娘の性質について評価する、母親の立場からすれば。……いや、それは甘すぎるのか、うーむ〉

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