一人ぼっちの少女①

 異変観測。それがロウとライの仕事である。

 これは各地で報告された異変だと思われる事象を観測し、調査するという内容だ。


 "死者の街"から生還した翌日。今日もまた2人は仕事をしていた。

 薄暗いコンクリート壁の部屋の中にガラスによる仕切りがあり、仕切りの片側にはクマのぬいぐるみが一つ中心に置かれていて、仕切りのもう片側にはロウとライの2人が立っていた。


「これが今回の異変か? 全く危なそうには見えないな。」


 ライが言いながら薄暗い部屋のガラス越しに配置されたクマのぬいぐるみを見ている。


 2人がいるこの場所は、地下の"異変物保管センター"の一角だ。

 "異変保管センター"には様々な異変を持った品が安全に保管されていて、このぬいぐるみは今日新しくここに運び込まれたものだ。


 そう。今回2人が調査する異変とはこの、一見かわいいクマのぬいぐるみに関するものだった。

 ライとロウの二人がいる場所とクマのぬいぐるみのある場所がガラスの壁で仕切られているのも、クマのぬいぐるみが危険だからである。


「外面で判断するな。だが、実際そこまで危ない類の変異ではないかもな。」


「その心は?」


 このぬいぐるみについて書かれたレポートに目を通しながらそう言うロウにライが聞いた。


「危ない変異とは、危ない外面をしているゆえに危なく在れるからだ。そこから考えると、このぬいぐるみが変異だとするなら危ないことは無いだろう。」


「??? ――ああ。そっか? 異変に意味を与えるのは人間だもんな。危なくない物に危ない意味を与えるのは無理って話、か?」


 ロウの言葉にライが頭をひねりながらぼんやりと理解を口にする。


「まあ、無理というより難しいって話だ。あくまで傾向だから過信はするな。」


 要するに、クマのぬいぐるみがナイフと同じように機能する状態を想像できる人間は少ないということである。異変というのはなぜか人間の影響を強く受けるのだ。


「でだ。今回の変異はどんなもんなんだよ?」


 ロウの補足説明にライが頷きつつ、説明を促す。

 言われたロウは「今回の仕事に関するレポート」と書かれた紙からライへと視線を移して、話し始めた。


「今回の変異はこのぬいぐるみだ。"一定時間ごとにぬいぐるみを出現させるぬいぐるみ"らしい。発見場所は地震によって崩れた一般家屋の中だ。瓦礫の中に大量のぬいぐるみが積みあがってたのを一般人が発見し、その怪しさから俺たちの元まで露見したらしい。」


 ロウの説明を聞きながら、ライはガラス越しのぬいぐるみを見直す。


「今はクマのぬいぐるみ一つしか無いな。」


「ああ。で、あのクマのぬいぐるみが本体だ。あれが約15分毎に、目を離すとぬいぐるみを出現させると書かれている。」


「もうこの部屋には15分は居るだろ? 増えてないぞ?」


 ロウの言葉にライが矛盾を指摘する。


「聞いていたか? 増える条件には"目を離すこと"も書かれている。俺たちが見ていては増えないんだよ。」


「ああそういう。」


 言いながら、試しに2人はぬいぐるみから目を離してみた。ロウの知っている通りであれば、こうすれば条件を満たしてぬいぐるみは増えるはずだからだ。


 二人は一瞬だけ目を離して、そしてまたぬいぐるみへ視線を移した。

 するとそこには、クマのぬいぐるみともう一つ、さっきまでは無かったはずのゴリラのぬいぐるみがあった。


「増えた! すげぇ!」


「・・・今のところ、増えたぬいぐるみに異常性は無いと考えられてるらしい。」


 はしゃいでいるライを無視してロウが淡々と説明する。


「ちなみに現実濃度は? このぬいぐるみはどのくらいの強さの変異なんだ?」


「近づいても90だと書いてある。そこまで強くは無いな。」


 2人が言っている異変の強さとは"現実を改変する最大の度合い"と定義されている。

 要するに、その異変周りで記録された最低の現実濃度の事だ。

 今回のぬいぐるみだと現時点で90、前の死者のいない町だと50となる。

 これが高ければ高いほど何が起こるかわからず面倒な変異となるのだ。


 異変の強さが100未満80以上の異変は、危険度は低いが決して無視はできない異変と言われる。

 異変の強さが80未満45以上の異変は、一般的かつ危険で確実な対処を求められる異変と言われる。

 異変の強さが45未満の異変は、未知の危険さを孕んでいて人類滅亡の原因になりえる異変と言われる。


 それに習えば、今回の強さが90の異変はそこまで危険ではないのだろう。


「で、俺たちは何をすればいいと上層部は言ってるんだ?」


「命令によると無効化するか、ぬいぐるみによって起こりえる事象を洗いざらい観測、理解することが俺たちには求められている。」


「ロウ。俺ながら浅はかかもしれないが、このクマのぬいぐるみを壊すだけでこの異変なら無効化できるんじゃね? それで仕事終わりにならないか?」


 ライの安易な考えにロウは目を細め、そんなロウの視線を受けたライが少し身を縮める。


「・・・。正直、俺もそう思っていた。よし。今すぐに火炎放射器を持って来よう。」


「!? だよなだよな!」


 だが、以外にもロウは同意を示し、それにライが顔を明るくする。

 そうしてロウが部屋から出て火炎放射器を取りに出ていった。


 ライはガラス越しにぬいぐるみを見つめる。

 見る限りは本当に異変など感じないかわいいぬいぐるみだとライは思う。それこそ、女児などがすきそうだな、と。


「流石に今回の変異で死ぬことはなさそうだな。」


 ぬいぐるみを見ながらライは一人で苦笑した。



 ライが大人しく待っていると、扉が開いて部屋にロウが戻ってきた。

 腕には巨大な火炎放射器を抱えている。


「まずは近づいてみよう。慎重にな?」


 ロウがそう言って、2人は慎重にぬいぐるみがある側の仕切りへと入る。

 とりあえずロウは二つのぬいぐるみに近づいてじっくりと観察する。


 クマのぬいぐるみも、ゴリラのぬいぐるみも、見る限りはどこまでも普通のものだとしかロウには見えなかった。

 ロウは報告書に付け足すために、ぬいぐるみ二つの写真を撮ってライに合図をした。


「よし。写真も撮れたしさっさと燃やして仕事を終わらせてしまおう。」 


「俺が燃やすから、一応ロウは現実濃度計を観察しててくれ。」


「ああ。」


 そう会話してライはロウから火炎放射器を受け取ると、ロウは持ち物の中から現実濃度計を取り出す。


 わざわざずっと現実濃度計を観察している必要はないと思ったかもしれないが、異変において何かの状態をトリガーに現実濃度が変動することは少なくない。

 それに、クマのぬいぐるみを燃やして消すことに成功したとしても、現実濃度が100に戻っていないのならば、それは異変を解決したとは言えないのだ。

 その部分を確かめるためにも、誰かが現実濃度を把握している必要があって、ゆえにロウは火炎放射をライに任せて現実濃度を確認することに徹するのだ。


 ライは火炎放射器を準備すると、ぬいぐるみ二つに向かって射出した。


 程なくしてぬいぐるみは両方燃え尽きた。

 それはもうあっさりと。

 あまりのあっさりさに、ライは少し気が抜けた感じがするほどだった。


「———!」


 だが、ぬいぐるみが燃え尽きた直後、ロウは現実濃度計を見て顔をしかめていた。


「どうだ!? 現実濃度は100に戻ったか?」


 ライはロウに確認する。

 異変の本質とは現実濃度の低下。だったら、異変が消えていれば現実濃度は100に戻っているはずなのだ。


「いや、現実濃度が下がった・・・まずいな。」


 だがライの問いに対してのロウの答えは、乏しくないものだった。

 現実濃度計が指す数値は75。ぬいぐるみを壊したにも関わらず、異変としての強さが上がってしまったということだ。

 すなわち、このぬいぐるみの異変はぬいぐるみを燃やすだけでは無力化できないということだ。


「じゃあこの方法は失敗か!? ど、どうすればいい?」


 ロウの言葉にライが困惑する。

 

「落ち着け。とりあえず火炎放射器を止めろ。」


 ロウは頭を抱えながらライに指示する。

 ぬいぐるみが消えたが、現実濃度が上がっていない。

 それは異変の本質がぬいぐるみではないことを示す。

 ロウはこれを厄介だと思わざるを得なかった。

 "実体のない変異"は干渉することが難しいために厄介なことが多いからだ。


「おいロウ、見てくれ。」


「?」


 ライが火炎放射器を停止させながら、目を閉じて一人で頭を動かしていたロウにそう言った。

 ロウは疑問を抱きながらも悩むのをやめてライの方を見る。


「復活してる・・・!」


 ロウの見た先にはさっき燃やしたはずのクマのぬいぐるみがあった。ただし、クマのぬいぐるみが出現させたゴリラのぬいぐるみは燃え尽きたままだった。


 ロウは連鎖的にふと現実濃度計の数値に目を向ける。

 現実濃度は90に回復していた。


 このぬいぐるみが"一定時間毎にぬいぐるみを出現させるぬいぐるみ"から"一定時間毎にぬいぐるみを出現させる壊しても再出現するぬいぐるみ"だと分かった瞬間である。


「消すと再出現するまでの間、現実濃度が75に低下するのか。——―ライ。これを壊す方向で無効化するのは無理だ。」


 悩みつつもロウはライに言う。

 壊しても復活する以上、壊しても進展はないだろうという判断だ。


「まじか・・・。じゃあどうやったらいいんだよ。」


「まあそれはそれとして、俺たちにはぬいぐるみの性質を暴く必要がある。もう何回か壊すぞ。」


 落ち込み始めたライにロウがそう言った。

 ロウが言いたいのは、ぬいぐるみを壊すのはやめた方がいいが、壊した時に起こることについては実験しておく必要がある、ということだ。


「まずは、ぬいぐるみが再出現する瞬間を映像で記録しよう。」


「確かに!」


 淡々と説明するロウにライが納得の声を漏らす。

 そしてロウはバックからカメラを出して、録画を開始した。


「やってくれ。ライ。」


 ロウからの合図を受けて、ライは火炎放射器で再度ぬいぐるみを燃やす。

 ぬいぐるみが燃え尽きて、床にはぬいぐるみの燃えカスだけが残った。


 そして2人は燃え尽きたぬいぐるみの再出現を待った。



「さっきより遅いな?」


 ライが退屈に耐えかねて声を漏らす。


「思ったんだが、さっきぬいぐるみを燃やして再出現させた時、時間経過じゃなくて俺たちが目をそらした隙に再出現させたんじゃないか? ぬいぐるみを増やす瞬間も誰も見ていないタイミングなんだし。」


「ライにしては考えたな。それなら視線をそらしてみるか。」


 ライの思いつきにロウが同意し、二人は視線を壁に向かってそらす。

 そして視線を元に戻す。


 そこには依然としてぬいぐるみの燃えカスが残っているだけだった。


「あれ? 当てが外れたか?」


 ライが首をかしげながら言う。


「そうみた・・・いや、もしかすると? ライ、もう一度視線をそらしてみてくれ。」


 ライの声にロウがそう反応し、ライは言われたとおりに視線を壁に向ける。

 そしてロウも同様に自分の視線をそらして、さらにカメラの録画も一瞬だけ停止した。


「やはりか。ライ、もう視線を戻してくれ。」


「あい。って再出現してる!? ロウ、条件が分かったのか?」


「ああ。再出現するタイミングは"何も観察していない瞬間"だ。どうやらカメラとかで録画するのもダメらしい。」


 困惑しながら聞いてくるライにロウが淡々と説明する。

 このぬいぐるみは誰も見てない瞬間にのみ再出現するのだ。ゆえに再出現の瞬間を見たり撮ることはできない。

 

「一応、切り裂いて部分ごとに分けて、どれくらい破損するともとに戻り始めるのか、あとどこに再出現するのか。それを確かめよう」


 ロウがそう計画を立てる。


 そうして、ロウ主導の元実験は続いた。

 様々な実験を一日中行った結果、次の性質が分かった。



 1:このぬいぐるみは約15分毎に未知の力によって一般的なぬいぐるみを出現させること。


 2:このぬいぐるみを破損させた場合、最もぬいぐるみの欠片が集まっている地点に再出現する。そのため、このぬいぐるみを壊すことは不可能であると考えられること。


 3:上の二つの性質は何者も観察していない状況下でしか起こらないこと。だからと言って、上の性質が条件を満たした上で継続的に観察し、その事象が起こらないようにした場合、現実濃度が時間を重ねて下がっていく。ゆえに、常時観察による無力化は不可能である。



「こんなものか?」


「あと一つ試したいことがある。少し危ないかもしれないからヘルメットと防弾チョッキを着ておいてくれ。」


「分かった。危険って言うならロウは離れてろよ? で、ここまで危険な性質は何もなかったのに、いったい何をするんだよ。」


 装備を整えながらのライの言葉に従って、ロウはぬいぐるみがない側の仕切りに移動した。


「ああ。最後の実験はぬいぐるみをハンマーで叩き壊すことだ。ハンマーは机の上の道具を使え。」


「まあ確かにナイフとかで引き裂いただけでハンマーで叩き壊しはしてないが、本質的になんか違うのか?」


「ちょっと思うところがあってな。頼む。」


 首をかしげるライに、ロウがそう言ってライにハンマーを持ってもらう。

 あくまでただの杞憂だと、ロウは考えていた。


「じゃあ叩くぞ? せーの!」



 次の瞬間、ぬいぐるみがある側と無い側を隔てるガラスの壁が吹き飛び、ロウの頬をいくつものガラスの破片が掠めた。


 ぬいぐるみを中心に物凄衝撃波が唐突にも発生したのだとロウが理解するのには多少の時間を要した。

 ロウが理解をどうにかして追いつかせて、事態を確認すると、衝撃波によって相当な被害を受けて気絶しているライがまず初めに目に映った。


「ライ! 大丈夫か!? 今治療室へ送る!」


 ライに実験をさせたことをロウは後悔する。

 杞憂だと思いつつも一応やっただけの実験にここまで被害が出るなら、わざわざやる必要はなかったのだ。


 そもそもライとロウの2人はやらなければ|殺される(・・・・)特殊な状況に置かれているからこんなにも危険な異変の調査という仕事をわざわざやっているだけ。

 上層部が納得するような調査書さえ作れれば、別に深入りして実験をして性質を確かめる義務も責任も持っていなかった。

 だからいつも、「これくらいの成果があれば上層部も納得するだろ」と言って可能な限り早く仕事を切り上げていたのだ。

 だから、今回もそうすればよかったのだと、ロウはやはり後悔する。



 ロウはライを急いで治療室に運んだ。

 この機関の治療室は流石に充実していて、どうにかライは軽い傷で済んだらしい。


  ▽▲▽▲▽▲


『<調査資料 "増殖させるクマのぬいぐるみ" 調査結果 2024/XX/XX>


 "増殖させるクマのぬいぐるみ"には以下の性質が確認されました。


 ・このぬいぐるみは約15分毎に未知の力によって一般的なぬいぐるみを出現させる。


 ・このぬいぐるみを破損させた場合、最もぬいぐるみの欠片が集まっている地点に再出現する。そのため、このぬいぐるみを壊すことは不可能であると考えられる。


 ・上の二つの性質は何者も観察していない状況下でしか起こらないこと。ただし、上の性質が条件を満たした上で継続的に観察し、その事象が起こらないようにした場合、現実濃度が時間を重ねて下がっていく。ゆえに、常時観察による無力化は不可能。


 ・落石やハンマーなどの鈍的な衝撃を与えた場合、直ちに周囲にとてつもない衝撃波を発生させ、被害を与える。



 上の情報を総合して、"増殖させるクマのぬいぐるみ"は異変物保管センターにて出来る限り干渉しないように保管したうえで、ぬいぐるみを一定期間ごとに処分することを進言します。』



『調査結果を受け、調査不足と判断。再調査を要請する。』


  ▽▲▽▲▽▲


 ライの意識が深い眠りから覚醒した。

 だが、ライはその目に入る情景に驚いた。

 自分の二、三倍もデカいような家の中にライはぽつんと突っ立っていたからだ。


 意識がはっきりとした夢の中、ライは困惑していた。

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異変観測者 よもぎめし @yomogimesiume112358

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