陽光

 イエナの一件以降も、ディアミドはオーエンの魔法の訓練を続けていた。朝、起きると、塔に向かい、塔の外でフォリアの仕事を手伝いながらダーナが起きるのを待つ。主の起きる時間になると彼女の執務室に向かい、朝の健診を行い、そのままオーエンの勉強会、そして剣術と魔法の鍛錬といった日課を決めて、毎日同じようにこなす。ダーナは、以前と変わらず、常に執務室で何か調べものをしている。いつかは自分にもその手伝いができればと考えるのだが、彼には知識が足りな過ぎた。そのための勉強である。

 その日も、オーエンの授業をうけていた。オーエンは最初会った時と同様の姿をしている。老齢の博識な魔法使いといったいでたちだ。この御仁は、どうもその日の見た目に合わせて服や話し方を変えるのが好きらしい。

「ほっほっほ。よく学びましたのぉ。ふむふむ、ああ、そうじゃ。精霊といえばな?」

 オーエン翁は好々爺全と笑う。この姿の時のオーエンは穏やかで優しいが、しょっちゅう話が脱線し、あっちに行っては、こっちの説明をし、かと思えばオーエン翁武勇伝が挟まり、そして、脱線に脱線を重ね、

「で、何の話じゃったかな?」

 と来るのである。飽きずに色々な話を聞けて面白いといえば、そうなのだが、きちんと座って教えを受けるということ自体が初めてであるディアミドは、話についていくだけで精一杯である。わからないことは、別の日のオーエンに尋ねようと、メモを取ることに集中していた。くじけそうになりながら、オーエン翁のとりとめのない話をメモしていると、ダーナが突然立ち上がり、

「行ってくるわ」

 とだけ言って、文字通り姿を消した。転移魔法を使ったらしい。ディアミドはため息をつく。仮にも護衛である自分を置いて、勝手に出かけるのはやめてくれと言っているのだが、彼女は、

「だって、あなた、転移魔法使えないじゃない。歩くなんて嫌だもの」

 と答えた。簡易転移装置を使えばいい話なのだが、あれは転移先に魔法陣を用意しておく必要があり、初めて行く場所の場合は、まず先にダーナが転移して、転移先の魔法陣を用意し、戻ってきて、転移元をどこかに用意するという手順を踏まなければいけないらしい。

「そんなの面倒」

 というのが彼女の意見だ。以前は何も言わずにすっと消えていたので、予告するようになった分マシにはなっているのだが、次は行先と戻る時間も告げてくれと言わなければと考えているディアミドである。主人が消えて、座学が手につかなくなってしまったディアミドに、フォリアがお茶を淹れてきてくれた、

「ディアミド、変な顔」

 彼女はここで、唯一、相手の変化に気づき、気遣える貴重な存在である。

「フォリア、いつもありがとう」

 優しい紅茶が心に染みた。

「ダーナ様、強い、大丈夫」

「うん。わかってはいるんだよ」

「大変なら、ディアミド、連れてく」

「そうだといいんだけど……」

 本当に、そのように頼ってくれるならいいのだが、いまいち彼女の中でのディアミドの評価が測れないでいる。フォリアが、再び大丈夫と言いかけた瞬間、ダーナが戻ってきた。

「ちょっと来て」

 言って、床に転送魔法の魔法陣を出現させると、ディアミドの手を引いて、魔法を発動させた。

「ダーナ様!?どちらに!?」

 言い終わる前に、ディアミドとダーナはイエナのいた森に立っていた。ディアミドは先ほどのフォリアとの会話を思い出す。もしかして、大変な状況とやらが起きてしまったのか。非常事態にすぐに対応できるように、腰に下げていた剣の柄に手を伸ばす。すると、それをダーナが手で制した。動くなと言っているようだ。

「いかがしましたか?」

「静かに!」

 少女はそういって、ディアミドの目に手をかざして、何かの魔法をかける。そして、目を開けたディアミドに、目の前の大木の根元を指さし、そこを見ていろと示した。そこには、黒い粘液をまとった塊が見えた。呪塊の最後のひと塊のようだ。それが、ダーナの魔法の光に囲まれて徐々に溶けていく。溶けた端から淡い光を放って、そして、だんだん一人の人間の形になっていく。それは、中年の女性だった。髪をまとめて帽子の中にいれ、腰に巻いたエプロンの前で組んだ手は、家事炊事の仕事をする人のあれた手だった。

 彼女は、ゆっくり目を開けると、ふうと一つ息をついて、二人に深くお辞儀をした。そこから上体を戻しながら、薄くなって消えていった。しばらく言葉なく、いままで女性のいた木の根元を眺めていた。

「見えた?」

 ダーナが静かに尋ねた。

「はい。笑って、いらっしゃいました」

 よかったです。という声は音にならない。彼女は、ずっとイエナのそばにいたのだ。彼女の呪いに取り込まれて変質してもなお、イエナの傍を離れることができなかった。それが、彼女の最後の強い想いだったのだろう。

「あれで、イエナの呪いは最後よ」

 ダーナがディアミドを見上げた。薄く笑っているようだった。

「ありがとう」

 彼女の笑顔を初めてみたような気がした。ディアミドは眩しくて目を細めた。

「私こそ、お礼を言わせていただかなければいけません」

 ダーナは小さく首をかしげる。

「そうなの?」

「ええ。私は、城ではもう、引退待ちの役立たずでした。もうどこにも自分の場所などないことをわかっていながら、自分で自分をあきらめることもできず、ぐずぐずと城にのこっておりました。その私に場所と役目を与えてくださったのがダーナ様です。今回、彼女があのように笑うお手伝いができたのも、ダーナ様のおかげです」

「私は、何も、できなかったわ」

 ディアミドは首を横に振る。この小さな少女が、苦しみながらも呪生となってしまった女の子を助けようとした。それによって、自分も大きく励まされたのだ。

「当初の護衛のお役目は終わってしまったのだと思いますが、このままお傍に使っていただけないでしょうか?」

 ディアミドはダーナの前にひざまずいて尋ねた。オーエンは始め、バケモノの討伐のために囮が必要という理由で、ディアミドを塔に呼んだのだと言っていた。だから、ディアミドはこれでその役目を果たしてしまったことになる。お役御免を言い渡されるなら、この呪塊を浄化しきった時だろうと思っていた。今度は、言われる前に、はっきり言おうと思っていた。

「今後、ダーナ様の執務もお手伝いできるように鍛錬してまいりますので、なにとぞ」

 深く頭を下げたディアミドに、ダーナはきょとんとした。

「なんで?」

 まあ、そうだろうと思っていた。でも、適うのならばダーナが守護者の任を終えるまで、使ってもらえないか。もう一度ディアミドがお願いしようとすると、ダーナがさらに口を開いた。

「まだ、終わってないわ」

 ディアミドは驚いて顔をあげた。

「イエナ様は、まだ浄化しきれていなかったのですか?!」

「え、いいえ!そうじゃなくて」

 こほんとダーナが咳払いをした。

「前にも言ったと思うのだけれど、守護者の中には亡くなるときに呪生になってしまう人が、まあ、結構たくさんいるの。まだ、森の中には無数の呪生がいるわよ?」

 ディアミドは唖然とする。確かにそのようなことを言っていた気がする。

「ここは今までイエナがいたから、当分は大丈夫だけれど、森の他のところに入れば、また別の子がいるわ」

 ダーナは森の奥、遠くを眺めている。そこに、懐かしい人でも見ているように。

「私は……」

 言ってから少し躊躇う。口に出してしまっていいのか、迷っている。ディアミドは、せかすこともせず、ただ黙って続きを待っている。

「私は、『守護者』を、私で最後にしたいの」

 思い切って口を開く。ダーナが誰にも話したことのなかった、彼女の願いだ。

「守護者が呪生になっていくことで、いまとなっては、普通の人間の守護者では数か月も耐えきれないくらい呪いが強くなっているの。その守護者によっては、数週間で魔力が尽きてしまうかもしれない。私は、呪生をみんな浄化して、そして、呪いの根源も消してしまいたい。そして、守護者という役割がなくてもいいようにしたいの」

 ダーナは、小さな声で願いを語る。少し、祈りに似た調子だと、ディアミドは思った。

「でも、私一人では、やっぱり難しいの。だからね。最後まで力を貸してくれる?」

 ダーナが、ディアミドに右手を出した。ディアミドは、その場に膝を折り、彼女の手を取った。

「この命尽きるまで」

 こうして一つの主従関係が始まった。

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呪いの塔の魔女 美紗 @misaco

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