マジックアワーを永遠に

伊田 晴翔

マジックアワーを永遠に

 白と水色のチェック柄のシャツを着て、家を出た。ボタンをとめるのに時間がかかることを考慮したうえで、それでもチェック柄を選んだのは、僕の誕生月の隣の月のラッキーアイテムがチェック柄だったから。ボーダー柄を持っていなかった僕は、お隣さんからラッキーを分けてもらおうと、軽い気持ちで考えたのだ。まさか、こんなことを説明する場面があるなんて、想像もしていなかった。

「というわけで、僕はチェックシャツを選んだんだけど」

 駅で合流した純奈じゅんなさんに、僕は説明する。

「ラッキーだったんじゃない? 打ち合わせなしで柄が被るなんて、そうそうない。奇跡だよ」

 ベージュ色のチェックスカートを履いた純奈さんは、大して気にしていない様子だった。僕たちは市営競技場に向かって歩き出す。

「純奈さんは十月生まれなわけ?」歩きながら、僕は尋ねてみる。

 九月生まれの僕は十月生まれさんからラッキーを分けてもらったわけだけど、つまり純奈さんがその十月生まれさん本人ではないか、と思い至ったのだ。

「わたしは六月だけど」純奈さんはさっぱりとした口調で言った。「ラッキーなんちゃらは、アイスキャンディだったかな」

 各媒体によってラッキーなんちゃらは異なる。ラッキーアイテム、ラッキーカラー、ラッキーメニュー。彼女が見た媒体のなんちゃらは、食べ物だったのかもしれない。

「純奈さんも、占いとか見るんだね」

「もちろん。ラッキーには、あやかりたもんだよ」

 市営競技場は、駅から十分ほど歩いたところにあった。観客スタンドに入ると、十数人の真っ赤なポロシャツを着た団体がいた。コートを挟んで、五十メートルほど離れた反対側のスタンドにいるもう一つの団体は、赤色軍団よりも人数が多かった。

「僕はどっちを応援したらいいの?」

「夕日みたいに、真っ赤なほう」

 よし、と僕は気合を入れつつ、純奈さんが応援しているというチームがどんなものかと、グラウンドに目を向ける。対戦する両チームが、試合前のウォーミングアップを行っていた。芝生のコートには手前側と向こう側に小さなサッカーゴールがあって、手前側のゴールに向かってシュート練習をしているのが地元の実業団チームだという。それにしても、と僕は感心してしまう。

「本当に、視えてないんだよね。あの選手たち」

 赤いユニフォームの選手たちが、パスを貰ってシュートを放つ。一見、何気ないサッカーの動作なのだけど、一般的なサッカーやフットサルと違う点がある。それは、選手たちがアイマスクをつけていることだ。ブラインドサッカー、というらしい。

「彼らはみんな、視覚に障害があるんだよね」

「そうだよ」

「よくボールが蹴れるね。魔法みたいだ」

「ボールに音の鳴る仕掛けがあるからね」と、純奈さんが説明してくれる。「だから試合中は、静かに見守るの」

「そっかぁ」と思わず僕は感嘆の声を上げる。音を頼りにするわけだから、本来あるべきはずの声援が、彼らにとっては邪魔になってしまう。

「詳しいんだね」

「もう十回は来てるからね」

「ゴールキーパーは、アイマスクしないんだ?」

 グローブを装着したゴールキーパーが、味方のシュートに反応している。

「キーパーだけは視えるようになってるの」純奈さんが教えてくれる。

「ところでさ」僕は、根本的な疑問を投げかけた。「どうして赤チームを応援するの?」

 地元実業団のブラインドサッカーチームと、彼女はどう出会ったのだろうか。十回も観戦に訪れるほど、何に魅了されたのだろうか。

「わたしが応援しに来た試合でね、一回も勝ったことないの」

「そうなんだ」

 それなのに、どうして……。

「勝つところを見たいんだ」

 純奈さんが、澄んだ声で言った。その言葉には、風を起こすような力強さが感じられた。

「負けてばっかりなんだけど、たまに奇跡みたいな勝ち方をするんだって。わたしはその奇跡を待ってるんだ」

 赤チームに向けられたその視線には、乾いた土地で雨乞いをする少女のように、切望が宿っていた。

「そこのカップル」

 僕たちが振り返ると、赤いシャツを着た中年の女性が立っていた。穏やかな笑みを浮かべている。

「カップルじゃないですよ」と、僕は否定する。勝手に決めつけるのは、純奈さんに失礼だ。

「あら、いつも来てくれる娘よね。敗北の女神」

 僕の言葉を無視して、女性が言う。純奈さんは声を上げて笑った。

「はい。手、出して」

 女性は小袋を持ち出し、そこに手を入れてガバっと掴むと、純奈さんに突き出した。飴玉のようだった。

「こんなに?」と言いながら、純奈さんは両手で受け取った。

「彼氏も、ほら」

 否定する間もなく、飴玉が突き出される。僕は片手を出して受け取ろうとする。

「遠慮しないで」

 両手で受け取れ、ということなのだろうけど、僕は「大丈夫です」と断った。スタンドの椅子に飴を置き、バッグを開ける。僕の分の飴を純奈さんが入れてくれ、さらに彼女は自分の分も入れ始める。

「あれ?」

「もらいすぎたから、あげる。美人って罪よね」

 

 試合が始まった。開始早々に、赤チームは失点した。それからすぐに二失点目。十五分ハーフの試合は結局、〇対七で赤チームの惨敗だった。

「相手が悪かったね」と、純奈さんに慰めかどうかも分からない言葉をかける。

「相手、三連敗でこの試合を迎えてたらしいよ」

 不調の相手にこの結果か、と僕は思わず目を覆いたくなる。それでも、最後まで諦めず、貪欲にゴールを狙いに行く姿勢に、僕が拍手を送ろうとしたときだった。

「また負けかよ! 悔しくねーのか! いつになったら勝つんだ!」

 コートに向かって野次を飛ばす青年がいた。選手たちは、彼に向かって拍手をして応えている。その光景が、僕には印象的に映った。

「またやってる」純奈さんが、どこか嬉しそうに言った。大声で野次を飛ばす青年を見て、確信した。僕は彼を知っている。小学校時代に一番仲のよかったタケちゃんだ。

 僕たちの視線に気づいたタケちゃんがこちらを見る。パッと表情を明るくして、駆け寄ってきた。

耀太ようたか! 久しぶりだな。元気か?」

「うん。タケちゃんも、変わりなさそうだね」

 タケちゃんが野次を飛ばすのを見て、「変わらないな」と思うのも不思議なのだけど。

「どうしてここに?」とタケちゃんが尋ねてくる。僕は同じ質問を返したいところなのだけど、説明する。

「彼女に誘われたんだ。彼女っていうのは、彼女ではなくて、友達なんだけど」

 タケちゃんは、僕の隣にいる純奈さんに視線を移した。

「純奈さん。僕の高校の同級生」

「へー、お前の知り合いだったのか。武野です」僕が紹介せずとも、タケちゃんは自己紹介をし始めた。「こいつのマブダチです」

「君、いつも野次飛ばしてるよね」

「俺なりのエールなんだ」タケちゃんが笑う。「純奈ちゃんこそ、よく来てるよね。サッカー好きなの?」

 ついさっき聞いた名前をすぐに呼べてしまうのも、タケちゃんらしい。

「わたしは、あのチームの奇跡を観に来てるの」

 一般的ではない言い回しをする純奈さんと、納得するように頷くタケちゃんは気が合いそうな気がした。

「あ」

「あ」

「ん……ああ」

 僕と純奈さんの視線に気づいたタケちゃんが、自分のスニーカーを見る。タケちゃんのスニーカーは、白と緑のチェック柄だった。三人もチェック柄が揃う確率はどれくらいなのだろうか。

「そうだ。おーい、原川!」タケちゃんがさっきまでいた場所に向かって声をかけると、眼鏡をかけた青年がこっちを見た。あれ、と思った。中学時代の僕の同級生の、原川くんだ。このスタンドでは、同級生との遭遇率が高いようだ。 

 中学校ぶりの再会だったが、「耀太さんじゃないですか」と言ったきりで、手元のスマホに視線を戻してしまった。彼が背負っているリュックサックが白と黒のチェック柄だったことには、もう誰も触れなかった。

「なんだお前ら。知り合いか」

「中学校の同級生なんだ。タケちゃんと原川くんこそ、知り合いなの?」

「高校が一緒でさ。こいつ、面白いやつだから一緒にいんの」

 な、とタケちゃんは原川くんの肩をポンと叩く。タケちゃんと原川くんは釣り合うのだろうかと考えたが、僕がどうこう言うことではない。

 僕は純奈さんに、原川くんを紹介する。続けて原川くんに、純奈さんを紹介した。

「ほう。耀太さんのお友達ですか」

「よろしくね。原川くん」と純奈さんが言うと、原川くんは彼女の顔をちらりと見て、目を逸らす。「そうやって世の男をたぶらかすのは、よくありません。どうせ耀太さんもいいように使われているんでしょう」

「そんなことないよ」と僕は笑いながら否定する。原川くんの冗談は、冗談に聞こえないことが多い。そして、純奈さんは意外と、こういう人を気に入りやすい。

「原川くん、おもしろ!」

 やっぱりだ。

「あー負けました」スマホを見て、原川くんが呟いた。

 僕が不思議そうに見ていると、タケちゃんが言った。

「こいつ、チェスやってんだ」

「え!」と僕は驚いてしまう。「まだ続けてるんだ!」

「コンピュータ対戦モード、難易度マックス。もう三年になりますかね。いまだに一度も勝てていませんが」原川くんは眼鏡をクイッと上げた。一勝でもしていたら、かっこいい動作だったなと残念に思う。でも、彼が中学時代に始めた挑戦だったはずだから、まだ諦めずに続けているということが、嬉しかった。

「じゃあ、みんな耀太くんの知り合いなんだ?」純奈さんが尋ねる。

「そうだね」

「すごい。奇跡だ」

 純奈さんは何かと奇跡を起こしたがる。

「俺ら、これから駄菓子屋に行くんだけど、来る?」タケちゃんが言う。

 純奈さんを見ると、彼女はうん、と頷いた。僕たちはタケちゃんの誘いに乗ることにする。


 バス停でバスを待っていると、原川くんが「まずいまずい、間違えた!」と叫んだ。彼の奇行に驚くのは、彼と面識のない純奈さんだけ。僕と同様に、タケちゃんも慣れっこのようだ。

「チェスなんて、格好つけてるだけだ」タケちゃんは頭の後ろで手を組みながら言った。

「そもそも日本のチェス人口ってどんなもんなんだろう。外国には遠く及ばないのかな」

 何となく浮かんだ疑問を、僕は呟いてみる。

「わたしはかっこいいと思うけどな、チェスできる人」

 純奈さんの発言に、原川くんの眼鏡が光った気がした。

「美少女のその発言が、こういう人間を生むんだ」

 タケちゃんはためらいもなく、純奈さんを美少女と言えてしまう。タケちゃんらしい、と思う。

「でも、どうしてかっこいいと思うの?」

 僕は純奈さんに質問する。

「だって、外国の人がさ、着物姿で将棋を指してるのとか、かっこよくない?」

「外国人は何をやってもかっこよく見えるからなぁ。それはある種の偏見だけど」タケちゃんが言った。

「うわーやらかしました」僕たちの話に聞く耳を持たず、原川くんは自分の世界に入り込んでいる。こういう人が、意外と世界を救うんだよなぁ、と僕はぼんやり考える。

「外国人は将棋をさしながら『Oh my god! I blew it!』なんて叫んだりしないだろ」タケちゃんは英会話教室で培ったネイティブな発音で言った。たしか「しくじった」みたいな意味だったはずだ。

「あ」

 偶然と言うにはできすぎているのだけれど、バス停の前で外国人の男性が立ち止まった。

 外国の人の年齢を当てることは、打ち合わせなしで四人ともが同じ柄を合わせるくらい難しいことだけれど、僕には四十代くらいに見える。金髪の短い髪で、鼻が高い。真剣にスマホを見入る彼もまた、同じバスに乗るようだった。

「外国人の話をしていたから、寄ってきたんだ」純奈さんが、ひそひそ声で言った。

「お化けじゃないんだから」と、僕はツッコミを入れる。

 タケちゃんが話しかける。英会話教室は、やっぱり役に立つらしい。二言三言、楽しそうに会話をして戻ってきた。

「競馬を見ているらしい。相当な額を賭けてるんだってさ。名前はオリバー」

 バスが来た。乗客はさほどいなかった。僕たちは一番後ろの席に座る。オリバーさんは、僕たちの一つ前の席に座った。彼が振り返って、僕たちに話しかける。

 タケちゃんが相槌を打つ。「マジか」

「どうしたの?」

「『勝ったら、何かおごってやる』ってさ」

「オリバー、太っ腹!」

「でも、何を?」

「……分からん」

 オリバーさんは後ろを向いた体勢のままで、ブツブツと独り言を話し始める。その声がだんだんと大きくなっていく。興奮しているようだ。

「カモン! カモォン!」ここは彼の家なのではないか、と錯覚するような熱狂ぶりだ。

「ノーノーノー」という声と表情で、違う馬が後ろから追い上げている展開を想像する。彼の賭けた馬が逃げ切れるかどうか、というところではないだろうか。

「ノー、ノー」わぁと、スマホからわずかに歓声が聞こえた。「くそったれが!」

 オリバーさんが叫んだ。バスが一瞬、静寂に包まれる。

「すごいね。あれはあれで、ネイティブだ」純奈さんが感心したように言った。

「だね、すごくネイティブ」と、僕は返す。

「俺たちは、ある種の奇跡を見たんじゃないか」タケちゃんも奇跡が好きなようだ。

「あーやってしまった」

 原川くんはまだ、目の前の敵と戦っている。

 目的のバス停に到着した。げんなりとするオリバーさんに別れを告げ、僕たちはバスを降りた。

 駄菓子屋に向かって歩く道中、純奈さんとタケちゃんは楽しそうに話をしている。

「君たちはいつからそんなに仲よくなったの?」

 嫉妬とかでは全くなくて、純粋な疑問だった。

 純奈さんが不思議そうな顔をする。少し考えるようにしてから、答えた。

「だって、耀太くんの友達なら、絶対気が合うでしょ?」

「俺もそう思った」と、タケちゃん。

「僕はそれぞれと友達だから、分かるけど……」言葉の続きを、言い淀んでしまう。人とは違う、欠点のある僕に対して、彼らはどうしてありのままでいてくれるのだろう。

「僕たちって、友達で合ってる?」ふと浮かんだ疑問を口にする。

「どうしたんだよ、急に」

「こんなことがあったんだ」僕は、中学時代のできごとを話してみることにした。


 僕には左手の指がない。正確には、中指と小指がない。人差し指と薬指はあるにはあるけど、他人と比べると短い。親指だって、第二関節の長さくらいしかない。先天性の欠指症。それを直接、馬鹿にされることは嫌だけど、それ以上に僕が気を遣うのは、誰かといるときだ。僕の友達が「指のない子の友達」という肩書きをつけられてしまうことが、僕にとってはつらいことだった。

 それからもう一つ。他人に決めつけられることだ。

 バスケの授業でのできごとだった。僕はシュートがなかなか決められない。添えるだけの左手が、機能しない。

 味方チームが気を遣っていることには、気づいていた。それでも、指のせいだと諦めたくなくて、頑張っていた。

「おーい」と体育の先生が僕を呼び止めた。「難しいなら、見学してていいぞ」

 

「その一言で、僕は心が折れそうになったんだ」と、当時を振り返り、泣きそうになる。

「ひどい」「そんなやつ、教師失格だ」

 二人が共感してくれる。

「僕の性格を知っている人なら、そう言ってくれるんだろうけど、先生も先生なりに気を遣ったんだと思うんだ」

「耀太くんが、諦めるわけない」

「そうだそうだ」

「でもね。そんなとき、ヒーローが現れたんだ」そう言って、僕は原川くんを見る。同じように純奈さんとタケちゃんが原川くんを見ると、彼は視線に気がついて、眼鏡をクッと上げた。「何か?」

「バスケの授業で、君はその先生に言ったんだよ。『それなら僕も見学させていただきます。努力家の耀太さんに難しいことなら、運動音痴の僕には到底できるはずがありませんから』って」

 彼は照れたように、「覚えていませんね」と言って、スマホを見る。

「たしかそのあとだったよね。チェスをやり始めたのは」

「……君に負けてばっかり、いられませんからね」

 タケちゃんが僕を見て、言う。

「原川って、変わったやつだろ? こんなやつを友達って言えるやつが、俺の友達だ」

「どう出会ったかなんて、重要なことじゃないんだと思う」純奈さんが言う。「出会ったものに、どう向き合うかっていうほうが、重要なんだよ」

「だからな、耀太。お前を馬鹿にするようなやつには、代わりに俺が中指を立ててやる!」

「今のは勝てましたねー残念」間の抜けた原川くんの声で、僕の涙はすっかり引っ込んでしまった。

「あ」タケちゃんが指差した。「あそこだ」

 駄菓子屋が見えた。

「こんにちはー」タケちゃんが先陣を切って、元気よく入っていく。僕たちが続く。昔ながら、という表現が正しいのだろうか。木造のこじんまりとしたお店だった。

「わたし、アイスキャンディ食べたかったのよ」

 純奈さんはどうしても、ラッキーにあやかりたいようだ。

「いらっしゃい」と、奥から出てきた店主はおばあさんだった。ボーダー柄のシャツを着ている。本来、僕があやかるはずだったラッキーアイテムだ。

 おばあさんは僕たちをそれぞれ見て、全員がチェック柄であることに気がついたようだった。

「みんな揃ってチェック柄なんて、仲がいいんだね」と言った。「君たちはみんなクラスメイト?」

「違います」と僕たちは口を揃える。

「それじゃあ……ただの友達かい?」

 説明がややこしいな、と僕は思った。僕と純奈さんは一応、友人だ。今通っている高校が同じで、クラスは違うけど、なぜか仲がいい。僕とタケちゃんは小学校時代の友達。原川くんは中学時代の友達。だけど、彼ら同士の繋がりはどうだろう。友達と括ってしまっていいのだろうか。

「僕たちは……」難しい説明をどうまとめようかと考える。

「よっしゃ!」

 僕の声を、原川くんが遮る。

 彼はただ、目の前の課題に全力で取り組んでいただけなのだけれど、例えばブラインドサッカーの地元実業団の弱小チームが勝利をあげるような、例えば目の前の外国人が日本語でネイティブに暴言を吐くような、そんな奇跡を起こした。ややこしい説明なんていらない、僕たちの関係を決定づける、奇跡を。

「チェックメイト!」

「そうかい。仲よしのチェックメイトかい」

 おばあさんが納得したように頷いた。

 僕と純奈さんとタケちゃんはお互いに顔を見合わせる。そして一斉に吹き出した。

 

 特別な時間が、終わりを迎えようとしていた。

「うわ、夕日だぁ!」

 純奈さんの声で、僕たちは一斉に空を見た。

 ビルとビルの隙間から見える夕日は、チェックメイトの僕たちを覗き込んでいるかのようだった。空がオレンジ色に染まっている。純奈さんもタケちゃんも原川くんも、僕から見える全てが赤く光っている。空が、燃え尽きる前に勢いを増す炎に見えた。

 これから夜が来るのかと思うと、僕は少し切なくなる。この時間を終わらせたくない。

「掴みたい」

 自分でも不思議だった。僕は両手を伸ばしていた。この時間を終わらせてたまるか、と真剣に手を伸ばす。両手分の飴玉を受け取ることはできないし、馬鹿にされた相手に、中指を立てることもできないけれど。もしかしたら、と思った。今なら、あの夕日を掴めるんじゃないだろうか。奇跡を起こせるんじゃないだろうか。

「いい試みですね」原川くんが言った。

「早く掴んで、沈んじゃうよ」純奈さんが言った。

「身体支えててやろうか?」タケちゃんが言った。

 誰も「無理だ」なんて言わなかった。たぶん、みんな奇跡を信じているんだ。なら、僕は応えるだけ。僕は諦めが悪いんだ。

 足先に力を込めて、グッと伸びをする。沈んでいく夕日に向かって、手を伸ばす。必死に伸ばす左手の指に、かすかに夕日が触れた気がした。

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