盟友と映画へ

Shy-da(シャイダ)

第1話

「待ってよ!」

「早くして! あと5分でバスが来る!」

 ぼくがそう急かしても、盟友は自分のペースを崩さない。たぶんそれはぼくらがこの世界で生きて行くためには最も大切なスタンスなのだろう。とは言え、何もぼくらの存在が崇高だ、などと言うつもりは無い。世界は誰に対しても常に厳しい相手である訳だし、理不尽な扱いを受けているのはぼくらだけだと言う事もない。ただ一つ言えるのは、ぼくも盟友も、選ぶ事ができるのだったら、もっと優しい世界で生きたかった、と言う事だけだ。


 傘があった方が良い天候なのに、盟友は歩きにくいロングスカートを穿いていた。……ぼくらは傘も差さずに走っているけれど。


 7月に入って最初の日曜日の今日、ぼくらは迫り来る期末テストの勉強を始める前に、景気づけにと映画を観に行く約束をしていた。決めたのは5日前だが、この時期の天気予報は本当に難しい。だけどいつ天気が崩れても良いような服装を心掛けるべきだとは思う。ぼくみたいなパンツスタイルで決めろ、とまでは言わない。フリフリしていて可愛らしい衣装を身に纏うのは、盟友にとってのパーソナルな部分の象徴とも言えるのだから。

 盟友の上半身を纏う白のブラウスは、水分を含んでいて肌に貼り付くので、さぞかし不快感を与えるはずだ。普通の女子ならばまず着るのは避けるだろう。

 しかし盟友はあえてそういう服装を選ぶ。普通の女子では無かった。


 これから向かう映画館は最寄り駅のすぐ側。だがぼくらが待ち合わせた児童公園から最寄り駅まではバスでも20分は掛かる。今はバス停までダッシュしているけれど、この調子だと次のバスには間に合わないかもしれない。そうなれば必然的に映画館への到着も遅れる事になるし、映画の上映時間に間に合わない可能性も出て来る。

 仮に上映に間に合わなければ、どこかで時間を潰して次の回まで待てば良い訳だけれど……今日観賞する映画――『エメラルドのキセキ』は上映時間100分越えの超大作。そんなに待つのは正直、勘弁願いたかった。


「待ってって!」

「良いから、今は走って!」


 ばしゃばしゃと水しぶきを上げながら、ぼくらはバス停へと懸命に走る。走るのに不向きなロングスカートの盟友はともかく、動き易いデニム生地のパンツを穿いたぼくは華麗に疾走していた――と言えたらどんなに格好良いだろう。実際のぼくは、運動もできてコミュ力も抜群な陽キャ……では無く、鈍臭くて皮肉が先に口をつく、正真正銘の陰キャだった。今もぼくは自分が走るので手一杯。ぼくとて本来、盟友の心配などしている場合では無いのだ。


「あっ」


 後ろを振り返った盟友の呟きを、ぼくは聞き逃さなかった。その瞬間、ぼくらを嘲笑うかのように、2人を追い越して、乗車するはずだったバスが無情にも走り去った。……うん、間に合わなかったね。上映1回見逃し確定だ。

 こうなると天を仰ぎたくなる。……いや、仰がないか。傘の庇護から顔を覗かせてしまえば、非情な雨が不幸を突き刺すかのように、ぼくのおもてに襲い掛かるのだ。イヤな事を自ら進んで実行する訳が無い。因みにぼくがバス停に到着したのは、先ほど走り去ったバスの停車時間から遅れる事4分。どちらにしても間に合わなかったね。


 ……そして、こういう時って、何故か不幸は重なるんだ。ぼくがバス停に到着してから3分後、ようやく盟友が追い付いた……のだが。バス停の側に転がっていた空き缶を、盟友は勢い余って蹴り飛ばしてしまい、ツイていない事に、その空き缶が近くの自販機の前でたむろする不良の男子高校生|(?)の一人に当たってしまったのだ。

 運悪く、空き缶の直撃を喰らった不良の反応は、途轍もなく分かり易かった。こういう反応になるだろうなあ、とはぼくも思っていたけれど。


「何すんじゃゴルァ!」


 ……うん。典型的な昔の不良の反応だよ、コレは。でもぼくには驚いた事が一つだけあった。この不良達、態度と格好が比例していなかったのだ。年齢的にはぼくらと同じくらいの高校生に見える。態度というか行動は丸っきりTHE・不良。イキり散らして周囲を威嚇し、ちょっと気分を損なわせれば即座に手が出て来そうな、そんな雰囲気。

 でも、彼らの格好というか出で立ちは完全にTHE・優等生。正直、これから学習塾にでも行くのかな、と誤解してしまったくらいだ。服装の乱れは一切無いし、というかむしろ小綺麗で、衣服を着崩して相手を威圧している訳でも無く。つまり、外見と内面のギャップが激し過ぎて、はじめは不良と認識できなかったのだ。


「姉ちゃん、人に空き缶ぶつけておいて、ワビの言葉も無しか? ああん!?」


 ……盟友が不良に絡まれてしまった。けど、ぼくは一切、介入しない。ぼくには全く関係無いし、ぼくがしゃしゃり出てしまったら余計にややこしい事になるだけだから。

 そう思っていても、周囲はぼくらに優しくなんてしてくれない。この世界は今も平常運転だった。

 ぼくと盟友を恋人だと勘違いした外野(すぐ近くでバスを待っていた主婦と思しき中年の女性)が、ぼくに向かってこんな要求をして来たんだ。


「ちょっとアンタ! 彼女が不良に絡まれているんだから、助けてあげなさいよ! 彼氏でしょ!?」


 ……何でぼくが余計な諍いに巻き込まれなきゃならないんだ。本当に、ぼくはこの場で前に出る必要が無いんだよ。それにぼくはこう見えて繊細なんだ。不良と喧嘩なんかした日にゃ、恐怖でメンタル崩して一週間は寝込む自信がある。……弱いと笑いたいやつは笑えば良い。それでぼくの心の平穏が保てるならば、安いものだ。


「……あ? 何だテメェ!? 何ガン付けてんだ!?……あぁ、そうか! このアマはテメェのスケか! なら、テメェの目の前でこのアマ辱めてやらぁ!」

「…………はぁ。君達さあ、痛い目見ないうちに、今の発言を謝罪してこの場から立ち去った方が良いよ? 悪い事は言わないから……」

「あぁ!? 舐めやがってこのヤ……」


 威勢の良い言葉は最後まで続かなかった。ぼくに掴み掛ろうとした不良の手を、盟友が掴んでその場に引き摺り倒したのだ。一瞬、何が起こったのかが分からず、頭上にいくつもの「?」を浮かべて目を白黒させ昏倒する不良。


「何しやがる、このアマァ!」


 仲間が倒され、不良達が怒りに任せて盟友へと襲い掛かる。

 でも、盟友にとって不良など、何人束になってかかっていっても無駄だった。

 叫びながら殴り掛かる不良の一人目には、迫る拳を左手で払いのけ、がら空きになった腹へと掌底を叩き込み、一瞬怯んだ所に回し蹴りを顎へとお見舞いして、沈める。

 次に襲い掛かる二人目には、迫り来る右フックをしゃがんで躱し、相手が空振りしてたたらを踏んでいる足を水面蹴りで払った後で、仰向けに倒れたその腹を踏んで黙らせる。

 残っていた三人目は初めて盟友を警戒し、無闇に飛び込んで来る事は無かったが、今度は逆に盟友が守から攻へと転ずる。怯む相手を尻目に距離を詰め、右手で正拳突きを繰り出す――が、これは躱されるのを見越したフェイクだ。横移動で躱して好機を得た! と油断した相手へ、痛烈な裏拳を放つ。身体がその場でほぼ一回転した盟友の右拳が相手の右側頭部にクリーンヒットし、不良の意識が落とされる。雫を含んだ盟友の纏ったロングスカートが最後に一度、ひらりと翻った。

 ラストの四人目は、今までの不良達とは全く違った動きを見せた。そう、盟友では無く、このぼくへとターゲットを変更したのだ。

 一瞬、目を離していた隙に、四人目はぼくの身体を拘束していた。

 ぼくは普通の男子より筋肉量が少ないし、身体がひょろくて華奢な体格だ。バス停まで走っていた時に盟友より先行していたのだって、向こうがロングスカートを穿いていたからだけでしかない。自慢じゃないが、ぼくは体力や体術で盟友には敵わないんだ。

 今ぼくは背後から、Tシャツ越しにお腹と右腕を抑え付けられている。ぼくの利き腕は右だから、唯一、自由な左手で拘束を解こうにも上手く力が入らない。……拘束を解こうとするならば、ね。


「……よ、よーし! オンナァ! この男を助けたかったら、黙って言う事を聞けェ!」

「…………はぁ。どいつもこいつも、頭が悪くてイヤになるよ。……寝てな」

「な、何? ぐぎゃあぁっ!?」


 ジジッ……


 悶絶した不良の拘束から逃れ、ぼくはひと息吐いた。

 非力なぼくが相手を黙らせられた要因――それは、スタンガンだ。

 あの時、自由だった左手でスタンガンを不良の脇腹に押し当てスイッチON。流石に最大出力にはしなかったけれど、相手を黙らせるにはそれだけで充分だった。

 もしぼくが負ける世界線があったとしたら、両腕を拘束されるか、ヘッドロックで首を極められるかといった所だろう。片腕だけでも自由にさせた時点で、相手の負けは既に決まっていたのだ。

 盟友と違ってぼくには力も技術も無い。それなのに、盟友と行動を共にするだけでぼくらが恋人だと勘繰られ、今日みたいな実力行使だったり陰湿な嫌がらせだったりを受けてしまう。護身のためにスタンガンを持ち歩いたっていいじゃないか。ぼくも盟友も、まだ高校二年生なんだし。

 一方の盟友は幼少期から空手、剣道、柔道を叩き込まれていて、その実力はどれも全国屈指のレベルだったりする。けれど、普通の高校生活を送りたいから、盟友は武道の英才教育を受けているにも関わらず、どの道にも進んでいなかった。自由は何にも勝るのだ。


「お嬢さん、強いのねえ。おばさん驚いちゃった。不良の子達はみーんな逃げちゃったし、警察は呼ばなくても大丈夫よね? あははは!」

祐希ゆうきちゃん、大丈夫!? ケガは無い!?」

「……平気。誤解されるから、下の名前で呼ばないでよ……」


 ぼくらが不良達と一悶着あっても静観を決め込んだおばさんが無責任に笑った。頭に来たけれど、この人もぼくらの事情を全く知らない部外者だ。腹を立てるだけ損だ。

 ところがこのおばさん、ぼくの神経を逆撫でするような事を続けて来る。


「あらぁ、下の名前で、『ちゃん』付け? やっぱり恋人なの? ねえ、君。その娘のお名前は?」

「……ちっ。あおいです。それと、ぼくらは恋人じゃありません。ただの『盟友』です」


 ……何が嬉しくて個人情報を晒さなきゃならないのか。これだからデリカシーの無いおばさんは。

 だけどこのおばさん、かなり粘着質だった。ある意味、さっきの不良達の方が分かり易くて良かったくらいだよ……


「『盟友』? 何何? 詳しく教えて頂戴よ、彼女の碧ちゃん! おほほほ!」


 ここで盟友――碧が自ら爆弾を投下してしまった……


「……えっ? 私ですか? こう見えても私は男です。所謂『男の娘』です。因みに盟友――祐希ちゃんは女子です。女子だから『ちゃん』付け。『男装女子』で一人称が『ぼく』なので、『僕っ娘』だと理解して頂ければ。なので私達は『恋人』では無く、性的マイノリティーの『盟友』です」

「…………余計な事を言わないでよ、碧。まぁ良いや。とりあえず、次のバスが来るのを待とう」

「あらあらあらー? 『盟友』だなんて言っても、実は……!?」


 ……はぁ。このおばさんみたいに、誰もがぼくらを『恋人』だと思うのだろうか。あくまでもぼくらは『盟友』なのに。性的マイノリティーの。……というか、ぼくらは一体バス停で何を話しているんだ?……早く次のバス来ないかなぁ。


「……あっ、ほら、祐希ちゃん。晴れて来た」

「ほんとだ……」


 いつの間にか、雲の切れ間から陽が射しこんでいた。ショートカットのぼくの髪に付着した水滴が、キラキラと輝いている。この陽射しはきっと盟友――碧くんが頑張ったご褒美なのかもしれない。今日の映画も初めに誘ったのはぼくで、碧くんが快諾してくれなかったらここに来ていなかった訳だし。

 ……何だ、盟友とは言っても、結局いつの間にか碧くんを『男』として見ていたのか、ぼくは。男性に対して拒否感を抱いていたぼくが、盟友だけは大丈夫だったのは、『碧くんは男の娘だから』という以外の理由があると、これで判明してしまったかな……?

 それに今日観に行く映画も、実は本格的な恋愛映画だし……

 碧くんはぼくの事をどう思っているんだろう?

 ……ぼくのこの感情って、もしかしなくても……

 ……ひょっとして、思ったより優しいのかな、この世界は。――碧くんと一緒なら。

 早く自分の気持ちに素直になりたいな……はぁ。


 END

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