第十一話 秘伝の書

 平次は、竹藪の中で、グスグスと泣いていた。衣の袖は涙でぐっしょりと濡れている。

(こんなところ、もう嫌だ。帰りたいよぉ)

 遠くから、鐘の音が聞こえた。心の臓がキュウッと縮む。夕暮れの修行の時だ。行きたくないが、行かないと殺される。平次はよろよろと立ち上がり、竹藪を出た。

 竹藪は屋敷の裏庭にあった。草一本生えていない庭から、屋敷の廊下に上がる。板張りの床を、音を立てないようにそろそろと歩く。しかし、鐘が鳴っている間に稽古場に着かないといけない。なので、平次は結局、音を立てて、小走りになった。

 稽古場は、屋敷の中にいくつかある。夕暮れの鍛錬は『北の稽古場』で行う。平次が稽古場にいくと、もうすでに人が集まり、整列していた。全員、俯いて微動だにしない。話し声も聞こえない。静かだ。平次は列の最後尾に加わった。しかし、彼はじっとしているのが苦手だ。周りをついつい見てしまう。

 稽古場は薄暗い。壁際に、いくつか松明が置かれているが、平次の隣にいる弟子の顔を照らしてはくれない。松明は、置かれた場所の周りをほのかに照らすのみ。平次は自分の近くに立つ松明を見た。壁の板の木目が、こちらを睨む恐ろしい顔に見える。まるで、この白田屋敷で命を落とした弟子の怨霊のようだ。

 平次は怖い。怖くて仕方がない。周りの人に話しかけたい。

 だが、それこそ悪手だということも、よく分かっている。この場所で生き残るコツは、無闇に喋らないことだ。

 稽古場の奥の戸が開いた。お面を顔につけた人間が入ってくる。純白の着物に黒の帯をしめ、顔に鳥の面をつけている。

 彼は、白田家の人間で弟子達の稽古係を務める、鳥のお面様だ。平次が最も恐る人間の一人である。

 お面様は、一段高い演台に登った。

「弟子達よ。夜の稽古を始める。まずは、おさらいだ」

 お面様は帯に挟んだ縦笛を取る。お面を少し持ち上げ、縦笛を口に咥える。弟子達は一斉に、あー、と発声した。笛の音と同じ高さの声を出す。

「やってられるか!」

 突然、弟子の一人が怒りだした。鍛錬場の入り口へ走っていく。

「どうした、一郎」

 お面様は冷静に問いかける。一郎は戸の前で振り返った。

「私は武家の子だ。芸事はしない」

「我々、白田家は、そなたの家に依頼されて、そなたを弟子にとったのだが」

「何かの間違いだ。刀や弓、あるいは書ならともかく……歌の鍛錬だと? 馬鹿馬鹿しい」

「ならば、ここを出るのか?」

「そうだ。出ていかせてもらう」

 一郎が戸に手をかけた、その時。お面様が歌い始めた。

 平次は一郎から顔を背け、自分の足元を見つめる。

 お面様の歌声に混じり、一郎が苦しむ声が聞こえはじめる。「息が、息が」、「お許しください」、「慈悲を」、そして言葉は消え、苦痛に喘ぐ声に変わり、ドサリと重いものが落ちた音がした。同時に、お面様も歌を止めた。

「平次、松也(まつや)。それを片付けておけ。鍛錬を再開する」

 お面様は再び笛を吹き始めた。周りの弟子達も発声の鍛錬を再開する。

 名指しされた平次は、列から抜け、戸の前で倒れている一郎の元へ向かった。彼は苦悶の表情で、両手で首をおさえたまま、事切れていた。

 松也が来た。恰幅の良い、色白の男だ。彼は一郎の頭のそばにしゃがみ、彼の瞼を撫でて閉じさせた。

「平次。お前は足を持て。私が肩を持つ」

「はい」

 平次と松也は、稽古場を出て近くの『大穴の森』へ向かった。

 森の中の小道は、等間隔に松明が立っている。その明かりに沿って歩いていると、やがて、大穴の前に着いた。穴の中は真っ暗で、なにも見えない。その穴に、一郎を投げ入れる。死体が穴の底に落ちる音は聞こえない。

「……また新入りが死んでしまったな」

 松也がボソリと言った。

「……知らなかったのではないですか? ここのこと」

「そうかもな」

 陰陽道でも修験道でもない。魔を従え人を操り、命すら思いのままにできる。それが、白田家の呪歌だ。

 この辺りに住んでいる者なら、誰もが白田家を知っている。白田家は、呪いの歌を歌い人を平気で殺す、恐ろしい一族だから決して関わってはいけない。絶対に彼らの土地に近づいてはならない。赤ん坊の頃から叩き込まれることである。

 しかし、実は、多くの人間が密かに白田家を頼っている。病の治癒や、お天道様の元では口にできない願い事を叶えてもらうために。

 白田家も客を断らない。むしろ人を歓迎している。白田家は常に、弟子を募集している。子どもを引き取り、子どもの親には大金を支払うのだ。親は、白田家が後ろ暗い一族であると知りながら、この家に子どもを弟子入りさせる。金のために、あるいは厄介者を追い出すために。

 平次もそういう子の一人だ。『一人前の職人になれるよう、修行に行ってもらう』と聞き、連れてこられたのがここだった。泣き叫ぶ平次を残し、親は帰ってしまった。

 松也は夜空を見上げた。半月が空にかかっている。

「この月だけで、五人の弟子が死んだ」

 白田家の人間を、ここでは『お面様』とそう呼ぶ。本当の名前は誰も知らない。

「私はこの先、とても生きていける気がしません」

 平次はポツリと呟く。また涙が出てきて、湿った袖で目尻を拭う。

「肩の力を抜きなさい。お面様の怒りをかわなければ良いだけだ」

 松也は、この屋敷に似合わないほど、柔和でのんびりとした雰囲気の男である。彼に慰めてもらうと、大抵の場合、心が落ち着く。しかし、今回はそういかない。

「ですが、私には才能がありません。霊を見たり、人の心を覗いたり、そういう特別な才がある者だけが、上の立場になれるのでしょう? 私にはそんなこと、できません。いずれ、無能だと知られて殺されます」

「お面様の言葉に従っていれば、雑用として雇ってもらえるさ」

「先月に殺された兄弟子様は、鍛錬についていけなかったために、始末されのですよね」

 松也は答えなかった。

「いずれ、私もそうなるでしょう。ならば、いっそのこと、苦しむ前に自ら命を絶つ方が──」

「諦めるのはまだ早い」

 松也は平次の背中を軽く叩く。

「ほら、これを見ろ」

 彼は、袖の内側から、小さな冊子を取り出した。

「見つけたんだ。お面様の秘伝の書を」

「秘伝の、書?」

 松也は本を開いた。月光に照らされて、紙面がはっきりと見えた。朱色で描かれた紋様と、歌が書かれている。

「ここに書いてあることを学べば、平次もきっと、強い呪歌使いになれるさ。私が読み終わったら、平次にも貸してやろう」

「ほ、本当に?」

 秘伝の書とやらが、本当に価値あるものなのか。書が本物だとして、松也がそれを平次に渡してくれるのか。松也は話しやすい兄弟子だが、彼が裏切らないとは限らない。人を信じすぎると殺される。それがこの屋敷の世界だ。

「本当さ。信じてくれ。さあ、怒られる前に、稽古場に戻ろう」

 松也と平次は稽古場に戻った。雪尾が満足するまで、発声の鍛錬を続けた。ようやく稽古が終わった時には、疲労と眠気で、弟子達は全員フラフラだった。平次は無言で食堂に行き、粥をかきこみ、ゴザをしいた土間で、他の弟子達と共に眠った。

 翌日、夜明け前に、平次と他の弟子達は起きた。身を清めた後、すぐに朝の稽古が始まる。北の稽古場に集まり、声の鍛錬を行う。

 稽古が終わったら朝餉を取り、屋敷の掃除や洗濯などの雑用をこなし、昼にまた稽古。稽古が終わったら再び雑用だ。夕暮れ時に鐘が鳴ったら夜の稽古が始まり、それが終わると夕餉、就寝である。

 平次は一番下っ端なので雑用ばかりの毎日だ。もし、お面様に認められると、ただの弟子から彼らのお付きとなり、より高度で難しい鍛錬を受けるらしい。

 平次は、他の弟子達と廊下の拭き掃除をする。

「おい、誰か一人、こっちに来てくれ。片付けを頼む」

 お付きに呼ばれ、平次は部屋に入った。入った途端、血の臭いがツンと花をつく。

 がらんとした部屋だ。妙に寒々しい。部屋の奥にぽつんと、小さな籠が置かれている。

「その籠の中身を捨ててきてくれ。それから、小屋に行って新しい鼠をとってきてくれ」

「分かりました」

 平次は籠を持ち上げる。ズッシリと重く、血の臭いが強い。部屋に充満する悪臭は、これの中身が原因らしい。

 部屋を出て、廊下を曲がり、大穴の森へ向かう。ここ最近、二日に一回はこの森に来ている気がする。

 穴の淵に立ち、籠の蓋を開けて逆さにする。鼠の死骸が何匹も、ボトボトと落ちていく。死骸は穴の暗闇に消えていった。微かに地面が揺れた。

 この穴がなんなのか、平時には分からない。穴の奥底に化け物がいて、落ちてくる死骸や死体を食べている、と専らの噂だ。そして、それは間違いではないだろうと、平次は思う。時折地面が揺れたり、奇妙な声が聞こえたりするからだ。

(……あのお付き、泉太(せんた)だった。私と同じ頃に入ってきた男だった。よく一緒に泣いていたな)

 平次と泉太は年も近く、仲が良かった。お互いの境遇を慰めあい、この屋敷でうまくやっていこうと話したものだ。しかし、泉太はお面様に認められて、お付きに昇格した。それから今日まで、彼に会うことはなかった。

(蝿の死骸に驚いて怖がっていた泉太が、鼠を殺せるようになってしまったのか。私のことも覚えていないようだった)

 胸が痛い。背筋が寒くなる。

(私も、ここにいれば、ああいう風になってしまうのだろうか。何の痛痒もなく殺生する、冷酷な人間に)

 目尻に涙が滲む。最近、何もなくても泣いてしまうようになった。目を抑え、うつむき、涙がバレないようにして屋敷に帰った。

 平次は、無心で雑用と稽古をこなした。あっという間に夕暮れになり、夜の稽古が始まった。目立たぬようにやり過ごした。喉が枯れた頃、ようやく稽古が終わった。やっと夕餉の時間だ。

「平次。ここに残れ」

 お面様の声が、平次の背に突き刺さる。

 周囲の弟子が、チラリと平次を見ては、稽古場から出ていく。すぐに、稽古場はお面様と平次の二人きりになった。目の前で戸が閉まる。

 平次は嫌々、振り返った。

「其方に聞きたいことがある。松也の居所を知らないか?」

「え?」

「今朝から姿が見えぬ。屋敷の中をすみずみまで探したが、どこにもおらぬ。お主は松也と親しいだろう。あやつはどこにいる?」

 お面様は、怒っている様子はない。平静である。それがかえって恐ろしい。

「し、知りません。存じあげません」

 平次はブルブルと首を横に振る。

「昨夜、最後に松也といたのはお主だろう。何か知らないか?」

「いえ、何も。特に変わったところはありませんでした」

「どんな細かいことでも構わぬ。松也の行方や、彼の動きについて、思い当たることを言え」

 お面様の声音が少し変わる。すると、平次の口がひとりでに開く。

「そういえば、彼はこのようなことを申しておりました。秘伝の書がある、と」

 違う。こんなこと話したくない。

「それはどんな書だ?」

「ボロボロの冊子本でした。中身ははっきり読めませんでしたが、紋様と歌が書かれていました」

 呪歌を極めると、ほんのひと言ふた言囁くだけで、相手を意のままに操ることができるという。平次はいつぞやに聞いた噂を思い出した。

「他に何が書いてあった?」

「それ以外は何も見ておりません」

「……そうか。分かった、もういい。下がれ」

「はい」

「次からは、もっと素直に話すことだな」

「は、はい」

 平次は逃げるようにして稽古場から離れた。夕餉を食べる気にもならず、ゴザに横になる。

(松也様が、いなくなった?)

 確かに朝から見かけなかった。てっきり、お面様の雑用でいないだけかと思っていた。

(まさか屋敷から脱走したのか? それはできないはず。今まで逃げ出せた者はいないんだから)

 屋敷は周りを森と藪に囲まれている。門には見張りがいるから出ることはできない。森や藪は、小道や屋敷の近くなら安全だが、少し奥に行くと下草や木に阻まれてまともに歩けず、その上お面様に忠実な獣がいる。今まで何人もの弟子が逃げ出したが、全員バラバラの死体だけになって帰ってきた。この月に殺された五人の弟子は、全員逃げ出して捕まり、死んだのだ。

 北の稽古場の前に、彼らの頭や腕や手が、ポンと野晒しにされて置かれているところを、平次は何度も見た。松也も、あそこに晒されるのだろうか。

(私の首も危ない。今日のことでお面様に目をつけられてしまった。どうしたらいいんだ……)

 他の弟子達が帰ってきて、いびきをかき始めても、平次は起きていた。全然眠れない。

(秘伝の書。一体あれはなんだったのだろう。松也様は、わざわざ私に見せてくれたのだ。なにか意味があったに違いない。もっときちんと話せばよかった。秘伝の書には、何が書かれていたのだろうか)

 身体がブルリと震える。もよおしてきた。平次はそろそろと起き上がり、外の厠へ行った。

 用を足して、弟子部屋へ戻る。

「──ん? あれはなんだ?」

 大穴の森の入り口に、白い光が灯っている。松明の明かりではない。あんな光、見た事がない。

 その光に向かって、歩いていく人影が見えた。ゆったりとした歩き方、恰幅の良い体型、あれは松也だ。

「お待ちください、松也様!」

 駆け出そうとした瞬間、右肩を強く掴まれる。振り返ると、泉太が怖い顔をして立っていた。

「夜遅い時にどこへ行く?」

「大穴の森だ! 向こうに松也様が行くのを見た!」

 森の入り口の前で、松也が手を振っているのが見えた。こっちに来い、と合図しているようだ。

「誰もいないぞ。出鱈目を言うんじゃない」

「いや、いるだろ、あそこに。会いに行ってくる!」

 平次は泉太の手を振り解き、走りだした。後ろで泉太がなにか言ってるが、今は気にしないことにした。とにかく松也に会って話を聞くのだ。そしてお面様の前で、二人で必死に命乞いをしよう。なんとか助かるかもしれない。

 森の入り口で、松也は待っていた。

「松也様! 今までどこにいらっしゃったのですか? 早く戻りましょう。今ならまだ情けを──」

「いや、それはいいんだ。私はもう帰れない。それよりも、平次。私が見せた秘伝の書のことは覚えているな?」

「え? は、はい」

 秘伝の書がどうしたというのだ。今はそれどころではない。お面様の怒りを鎮めなければならないというのに。

「森に入って、あの本を探してくれ。私の代わりに」

「は? 本を? 今ですか?」

「今だ。どのみち、今から命乞いしたとて助からん。活路は本にある。本を探せ。道を真っ直ぐ行けばいい」

 遠くから歌声が聞こえてきた。頭が強烈に痛くなる。

「お面様は、私がなんとかする。森の奥へ進め」

 松也が歌を歌い始めた。すると、頭の痛みが少し引いた。

 訳も分からぬまま、平次は森の小道を走る。森の中は白い光で満たされ、昼間のように明るい。

(秘伝の書を探せ、だと?)

 一応、足元を注視しつつ走るが、冊子らしきものはどこにも落ちていない。秘伝の書が見つからないまま、道の行き止まりに着いた。

「な、なんだこれは!」

 大穴が空いていた場所に、お社(やしろ)が立っている。

 小ぶりだが、美しいお社だ。白木が組み合わさった屋根と壁が、光り輝いている。森を満たす清浄な白い光は、このお社から発せられているようだ。お社の戸の上には、『新月書林』と書かれた板がかけられている。

 戸がキィっと音を立てて開いた。平次は吸い込まれるように、お社の中に入った。

 中は非常に広い。巻物や冊子が詰まった棚が、どこまでも続いている。反対側の壁が見えない。

「ど、どうなってるのだ、ここは」

「こんばんは」

 棚の裏から、神主が姿を現した。彼は、手に一冊の冊子を持っていた。

「ここは、新月書林。お探しの書物が見つかる所でございます。平次様がお探しの書物は、こちらですね」

 冊子を手渡される。それは、松也が平次に見せてくれた冊子と同じものだ。

 平次は、早速、冊子を開いた。

 中身は歌と呪いの教本だ。平次には難しく、ほとんど内容が分からない。ペラペラとめくっていくと、紙と紙が張り付いた箇所が見つかった。力を込めると、簡単に剥がれた。

 ノリで貼られていた面には、乱雑な字が書かれていた。

『不思議なことが起きたぞ。お付きから借りた本を落として、森を探していたら、妙なお社に辿り着いた。そこで、失くした本を見つけたのだ。本を持って外へ出たら、お社は消えていた。これ、何かに使えないか?』

『なんじゃそりゃ。そんなお社、聞いたことがないぞ』

『本当だって。あったんだから』

『我も知ってるぞ。実は皆には黙っていたのだが、以前、我もお付きの本を失くし、責をとるため穴に飛び込もうと森に入ったら、家に辿り着いた。家なんぞ、森にあるはずがないのに、だ。中に入ると、本棚が無限に広がっており、そこで失くした本を見つけたんだ』

『じゃあ、あれか? 失せ物を探していると、そのお社だか家だかが現れるってわけか?』

『その通り』

『私が数珠を探しに森に入った時はそんな妙なもの、出てこなかったぞ』

『ならば、失せ物が書物でなければ、そのお社が現れないのでは?』

 六人の字で書かれている。

 次のページもノリで貼られている。平次は紙を開いた。

『思うんだが、あのお社をうまく使えば、この屋敷から抜け出せるのではないか?』

『正気か?』

『正気も正気、大正気だ。お面様も知らないお社だ。使わない手はない。我々が無能だと罵られているのは分かっているだろう? いずれ、穀潰しはいらぬと罵られ、始末されてしまう。一刻も早く出なければならん。分かるだろ?』

『そりゃそうだが、どうやってそのお社に行くんだ?』

『簡単だ。書の失せ物を探していたら、お社が現れるのだろう? ならば、今書いているこの書を探せば良い。まず、私がこの書を隠す。それから、皆が森に入り、書を探すのだ』

『それで本当に出るのか? お社に着いたとして、そこが安全だという確かな証はあるのか?』

『それに、一つ問題がある。六人のうち、一人は逃げられないぞ。書の場所を知っているのだから。松也、お前はどうするんだ?』

『最後の一人になったら、書を燃やすか大穴に捨てる。そして森で書を探す』

『自分で自分の書を燃やした後で、書を探すのは、失せ物探しになるのか?』

『さあ。お社様の機嫌次第だろう』

『松也はそれでいいのか?』

『ああ、構わん。お前達も、この策にのるのか? これは賭けだぞ』

『私は乗るよ。そのお社がなんであれ、白田家よりは良いはずだ』

『我もやる。どうせ死ぬ命だ。最期にそのお社探しをしよう。亡き父上への良き土産話になる』

『もちろん。一世一代の勝負だな』

『やる』

『やろう。みんな、向こうで無事会おう』

『私もやる。頑張ろう』

 そこで、文は終わっていた。

 平次は、この月に死んだ五人の弟子を思い出した。彼らは、皆、松也の友だった。

(五人とも……失敗したんだな)

 背表紙を閉じる。そこに、赤黒い字が書かれていた。

『へいじへ

 おやしろは あやかしの そらがあかいせかいに つながっている

 おおきいとりに きをつけろ ろっぽんあしのくまを たよれ しぬなよ』

 平次は深いため息をつく。

「そろそろお帰りの時間でございます」

 神主が背後から話しかけてくる。

「教えてください。私よりも前に、この本を探しに来た人がいたと思います。松也って名前の。彼はどこへ行きましたか?」

「あの方は、お時間になってもここを出ていこうとしませんでした。そのため、元の世界には帰ることができず、別の世界へ行かれました」

「別の世界? それって、妖(あやかし)がいる世界ってことですか? 赤い世界ですか?」

「妖の世界、というのはよく分かりませんが、空が赤い世界というのは、その通りでございます。空が常に夕焼けの赤い空でございます」

 平次はもう一度、背表紙を見た。この赤黒い字は、血で書かれたものだろう。

 六人のうち、五人は失敗した。最後の一人、松也はお社に入れたものの、逃げた先の世界で、おそらく死亡したのだろう。

「神主様。私は帰りません。松也が行ったところと同じ場所に行きます」

「本当にいいのですか?」

 平次は出口に目をやる。先ほど、森の入り口にいた松也は、魂だけの姿になってでも、平次を助けにきてくれたのだろう。その意志を無駄にするわけにはいかない。

「どうか、お願いします」

「承知しました」

 神主は戸を閉めた。

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新月書林 最中亜梨香 @monaka-arika

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