人魚と内緒話

卯月

海へ行く

 姉の夫の話です、と、その女性は言った。


「五年前、義兄の転勤で、姉と、二歳の姪っ子と、一家揃って引っ越したんですよ。

 私も家を訪ねたことあるんですけど、窓から海が見えるくらい、海が近くて。

 休日は家族で浜で遊んだり、時には義兄が一人で、朝早くから釣りに行っていたらしいです」


「あるとき、義兄が、『珍しい物が釣れた』と言って、家に帰ってきたそうです。『あんなの初めて見た』『キラキラして、すごく綺麗だった』って興奮して。

 釣った物は海にリリースしたらしいので、姉は現物は見ていません。何を釣ったのと訊いても、『内緒』と笑うだけで、教えてくれなかったようで」


「それから、義兄の様子がおかしくなりました。

 長時間帰ってこなくて、姉を心配させたり。家にいても、ふと気づくと、窓の外の海を見て、うっすら笑っているんだそうです。誰かと喋っているみたいに、ぶつぶつ口を動かしていることもあったとか。

 何を見ているのか尋ねても、『内緒』と笑うだけで。

 姉が気味悪がって、しょっちゅう電話してきたんですけど、私も気休めしか言えなかったんですよね……」



「そうこうしているうちに、一昨年、また転勤したんですが。

 今度の職場は割と内陸で、そこに引っ越してからは、窓の外を見て笑うことも、一人でぶつぶつ言うことも、なくなったんだそうです。

 海がなくて良かった、これで少し安心できるわ、って、電話口で姉も喜んでいたのに」


「半年後、義兄が、行方不明になりました」


「職場の目の前が川で、同僚の方の話だと、昼休みや退勤後によく川縁かわべりにいたそうです。転落した瞬間を見た人がいたので、すぐに通報されて、捜索が始まりました。

 かなり下流で、履いていた靴の片方だけ発見されたんですが、義兄は、未だ見つかっていません。

 ……これ、姉には言っちゃ駄目だと思って、黙っているんですけど」


 女性は、ぽつんと呟いた。


「ああ、海へ行ったんだな、って、思っちゃったんですよね」



〈了〉

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