最終話 才原くんの注意喚起

「趣味?」


 私が首をかしげると、才原くんは眼鏡を押し上げながら低く笑った。


「ククク、社内チャットツールでいちゃつくようなリア充共は、すべからく爆発すればいい!」


「え、あの二人、社内チャットでいちゃついてたの!?」


 思わず驚きの声を上げると、彼は小さく首をすくめてみせる。


「皆、ログが残ると書いてある規約文を『読んで同意する』にチェック入れてから、使い始めてるはずなんですけどねぇ」


「規約文……それはほら、信用してるってことだから」


 自分も読まずにチェックした側の人間だったので、私は苦笑いした。


「以前、彼らのチャット内容が『禁止ワードの使用』で自動チェックに引っかかったので、注意喚起のメールを送信したんですよ。すると『まさか監視されているとは思わなかった。プライバシーの侵害だ!』と逆ギレしていたのに、その直後にこの騒ぎですからね。うちの会社、名前だけは有名だから入社倍率けっこう高いのに、頭悪すぎじゃないですか。リア充共は顔採用枠ですか」


 どうやらこの才原くんは、お酒が入るとかなり口が悪くなるらしい。私は笑いながらも、一応先輩としてツッコミを入れた。


「ちょっとそれ、セクハラでしょ!……まあ、能力が同じぐらいなら、プラスで可愛い方がいいに決まってるのは分かるんだけどねぇ」


 後半に本音が漏れて、私は本当はあまり飲めないお酒のグラスを握りこみ、ため息をつく。すると八杯目のカルーアを空けた才原くんが、じと目で言った。


「なんですかそれは、自分は可愛いって自慢ですか」


「何それ嫌味? どこをどうとったらそうなるのよ!」


『こびの売り方も、ちゃんとOJTで教えておいてくださいよぉ』


 ふと河合さんの台詞がフラッシュバックして、そのときは我慢した怒りが今さらこみ上げた。電車内だから口論なんて恥ずかしいなと遠慮せず、あの場でハッキリと反論しておくべきだった。たぶん、お酒が回っているのだろう。頭のどこかで分かってはいるはずなのに、私はぬるくなったビールを握りしめたまま力説した。


「っていうか私みたいな大女が、取引先の社長に媚びて取り入るなんてできるわけないでしょ、っていうね。男子からのアダ名は『進撃』だったっつーの!」


「僕は女子から『初号機』って呼ばれてましたよ。というか、取引先って何の話ですか?」


「あ、ごめん。才原くんの言ったことに対してじゃなくて、あの二人にちょっと……」


 ダメだ、このままでは愚痴になってしまう。私は言葉を濁したが、ごまかしの言葉が出る前に、才原くんが眉をひそめた。


「……何か、言われたんですか?」


「あー、ただのグチだから、聞いても面白くないよ」


「別に、愚痴ぐらい聞きますよ。しゃべれば気が晴れることもありますから」


 私は、母の愚痴を聞くのが嫌だった。だから、自分は言っちゃダメだと思っていた。でも本当は、自分も誰かに悩みを聞いてほしかったのだ。


 ――ダブルスタンダードじゃん、最悪……。


 私は自己嫌悪を感じたが、どうやら目の前の彼は、まだ私が話し始めるのを待っていてくれているらしい。その優しさが嬉しくて、私は謝罪に向かった先であったことだけ打ち明けた。


「それは……自分が仕組んでおいて恥ずかしげもなく、腹が立ちますね。先方には静山さんのミスではなかったと、ちゃんと訂正しましたか?」


「ううん、訂正はしないつもり」


「なぜです?」


「わざわざそんな不祥事があったと知らせて、うちの会社の信用を下げる必要はないでしょ」


 私が困ったように笑うと、才原くんはじっとこちらを見つめて言った。


「確かに、論理は正しいんですけどね……」


 それっきり黙り込んだまま、でも彼は何か言いたげな顔で、こちらを見つめ続けた。十秒も持たずに居心地が悪くなって、私はさり気なく目を逸らして飲み放題メニューを持ち上げる。


「ええっと、次もカルーアでいいかな――」



 * * *



「ちょっと、今日は私のおごりって言ったじゃない!」


「でも僕の方が明らかに飲んでたんで」


「飲み放題なんだから、いくら飲んでも同じでしょ!?」


「その飲み放題つけてくれって頼んだの、僕ですからね。静山さんがあまり飲めないこと知らずに、すみません」


 問答になっている原因は、支払いを席で行うタイプの居酒屋だったことだ。私がお手洗いに行っている間に店員さんが伝票を持って来たらしく、才原くんがしれっとカードで支払ってしまっていた。ロック用の小さいグラスとはいえ十杯以上は飲んでいるはずなのに、彼は顔色一つ変えずに通常運転なのが恨めしい。


「でも、ダメだって! 助けてもらった上におごってなんてもらったら、次から誘えなくなるじゃない!」


「次?」


 眼鏡の向こうで驚いたように目を丸くする才原くんをみて、私は急に恥ずかしくなった。もしかして、狙っていると思われたのだろうか。ドン引きされてたらどうしよう……。


「ちっ、違う! ぜんぜんそういうのじゃないから! 単に、今日は久しぶりに同僚と飲んで楽しかっただけだから!」


 泣きそうになりながら言い訳すると、彼は苦笑した。


「大丈夫、僕が全然なのは分かってますよ。じゃあまた次、おごってください」


「わかった! じゃあ、次は絶対に私が払うね」


 私はほっとして胸を撫で下ろすと、手癖でスマホの画面をつけた。だがそこに表示された時刻を見て、瞬間的に凍りつく。


「ちょっ、終電まであと八分!」


「うわ、マジだ!」


 私たちは慌ててカバンを掴むと、居酒屋を出た。そもそも開始が二十二時すぎと遅い時刻だったから、もう少し警戒しておくべきだったかもしれない。


 駅へと向かう道の途中でタイムアップに気づき、私たちは足を止めた。息を整えながら横を見ると、才原くんも同じく息が上がっているようだ。


「久しぶりに走ると、きつい……」


「ごめん、たくさん飲んだ直後に走らせて……大丈夫?」


「いや、すみません自分も気づかなくて」


 申し訳なさそうに向けられた視線の先を辿ると、いつもの黒いパンプスが見えた。


「ああ、これヒール全然ないから大丈夫! 気を遣わせてごめんね」


 私は困ったように笑ってみせたが、才原くんは表情を変えずに言った。


「静山さんはこの後どうするんですか?」


「駅からちょっと歩けばスーパー銭湯があるから、そこで始発を待とうかな」


 すると彼は、ようやく少しだけ口許を緩めた。


「いいですね、スパ銭。僕も結構行きますよ」


「そうなの? じゃあ才原くんも行く?」


 何も考えずに進行方向を指さすと、上ずった声が返った。


「え、一緒にですか!?」


「ち、違うって! スパなんだから、どうせ入り口で解散じゃない!」


「でも、知り合いが同じ館内にいるの気になりませんか? もし館内着で顔を合わせたら……」


 慌てたように言う彼に、私は首を傾げてみせる。


「別に、むしろ知り合いいたら安心でしょ」


「あ、安心!?」


 なぜか驚いた声を上げる才原くんに、私は思わずふき出した。


「気にしすぎだって!」


「いや、僕が対象外なのは自覚してますけど……的場さんのようなリア充イケメンではないですし。あ、いや、何でもありません」


「もしかして、的場さんたちの公私混同チャット、私の話題も出てた……?」


 思わず苦笑いで見上げると、才原くんは気まずそうに目を反らした。


「社内SEには秘密保持義務がありまして」


「……それ、知ってるって白状したも同然じゃない」


 私は深いため息をつくと、再び微苦笑を浮かべて言った。


「今日は付き合ってくれてありがとう。あとその履歴、消してもらうことってできる?」


「既に完全削除済みです」


「そっか、よかった」


 力なく笑ったものの、私の目線は下を向いていた。 なんだか、疲れがどっと戻ってきた気がする。 二人のチャットには、一体どんなことが書かれていたのだろう。


 ――なんでだろ。よりによって才原くんに、そんなの見られたくなかったな、なんて……。


「ではそろそろ、行きましょうか。社員のセキュリティを守るのは僕の仕事ですから」


 何のことかと顔を上げると、目が合ったとたん、彼はなぜか顔を赤らめた。


「いや、やっぱり今の無しで! 何言ってんだ俺、中二病かよ!」


 私は思わず小さくふき出すと、肩を震わせて笑った。


「……ありがとう! これからも頼りにしてるね、社内SEさん」


「まあ、ゆっくり湯につかれば疲れも吹っ飛びますよ」


「そうよね。行こう!」


 終電を迎えた駅前は、いつの間にか人の姿もまばらになっていた。きらびやかなライトアップが終わり、いつもの街灯だけが満開の桜並木を穏やかに照らしている。風ぬるむ夜に舞う花びらと共に歩くと、しばらくして目当てのビルにたどりついた。


 十一階のフロントに到着すると、それぞれ別の受付に向かう。深夜の静かな館内でお互いに目礼して別れ、私は女性用の館内着を受け取るカウンターへと進んだ。


 淡い藤色の浴衣を取ろうとして、私はふと手を止めた。ここは外国人の利用も多いらしく丈の長い浴衣があるのはありがたいけれど、今日はただ、仮眠を取りに来ただけなのだ。一体誰に見せるつもりなのかと苦笑しつつ、うず高く積まれている、ゆったりとしたタオル地の甚平を手に取った。




 誰もいない屋上露天風呂で存分に手足を伸ばすと、私は空を見上げた。四方を壁に囲まれた空に星は見えないけれど、代わりに都会の夜空を流れる雲が見えた。


 すがすがしい気分――とはまだ言えないけれど、思っていたほどのダメージはない。それもこれも、才原くんのおかげだろう。もしあの伝票の行方が分からないままだったら、今もまだ、胃が締め付けられるような状況が続いていただろうから。


 ゆっくりと髪を乾かしてから、私はリクライニングチェアが並ぶ休憩室へと向かった。でも女性専用ルームはすでにいっぱいで、仕方なく共用の広間へと向かう。さすがに今日は仲良さそうなカップルたちに囲まれたらキツそう……と心配していたけれど、皆それぞれ静かに休んでいるようだ。


 空いているチェアを探して歩いていると、前の席の人が少年漫画誌を手にして立ち上がる。


(あ、才原くん)


(どうも)


 そんな感じの挨拶を無言で交わし、私はようやく見つけた空席に身体をうずめた。すぐにやってきた眠気に身を任せていると、新しい雑誌を手に通路を戻ってくる彼がぼんやり視界に入る。眼鏡を外し、まだ濡れた前髪をかき上げる姿を見て、そういや彼が入社した当初、モデルみたいな美形が来たと女子が騒いでいたことを思い出した。


 だが意外にクセが強い性格だと分かり、騒ぎはすぐに収まった。


『百九十超えはさすがに高すぎっていうか、むしろ長いって感じだよね。顔見て喋ろうとしたら首痛くなるし』とお手洗いで噂する女子たちを見て、『男性でも高すぎって言われることがあるのね……』と、同情を覚えた記憶がある。


 ――それにしても、人のことを顔採用だってこき下ろしていたけれど、自分こそ噂の顔採用枠じゃないかしら。あ、コネ採用枠だったわ……羨ましい。


 でも、おかげでこれからも前を向いて出社できそうだ。

「ありがとう」と唇の動きだけで呟いて、私は目を閉じた。






《了》



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SE探偵 才原衛の注意喚起 ~あざと後輩にNTR+仕事のミスを仕組まれたけど、隠れイケメンな陰キャ社内SEが真犯人をざまぁしてくれた話~ 干野ワニ @wani_san

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