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     *


 受験戦線に復帰する、とアネゴは勇ましく宣言した。結婚のことなどおくびにも出さないけれど、唇の端は一日中上がりっぱなしだ。全身から幸せオーラが噴き出ている。ほのかにまとう芳香は、高級石鹸の香りかもしれない。

 一方こちら側──

 雪ちゃんとは受験が終わるまで逢わないことにした。

 アネゴたちにあおられた二度目のキスは20分に及ぶロングランになり、凄まじいインパクトを残したのだ。

 頭がからっぽの、真っ白な光に包まれた時間。せせこましい精神を蹴り出して、若いカラダ同士が目的を遂げようとした。

 街路樹の影は移動して、いつの間にか陽射しの下に居た。我に返って躰を離したとき、汗にまみれた二人のシャツは水を浴びたように濡れていた。下着が透けて見えた。

 そら恐ろしい──ボクらは同じことを思った。

 この時期に、愛欲の沼に引きずり込まれる……

 受験が済むまで逢わないことにしよう――雪ちゃんの提案に、ボクは抵抗なく頷いた。

 残り半年。がんばれ。こんな縛りがある方が、すっぱりあきらめがつく。

 その代わり、春がやって来たら、めちゃくちゃ抱きしめてやる!


 ──そして春は巡って来た。

 これまでの春の中で、ひときわの輝きを放つ春が。

 仲間たちは希望した大学に合格した。

 辰則は早くも上京し、入学式前から野球部の練習に参加している。

 アネゴは地元大の医学部看護学科に進む。ラブラブの舞島さんとは遠距離にならずに済む。

 ボクと雪ちゃんは京都へ行く。学校は違うけど遠くない距離だ。

 卒業式の前日、隣市の駅で雪ちゃんと待ち合わせた。先に所用を済ませた彼女がボクを待つ。

 逢わない約束は本日をもって終了。顔を見るのはひと月ぶりだ。

 澄んだ青空が拡がる。マクドの建物が見える。

 あの前で乱闘したなんてウソみたいだ。

 駅の出口。雪ちゃんは丸柱の前に立っていた。

 淡いモスピンクのブレザーにダークネイビーのスカート。ちょっと大人っぽい。

「雪ちゃん!」ボクは手を挙げる。

 近づくと、彼女は逆光の中でうつむいた。「太っちゃった」

「脳にブドウ糖あげたしね。でも、おかげで合格できたんだし」

「失望されるかも」そっと顔を上げる。

 去年の冬、ボクが告白した時の雪ちゃんが、ふっくらとそこに居た。顎はやさしいプチ二重だ。

「帰って来たんだ。雪ちゃん、おかえり」

「うん。ただいま」

「オレ、剣道部は一年で辞めたけど、練習がきついとかじゃないんだ。合わない先輩が居て」

「うん」

「大学へ行ったら、総合格闘技の道場へ通う」

「ええー! 武闘派って似合わない」

「人は変われるんだ。強くないとまもれない。やさしいことは、強いことだ。舞島さんを見てそう思った。あんな左クロスがほしいって。大事な人をまもるために」

「……ありがとう。光治くん、大好き」

 雪ちゃんのやわらかな躰が、むにゅっとボクを抱きしめた。



おしまい

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雪ちゃんの、変~身っ! 安西一夜 @nohninbashi

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