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店の扉が開く。チロリンと鈴が鳴った。
「いらしゃいませ」
新しい客は奥へ進み、整理棚と観葉植物を挟んだすぐ隣のテーブルに座った。
「アイスコーヒーでいい? それ二つね」注文の声を聞いて、ボクらの口は咀嚼を止めた。
舞島先生だ。なんでこの店に来るわけ。街から遠いぞ。しまった。わざわざ遠い店を選んだのか。
『どうしよう』50センチ手前からショートメールが来た。
『ボクらが出たらムードぶちこわしになる』返信。
『えーん(泣)』
適度な音量で室内楽が流れ小声の会話ならマスキングされる。が、棚を挟んだだけのボクらにはまる聞こえだ。
「進学の費用は出させてほしい」
注文が届き蓮子さんが下がると、ハナシはいきなり核心に入った。
「おカネを出していただく理由がありません」
「理由はあるよ。ボクたちはケッコンするんだ」
けけけ、けこけこけこ、言語中枢が誤作動して変換できない。
雪ちゃんの瞳がジュワっと潤む。
「そんな……あんなに大きな会社なのに……反対されるに決まってる」
「父が始めた頃は掘っ立て小屋だったよ。それに、親は反対なんかしない。キミをきっと気に入る。苦労人が好きだしね。ボクが会社へ入れば、学費くらい払える」
「けど……教師になるのが夢だって……」
「仕事なんかいくらでもある。でも、金子 流美は一人しかいない」
雪ちゃんはおしぼりを握りしめて鼻に押し当てた。
「だめ。ワタシは、先生にふさわしくない」絞り出すような声。「うす汚いんです。ワタシは汚れてる」
それがどうした、というように先生は軽い笑い声をたてた。「汚れたなら洗えばいいさ。今度、石鹸あげるよ。いただき物がいっぱいあるんだ。シャネルとかディオールとか。10個もあればいいだろ。それで元どおり。ピッカピカだ」
「せんせぇ……」
『裏から出よう。これ以上聞いてちゃ悪い』雪ちゃんに送信した。
抜き足差し足、厨房へ抜け、蓮子さんに拝み手して勝手口から脱出した。
「さわやか〜。舞島さんて透明なソーダ水みたいな人だね」
「うん」雪ちゃんは街路樹の影でボクに向き直ると、いきなりキスしてきた。
パフェの香りのキス。二度目のキスはファーストよりずっと長く、腕を背中に回し合った。ロケットおっぱいがボクの胸を突き刺す。
時間の感覚が消えた。頭は空白になり、唇を合わせたまま、いつまでも道端に立ちつくしていた。
通行人は無く、車だけビュンビュン通り過ぎる。その内の一台が、ファンファーレのようにクラクションを鳴らした。
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