第1話 Chapter2
「おーい、起きて」
誰かが僕に呼びかける声で、意識が覚醒する。目を開いて、最初に映ったのは知らない女子生徒の顔だった。これが朝チュンというやつですか、なんて考える隙も与えずに状況が理解できてしまう。どうやら僕はいつの間にか眠ってしまっていたらしい。この位置からでは時計は見えないが、外はもう真っ暗だ。
「ああ、ごめん。いま何時だ?」
「え?えと、ちょっと待ってね。んー、あっ七時三○分ちょっきり!」
女子生徒は小さなピンク色の腕時計を見て、そう言った。
「まずいな、帰らないと……」
頭をぽりぽりとかきながら、僕は立ち上がる。立ち上がって気がつくこともある。
「ちっちゃいな!」
自然と口が開いた。目の前にいた女子生徒の頭は、僕の肩よりも下の位置にある。僕の身長は、一七〇とちょっとな訳だから、えーと……。
「百センチくらい?」
「一四二センチ‼︎」
顔を真っ赤にしながら、女子生徒は息巻く。どうやら身長いじりは地雷だったらしい。
「ごめんって」
平謝りをしてはみたが、依然として膨れている。
「だいたい、みんなの身長が高すぎるだけなんだよ。それに、私だってちょっと低めなだけなんだから」
僕が荷物をまとめている間、そんなようなことをぶつくさと言い続けていた。
「なあ、疑問なんだけど。女子にとって身長ってそんなに重要なのか?」
男性の身長を気にする女子、というケースを聞いたことがある。外見は恋愛において大変重要なことであり、背が高いとそれだけでプラスになることもあるそうだ。だけど、僕は男として生きてきて、友達との会話の中で背が低すぎる女子の話題も、背が高すぎる女子の話題も上がったことがない。女性がトータルで見ているのなら、男性が見ているポイントなんてのは顔くらいなものだろう。これは悪魔で内面を無視した場合の話ではあるけれど。
「気にするよ、小さいってだけで出来ないオシャレもあるんだよ?」
「はは、そいつは僕には縁遠い話だ」
リュックサックに荷物を全部入れると、それを背負ってふうっと一息はさむ。そこでようやく疑問に思った。
「なあ、君。どうして体育館にいるんだ?」
こんな時間に体育館にやってきた理由、それがわからない。まさか僕を探して、なんてことは無いだろう。何せ僕はこの子の名前すら知らないし、この子が僕の名前を知っているとも思えない。
自分で言うのもアレなのだけれど、僕はあまり目立つタイプじゃない。普通に友達もいるし、普通に部活動にも所属している。秀でて頭がいい訳でもないが、落第するほど阿呆でもない。故に、目立たない。
「教室で勉強してて、暗くなってきたから帰ろうとしたんだよ。そしたら体育館の控え室が光ってるの見つけて」
明るいうちは気が付かなかったが、どうやら控え室は電気が付いていたらしい。思えば僕が付けた気もする。
「それで、君はこんな所で勉強してたの?」
「ん、ああ、そうだよ。寝ちゃったけど」
そう言うと、彼女は眉毛を八の字にしながら上目遣いでこちらを見る。別にぶりっ子をしてる訳ではないと思う。これは背が低い彼女の目を見る僕に問題がある。
「それ、頭に入るのかな」
「さあ、分からない。僕はあんまり勉強ができる人では無いけれど、それを勉強法の所為にできるほど努力をしている訳でもないから」
ステージの上を独占するのは好んでいても、女の子と会話をするのにここは似つかわしくない。僕は、ノロノロと控え室にある扉を目指した。僕が足を動かすと、彼女は三歩ほど後ろを追って歩き出した。カルガモの親子みたいだ。
「僕はまあ、ここで寝ていただけなんだけれど、君はこの時間まで残って勉強してたんだな」
「うん、家に帰ると眠くなっちゃうから」
「寝る子はよく育つってのは迷信だったのk、いっでぇっ!!!」
途端に背中に蹴りが飛んできた。
「なにすんだよ!」
「失礼なこと言うから!」
この女、蹴りに躊躇いが無かった……。いい蹴りだったと言えなくもない。対象が僕でなければ。
「ったく、野蛮だな」
そんなやり取りをしているうちに、扉の前まで辿り着いた。
この体育館は何故か外からしか鍵をかけられないという、不親切設計に作られている。少女漫画には体育館の倉庫で鍵をかけられた男女の生徒が、ドキドキ恋愛ゲーム密室編に持ち込まれるという展開がよくある。しかし本学では施錠をされてしまえば体育館そのものに閉じ込められてしまうのだ。イチャイチャ展開には超親切と言えなくもない。
僕は静かにドアノブに手をかける。グッと力を入れノブを回し、えいやっ、と扉に体重を乗せた。
普通に開いた。
「何やってるの、先でちゃうね?」
扉を開けた体制で硬直している僕の腕をするりと抜けて女子生徒は外に出た。
外に出ると、夏の夜を感じさせる程よい風が体を撫でた。遠くの方からコロコロとエンマコオロギが鳴いているのが聞こえる。
「きりぎりす 鳴くや霜夜の さむしろに、か……もうとっくに夏だな」
何気なく口に出した。
「衣かたしき ひとりかも寝む、だね!」
意外にも下の句が返ってきたから驚いた。僕がポカーンとしていると、前を歩いていた女は振り返ってにへらと笑う。
「この詩、夏の俳句じゃないよ?」
「え、そうなのか?きりぎりすが出てくるから夏のものかと思ってた」
「霜夜って言ってるでしょ?これはコオロギの鳴く寒い夜に一人で寝るのは寂しいよ~って、そういう詩なんだよ」
素直に感心した。適当に放った言葉にここまで実をつけて返してくる人もいるんだな。
「へえ、かしこいんだな。これはテストも期待できるな!」
「誰目線よ……。でもありがと、今回も絶対一位にならなくちゃ」
謎の使命感に追われてるな。聞いたら面倒くさそうだから、黙っておこう。ん、いや待て。
「今回もって、前回も一位だったのか!?」
振り向いたまま、後ろ歩きをしている彼女は、えっへんと鼻を鳴らした。
「そうか……。つまり、君がマメタさんなのか」
学年一位のマメタさん。彼女は有名人だ。存在だけなら入学以来、幾度となく聞いてきた。実際、姿を目にする機会は無かったのだけれど。なるほど、確かにマメタさんだ。
「おだ!小田だから!」
「おだ?」
「私の苗字だよ!みんながマメタって揶揄ってるだけだから」
それは知らない。テスト結果が張り出されるなんてシステム、この高校には存在しない。故に誰が頭がいいのか、なんてのは人からの伝聞でしかない。
「いいあだ名じゃないか、マメタさん」
「だからっ……もういいよ何でも」
マメタは諦めたかのように腰を落として、再び前を向いて歩き始めた。今度は僕がマメタさんの背中を追う。どれだけ背が低かろうが、渡り廊下の蛍光灯から伸びる彼女の影は僕の体を覆い隠せるんだな、と感心した。校内は殆どが暗闇に包まれていて、光っているところなんて、渡り廊下を除けば職員室くらいなものだ。なるほど、確かにこれは体育館から漏れ出す光に反応してしまうわけだ。蛾とかカメムシとか、そういった虫たちが挙って光源に突進するのも納得がいく。
「そういえば」
校門を跨いだあたりで、マメタさんが口火を切った。
「君の名前、聞いてなかった」
彼女がくるりと振り返ると、制服のスカートがひらりと舞い、僕は映画のワンシーンのようなその光景に自然と心が跳ねた。
「やるじゃん、マメタ」
「は、えと、何が?」
彼女は訝しげであるが、僕は勝手に満足したためそれについての言及はしなかった。
「真田、真田和泉です。どうぞよろしく」
自己紹介って意外と難しいんだな、なんだか政治家みたいな挨拶になっちゃった。
「なにその自己紹介、政治家?」
マメタが笑う。
「違うね、僕は政治を住まいにするほど金持ちじゃない。僕は心身的ワンルーム人間なんだ」
「とっても小さな世界で暮らしてるんだね」
「広いくらいさ」
彼女は、ふふっと小さく息を吐くと、また前を向いて歩き出した。学校から出ると、一面の田んぼ道が広がる。それが僕たちの通う城山高校の特徴だ。たくさんの昆虫の鳴き声だったり、用水路に流れる水の音だったり、遠くを走る自動車の走行音だったり。自然と文明の折衷を見ているような景色だ。街灯なんかもあまり無いので、星だけがやけに煌めいて見えるから好きだ。
マメタは電車通学だと言うので、僕は駅まで付き合うことにした。
今ひとたびの 逢うこともがな 花摘 香 @Hanatani-Kaori
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