今ひとたびの 逢うこともがな

花摘 香

第1話 Chapter1

 人の感覚とは、必ず何かに起因するものだ。それはその人が生まれ育った環境だったり、その時代の流行だったり。平安美人が今ではそんなに美人じゃないのが、その確固たる証拠だ。兎に角、心なんてのは案外、周囲の環境によって形成されるものなのではないか。これが僕の持論だ。だからこそ、感性なんてのは他人から享受されるものが殆どだし「自我を持て」なんてのはこの世の中で一番の難題だと思う。赤色を見れば暖かいと思うし、青色を見れば冷たいと思う。世界が何度繰り返されようとも、人類は毎回この感覚を手に入れるだろう。

 よって、「ego」なんて単語、覚える必要なし!

 僕は昼に購買部で買っておいた揚げパンを頬張りながら、そんなどうでもいい事に考え耽っていた。太陽は既に、西の彼方へと体を埋め、最後のオマケだ!と言わんばかりに世界をオレンジ色に染め上げている。綺麗だ、と思う。僕以外は誰も居ない、静かな体育館。普段ならこの時間は、部活動に勤しむ生徒で賑わっているはずなんだけれど、今日は生憎の学期末試験前日だ。僕もまた、体育館のステージに勉強道具を広げて勉強をする羽目になっている。

 定期テストの為に真面目に勉強をした試しは無いが、だからと言って成績不振になる程サボってもいない。現にこうして、揚げパンを食べながらではあるが、範囲の英単語をぽつぽつと暗記しているのだ。

 暗記はそんなに得意じゃない。

 こうして単語帳のページを捲っては覚えて、捲っては覚えてを繰り返しているわけだけれど、次のページを捲る頃には何もかもを忘れている。ニワトリさんをバカにはできない。


 しかし退屈だ。勉強は好きでも嫌いでもないってのが本当だ。嘘を言うなら大っ嫌いだ。僕は揚げパンの最後の一欠片を口に押し込むと、息を抜くように大の字に寝転がった。天井にはステージ用の照明がぶら下がっており、それが色の三原色のフィルムで構成されているのを初めて知った。ひとつひとつ点灯すれば単色になるのだろうか、なんてどうでもいい事を、また考える。僕の人生は、どうでもいい事を考えている時間が十割だ。どうでも良くないことなど考えない。そう言うのは、大抵誰かが考えてくれている。今後の国の在り方だとか、少子高齢化問題だとか、男女平等の訴えだとか。そのどれもがどうでもいい。全く興味をそそられない。「政治に関心の無い若者が増えているのが問題ですね」なんて、朝のニュースキャスターが喋っていたが、政治家だって政治に興味があるかと言われれば、首を縦には振らないだろう。きっと、誰かがやらなければならないことで、自分はできると思った人が立候補するものなんだ。理由だって、ただお金が欲しいだけの人もいる。つまり、僕たち若者世代の意見を取り入れる気もないくせに、つらつらと説教を垂れるのはやめてほしいということだ。やや、しまった。これもまたどうでもいいことだった。

 「さて、英単語をしないとな」

 僕は仰向けのまま、漫画本を読むように単語帳を広げた。ええっと、「自我」は――なんだっけか。

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