鵺の鳴く夜
匿名希望
一章 鵺の鳴く夜
序 鵺
昼から夕方までの授業を終えた大学からの帰り道、友人と少し遊んでから別れて電車を待っている所で─背筋にぞくり、と悪寒が走る。ついでに言うとすれば、耳元で複数人の低い唸り声まで聞こえ始めた。
「…はあ…」
自分のすぐ後ろに何かが居るのは分かっていたが、後ろを振り返る気にはなれなかった。正直なところ怖い、と言うよりも─またか、の感情の方が大半を占めている。不本意ながらこれまでの経験上、このパターンは無視、あるいはそもそも気付かなかったフリをするのが最適なのだ。
「えーっと…新着動画、出てたっけ?」
自分の上げたわざとらしい声が、夜も更けた無人のホームに響き渡る。手にしていたスマホへ目線を落とし、動画サイトを起動する。そのままお気に入りの実況者の動画を再生し、電車が来るのを待つ。
「…お、来た」
無視作戦の効果はあったらしく、乗客のまばらな電車が到着する頃には─煩い程に聞こえていた声が、もうすっかり聞こえなくなっていた。イヤホンの音量を上げてから電車に乗り込み、いつも通りドア近くの座席に腰を下ろす。確か、日本文化論のレポートの提出期限が近かったはずだ。冷蔵庫の中身もかなりスカスカだし、明日はアパートの近くにあるスーパーで買い物をしないといけない。そんな事を考えているうちに、電車は最寄り駅に到着する。
「…はあ…今日は早く寝よ」
欠伸と共に電車から降り、ホームへ一歩踏み出した瞬間─先程とは比べ物にならないほどの寒気が襲ってきた。だが、今度は声だけではない。耳に触れる、生暖かい息遣いまでもがはっきりと感じられる。─怖い。そう自覚した途端、背後から感じる息遣いがより一層生々しくなり、ひどく掠れた笑い声が耳に届く。あまりの恐怖に身動き一つできず、その場で固まっていると─背後の気配が、徐々に正面へと回ってきた。このままだとマズい、と分かってはいるのだが、動けない。そうして、背後の気配はそのまま正面へと─
「…っ、」
ぐっと目を瞑った瞬間、どこか遠くで─犬?らしき生き物の鳴き声が聞こえた気がした。
「あのー、ちょっとすみません」
自分の正面辺りから誰かの声が聞こえ、恐る恐る目を開けてみる。目の前には金髪にピアス、派手めな格好をした男性がスマホを片手に立っていた。生身の人間にほっと安心した所で気付く─いつの間にか、背後の気配はすっかり消えている。
「あのー…?」
黙ったままの僕を不審に思ったのか、その男性はもう一度声を掛けてきた。僕は慌てて耳からイヤホンを外し、その男性の方を向く。
「あ、はい…何ですか?」
「この駅の終電って何時か分かりますかね?さっきまで友達んちで遊んでて、今から帰る所なんすけど…」
「えっと、確か…23時30分、だったと思います」
「え!やべー、後10分遅れてたら帰れねえとこだった…ありがとうございます!」
男性は慌ただしく頭を下げると僕の前から走り去り、駅のホームへと続く階段を勢い良く駆け上がっていく。カン、カンと響く足音が聞こえなくなるまでその場に留まった後、僕は駅を後にした。
──
「疲れた…」
ようやくアパートの部屋に戻り、ベッドの上にぼふんと体を投げ出す。今日の幽霊は普段と比べて、やけにしつこかったような気がする。開きっぱなしのパソコンにはレポート提出期限:明日と書いたメモが貼り付けてあるが、今から1200字のレポートを書く気には到底なれなかった。重くなっていく瞼に身を委ねているうち、意識が徐々にブラックアウトしていく。
深夜2時を過ぎた頃、とあるアパートの一室に暗い影が差し込む。人間の手らしきその影は、その部屋で呑気に眠る青年へと伸びるものの─無数の指先はその顔に触れる直前で、何かに怯えたかのように引っ込んだ。
「…ううん…」
何かに気付いたのか、不快そうに眉を顰めた青年が寝返りを打ちながら声を上げた。途端、それが合図だったかのように影はずるずるとアパートの部屋から逃げ出し、暗い夜の闇へと消えていった。
夜闇の沈黙を切り裂くような犬の遠吠えが響き渡り、夜は一層更けていく。
鵺の鳴く夜 匿名希望 @YAMAOKA563
★で称える
この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。
フォローしてこの作品の続きを読もう
ユーザー登録すれば作品や作者をフォローして、更新や新作情報を受け取れます。鵺の鳴く夜の最新話を見逃さないよう今すぐカクヨムにユーザー登録しましょう。
新規ユーザー登録(無料)簡単に登録できます
この小説のタグ
関連小説
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます