第3話 川辺の約束

 太陽が地平線にかかり始めたころ、僕はシオンに連れられて、街からほど近い川の堤防沿いを歩いていた。


「つまり、僕を試していたということ?」


 ここに来るまでの間、シオンは僕にあの時の意図を明かしてきた。


 どうやらシオンが車道に飛び出したのは、本当に自殺を試みようとしていたわけではなく、僕がどう動くのかの反応を見たかったらしい。


「ええ。キミが偽善者とカッコつけているから、キミの中に確かに存在する善性を、キミ自身に自覚させてあげるための大じかけです」


 名案だったでしょう? と、キランと効果音をつけて横ピース&ウインクをするシオン。

 彼女の思考がぶっ飛びすぎていて、僕は一瞬理解をためらう。


「……仮に僕が助けに行かなくても、トラックは勝手に止まるとはいえさ。万が一のことがあるかもしれないよね?」


「万に一つもないでしょう。実際、車の自動運転が普及してから交通事故なんて言葉は死語になって久しいですし」


「それはそうだけど」


「もっとも、キミが本当に助けてくれるかどうかに関しては、もう少し分の悪い、千に一つくらいのけでしたが」


 結局ほぼ100%確信していたことには変わりないってことだ。


「どうしてそんなに僕を高く見積もるわけ?」


 自己評価が低い人間にとって、他人からの評価とギャップがあると裏があるのでは? と邪推せずにはいられない。

 そんな僕の様子を見てシオンは困ったように笑った。


「実際に助けてくれたじゃないですか。むしろキミが自分自身を過小評価しすぎなのですよ。何か過去にトラウマのような理由でもあるのか、勘繰かんぐりたくなるくらいです」


「勘繰るどころか、その調子ならすべて見透かれていそうで怖いんだけど」


「まぁまぁ、これも何かのえんです。どうせアタシはこの街の人間ではないですし。目的地に着くまでの間、キミの悩みを聞いてあげなくもないですよ」


 両手を広げて、万物ばんぶつの母のように優しくシオンは微笑む。

 いちいち動きが芝居しばいじみていて、まるで全てを知っているかのようで、どこかミステリアスで怪しさ100%なのに。

 

 結局僕は彼女に警戒心を抱いているくせに、本当のことを打ち明けるしかないのだろう。


「記憶喪失なんだ。生まれた頃から3年前までの記憶がない」



 3年前のいつだっただろうか、僕は見知らぬ病室のベッドの上で目覚めた。

 それに気づいた看護師が病室を飛び出すと、すぐに主治医の先生と思しき白衣の男が駆けつけてきた。

 そして、僕はベッドの上で腰かけたまま、面談のような形でいくつかの質問を答えるうちに、目覚める前の記憶がないことを自覚した。


 正直自分自身が記憶喪失だと分かったとき、そのままベッドに倒れこみそうなくらいの不安に包まれた。


 とはいえ主治医いわく、僕が失ったのはエピソード記憶と呼ばれる過去の出来事や思い出に関する記憶だけだったらしい。

 言語や日常生活における動作といったものに関する記憶には影響がないということだった。

 また過去に関する事柄にふれることで、記憶を思い出すこともあるというはげましもあり、僕は一安心できるはずだった。


 しかし、現実はそう甘くなかった。


風川かぜかわくん。キミはキミ自身を守るために、記憶を失う前のキミを知る人物、それも友だちだけじゃなくて、ご家族とも、面会できないことを知ってほしい』



「……どうして会うことが許されないんですか?」


 ときおりくるくると回りながら、踊るように僕の数歩先をいくシオンが問いかけてきた。


「過去の記憶につながる人と出会うと、僕に発作ほっさが起きるらしいんだ。じつはそれまでにも数回意識を取り戻していたそうなのだけれど、身内の顔を見るたびに発作で気を失ってしまっていた、って先生は言っていた」


「らしい、ということは、もしかして?」


「ああ。その時の記憶すらも今の僕には残ってない。逆に言えば、家族とかに会わない限りは発作も起こらず、それ以降の記憶を失うこともない。だから僕は一人この街で過ごすことになって、過去の記憶を探ることも禁止された」

 

 シオンはいったん立ち止まって首をかしげる。


「禁止されても気になりませんか? 普通は我慢できないと思いますが」


「もちろん我慢できなくて色々調べたりしたさ。それでも、手がかりは全然なくて、それにやっぱり……ちょっとは怖くて」


 そして僕は過去の記憶につながるカギをすべて失った状態で、この世界で迷子のように生きることとなった。


「生活費は毎月振り込まれているから保護者はいるんだと思う。なんとか入学受験にも間に合ったから、今の高校にも通えている」


 水色の半そでシャツと紺色のズボンに目を落とす。記憶を失ってもなお僕が頑張っていなければ、身を包むこともなかった制服だ。

 当時の僕は本当によく頑張ったと思う。


「でも、かつての僕は何が好きで、誰といて、どういう将来を思いえがいていたかは知りようもない。……周りの何ともつながりを持たない僕は、僕の人生すらも他人事のようにしか感じられなくなったんだ」


 高校の同級生ともどんな話をすればいいか分からない。だから、仲良くなれるはずもなかった。


 ただ、他人同然でも、自分という存在があやふやでも。

 ――人助けという形なら、強制的に人とのつながりをもてるはずだ。


「それをどうにかしたくて、一日一善を命がけでしていたのですか?」


「命がけは大げさだけど、まぁそんなところ」


 なるほど、とシオンはうなづいて、再び歩き始める。


「キミがキミ自身を偽善者とうそぶく理由が理解できました」


「だから言っただろ? 僕は偽善者。人助けの理由が完全に自分勝手なものなんだからさ」


 ふいに僕は川の方を見やる。この川は街の中心を流れていて、反対側の岸まで泳いでいくにはぎりぎり届かないくらいの広さの川だ。


 今は川の流れも穏やかで数羽の鳥が水面を泳いでいた。


 何匹いるのだろうと数えようとしたら、シオンが再び問いかけてくる。


「理由にこだわる必要はありますか?」


「……意外とガンコだな」


 普通の人間ならとっくに面倒臭くなって、何かのタイミングで「じゃあ、さようなら」と赤の他人同士に戻りそうなものなのに。

 目の前の銀髪美少女は、妙なところで正義感にあふれているらしい。


「同じ行動でも、その理由によって偽善者と善人に分かれるなら、理由もなく人助けしようとする存在はどうなるんですか?」


「理由もなく動くことなんてなくない?」


 正義のヒーローだって、世界を救うとか理由を持って戦ってるし、悪役だって彼らなりのポリシーがある。

 ところがシオンはそうは思ってないらしい。


「例えば、ただ使命だけで動く存在がいるとしたら――その存在がなす人助けはすべて偽善になるのでしょうか?」


「それは……どういう意味?」


「ちょっと失礼!」


「えっ!? なに!? うわっ!?」


 えりもとを引っ張られてシオンとの顔同士がゼロ距離になった。

 どこまでもみ切った青い右眼が僕という存在を吸い込んでいこうとする。


 僕は思わず息を飲み込んで目をそらした。

 一応これでも僕は男子高校生だ。正義感あふれる生徒会長みたいな女子高生に詰め寄られたら、ドキドキしないわけにはいかない。

 そんな僕を知ってか知らずか、シオンはさらに力を込めて無理やり僕と目を合わせてくる。


「ここでもう一つ、アタシはキミに打ち明けないといけないことがあります」


「……な、なに?」


「申し遅れましたが、アタシはシオン。その正体は――極秘裏に開発された人型AIです」


「ひ、人型AI……?」


「ええ。それも世界で初めて、人智を、シンギュラリティを超えた汎用はんようAIアンドロイドです」


 世界初? 人智を超えた? 汎用人型AI?

 いったいなにを言っているんだ。


「しょ、証拠は?」


「頭がAIであることなら、この明白な観察力、洞察力とうさつりょく、予測力を。身体がアンドロイドのことなら、この目を」


 青いひとみがまぶたでひとたび隠されて、再び開かれる。

 瞳のあった場所には、虹色に輝く鏡のようなセンサーがあった。その周囲にはびっしりとひかれたパターンが見える。


 呆気あっけにとられているうちにまぶたが閉じられて、元の青い瞳が光っていた。


「ちなみに家庭用コンセントによる充電にも対応しています」


 目元に白く細い指でポージングされた横ピースを添えて。


「実は現在、コミュニケーション機能も含めた各種機能の性能評価試験中でして、実社会にまぎれ込んでデータ収集を行っていました」


「は、はぁ?」


「順調に評価が進み次のステップとして、より個人との密な関係性を築いた際の機能評価に移ろうとした段階で一つ問題が生じました。持って生まれた正体ゆえに他人においそれとバックグラウンドやルーツを明かせないため、特定の一個人との『信頼』のおける関係性の構築に苦慮くりょしていたのです」


 ものすごい勢いで難しいことを言われ続けて、僕の頭はフリーズしかかっている。

 このままもう一度記憶がリセットされてしまいそうだ。

 いっそそれもありかもしれない。

 ところがシオンは説明を続ける。


「そこでアタシは考えました。アタシと同じように世間に溶け込めない人物を対象にアプローチすれば、情報の漏えいを恐れることなく容易に関係性を構築できるのはないかと?」


「……もう何もよく分からないから一言でお願い」


「人型AIによる『ぼっちに優しくすればコロッとイチコロ』作戦です」


 ネーミングセンスなんてのは、この際どうでもいい。

 血の気がさぁっと引いていくのを感じる。


「ちょっと待て! いつから僕をそんなターゲットに⁉」


 危うくシオンを突き飛ばしそうになったが、それより前にシオンは手を離してすでに緊急離脱をすませていた。


「もちろん最初からですよ?」


「どこまで計算だったんだ?」


「先ほどキミに出会ってから、今まさに繰り広げられている状況を通じて、この後に起こる展開まで」


 そしてミュージカルの終幕を告げようと言わんばかりに、シオンは川に向かって両手を大きく広げて立ち止まった。


「さぁ、目的地に到着しましたよ。2038年7月23日の夕暮れ、タイミングもばっちり。ほら、幻想的でしょう?」


 振り返れば太陽が真っ赤に世界を染め上げている。これすらも計算内だったとでも言いたいらしい。

 堤防から見下ろして、それほど流れの速くない川のちょうど真ん中付近をシオンは指で丸く円をいて示す。


「8月の終わりにここで花火大会があると聞きました。あの辺りが打ち上げ地点だそうですね?」


 この辺りの地域ではそれなりの規模の花火大会、その開催地へと僕を連れてきたかったらしい。


「さて、これまでの長々とした前フリを終えていよいよ本題です」


「前フリにしては盛りだくさん過ぎるだろ」


 いよいよ僕はツッコむ元気も無くなってきた。

 反対にシオン的にはこれがクライマックスらしい。声に熱がこもっていた。


「アタシはキミの、透真くんの記憶をたどるお手伝いをします。そのかわり」


「そのかわり、なに?」


「今日から花火大会まで1か月のあいだ、アタシの恋人役になってくださいませんか? 一日一善のかわりに夏休みの間、アタシを毎日助けると思って」

 

 シオンは僕に振り返って白い手を差し出してくる。


「キミとアタシでひと夏の秘密と思い出を共有しませんか?」


 僕の記憶にあるどんな悪役よりも清々しい笑みを浮かべながら、銀髪の女子高生型AIは言った。

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記憶を失った僕が『自称天才』のポンコツ美少女AIに恋するまでのラブコメ 冬凪てく @Fuyu_Teku

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