第2話 銀髪の少女

「えっ? いまなんて?」


 今度は僕が少女の手を取ろうとしたが、すでに手の届く範囲に彼女はいなかった。


「じょ、冗談だろ?」


 呆然とする僕には目もくれず、少女はすぐ近くの交差点へと歩み始める。


「いえ、本気ですよ?」


 まるで僕をからかうかのような声音で、踊るように。


 少女は銀髪をたなびかせながら、横断歩道の白黒の帯の前に立つ。もちろん歩行者信号は赤を灯している。


「ちょっと待って!」


 タイミングが良いのか悪いのか、先ほどと似た轟音と地響きが僕たちに迫ってきていた。致命的なロスタイムのうちに、ようやく事態の重大さに思い至った僕は慌てて後を追う。


「さよなら、透真くん。お元気で」


 彼女が本当は何と言ったのかはわからない。ただ、彼女の口元はそう動いた気がした。


「待って! ダメだ!!」


 もう一度僕は手を伸ばして、少女を歩道側へ引き戻そうとする。ところが風をつかもうとしているかのように、僕の手からこぼれ落ちて彼女を捕まえることができなかった。


 態勢を崩した僕は、せめてもの悪あがきに少女に向かって飛び込む。

 

 これでは少女もろともトラックに吹き飛ばされて、二人仲良くおしゃかだろう。

 頭の中では冷静にそう思いつつも、どうして身体が勝手にそう動いたのかまでは分からない。


 一瞬という悠久の時のあいだ、空を飛んでいるような気がした。


 あれほどまでに暑かった世界は消え失せて、騒々しかった世界は消え失せて。

 唯一おぼろげな僕の視界に飛び込んだのは、驚きをあらわにした少女の表情だけだった。


 人は死んでも人の魂は世界に残り続けるという。


 では、かつて三年前、魂とも呼ぶべき記憶を失った僕の場合ならば、いったい世界には何が残るというのだろう?


 ――結局、僕はこの世界に何も残すことなく人生を終えてしまうのだろうか。


 直後に全身を衝撃が襲った。



 どれくらい時間が経ったのだろう? 僕の手足には五感が次第に戻っていくような感覚があった。


 目を開けたら、そこは死後の世界なのだろうか?


 もしかしたら、いや、もしかしなくても死んでしまったのかもしれないのに、ひどく冷静な頭に内心驚きながら、僕は恐る恐る目を開ける。


 僕は黒い地面と白い物体の上に倒れこんでいた。黒い地面はアスファルトだろうか? 地面に接している手やひざはじりじりと焼き付ける鉄板のような熱さを感じる。


 白い物体のほうは? 何やらもぞもぞと動いている。


「お、……重いです」


 眉間にしわを寄せながら、苦しそうな声を発した。


「ご、ごめん!」


 白い物体の正体を知った僕はあわてて飛びのく。


 飛びのけたところを察するに僕の手足が身体につながったままであることは確からしかった。


「ふう。まったくキミは無茶なことをしますね」


 僕の下敷きから解放された少女はむくりと態勢を起こすと、両手を伸ばした。


「はい。起こしてください」


「ああ、ごめん」


 少女の白い手を取る。


「ありがとうございます。では、よいしょっと」


「おわっ⁉」


 

 華奢な見かけによらず、僕の腕にかかる力が大きかった。

 少女が立ち上がる反動で僕は危うくつんのめって、再び地面に転げそうになる。


「あら、失礼」


 そう言いつつ少女は身を包む黒いセーラー服を払い始めた。


「それで、僕らは無事……なの?」


 確かに僕たちはトラックにひかれるはずだった。


「ええ。お互い無事のようですね」


 一通りほこりを払い終えた少女は「ふう」と息をつく。


「どうして?」


「どうしても何も。自動運転トラックに搭載されている、単なる衝突回避機能ですよ。ほら」


 指をさした方向にはまさに僕たちをひき殺そうとしていたトラックが静かに停止している。

 やがて、僕たちを道路を占有する障害物と検知したトラックは車線変更をしてから、僕たちをかわしてそのまま走り去っていった。


「まったく、不慮の事故が減るというのはいいことですが、自殺する場所も減るというのは面倒ですね。交通事故も今や死語になってしまいましたし」


 さぁ、ここにいるとかれますよ?


 なんてジョークとも本気ともとれる言葉とともに手を引かれて、僕たちは再び歩道に戻った。


「さて。先ほどはどうもありがとうございました。改めまして、アタシの名前はシオン。訳あってこの街に来ています」


 ついさっきまで自殺志願者だったとは思えないほどに明るい様子で少女は自己紹介を済ませる。


「ちょっと待って。理解が全然追いついてないんだけど……」


「あははっ。それはきっとそうですよ。なので、頼まれついでにもう一つ」


 どうやらシオンという少女は他人の事情を気にせず、ぐいぐい人を巻き込んでいくタイプらしい。


「今から行きたいところがあるので、一緒についてきてくれませんか?」


 なにがなんだか分からないまま、うんともいいえとも言えずにいると、シオンは再び僕の手を強く引く。


「道中で事情はちゃんと説明しますから」


「そ、それなら良いけど」


「じゃあさっそく行きましょう!」


 シオンはレッツゴー、と拳を空に突き上げて歩き始めた。

 当然僕には一緒にレッツゴーなんて言う元気もない。性分でもない。


「そうだ、今日はこれで一日二善になりますが、善を明日に繰り越せたりするんですか?」


 シオンに首をかしげられたところで、答えは持ち合わせていない。


「考えたこともなかった」


「ふふ、冗談ですよ。偽善者クン?」


 からかっていることは明白だった。

 無性に恥ずかしくなった僕は強引にシオンの手を振りほどく。


「付き合うのは目的地に着くまでだからな」


 せめての強がりをしてからシオンの横に並んだ。

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