第56話 とりあえず、俺戦エンド・5

 三秒待つ?


「え…?」


 その後の彼女の行動は突飛すぎた。

 ボイルが首を傾げた瞬間には彼女は動いていて、床に落ちていた彼女の兄の剣を拾う。

 そして彼女、ニースは——


「おい!何を考えている! 勝手に俺の前で死のうとするんじゃない! お前はお前の道を歩けっていってんだよ!」


 ボイルは慌てて彼女の腕を掴み、剣を捨てさせた。

 ニースは間違いなく、自分の下腹部に剣を突き立てようとしていた。

 とんでもない魔力。今の彼女の目は普通じゃない。


「はぁ…、はぁ…」

「魔力も抜け。体に障るぞ‼」


 そもそもボイルはニースのことをほとんど知らない。

 そして逆に、ニースはボイルのことを良く知っている。

 ある意味で彼女はボイルのストーカーだ。

 そんなストーカーでも目の前で、本当に自死されたら寝覚めが悪い。


「だってだってだって!君が私を殺してくれないんだから、仕方ないじゃない! 兄の子なんて産めない!私は君の子供がほしいの!それが叶わないなら、こんな体なんて、こんな命なんて……、子宮なんて要らない‼ちゃんと見てて!私、うまくやるから!」

「は?狂ってんのか‼」

「…ずっと前から…君に狂わされてる‼」

「肯定するな‼」


 このストーカー、本当にタチが悪い。

 正直言って関わっちゃダメなタイプだ。

 そもそも、ここで彼女が死ねば、彼女の兄に殺人容疑がかかる。

 彼の精液が検出されるのだし、ただの男爵家。


 この女、本当に鬱陶しい‼


 立ち止まるんじゃあなかった。だったら逃げなきゃ。


「ってか、なんで俺が見ないといけないんだよ。俺は行くぞ、三秒経ったしな。俺がいなくなったら、勝手にやってくれ。ただ、一つ言っておく。お前が死んだら兄の罪になるぞ。ま、俺がグレイシール家を滅亡させた今、有耶無耶になるのかもだけど」


 そして、ボイルの顔が引き攣った。

 アダムは言った。グレイシールのせいで世界が立ち往生している、と。

 アリスは言った。国を動かせる偉い人だ、と。


 世界が立ち往生しているとか、どうでもいい。

 その国の中枢を俺は皆殺しにしてしまった。…ってことは


「って、そうだった。あいつの狙いはそれか。ここは最悪の場所だ。…それじゃあな、お前ら、うまく生き残れよ!実家に帰れよ‼」


 中央に空白地帯ができる。

 貴族と王族の関係を取り持つ役目を持つグレイシールが消えた。

 ここからが本番だ。アダムが思い描いたストーリーが始まる。


「駄目‼私が死ぬところをちゃんと見て‼」

「嫌だって言ってる!それに一刻も早く、俺は貴族街から逃げたい‼」

「だったら私もついていく!君が私を殺してくれるまで、絶対に離さない!」

「だから、殺さないって言ってるだろ‼」


 何なんだよ、この女‼調べたってことは状況は分かってんだろ‼


「だったら、その剣を返してよ‼直ぐに済むから‼」

「王の座をずっと空席にするつもりだ。この地で貴族を争わせる為に、邪魔なグレイシールを排除した。お前は自領に……」


 アダムの狙いは最初からグレイシール一族の壊滅だった。

 だから、キル・ノワールはわざわざグレイシール家を通した。


「帰らない‼私はもう帰れない‼帰りたくないの‼」

「帰れ‼命が危ないぞ‼」

「命は要らない。だから、私を殺して‼」

「そうだったな‼でも、俺は嫌だ‼」


 魔力の力関係で考えると、あの男だけでも可能だった。

 だが、アダムが動けば、王族が動いたのと同じこと。

 ゲテム・グランスロッドが王でも、全然問題ないのだ。

 つまり、単純に王の権威を示しただけ。これじゃあ今までと変わらない。


「なんで?貴族を殺してたんでしょ?私は貴族よ?」

「だーかーらー、もう解放されたんだって言ったろ‼これ以上、利用されてたまるか‼」


 だから、どこに属しているのか分からない『死神』が必要だった。

 その得体の知れない存在が噂が広まった後に、グレイシール一族が忽然と姿を消した。


「私決めたの! 何度も言っているでしょ? 私はボイルくんのことは全部知ってる。全部知っててついていくって言っているの!」


 感情論?いや、何論?


 全部知っているなんて、不可能だ。

 ボイルでさえ、これからどうなるか分からない。


 そして、こんな男爵娘でもボイルが生きていることを知っている。 


 死神はボイルだと、分かる人間には分かる。


 そも、アリスも知っている。


 あ…、オナキン参上って書くの忘れた…って、これもか‼


 死神ボイル討伐を行なった者は全てに勝る。

 全てを握る。アダムならば平気でそんな噂を流すだろう。


「ボイル君は命を狙われることになる…でしょ?」

「そうだよ‼だから…」


 死神の特徴は片腕が義肢でもう片方の腕は手首から先がない黒髪の男。

 人相書がなくても、これだけで十分に特定できる。

 流石に片玉というのは、バレないだろう。

 今まで表舞台に立つことを避け、王の後継者という地位を敢えて使わなかったグランスロッド家だ。


「その時、サクっと私を殺してくれるだけでいいから!」

「なんでだよ‼なんで、お前は死ぬ前提何だよ‼ついて来たらお前も酷い目に遭うって言ってんだよ‼」


 アレらがその気になればボイルを国賊人認定することは簡単だろうし、間違いなくそれを狙っている。


「じゃあ、ついていって良いってこと!?」

「言ってない‼」


 そんな中で、やべぇやつに目をつけられた。


「ありがと‼ボイル君‼ついていくね‼」 

「わ…。話聞いてない。って、その前にお前が勝手にいなくなると不味い。…兄貴にメッセージを送れ。貴族ならそういうの持ってんだろ?真っ先に疑われるのは俺…」

「え…、私のことまで…!」

「いや、違…」

「ボイル君はとおっても優しい!私の為に‼」


 全然、違う‼俺の為って言ってんのに聞いてない‼

 あの男は俺の正体を知ってい。ボイルが死神だと直ぐにバレるだろ‼

 孤児院出身者もしくは未だにあそこにいる弟妹を人質に取られる可能性が高い。


「だから…」

「私はボイル君と共にあります…」

「って、馬鹿なの⁉それじゃ、俺が生きてるって…」


 は…。そうだった。なんだかんだ、コイツも貴族だった‼

 自己中心的で、自分の欲望に忠実…


「…見知らぬ地に行きます。探さないでください、と。これで孤児院はセーフかな?」

「へ…、孤児院…って?」


 そういえば、ジェームズ・ライザーの子供が孤児院に来たとか言っていた。

 コイツ…


「ボイル君のことは何でも知ってる。ボイル君がどの貴族に虐められたかだって、大体分かってる」

「お前、俺が…」

「ニース。ニース・ライザー。ボイル君に命を捧げた女の名前です」


 父親の死後、ボイルのことを憎み、ボイルを殺すことだけを考えていた。

 そして、世界中の事件を追いかけていた女だ。


「え、えっと。ニース…。ニースは俺が何処の領地に連れて行かれたのか…」

「勿論。全部知ってます‼なりすまし、模倣犯もちゃんと見抜いています。ボイル君、先ずは何処に行く?私たちの共通の敵であるペガサスを連れていたボルシェ領にします?きっとフレーベ公国とも繋がっていますよ。それとも、多くの男児が犠牲になったロドリゲス領にします?」


 青年の口角が歪む。

 マジのガチのストーカーだった。

 それ故に彼女は、殆ど知っている。


「そんなことまで知って?」

「フュイ君、カイさんの仇を討ちましょう…」


 そう。殆ど知っている。

 憎さ余って可愛さ、万倍。

 そんな言葉で形容できそうな程、ニースはボイルのことなら何でも知っている。


「大丈夫です。ボイル君の体液は、私のものです‼」

「う…。それはなんか違うけど。それも知ってるってことか…」


 一応、ガーランド公国に行くという大きな目的はある。

 でも、独立したのなら、それこそ、どうやって行けば良いのか分からない。

 独立していない領地だって。


「あと…。ロドリゲス領はなるべく早く…。最短で五日で行けますし」

「え?マジ?そんな近くってイメージなかったけど」


 余りにも都合が良すぎる。でも、彼女の顔は罠を張るというよりは…、何とも切実なもの。

 いやいや。ちょっと待って。

 死にたいとか、殺してとか言っていた筈では?


 とは言え、ボイルはニースの言葉を素直に聞き入れた。


「ボルシェ領でペガサスを盗みます。…ペガサスまでが三日。そこから二日です。出来るだけ早く買っておきたいんです‼」


 ロドリゲス領で何を買いたいか、流石にボイルも察せた。

 目的が重なる相手となら、組みやすい。

 ちょっと行き過ぎた性格の持ち主だけど。


「分かったよ、ニース。俺と一緒に行こう」

「はい。急がないと…って、ええ?いいんですか?」

「今の流れで、疑問に持つ?ってことで、一緒に行ってくれる?」


 旅は道連れ。世に情けは無し。


 こんな歪んだ世界で、ボイルは生きている。


「えっと私、ニースと…」

「俺、ボイルの…」


 ——戦いはこれからだ。


     □■□


 何も知らないボイルと、ボイルについて調べまくっていたニースの新たな旅立ち。


 この爛れた世界で暗躍する者が知らない訳がない。


「あらあら。結局ベタな展開ね。女連れなんて」


 女の顔はベールが邪魔でハッキリとは見えない。

 かと言って、正体を隠している訳ではない。


「姉上。いえ、お嬢様…でしたか」

「よしなさいな。流石にお嬢様は、アレだけに呼ばれたのだから」

「そうですか。ずっと放置していたのに、気に入っていらっしゃったとは」


 グレイシール一族の葬儀の後だから、真っ黒なドレスを着ていただけ。

 アダムもエバも。二人そろって王領に戻る途中。

 これから始まる、乱世が楽しみで仕方ない二人。


 父親が本当に存命しているのか、分からない二人。


「当たり前ですわよ。アナタが勝手に横取りしただけ…」

「それはおかしいですね。私が手配しなければ、最初のギロチンで終わりだった筈…」

「うふ。そんなわけないでしょう。だって彼は——」


 それはそう。

 あのお嬢様が選んだ少年が、——ただの平民である筈がない。


 そして、この世界も——



     ◇


 以前に書いていた小説です。

 区切りが良いので、ここで俺達の戦いはエンドにします。


 機会があれば、続きを書くかもしれません。

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残酷に歪んでいる世界、良いことなんて一つもない惨たらしい世界 綿木絹 @Lotus_on_Lotus

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