第55話 とりあえず、俺戦エンド・4

 ボイルは唖然、呆然としていた。

 目を覚ました時、腹上死の予感がした。


 彼女のことは知っている。顔だけ知っている。

 伯爵家?いや、ボルシェ侯爵の家で、伯爵家と子爵家の男に襲われていた。

 なんと紛らわしい。…じゃなくて、その時に居た女。


 だけど、ここにもう一つ、最後の最後で情報が付け加えられる。

 だって、アリスはボイルにニース・ライザーの特徴を教えていない。

 彼女のボイルに対する愛は本物だったから、他の女のことなんて教えない。


 そして彼女がお兄ちゃんと呼ぶ男が登場した。その男が腹上死を狙っていた。

 

 そっちの男の方は分かる。ガン見した。器具の扱いが下手糞すぎて、しっかり覚えている。

 バーベラ姉妹の方がまだマシ。ってことはマリアはガチ。

 じゃなくて、この男はジェームズ・ライザーの息子、ライツ・ライザーだ。


 ボイルがそんな不器用な男の腹上死で死ぬわけがない。

 不器用な隠密に気付かないはずがない。


 パンパン…


 ってことは、あの子はジェームズ・ライザーの娘?

 それってつまり、アリスが最後にやろうとした…やつ


 う…、頭が…痛い…


 女が跨って、男の精力を奪う。その間に他の誰かが男を殺す。

 こんな形の殺しの形があったことを、今更ながら教えられた。

 思い当たるのはルーシアとリリアン。そしてその父モーデス。


「お兄ちゃん…、痛い…」


 一人で山の奥で暮らそう。一人で畑を耕して…

 この腕で?人殺ししか出来ない腕で?…ガーランドは遠いし、マリアはあんなだし。

 今度はマリアに飼われるとか…、絶対に嫌だし。


 殺害に失敗した後は、兄妹で貴族の嗜みを始めた。

 見慣れ過ぎているし、今は絶対に見たくない行為。

 兄妹?近親相姦?貴族なら当たり前。珍しくもなんともない。


 とは言え… 


「あの青い髪の女…。男爵家にしては強い魔力。子爵級?いや、伯爵?…でも、今は子爵級?…あれ?男爵クラス?…ってことはやっぱ兄妹か。」


 因みに、ボイルは反射的に青い女を殺そうとした。

 ただ、嵌っていた義手がそこにはなく、突き飛ばしただけ。

 その後、茶色い髪の男からの攻撃を弾いた。


「ともかく、青い髪のあの女の魔力はかなり強かったってこと。そう言や、最初の俺の殺しって、そのお陰で簡単だったんだっけ。でも、だったら…」


 一人でどうにか出来た筈。なのに嬲られていた。どういうことだ?

 分からないことだらけ。教誨師の顔が浮かびそうになる。

 アダムなら嬉々として教えてくれるだろう。


 ——貴方の頭は切り落とされていないのですが


 な…。俺は脳無しじゃない‼


 まさか義肢に。いや、その手の嘘は吐かない奴だ。ていうか、代わりに考えてたとか言われた。

 俺だって…


「えっと、青い髪の女。アレは魔力が強い。んで、俺は無意識に殺そうとして、義肢が無かったから突き飛ばした形になった。それで多分、魔力が薄れて…。今も薄れてるし?んで、男の方の魔力にぴったりと当てはまった?もしくは催淫魔法の向きが変わった?…男爵家もやっぱ貴族で、欲望には勝てなかった?」


 あれ。この考え。纏まってなくない?

 そも女の魔力。なんだ、アレ。

 最初くらいの魔力があれば、ボルシェの屋敷で助かった筈。


「つまり女の方は自分の魔力に気付いていない、もしくは使い方が分かっていない?…って、どっちでもいいか‼」


 貴族って一族全員髪の色が同じかと思っていたが、男爵にまで血が薄まれば、違うらしいし。

 顔も似ていないし。だけど、二人の会話では兄妹。


「まぁ、俺には関係ない。やっと仕事が終わったんだ。——二人でせいぜい血の濃い赤子を産んでくれ」


 父親はまともに見えたけど、あの時の女もまともに見えたけど、結局そうではなかったってだけ。

 殺そうとした相手の前で、いきなり性行為を始める、意味が分からない。

 いや、分かりたくもないの方。


 この世の全ては、愛憎で出来ている。


 確かに、これこそがアダムが描く理想の世界だろう。


 ボイルは立ち去る為に義肢を嵌める。今はボイルの魔力でくっついている。

 二度目の卒業って呼んでもいい。


「あ、そういえば貴族…か。殺しとく…?」


 仕事が続いていたのなら殺していた。

 アリスのためならと殺していた。

 でも、今は何も考えたくない。


「…いや、今はいいや」


 とにかく疲れた。もっと静かなところで休みたい。

 貴族殺しだってどうでもいい。

 目に余る行為をしているヤツだけでいい。


「ジェームズさんのお子さんたちだし」


 ジェームズ・ライザーのことは尊敬している。


 理想的な人間。理想的な父親。少なくとも、この世界の中では。


 彼に借りを返すつもりで…


 ボイルは立ち去——


「ニース!お兄ちゃん、そろそろ!お…」

「変態!バカ!お兄ちゃんの馬鹿!痛いって言ってるのに!私はそんなつもりないって言ってるのに‼」


 後ろから聞こえる声。

 突然、女の声が強くなった。この現象も知っている。っていうか思い出したくもない。

 男女のまぐわいのメカニズム。

 アダムの言っていた、互いの性器を魔力で循環させる行為。

 今は亡きグレイシールのおじさんが言っていた、最終的に魔力は女性側に残るという現象。


「女がオーガズムを感じていない場合?いや、こんな時に賢い考えなんて要らないって」


 達していた筈のアリスが動けた理由。


 ——無事に魔力の結晶が、愛の結晶が出来たから。


 ドン‼


 ボイルの視界の端から端まで飛んでいく男。

 壁に激突してぐったりしているが、満面の笑みを浮かべている。


 う…


 あのことを思い出し、吐き気を催す。

 幼馴染の少女は、見事に当たりを引いた。

 この歪に腐った世界の次代の英雄を身に宿したのだ。


「俺ではない男、あの中年の男の子を身籠った…」


 立ち眩み、足元がおぼつかない。

 考えないフリってのは、なかなか出来ないらしい。


 やっぱり殺せば良かった………って、思えたらどれだけ


「これ以上は…まずい…な。早く、ここではない何処かへ…」


 良く知らない男の笑顔は、酷い心理攻撃だ。

 いち早くここを出るべきだ。貴族に関わると碌なことがない。

 魔力の循環がかき乱される。

 でも、足はもう自分の足だ。


 だから、足早にこの家を後にすることにした。


 そこで。


「ボイル、待って‼」


 何故か腕をひっぱられている。

 いや、殺すつもりだったのだから当たり前。


「やっぱ俺の名前を知っていたのか…。ま、そうだよな。俺はお前たちの仇。でも、今は殺される気分じゃないんだ」


 女の方は見たくない。

 きっと彼女もあの子と同じ。卑猥な笑顔を垂れ流しながら話かけている。


 それは半分だけ正解で、実際には彼女は赤と白が混じり合った体液を流している。

 でも、ボイルは見たくないし、その正解も求めていない。


 なので、一切見ずに立ち去ろうとした。


「違うの!そうじゃないの!」


 出た出た。

 どの口がそれをいうのか。まるであの女のようではないか。


「…知るかよ。これ以上関わるんなら、容赦無く殺す」


 催淫されない。ってことは、自分の方が魔力は上だ。

 それは向こうにも伝わっているだろう。


 だからこれで……


「…うん、殺されても文句ない。私もお兄ちゃんが来て、あんなことになるなんて考えてもいなかったし……。でも……、でも!その前に……話だけでも聞いてください‼」


 女はボイルの目の前に回り込んできた。

 殺そうと思えば殺せる距離。でも、ボイルは動揺していた。

 騙されてはいけないと分かっている。


 彼女の大粒の涙に騙されてはいけない。


 でも、


『ロイくんはここにいて。僕たちは侯爵様とお話をしてくるから』


 疑って、疑心暗鬼で死んでいった少年と少女を知っている。


 だから、足が止まる。


 こうやって、アリスに騙された。そんなことは分かってる。

 おかしいと思ったら殺したらいい。フュイの時の俺じゃない。


「私は君にひどいことをたくさんした。今回もそう。兄が来たことは予測できなかったけれど、その前に私は貴方を犯そうとした。自分のものにしようとした。君は私の命の恩人で…」

「…でも、俺はお前たちから父親を奪った」


 そう言えば、そうだった。

 俺はまだ…


「…謝らないとって思ってた。俺の方が先に酷いことをしたんだ。だから、さっき殺された方が良かったんだ」


 彼女の父親の憎しみに満ちた目。その後酷い目に遭ったって、ジェームズの子供たちには関係ないこと。


 そもそも、生きる理由なんてなかった。


「違う‼それは違う…。もう、私、大人だよ?君のことも沢山調べて、ちゃんと分かってる。君は悪くない。…でも、謝ってくれるんだ…ね。貴族に散々弄ばれたのに…、君は貴族のことが大嫌いなのに、今も私たちを見逃してくれてる」


 ボイルの目が僅かに剥かれる。

 蕩けた瞳ではなく、潤んだ瞳で少女は続ける。


「だから私は死ぬ前に謝らせて欲しかった。ううん、懺悔したい。死ぬなら懺悔をしてから死にたい…」

「俺が逃げたことで、お前の父親は死んだんだぞ?お前には俺に復讐をする正当な理由がある。それに俺は別にお前を殺そうとは思わないし、なんで死ぬことが前提なんだよ」


 このまま放っておけば、自分はいなくなる。

 そもそも、ここでは何も起きていない。殺されそうになったけど、あんなんじゃ殺されないし。


「ううん、違うの! 私が勝手に逆恨みをしていただけ!貴方はずっと貴族に利用されていただけでしょう? 私、貴方より貴方のことをよく知っているつもり。 だから…、なんでかな…」


 くん…


 甘い香り。いや、強い魔力。やっぱりこの女…


「私ね。真実を知ったら、君のことが好きになっちゃってた……」


 こんなに綺麗な人に言われたら知らない人だったとしても嬉しくなる言葉。

 そして完全に知らない相手でもない。でも、今のボイルにとっては地雷ワードだ。「好き」なんて言葉がどれだけ軽薄かを、今の彼は知っている。


 それにニースからは魔力が駄々洩れている。


「いい加減なことを言うな!お前は他の男とした後で、俺に向かって好きなんて言ってるんだぞ!馬鹿にするのもいい加減に…」


  この言葉は別の人物に言ってやりたかった言葉だ。

 でも、あの子に対して言うことができなかった。

 それを目の前のあまり知らない女に向かって言っている。


 本当に情けないって思った。何も変わらない。中身はまるで変らない。


 知らない女には平気でぶちまけられる。臆病者の八つ当たり。


「うん…分かってる…。兄の行為に抗えなかった私の言葉は、…軽薄そのもの。でも、私は兄を許すことができない。私はもうここにいられない。兄が領主をしている故郷に帰ることはできない」

「俺の知ったことではない。俺は好きで貴族を殺していたわけじゃない。だから、お前のためにお前を殺す義理もない。勝手に貴族の子供を産んでおけ」


 ひどい言葉がたくさん出る。

 全部全部、アリスに言ってやりたかった言葉なのに。

 結局、自分はアリスを殺すことさえ出来なかった。

 あれで彼女は貴族の仲間入りを果たした。

 男児が生まれれば、その子が侯爵位を受け継ぐだろう。

 勿論、王宮にもグレイシールの娘がいるらしいから、簡単ではないだろう。


 そこで勝手に殺しあったらいい。俺のいないところで。


 はぁ、なんて臆病者。俺はただ、逃げ出しただけ…


 考えても仕方がない。

 あの時点で俺は行き場を見失っていたのだから。


 ある意味で目の前の少女と同じかも…


 そんな感じで、考えが纏まらないボイルに向かって、少女は言った。


「分かった…。それじゃあせめて…、あと三秒だけそこにいて」


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